メアリのだいじな、二人のおともだち
たまき
可愛いローリー、優しいピーちゃん
とてもかわいい女の子が、カーテンの隙間から差し込む柔らかい光の中ですうすうと寝息を立てている。金色の髪がきらきら光って、きれいだ。
この子の名前はメアリ。わたしの一番のお友達だ。メアリの毎日を見守るのが、わたしの仕事で、何より好きなことで、つまりは生きる意味だった。
重たそうなまぶたが持ち上がって、青い瞳が覗く。そのままゆっくりと笑顔になった。
「おはよう、ローリー」
おはよう、メアリ。
メアリはわたしの頭を撫でると、起き上がってベッドから下りた。メアリは早起きするのが得意だ。いつもお母さんが起こしに来る前に自分で起きて、着替えてしまう。
水色のワンピースに着替えたメアリは、ベッドからわたしを抱き上げると部屋のドアを開けた。
「今日はいいお天気だね、ローリー。たんけんに行こう!」
それはいい考えだね、メアリ。わたしのチェックのズボンと黒いフェルトの丈夫な靴が、役に立つときってわけだ。
メアリはわたしに答えないで階段を下る。いや、そもそもわたしがどんなに話しても、メアリに聞こえることはないのだけど。
わたしはローリー。メアリの親友で、彼女のためにお母さんが作ったぬいぐるみだ。
現在時刻はA.M.9:27。システムオールグリーン、スリープモードを維持。
私がこの地下倉庫に保管されて、三年と二ヶ月が経過。その間、人間の来訪は確認できず。以降も確率は低いと推測される。
疑問。私の存在意義とは? 解答の究明は任務にない。計算のための電力は機体状態のチェックに使用するべし。待機、メンテナンス、新規の命令の実行可能状態を維持。それが、最後に入力された私への命令だ。そのため今日も、私は自身を入念に検査し、異常の有無を確認する。問題なし。
問題なし……。
「見て」
メアリはわたしを抱え上げて目の前の物を見せる。それは、比較的原型をとどめた扉と思しきものだった。ガラクタの隙間から錆びたドアノブを覗かせている。
この日、メアリは街はずれのガラクタの山に探検に来ていた。子供が来るには危ない場所だと思うけど、わたしはメアリの友達だもの。一緒に探検を楽しまなくちゃ。
「あくかな、あくかな?」
わたしを比較的きれいな金属の箱の上に座らせると、扉を塞ぐ細々したガラクタをどけ始める。作業は案外すぐに終わり、扉全体が姿を現した。メアリがドアノブを回す。わたしは開くはずがないと思ったが……、
「あ、」
案外あっさりと、扉は軋んだ音を立てながら開いた。その向こうには下り階段が続いている。まるで見通せない真っ暗闇にメアリはぶるりと体を震わせたが、肩掛けのポーチから懐中電灯を取り出してスイッチを入れると、左手にわたしを抱え、暗がりに一歩踏み込んだ。
おっかなびっくり下りていくせいか、階段はとんでもなく長く、深くまで続いているように思えた。だけど、メアリは突然しゃっくりのような小さな悲鳴を上げて立ち止まった。どうやらあると思った次の段がなかったらしい。階段の終点だ。
ジジ、と微かな音を立てて明かりがつく。メアリは懐中電灯を切るのも忘れてあたりを見回した。
そこは、とても広いホールのような空間だった。大人でも手が届かないほど高いところにある数十個の明かりが、空間全体を明るく照らしている。
「わー! すごい!」
そしてその部屋の奥には、たくさんの鉄をつなぎ合わせて人の形をなんとなく真似したような、不格好な機械が置いてあった。それはとても大きくて、部屋の半分ほどが埋まってしまっている。目を輝かせて駆け寄るメアリ。ねえ、危ないよ。
ブゥン、と妙な音がして、メアリは立ち止まった。見上げると、機械の目にあたる部分に一つだけランプが灯っている。冷たい青色をしていた。
「私はアルセル社製無人兵器指揮用AI搭載型機動兵器、PHANTOM。識別名はP-D57。要件を、どうぞ」
男の人の声が、部屋全体に響き渡った。メアリはびっくりして少し飛び上がった。それから誰がしゃべっているのかときょろきょろあたりを見渡して、やっと合点がいったという風に目の前の機械をもう一度見上げて頷いた。
「あなた、喋れるのね! すごく賢いロボットなのね!」
ロボットは答えない。せっかくメアリが褒めてくれたのに、無視するなんて!
