第2話

 ―――


 イーヴァティア・デルドラは国に三つしかない侯爵家に生を受けた尊い女性である。

 我が国において爵位は公・候・伯・士・騎の五位からなるが、公爵は王族が臣下した際に名乗る一代限りの名誉爵位であるため、侯爵が頂点と言ってよい。

 また、騎爵は国家に多大な貢献を行った者に贈られる名誉爵位であり、これも一代限りである。

 つまり、我が国において、爵位貴族とは候爵、伯爵、士爵の三位にて構成されていると言ってよい。

 さて、イーヴァティアについてである。

 彼女は貴族の頂点たる侯爵家の一つ、デルドラ候爵家に生まれ、齢五つにして、王太子の婚約者となった。

 それ自体は誰もがまぁ、そうだろうな、と納得するものであったが、彼女自身が納得するかは別の話である。

 イーヴァティアは物心ついた時から既に王城に上がり、王太子妃、ひいては王妃となるべく研鑽を積まされることとなった。

 そこに彼女の意志はなく、ただ“こうあれ”という日々に、彼女は早々に“心”を育むのをやめてしまった。


 そうして五年が経ち、成長したイーヴァティアは身も心も王妃という存在でしかなく、そこに年相応の女児などというものは存在しえなかった。

 だからだろう。

 妃教育が一段落し、引き合わされた王太子は再会した己が婚約者の“瞳”を一目見た時から嫌悪してしまったのだった。


 ―――


「王太子殿下、お久しぶりにございます。イーヴァティア・デルドラでございます」


 スカートをつまみ、優雅に礼をする彼女を見て、王太子は微笑みながら頷いた。

 王太子の齢は十。つまり、彼女と同年である。

 この時、王太子はまだ彼女の歪んだ成長を知らなかった。

 有り体に言えば「あの時五才だった子どれだけ可愛くなったかなぁ」なんて軽い気持ちで臨んでいた。


「ようやく、ようやく会うことができた。この日をどれほど待ち望んだか」


 だからか、そんな言葉を言いながら、王太子はゆったりと彼女との距離を縮め、その手を取ったのだが。


「もったいないお言葉です」


 二人の目が合った瞬間、王子は絶句した。

 そこにあったのは“虚空”であった。


 イーヴァティアの顔は間違いなくはにかんでいて、可愛らしいものだ。

 磁器のように白い肌に、醒めるような紅い長髪、光に当たれば白銀に輝く灰色の眼、そして女性らしさが出てきた四肢。

 間違いなく誰もが羨む容姿をしていたイーヴァティアだが、その瞳には情というものがなかった。

 それもその筈で、心を育てなかった彼女にとって、この面合わせは心が動くようなものではない。


「イーヴァティア嬢?」


 その“虚空”の瞳が信じられず、王太子は彼女の名を呼んでみたが。


「はい。殿下」


 彼女の瞳は相変わらず“虚空”であり、“無”であった。


「いや、よい。これからも“淑女”教育に励んでくれ」


 そう言って、王太子は早々に部屋を脱した。

 彼が“王妃”教育ではなく“淑女”教育と言ったことに含みがあるとその場にいた誰かが気がつけばよかったのだが。

 残念ながら、この場にいた今は亡き王妃も、無能なる王も、衛兵や侍女に至るまで、その言葉に疑惑を投げかけることはなかった。


「私、殿下に粗相がありましたでしょうか?」


 流石のイーヴァティアもあの素っ気なさには首を傾げ、王妃に尋ねて見るも。


「いいえ。貴方は“完璧”でしたわ」


 その“完璧”が王太子の不興を買ったとは誰も想像し得なかったのは仕方のないことである。

 その日の面会はこうして終わってしまった。


 一つ、擁護をさせてもらえるならば、この時の王太子の所業は致し方ない。

 王も、王妃も、王太子を普通に子供として育てていたのだ。

 次代の王たらんと教育は行っていたが、イーヴァティアと違い、しっかりと愛情を注いで育んでいた。

 なので彼にはしっかりと心があったし、人情を身につけていた。

 そんな“普通”の子供に人形もかくあらんという具合の歪な成長を遂げてしまった少女と出会ったのだ。

 どんな反応をすればよいのかわからないのも仕方がない。


 だが、この時、誰かが違った言動をしておけば、この後、あれほどのことにはならなかっただろうと後世の歴史家は溜息を吐く。


 ―――

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