第三話
交易島ベネアに於いて手に入らない物は無い。
ベネア上空に
テプール商工会前の広場では青空市が開催され、各地から集まった交易品や掘り出し物が所狭しと並べられ、多くの人が訪れていた。
その市場特有の大喧騒から少し外れて本島南西、交易品の市ではなくベネアに暮らす職人たちが作る直営店が立ち並ぶ区域で、値段は上から下まで様々だが全てが一級品。ベネアが交易島として発展してからは、良い素材が外からももたらされるようになり、その評判はとどまることを知らない場所だ。
「おうデュラン、今日は偶数の日だろう? 書き入れ時じゃないのか何の用だ?」
「ようダイン心配するな、久々に長距離の仕事が入るから貸切って奴だ。という訳でアレを出してもらっていいか?」
デュランがやってきたのは、飛龍の鱗で作られたプレートを店先に出している飛龍乗り御用達の店だ。名を
ただ、今はその顧客である中飛が偶数の日とあって忙しく空を飛び回っているので店内は閑散としていた。
「アレか、良いぞ。ウェルズのサイズに変わりはないだろうな?」
デュランが手でマルを作るとダインは頷いてベルを鳴らした。
棚で整理をしていたのか、店員が棚の下からひょっこりと顔を出した。
「親方、どうしました?」
「倉庫に物を取りに行ってくる。店番を頼んだぞ」
「了解です。あ、デュランさんいらっしゃい」
「何時も世話になるね」
長いひげを揺らしながらダインは扉を開けて店の奥へと消えていく。しばらく店員と飛龍談義をしていると目的の物を短いが筋骨たくましい肢体を駆使し軽々とダインは持ってきた。
それはウェルズ用の鞍である。今装備しているタイプの鞍よりも長く大きい。特徴的なのが背もたれのような物があることだ。
ただこれ、長距離移動をする際の疲れを防止するためとかそういう物ではない。この背もたれを経由して安全ベルトを用いて完全に固定する為の物だ。
これはダインが考案したもので、最初は
そんな訳で売れ残りとして埃をかぶっていたものをデュランがこれはいいと改造して買い取ったのだ。
改造前は手足全部を完全固定していたが、今はだいぶすっきりし肩から腰を固定するのみなっている。
嵩張るのは比較的大きいウェルズには問題なく、長距離移動の際にはデュランとしては欲しいものだったのだ。
これはデュランとウェルズ特有の問題なのだが、乗り心地が良すぎて長距離移動だと居眠りをする客が少なからずいるのだ。普通の中飛に乗ると高速飛行する為冷たい風が吹き荒れ寝るどころではない。
対してウェルズの上はほぼ無風、冷暖房完備という快適環境に、揺れを感じさせない高度な飛行と合わせ、とても眠くなるのである。
一度、居眠りした客がそのまま滑落しかけることがあってからは安全紐を厚くする程度しか対策がない。
これはどうしたものかと悩んでいる時、ダインの愚痴を聞いて居てそれだと買い取って改造してもらったのである。
ダインのような
しかし金属品を製造するのに命をかける炎の島ユミルでただ一人革製品に熱意を注ぎ込み、ベネアまで渡ってきた変わり者のダインにその法則は当てはまらなかった。
それどころかむしろ買ってくれたことに気を良くして使わないときは倉庫で保全しておいてくれるアフターサービス付きであった。
「じゃあありがたくもらってくぜ」
「しっかし、今度はどこに行くんだ?」
「東の
「そりゃまた遠くだな! 遠すぎていきたくないな!」
「アンタの地元の方が行きたくないわ! ユミル山の火山弾が高速気流まで飛んでくるって知ってんだぞ」
落石事故で飛龍が墜落する唯一の島、ユミルである。
「あれ? デュランじゃん。サボりか?」
カウンターに肘を掛けてそんなこんな話をしていると、新たな客がやってきた。優しげなたれ目と癖毛の男で、デュランよりも幾ばかりか背が低い。
「なんだ? そういうユオンこそサボりか?」
「僕は今日は非番だよ、休暇の日はそっちと違って決まってるんだ。ダインさん、ハミの修理お願いしますね」
ユオンが肩をすくめてから袋の中身を取り出す。
カウンターに置かれたのは飛龍が噛んで手綱の機微を感じ取りやすくする龍具だ。ちなみにウェルズは火を吐く関係上、噛むタイプはつけていない。
「おう、任せときな。どっかの誰かと違って扱いが丁寧でいいねえお前は」