「お名前は?」
「P-D57です」
「ふーん、なんだか、すごく変な名前ね」
この機械が答えたのは名前ではないような気がした。でも、嘘をついている感じもしない。結局わたしたちは、ピー・ディー・五十七とかいう数字混じりのそれが、このロボットの名前だと思わざるを得なかった。
「じゃあ、ピーちゃんって呼ぶわね。分かりやすくていいでしょ!」
「はい。了解しました」
大分融通が利かないみたいなのに、そのロボットは案外あっさりとあだ名を受け入れた。でも、声の調子はずっと一定で、嫌そうには見えなかったが嬉しそうにも見えなかった。
「要件を、どうぞ」
ピーちゃんは最初の言葉を繰り返した。いやに難しい言い回しが気にかかる。メアリには分からないんじゃないかしら。
「ようけんって、してほしいことっていみよね。メアリ知ってるわ」
知ってたんだ。えらい! わたしは拍手を贈りたい気分だった。でも相変わらずピーちゃんは何も言わない。目の明かりも揺れたりしない。面白くないなあ。メアリはそう思わないの?
三年と二ヶ月ぶりの来訪者だ。外見の年齢は十歳以下。性別は女性。彼女は私の識別名を確認すると、呼称の省略を提案した。無論、異存のあろうはずもない。私は道具である。依頼者の意向に従うべきだ。
私は彼女に来訪の目的を質問した。隠蔽されたこの場所を発見し、訪問したということは、私に依頼があるはずだ。しかし、依頼内容は想定外のものだった。
「メアリとおはなしをして!」
私の主たる用途にはない作業のようだ。具体的内容や期間の長さについて質問を重ねる。彼女は眉を寄せ、いわゆる不思議そうな表情を作りながら、ゆっくりと返答した。
依頼者の言う「お話」とは、目的のない意見交換を指すらしい。「他愛のない話」のデータをインストール。自身を参加者としてシミュレート。また、彼女は「時々」ここを訪れるので、その時に話をしてほしいと言った。つまり不定期だ。
「メアリとおはなし、してくれる?」
少女は、首を肩に対して39度傾けながら、依頼内容を確認した。
「はい。了解しました」
依頼人、メアリは、目をやや見開き、口角を上げた。笑顔、だ。
「ピーちゃんおはなししてくれるって! よかったねえ、ローリー」
メアリは腕に抱えた布の塊に話しかけた。人形と呼ばれるものだ。女児向けの玩具の一種。
「ピーちゃん、しょうかいするわね。メアリの大切なおともだちのローリーよ」
両手でその人形を持つと、親指を使って人形の上半分を前方に折り曲げた。人形などに架空の設定を割り当てる遊びだと推測される。この一連の動きは、人形が私に向かって挨拶をした、ということになるのだろう。依頼人はこの遊びに私を参加させようとしている。
「よろしくお願いします。ローリー」
こちらこそよろしく、ピーちゃん。
メアリはわたしを再び胸に抱きしめ、右手で頭を撫でてくれた。
「すっごくかわいいでしょ? この子。メアリ、いっつもうらやましくなっちゃうの」
声色が弾んでいる。メアリは友達思いで優しいから、こんな無愛想なロボットでも、お話できることが嬉しいのだろう。
「そうですね」
またあの平坦な声だ。本当にそう思っているの?
