エスパー真美男

@maaumaaumaau

第1話

 僕は山田真美男やまだまみお、24歳。モテない冴えないパッとしない、中肉中背の日本人男子だ。趣味は漫画を読む事、好物は長ネギと牛丼、職業はオフィス向け浄水器の訪問販売。どうだ、つまらない人間の臭いがプンプン漂ってくるだろう。

 でも、僕には一つだけ、他の人とは違う特別なチカラがある。それは、まさかの『超能力』。離れた場所にある物を念力で動かしたりする、あの『超能力』だ。皆、人生で一度は憧れたことがあるのではないかと思う。「あんな能力があったらカッコいい。きっと漫画の主人公みたいに、強気をくじき弱きを助け、やがて可憐なヒロインと共に世界を救うんだ。」と。しかし、残念ながら、凡人が超能力を得たところで世界は救えないし、どう足掻いても海賊王にはなれない。それどころか僕の場合、この能力のせいで、新卒で入社した商社を三日で逃げ出す事になったのだ。


 今現在、僕は『放射能を除去できる浄水器』を売り歩くという、非常に胡散臭い仕事をしているのだが、大学を卒業してすぐにこのインチキ零細企業に就職したわけではない。そこそこ知名度のある国立大学で経済学を専攻した僕は、抜きん出た所の無い凡庸な人間でありながらも、生涯で持てる運気の全てを使い果たし、世界的商社『五菱』の子会社の内定を掴む事が出来た。そこまでは良かった。入社して三日目、前日の夜更かしで寝坊をした僕は、大勢の前で教育担当者の竹中から激しく叱責された。「親父にもぶたれた事ないのに!」という台詞が頭の中でぐるぐると渦巻き、ストレスに負けた僕はついに『歯ぎしり』をしてしまった。

 「全く、信じられん!おい山田、さっきから目が泳いでいるが、人の話を聞いているのか!」

 「ギリ……ギリ……ギリ……」

 「何だそれは、歯ぎしりなんかするんじゃない!」

 気づいた時にはもう、手遅れだった。そう、この歯ぎしりこそが、僕の超能力を発動させるスイッチなのだ!奥歯に爆発的な超能力エネルギーの蓄積を感じた僕は、目の前の竹中を傷つけない為に、すんでのところで意識を別の場所へと逸らした。だが、その意識を逸らした先にあったものが問題だった。加工食品部・東南アジア地区担当の白田さんの机にずらり並べられた、ドリアン関連食品サンプル。

 「あ。」

 発声と共に、超能力エネルギーが奥歯から一気に解放された。制御不能のインビシブル・パワーが、ドリアンケーキ、ドリアンキャンディー、ドリアンジュース、乾燥ドリアン等の食品サンプルを空中に一メートル程浮かせた後、爆発させた。社員の頭上に降り注ぐドリアン食品の粉末、破片、液体。オフィス内に爆散する、強烈な臭い。社員達の悲鳴、そしてパニック。

 僕は、逃げ出した――。


 というのが、商社を三日で退社する事になった話だ。(ちなみに、退職届はお母さんに準備してもらい、内容証明で送りつけた。)この大事件で心に深い傷を負った僕は、自転車でしばらく県内を放浪していた。傷も癒えて県内の美味しい物を食べ尽くしたところで、親父の「頼むから働いてくれ」という願いに応える為、実家に戻って就職先を探す事にした。しかし、新卒で入社した会社を三日で退社した上、その後しばらく放浪という名のニート生活をしていた僕に待ち受けていたのは、厳しい現実であった。

 「もう十件以上は回ったし、マックにでも行って休むか。」

 諦めのため息を吐いて、僕は営業担当エリアの外れにあるマックを目指す事にした。ブラック企業に就職して二週間、朝から晩まで飛び込み営業を繰り返した結果、心身共にクタクタになっていた。大量の汗と初夏の陽気をふんだんに吸い込んだ革靴は蒸れて気持ちが悪く、営業カバンは無駄に重たくて手が痺れていた。このままでは、夕礼の吊るし上げプレッシャーに耐えられず、歯ぎしりをしてしまいそうだった。そんな僕に今一番必要なのは、購入見込み客ではない。冷房の効いた店内、そして冷たいマックシェイクなのだ。

 「どうせこんなインチキ浄水器なんて誰も買わないんだし、件数は適当に水増しすればいいや。」

 もそもそと独り言を言いながら、人っ子一人歩いていない住宅街を通り抜けた。前方にデザイン事務所らしきものがあるが、もう今日は新規飛び込み営業をしたくないので、見なかった事にした。それに、ああいうクセの強い人がいそうな会社には入りたくない。どうせ社員一同、異臭を放つ雑巾を見るような目で僕を見て、「出て行け」と言うに決まっているのだ。僕も感情のある人間なので、そういった理不尽や不運は可能な限り避けて生きて行きたい。それに、あまりにも不幸な出来事が重なると、また、あの力が暴発してしまう。

