第3話
―――
「なんだ! なんだ“アレ”は!!」
己に与えられた部屋に戻った王太子は、なんとも名状しがたい心持ちをテーブルに八つ当たりすることで気を紛らわせた。
「殿下・・・・・・」
だが、そんなことで怪我でもされたらたまったものではないのが、王太子の側仕えを命じられている元衛兵の男である。
「オティパラ! 止めてくれるな!」
そう言いながら王太子は何度もテーブルを殴りつけた。
「殿下! いい加減になさってください!」
今にも羽交い締めにして止めに入ろうとジリジリ王太子に近づく元衛兵オティパラに、鋭い眼光で睨み付ける王太子。
「お前は何も思わなかったのか! 彼女は私と同じ齢の子供なのだぞ! なんであんな目ができる!!」
「それは・・・・・・」
彼女の目を見ていないオティパラにはいい言葉が見つけられなかった。
「はぁ・・・・・・もういい。下がれ」
「はい。いえ、その前にお手を。障りがあってはいけません」
「大丈夫だ。何も問題ない。だから“下がれ”」
王太子はそう言ってテーブルを殴っていた方の手をふらふらとオティパラに振って見せた。
「・・・・・・御意に」
渋々、本当に渋々といったていで彼は部屋を出て行った。
それを見届け、部屋に独りになった王太子は無意識に呟く。
「・・・・・・あんなになるなら妃などいらぬ」
――
王太子と将来の妃の面通しが行われた日の晩。
国王と王妃は寝室で葡萄酒を飲みながら喋っていた。
「息子は何が気に入らなかったんだろうな」
「えぇ、本当に。あんなすばらしい御令嬢、他に居ませんわ」
「宰相もあのようなすばらしい娘を持てて鼻高々だろう」
「でしょうね。今頃、褒めちぎって親愛を注いでいるに違いありませんわ」
二人は厳めしい面の宰相がらしくない満面の笑みで愛娘を愛でる様を想像して微笑む
「あの子は私以上に王妃の風格を持つ至りますわ」
「そうか。お前にさせた苦労を次の世代にさせなくていいのはよいことだ」
王は苦い顔をした。
というのも、この王妃、婚前は小国の末姫でしかなく、貴族から王妃の器ではないと侮られていたのだ。
しかも輿入れの理由が、我が国に保護してもらいたい小国が姫を差し出したというもので、誰が見ても格下が女を差し出して命乞いしているようにしか見えなかったため、輿入れ直後の王妃は吹けば飛んでしまうぐらいの弱い地位しかなかったのだ。
だからこそ次代には、誰もが認める王妃であるようにと教育を施しているわけだが、大人の考える「王妃はこうあれ」という押しつけを生後十年にしかならぬ少女が体現できているという異常に二人は終ぞ気がつかなかったのだ。
いや、二人は思い違いをしていた。
宰相の娘は王妃の仮面を被るのが巧い、と。家では普通の貴族の少女で、家族から愛されているだろう、と。
――
さて、実際はどうだったかというと。
「何をしでかしたのだ貴様は・・・・・・!!」
憤怒の面をしながら、しかし声を荒げないのは宰相の特技と言ってよかった。
それに晒される方は声を荒げて痛罵されるよりよほど生きた心地がしないが。
そして、現在、それに晒されている者はといえば、俯いていて顔が見えない。
「何か言え。釈明しろ・・・・・・!」
人を殺しそうな低い声を放つ宰相。
「なにも」
対象的な平坦な声音であった。
それもその筈で、宰相の前に立っているのは娘のイーヴァティア。
彼女には声音に乗せるほどの感情がない上、此度のことは王妃より「完璧だった」という一言をもらっているのでソレ以外に答えようがなかった。
「何も? 何もしていないというのか? あの聡明な王太子が一言二言で退室してしまったというのに、言うに事欠いて何もしてないだと? ふざけるんじゃない」
抑えられぬ怒気によって歯が砕けそうなほど噛み締める宰相に、イーヴァティアは告げる言葉が無かった。
「いいか、よく聞きなさい。お前は王妃になるためだけに存在しているのだ。お前は王妃になれないなら死ぬしかないのだ。私がお前のためにどれだけの時間と金をかけているのかわかっているか。“お前は王妃になるしかないのだ”」
それはもはや呪詛であった。
彼女が王太子の許嫁になってから会う度に言われる「お前は王妃になるしかないのだ」という言葉を、彼女はそのまま飲み込んでしまっていた。
どういうことかといえば彼女は「イーヴァティア・デルドラという人間が王妃という地位に就け」ではなく「王妃という存在になれ」と言われているのだと思っている。
つまり、彼女は実の父親からお前は王妃であって人間ではないと言われ続けていると認識していた。
「一度の失敗も許されないのだ。肝に銘じておけ」
そう言って宰相は娘を部屋から下がらせた。
「何のために子供など作ったと思っている・・・・・・。俺の益にならない子供など居るだけ邪魔だ」
宰相には人の情がない。と書くとなるほど親子だ、と思うが、宰相とイーヴァティアのソレは似て非なるもの。
宰相のソレは他人に向ける情が無い。つまり自分本位で自分勝手で、激しく自己満足の男でしかない。
イーヴァティアのソレは他人に向けるほどの情が無い。無情の存在である。
――
父親との面会を済ませたイーヴァティアは自室に向かう途中で母親に出会った。
「あら、もう用事は済んだの?」
「はい」
「ふふ、可愛い娘」
そう言って母親はイーヴァティアに近寄り、頭に手を置いた。
「はやく王妃になって私に楽をさせてちょうだい」
その言葉は毒である。
母親の瞳はイーヴァティアを写してはいない。将来の豪勢な暮らしを幻視しているだけである。
「はい」
それでもイーヴァティアには諾の言葉しか許されていないのだ。
ついでとなるが、イーヴァティアの母親は隣国の姫であった。
国王は既に現王妃と結婚しており、側妃として入籍することをよしとしなかった彼女は独身だった候爵で手を打った。
しかしながら候爵家での生活では彼女には“物足りなかった”。
我が国の侯爵家は隣国の王室と比べても遜色が無いぐらいで、しかも婚前での生活と何ら変わりがないという状態であったのに、ソレで満足しないのだからこの母親も度し難い。
人の欲に際限はないとよく言うが、この母親はまさにその体現であった。
――
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