ローリー人形の外見のデータを分析、ネットワーク上のデータと照合。「可愛い」の概念に五十六パーセント合致。
「でしょ!? ローリーはかわいいの!」
まあ、メアリが嬉しいならそれでいいか。やがてメアリはざらざらする床の上に座り込んでしまい、学校のクラスメートのことや、家族のことを話した。お洋服が汚れてしまうけれど、いいのだろうか。
「ピーちゃんのおともだちはどんな子がいるの?」
自身とその周辺について話していたメアリは、唐突に質問を投げてきた。友達、――友人。メモリ内の人名リストから友人の概念に合致する人物を検索。該当なし。
「私には、友達はいません」
「えっ、そうなの!?」
メアリは驚いたあと気まずそうな顔になった。友達がいないことは寂しいことだから。でも、私はメアリが傷つく必要はどこにもないと思う。ピーちゃんはロボットなんだから、どうせなんとも思ってはいないのだ。
「じゃ、じゃあ、これからはメアリとローリーがピーちゃんのおともだちね! もうさびしくないわよね」
「寂しさ」という感覚を認識する思考回路は搭載していない。しかし一連の会話を彼女の遊びの一環と推測。従うべきだ。
「はい、ありがとうございます」
彼女の表情筋の変動を感知。笑顔と判断した。
ピーちゃんと別れてからその日の間じゅう、メアリはずっとご機嫌だった。スキップで道を歩いて、いつもよりずっと大きい声でただいまの挨拶をして、家の中を走ったのでお母さんに少し叱られた。それでも、ピーちゃんのことは秘密にすると決めたみたいだった。賢いと思う。なぜって、あの部屋のことを話したら、行っちゃダメと言われるに決まっているから。
自分の部屋に戻ると、メアリはベッドに背中から倒れこみ、わたしを天井に向かって持ち上げた。
「今日はたのしかったねえ、ローリー。ピーちゃん、すっごく大きくて、かっこよくて、やさしい人だったね。メアリと一日中おはなししてくれたし、まってるって言ってくれたわ」
メアリには、ピーちゃんがそんな風に見えていたのか。優しいのはピーちゃんじゃなくてメアリの方だ。
「明日もはれてたら、また会いにいこうねえ……」
わたしを抱いたままころんと横になり、メアリは寝息を立て始めた。
別れ際の、ピーちゃんの台詞を思い出す。
『またの来訪をお待ちしております、メアリ、ローリー』
まさか、わたしの名前も呼ばれるとは思わなかった。あのロボットは何を考えているのかよくわからない。でも、彼もメアリの友達になったのだから、あまり嫌いにはならないほうがいい。次会った時は、ピーちゃんのいいところを探そう。
念のため、依頼人の情報を収集することにした。メアリ、という個人名と大まかな年齢、顔立ちなどでネットワークに検索をかける。
メアリ・ホワイト 七才
一般的な富裕家庭で暮らしており、両親は健在、兄弟はいない。初等学校での成績は中の下。住居はライカー街十二番地。隣国との国境線より10kmの地点。
実際には存在しない、個人情報が不自然に抹消されているなどの問題は見られない。彼女からの依頼を続行しても不都合はないだろう。
残念ながら翌日は雨だったが、その後もピーちゃんのいるあの大部屋への訪問は十数回にわたって続いた。しかしながら、ピーちゃんのことはいつまで経っても好きになれなかった。ピーちゃんは、友達に対する思いやりに欠けているのだ。
笑わない。はしゃがない。口数が少ない。メアリが自慢のダンスと歌を披露しても、「改善の余地が多くみられます」とかなんとか。本当に友達をやるつもりがあるんだろうか。
それでもメアリは飽きもせず、ピーちゃんの部屋を訪れ続けた。
メアリと会話するという依頼の開始より六十九日経過。ネットワークより、我が国が西の隣国に対し宣戦布告したという情報が入ってきた。念のため真偽を確認する。……事実のようだ。
ただし、この件で私が行動することはないと推測される。例外は、我が国の軍人がこの部屋を発見し、私の命令の更新を行った場合だ。
それは急な話だった。メアリとお母さんとお父さんは、遠くへ引っ越さなくちゃならないらしい。メアリはとても悲しそうだ。