 だが、今日はどうもあまり運の良くない日らしい。そもそも、有名企業の内定を得る為に僕は人生の運気を全て使い果たしてしまったので、運なんかもう何も残っていないと思うのだが。とにかく、僕の目の前に唐突に、小さな厄災の前兆が現れた。泣きそうな顔をして街路樹を見上げる、幼稚園児。視線の先には、木の枝に引っかかりふわふわ揺れる赤い風船。何となく状況はわかったが、さて、どうしたものか。このまま無視して通り過ぎることも出来るが、僕の心に僅かに存在する良心というやつが、それを許してくれなかった。

 「ええと、ぼく、どうしたのかな、迷子かな?」

 「迷子じゃないの。とんちゃん、一人で帰れるの。とんちゃんの風船、取れなくなっちゃったの。」

 とんちゃん(とんちゃん?)という名前の幼稚園児は、涙が表面張力でギリギリ踏ん張る眼を限界まで見開き、状況を説明した。

 「そうか、それは困ったね。」

 「うん、困った。ママに風船、プレゼントしたいのに。」

 「ねえとんちゃん、秘密を守れるかな。例えば僕が、魔法使いだったとしたら……。」

 「おじちゃん、魔法使いなの!?」

 園児の輝く瞳が今にも爆発しそうだ。だが、僕はまだおじちゃんという年齢ではない。

 「そうだよ。お兄さんは、とんちゃんが秘密を守ってくれるのなら、あの風船を取ってあげられるよ。」

 「守る、守るよ!魔法のおじちゃん、風船取って!」

 お兄さん、というキーワードは無視されたが、園児相手に細かい話を説明しても仕方がない。秘密を守ると約束されてしまったので、僕は超能力を使って風船を取ってあげる事にした。まずは邪魔な営業カバンを地面に置き、広げた両方の掌を風船に向け、魔法使いらしいポーズをとった。超能力を使うのには全く必要がない事なのだが、とんちゃんという見物人を目の前にして、歯ぎしりだけでマジカル・パワーを使うのは格好悪いと思ったからだ。物事には、ある程度、見た目による説得力が必要なのだ。

 「おじちゃん、かっこいい!魔法使いのマリー・モッターみたい!」

 「そうかい、ありがとう。……ギリ……ギリ……」

 失敗は許されない。歯ぎしりを小刻みに調節しながら、風船に意識を集中させた。風船全体をエネルギーで包み込んだあと、ちょっと力を加えて手前に引っ張れば、風船の糸が枝から外れるはずだ。後はそのまま手の届く高さまで引き寄せて回収すればいい、何、簡単な事だ。

 簡単なはずだった。

 『ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!』

 営業カバンの中のスマホが警告音、つまり、会社からの着信音を鳴らし始めた。数あるデフォルト着信音の中から「一番警告音らしい」という理由で選ばれたその着信音は、僕の心拍数を一気に押し上げた。ドクドクドクドクドク。「おい山田ァ、また見込み客ゼロか!何やってんだてめえ!」という社長の怒鳴り声が脳内に再現された。頭の中で鐘の声の如く響き渡る、恐ろしいダミ声。

 そしてスマホの着信音が引き起こした心身の乱れは、瞬時、歯ぎしりに反映されてしまった。

 「ギリギリギリギリガリッ……あ、ダメだ。」

 『パァンッ!!』

 赤い風船は、爆散した。それも普通の風船の割れ方ではない、一瞬にして、ゴムが細かい粒状に粉砕され、吹き飛ばされたのだ。これはトラウマになるんだろうな、と思いながらとんちゃんの方を見ると、その瞳には絶望の色が宿っていた。嗚呼、僕は何て事をしてしまったんだろう。ドリアンを爆発させるよりもひどい。

 「ごめん、とんちゃん。ごめんなさい。」

 「風船……とんちゃんの……」

 「ごめん……。」

 「わああああ、おじちゃんのバカ!」

 とんちゃんが腹の底からバカと叫び、泣き始めた。こうなるともう、僕の手には負えない。さらに悪い事に、とんちゃんの知り合いらしい中年女性が現れ、僕たちに声を掛けてきた。どうやら買い物帰りのようで、手に提げたエコバッグからは美味しそうな長ネギの頭が飛び出していた。

 「あなた、その子の親戚の方ですか。とんちゃん、その人は誰なのかしら。」

 「あの、ええと、僕は通りすがりの」

 「このおじちゃん、悪い魔法使い!風船壊したの!悪い秘密の魔法使い!悪い悪い悪い!」

 中年女性の表情が一気に険しくなった。

 「とんちゃん、こちら側に来て。今おばちゃんが警察を呼んであげるから。」

 「違うんです、違うんです、僕はネギ」

 「悪い魔法使い!」


 僕は、逃げ出した――。

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