「うっせ。じゃあダイン、そろそろ行くかはまた何かあったらよらしくな」
分が悪いので肩に鞍を抱えて店から出ていくデュランはそそくさと店を出る。
「珍しいですね、あの鞍使うの」
「アレを使うならたまにはアッチも使ってやればいいのになぁ?」
「いや、彼の仕事柄使ってたらお客さん寄ってきませんって」
「倉庫の隅にいつまでも置いておくのはのう?」
「なんかあったら使ってやるから捨てるなよ!」
扉をくぐっていると聞こえてきた声に思わずデュランは返しつつ、跳ねて鞍を肩に担ぎ直した。
人込みをかき分け、本島の中を歩いていく。
途中寄ったベティの店は偶数の日ゆえに昼間でも繁盛しており、鞍を担いだまましかも偶数の日に来るな、と営業スマイルのままキレられたが、ちゃんと餌を用意してくれるあたりベティも商売人である。
両肩に荷物を担いでまた第二分島にまで戻ってようやくデュランは一息着くことができた。しかしこれから別の作業である。
「ウェルズ」
暢気に傾いてきた日を気にせず日向ぼっこをしていたウェルズが薄眼を開けるとしょうがないなと言わんばかりに、のそりと起き上がり翼を少し開くようにして、人間で言うと土下座に近い姿勢を取る。キチキチと軋む鱗の音と陽光を反射する美しい姿を見れる者はここにはいない。皆仕事中である。
まずトランクを固定しているベルトを外す。これは頑丈ではあるが乗り手の場所から簡単に外せるようになっているため、いったんウェルズの上に乗る。中は空なのでぼすっと軽い音を立てて地面に落下する。
次は二つ付けられた鞍を外す。背もたれ着き鞍は固定ベルトの都合上、二座席分の背中を一席で占領するのだ。故に長距離の際だけはウェルズは二人乗りの翼龍となる。
カラン、とデュランの目の前にランタンのついた尻尾が差し出される。背もたれ付き鞍を引っ掛けると、背中に登るのに合わせてウェルズが鞍を背の上にまで運んでくれる。
背の所定の位置に鞍を配置すると尻尾を掴んで鞍が動かないよう上から押さえつけてもらいつつ、地面に飛び降りベルトをきっちり固定する。これが緩いと鞍ごと客が大空に舞ってしまうので念入りに締めることが大切だ。そのため結構力が要るのでデュランの額に汗が浮かんだ。
最後にトランクを取り付けて完成である。
「ふいー、手伝ってくれてありがとなウェルズ」
トランクの二重底の下に二つの鞍を仕舞いつつ、ウェルズが差し出した顎の下をデュランが指を立てて強めに引っ掻いてやると、嬉しそうに喉を鳴らした。頑丈な鱗を持っているがゆえに撫でる時は結構強めにやってやると心地いいらしい。
ただ、鏃にもできるような硬質な鱗なので生え方の流れを見誤ると指に先端が刺さる。
これで、ウェルデール・トランスポーター側の準備は終わったので後は商工会で着せ替え人形にされているであろうツバキの荷物積み込みを行うだけだ。
かなり日が傾いてきて朱が混じり始めているので、今日出発することはない。逃亡でもするなら別だがわざわざ夜間に飛ぶ意味はないからだ。なら時間が空いているうちにと、ウェルズにベティ印の肉を出すと頭を勢いよく起こすと、喜色を表すかのように肉をガツガツと食べ始めた。
しばらくウェルズに背を預け時間を潰していると、橋が軋む音が聞こえた。
デュランが目を向ければ、少し気恥ずかしそうな黒曜石の瞳がこちらを見ていた。
「お待たせしました!」
目があった途端、駆け寄ってくるツバキの後ろには気配を消したダチャルが控えていた。面倒ごとを押し付けられたなあとデュランも苦笑いした。
「すごい! これがデュランさんの飛龍なんですね!」
「ウェルズだ。流石に危ないから止まってくれ」
そのまま脇を抜けて飛びついていきそうな勢いだったので、手と言葉で制すると急ブレーキするように止まった。
そんな動作もできるほど、格好もずいぶん動きやすそうになった。要点に龍の鱗を使った一般的な飛龍乗りの服だ。どうやっているのかは謎だが長い黒髪はゴーグル付きの帽子に格納され飛行中に邪魔になることもないだろう。
よく見ると服や龍の鱗のガードに装飾が施されており実用性とオシャレを両立させた一品であることがわかる。
「荷物はこれだよ。中身は着物と着替え、」