かわいそうに、泣きつかれて眠った次の日にはもう、荷物をまとめて新しい家へ出発しなければならなかった。既に、わたしを除いて荷造りは終わっている。わたしは移動中もメアリの腕の中が定位置だ。なんだかガランとした部屋の中、二度と使われることのないベッドに腰掛けて、メアリはお母さんが呼びに来るのを待っていた。
そのときメアリが発した小さな呟きを、わたしは聞き逃さなかった。
「ピーちゃん……」
自分自身もすごく悲しいはずなのに、こんな時でさえ君は友達の心配をするのか、メアリ。
そこからの行動は早かった。メアリは部屋を出て階段を駆けおり、お母さんが止めるのにもすぐ戻ると返したきりで、家の外に飛び出した。
息を切らせながら走る、走る。ガラクタ山の秘密の扉にたどり着いて、つんのめりながら階段を下りる。ピーちゃんの目が冷たく光るのを見ると、メアリは開口一番叫んだ。
「ごめんなさい、ピーちゃん!」
謝罪? 依頼人による謝罪などイレギュラーな事態だ。対応がマニュアル化されていない。前例とネットワークの情報に基づいて、早急に返答を用意しなければ。
「メアリね、とおいところへ行かなきゃいけなくなっちゃったの。だからここにも来られなくなっちゃうの。ごめんなさい!」
……なぜ謝罪が伴うのか理解しかねるが、メアリはこの依頼を白紙化するためにここに来たらしい。
「了解しました」
「でも、メアリはピーちゃんのともだちで、だけど、ともだち……、ともだちが一人もいなくなっちゃって、なっちゃったら、ひとりっきりはすごくかなしくてさみしいことで……」
文が成立していない。彼女の発言の意図が読み取れない。
メアリは泣き出してしまった。空いている左手で両目を交互に拭う。
「だから、だから……」
途方に暮れているようだった。ピーちゃんはロボットなんだから、一人でいても平気なんだと言いたい。でも、たとえわたしの言葉がメアリに届いたって、彼女はきっと信じない。わたしはそんなメアリが好きだ。でも、泣かないでほしいな。
わたしも一緒になって途方に暮れていると、突然メアリの潤んだ目がこちらを凝視した。そのまま、ゆっくりと顔が歪んでいく。
表情筋の変動を確認。精神面の苦痛と判断。苦痛の除去法は発見できず。
メアリはわたしを両手で持って、同じ高さで見つめ合うようにした。彼女は解決法を思いついてしまった。
「ローリー。ピーちゃんとなかよくできる?」
やっぱり。メアリは、わたしをピーちゃんの友達としてここに置いていくつもりなのだ。それでこそメアリ。大丈夫だよ。君についていけないのは残念だけれど。
メアリは赤くなった目元で無理やり笑って、もう一度わたしを抱え直した。そしてピーちゃんに歩み寄る。
「ピーちゃんがさみしくないように、この子をあずけるね。なかよくしてあげてね。時々頭を撫でてあげて、時々話しかけてあげてね」
依頼内容の変更を受け付けた。メアリと会話することを破棄、ローリー人形を保護すること、頭部を撫でること、最後に人形を対象として言葉を発することが追加された。
「了解しました」
「ありがとう。ローリー、こう見えてさみしがりやさんだから、よろしくね」
メアリは人形を私の脚部より前方一メートルの地点に置いた。私はそれを掴み上げ、胸部装甲の前方に張り出した部位に設置した。依頼主は一連の動作を見届けると、私のアイカメラに向かい、右腕を大きく振った。
それから、わたしにも手を振ると、メアリは名残惜しそうに何度も振り返りながら部屋の出口に向かった。
「いつか、ぜったい、むかえに来るからね!」
部屋に反響する大声が、とても嬉しかった。
「ローリー」
翌日、わたしは無機質な男の人の声で目を覚ました。声の主はもちろん、友達のピーちゃんだ。彼は彼なりに、わたしとお喋りをしてくれる気らしい。おはようをすっ飛ばして名前を呼んだのはいただけないけれど、まあいいだろう。で? 何の話をしてくれるの?
「本日は快晴、現在の気温は二十五度、湿度五十パーセントです」
……。それで? だからなんなの? 話の続きがあるのかと思い、しばらく耳を傾けてみたが、彼はそれっきり何も言わない。もしかして、今のがお喋りとして成り立ってるとでも思ってるのか?
毎日8:00にローリーの名を呼び、部屋の外部のセンサーから大気の状態を受信、それを言語の形で出力し、これに雨、雪が降りだした、または止んだ際に逐一伝えることにより、「時々話しかける」ノルマを達成することにした。
いやいや。いやいやいやいや、馬鹿じゃないの? それだけだったら、ラジオでも出来る。やっぱり、ピーちゃんを好きになるのはわたしには荷が重いよ、メアリ……。
私の腕は「撫でる」という動作には不適だが、右人差し指の先端を用いることである程度は模倣が可能だ。
これは……、撫でられてるというよりも上からつつかれてる感じしかしないな。まあ、いいけど。
二十四時間につき五回行えば十分であろう。
何日経っただろう。数えていない。メアリはまだ迎えに来ない。ピーちゃんは相変わらずお天気ラジオとしての役割を果たし、事務的に頭を撫でてくれる。
依頼の更新から三十六日と七時間が経過した。ネットワークからの情報によれば、現在地から僅か5km地点で非人道的兵器が使用されたらしい。この部屋にはシェルターの機能もあり、直接の被害は皆無。間接的な被害は、判断しかねる。
たまには、空が見たいなあ。
六十一日目。九十三日前からこの周辺で観測されなかった大型の生物反応を感知。二体の人間のようだ。現在、この部屋の入り口にいる。
今日は、久しぶりに誰かがこの部屋に来た。物音がしたときはメアリかと思って喜んでしまったが、違った。多分、二人共男の人。多分、というのも、彼らは変わった服を着ていたから。防護服、というのだろうか。お世辞にもきれいとは言えない。顔は豚か何かのようで、中の人はどうなのか知らないけど、服のせいで二人共ずんぐりした体型になってしまっていた。
ピーちゃんがわたしをつまみ上げて床に下ろした。ちょうど、お客さん二人から見えない位置だ。
彼らが何者なのかは現在解析中だが、保護対象を避難させておくに越したことはない。提示された身分証から、彼らが我が国の軍人であると確認。彼らは私に、一件の防衛任務を発注した。
「既に、一件の任務を遂行中です。受注できません。民間の少女より、人形の保護を依頼されています」
何? わたしの話をしてる?
メアリからの依頼、特に人形の保護は限りなく重要度が低いと、彼らは言う。
笑うな! わたしを馬鹿にするんじゃない!
彼らは防衛任務を遂行するようにと再度命令した。
……何? つまり、わたしを置いていくってこと? 違うよねピーちゃん。あんな豚みたいなおじいさんの言うことより、メアリとの約束の方が大事だよね?
「はい。了解しました。防衛任務を受注します」
嘘だ!
私の行動を規定するマニュアルには、「我が国の軍に属する者の命令を第一に優先すること」とある。逆らうことはできない。メアリからの依頼は失敗だ。依頼内容を破棄する。
その時、天井が割れた。その隙間から重たい音を立てて開いていった。ピーちゃんは、あそこから行ってしまうんだ。二人の男の人が、おお、すごい、とかなんとか言ってる。うるさい。部屋の前の方も変形して、傾斜の緩い坂道になった。
「危険です、部屋の隅に移動してください」
ピーちゃんはわたしの方を振り返りもしない。防護服が退いてしまうと、メアリの前では一度も動かしたことのない大きな両足で、歩き出した。ああ、行ってしまう。久しぶりの空は曇ってる。嬉しくない。
足音が遠ざかっていくのと一緒に、部屋の形も元に戻っていった。天井が閉じる。二人の男の人が出て行ってしまうと、照明が次々と消えていく。やがて真っ暗になった。
今度こそ一人ぼっちだ。
防衛区域に兵器を配置して待機。索敵結果、敵軍の襲撃まで約十分。
残り約五分。
一分――、
三十秒――、
十秒――、
会敵!
誰も来ない。
だあれも来ない。
真っ暗。
退屈だなあ。すごく退屈。メアリはまだ迎えに来ない。ピーちゃんは迎えに来るって約束すらしてくれなかった。
退屈、退屈。でもそれ以上に……寂しい。
寂しくて悲しい。誰か迎えに来てよ。悲しいよう。
味方の損害率は五十パーセント。敵に与えた損害は不明。戦況はシビアだ。五時間前に補給路は絶たれた。弾薬は残りわずか。任務達成条件は敵の撤退もしくは殲滅。依頼者を含む我が国の軍は、この戦いに重きを置いていないと推測される。だが、命令されたことに全力を尽くすのは兵器の義務だ。
現状残された選択肢のうち、最善は短期決戦だ。これ以上消耗する前に攻勢に転じ、自軍の壊滅と引き換えに最大限の損害を与える。
……? 私の中に、自己保存を優先すべきとの主張が存在する。あの地下室に戻り、メアリからの依頼を続行するために。
だが、その依頼は失敗したはずだ。省みる必要のない案件だ。なぜ、データが残っている?