ダチャルが差し出してきたトランクを受け取ると、弱火でブレスを吐いて肉を焼いているウェルズの腕をノックすると名残惜しそうに肉を一口で飲み込み、体を起こしトランクに荷物を入れる。
「ウェルズさんごめんなさい」
気にしてないと言わんばかりに小さく喉を鳴らし、ウェルズは伏せるような姿勢になった。
「乗れ、だってさ。ついでにベルトの付け方教えるぞ」
デュランが先に背に登り、ツバキの手を掴んで登る補助をする。
「そう、肩口のベルトを締めた後は両脇のバーを握って、足は内腿に力を入れて鞍を挟み込む感じにすると安定感が出る。普段はそこまでしなくていいが、緊急時は守ってくれよ
「わかりました、ところで」
問題なく鞍にまたがり、肩口から腰にかけてのベルトの装着説明と実演をした所で、ツバキがバーから手を離し両手を広げた。
「似合ってます?」
「いいんじゃないか? 機能的だし」
飛龍に乗るならこれ以上の格好はそう無いだろう。色合いもツバキに合わせ白を基調とし、もし夜間飛行する際も視認性が良い。細部の刺繍も拘りなのかツバキの着ていた着物の柄を模しており、細部が光る。
思えば色合いが自身と対になっている。アッシュグレイの髪に合わせた黒い一点物の飛行服は、裁縫士のレイヴェルに作ってもらったものだったと思い出した。
「…聞いてた反応と違います」
すこし残念そうな顔をされたが、されても困るのである。デュランに何を期待されていたのか。
「聞いたって誰に?」
「服を作ってくれた七色の髪の毛の人です」
思い当たる容疑者がデュランの中でリストアップされた。容疑者一名、そんな頭で服作る奴は一人しかいない。レイヴェルの馬鹿め、変なことを吹き込むなと今度締め上げておこうと決意するデュランであった。
「期待どうりの反応じゃなくて悪いな」
じっとりとした目をツバキに見せないよう顔をそらしてこの島のどこかにいるであろうレイヴェルに足の小指を骨折しろと念を送ってから、ツバキへ向き直る。
「じゃあお詫びとして、試しにこのままベネアを空から遊覧してみるか?」
デュランの提案にツバキは黒曜石を光り輝かせように瞬くと首が取れそうな位何度も頷いた。
「じゃあダチャル、一回りしてくるから待っててもらっていいか?」
「構わないよ。ちなみに出発予定は?」
運転用の鞍に座って腰のベルトと安全紐を繋げると、手綱を握る。ツバキも言いつけを守ってしっかりとバーを掴んでいた。
「出発は明日朝、奇数の日の高速気流に乗って行くつもりだ」
ウェルズが起き上がり翼を広げる。朱のかかった陽光が美しく細やかな鱗で乱反射し、まるで黄金に包まれているかのようであった。
「わかった。ではまた」
「おう、またすぐな」
黄金に染まる銀が空に舞い上がる。夕日に染まり、灯りも点き始めたベネアの周囲を優雅に舞う。多くの島が橋でごちゃごちゃに繋がれたベネアが、夕日で赤く染まっている。
薄暮となり、移動する飛龍達に付けられたランタンが、光の尾を引いて空を彩っている。
「すごい! すごい! 綺麗ですデュランさん! それに私、空を飛んでる!」
「飛龍は初めてなのかい?」
「家の中から見たことはあったんですが、乗った初めてです! 楽しい!」
それはとんだ箱入り娘もあったものだとデュランは思った。東方訛りの無い世間知らずの純粋で素直な子、すこし騙されやすそうな所が危なっかしく、保護欲をくすぐるところがある。
ふと、そんな子が攫われて異島の地に居る状況を思い出す。そう考えると例え初めて乗ったとしても、普通ここまで喜ぶものだろうか。
「これなら私、どれだけの時間でも飛んでいられますよ!」
「残念だけどな、さっさと家にまで着くから期待するほど長く乗れないと思うぞ」
「ええ!? それは悩み所ですね……」
気付いてしまった。ツバキの声が、少しだけ声が震えていた。デュランはあえて後ろを振り向いたりはしなかった。
不安をかき消すためやけに楽しそうなツバキの声に、デュランはこの仕事の成功を胸の内で誓った。
水平線に日が隠れ、ベネアに夜の帳が下りてくる様子を、ツバキは第二分島に戻るまでの間、名残惜しそうに眺め続けていた。
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