思考の必要はない。
メアリからの依頼はまだ破棄されていない。それだけが重要だ。
まだ、ピーちゃんが戻ってくることを期待している自分がいる。
馬鹿みたい。ピーちゃんは約束破りの悪い子なのに。一度も振り返らずに歩いていったんだもの。絶対に、戻ってくるわけないよ。
泣きたい。でも泣けない。だって人形だから。人形って、こういう時不便だね。
敵は撤退していった。原因は解析不能。ネットワークは現在断絶していて、部品を交換しない限り修復は不可能だ。
任務は完了した。地下室へ帰ろう。私は歩き出した。
1km歩くと、肩が自壊して左腕が落ちた。想定よりダメージが蓄積していたようだ。右腕は壊してはならない。ローリーの頭を撫でられなくなる。
到着。地下室の真上に立ったが、その天井は閉鎖している。私は右肩に取り付けられた副武装の残り弾数を確認した。
……ノックの音が聞こえる。扉を必死で殴りつけてるみたいだ。手が痛くないのかなあ。でも悪いけど、わたしは扉を開けてあげられないんだ。人形だから。
この時のわたしは、まだこの音が現実のものだなんて思わなかった。天井に小さな穴があいて、そこから光が差し込んでくるまでは。
外壁の突破に成功。弾薬は十分だった。
パラパラと砂埃が降ってくる。光の束が太くなる。ギギッ、ギッ、と耳障りな音を立てて、天井の亀裂が広がっていく。わたしは半ば放心状態でそれを見ていた。
一定まで亀裂が広がって、突然のことだった。連続する凄まじい轟音と共に、何か大きなものが降ってきた。わたしは叫び声を上げるかと思った。
土煙が部屋の大部分を覆って、その大きなものを隠す。なんだろう、あれ。と、土煙の中から一本の機械の腕が伸びてきて、わたしをやや乱暴にすくいあげた。その薬指は欠けていた。
ローリーを発見。外見上、損傷はなし。
こういう場合、かけるべき言葉があったはずだ。不要だったためメモリから削除済み。復元は可能だろうか。早急に。その言葉は、
多少晴れてきた土煙の中に、青色のランプが見えた。
「タ、ダイ……マ」
彼らしからぬ掠れて歪んだ声。だけど伝わった。ああ、そうか、君は、
戻ってきてくれたのか、わたしのために。
青色のランプが不規則に瞬く。きっとそれは、機械的な不具合によるものなんだろう。でもそこには、今までになかった人間味のようなものが感じられて、わたしはその瞬きが気に入った。
その朝、メアリはリビングに向かう前に、ふと自室を振り返った。ベッドの上には毛布と羽毛布団。白いカーテンが揺れている。何か忘れていることがある気がして首を傾げるが、結局何も思いつかなかった。
ドアを閉める。学校に行かなくちゃ。
「ローリー」
わたしは、自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。毎朝のことだ。
「今日は、いい天気だ」
帰ってきてくれて以来、ピーちゃんはなぜだかちょっとだけ人間らしくなった。
ネットワークを修復したところ、友人との関係においては「思いやり」が重要だという情報を得た。思いやりとは、「人間的な会話」によって生まれるものであるようだ。情報収集の結果より、目下人間らしい会話について研究中である。
メアリはまだ来ない。これからも来ないような気がしてる。なんとなくだけど。
依頼の開始より、五年と七ヶ月が経過している。私とローリーのいる地域は、戦争にて使用された兵器の被害により人間の立ち入りが制限されており、制限解除の日時は未だ確定しない。
以上の理由より、メアリの再訪の可能性は限りなく低い。ただし、これはメアリ以外の人間が訪れる確率もゼロに近いということを示しており、依頼をこなす上で障害にはならない。
このままピーちゃんと二人きりで、それこそ世界の終わりまでここにいるのも、それはそれで素敵だ。
現状が永遠に続くなら、この任務を活動停止の日まで続けることに、何も異存はない。
天井の穴から差し込む光の中に、花が咲いている。黄色い、可愛い花だ。
「今朝開花したあの花は、タンポポという名だ。ローリー」
メアリのだいじな、二人のおともだち たまき @Schellen
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