幻視の魔女
「お嬢ちゃん達、幻視町へ行くのかい」
声の主は向かいの席の壮年の男性だ。大柄で、佇まいには威圧感があるほどだが、声色は柔らかい。
「そうです。あなたも?」
私達はこれ見よがしに派手なデザインの眼鏡(おおよそ普段使いしないであろう物)を身につけており、私に至っては車窓を見てはそわそわとしているものだから、どれだけ観察眼が鈍くあろうとも私達が幻視町へ向かっていることを推察するのは容易だろう。
「いや、俺は塔の街まで行く。行方不明者の調査に向かうんだ」
「そうなんですか」
「お嬢ちゃん達は二人かい、なら気をつけな」
それほど会話は弾まなかったが、ソラさんと話すよりは十分に歓談と言えるものに近かったと思う。しばらくして幻視町に付いたのでそこでお別れだ。
幻視町について軽く説明しておくと、『幻視の魔女ナイアン』が仕切っている地域で、『幻視ペン』を用いて誰でも空中に実態の無い文字や絵(もちろん立体構造を描くこともできる)を描くことが出来る街だ。描いたものは『幻視鏡』という眼鏡で見ることができ、幻視鏡を通さなければ何も見えない。描かれたものは実態がないので触れようとしてもすり抜ける、という代物だ。ペンは幻視町でしか手に入らないし、持ち出し禁止だが、眼鏡は周辺の街や駅でも手に入る。有名な観光地で、定住人口は少ない。ソラさんは何度か来たことがあるそうだが、それでも心なしかウキウキしている様子に見える。私がそうだからそう見えてしまっているだけだろうか?
駅から出た大通りは色彩に溢れていて、まるで絵本の世界だ。眼鏡を外して見れば殺風景な印象だが、それは錯覚だろう。店舗は普通に建築されていて、塗装されているし、屋号が書かれているしと普通の街と変わらない。幻視が普及しているからといって実物を必要以上に無装飾にする必要は無いのだから当然だ。下地が何であろうと不透明な幻視で上書きすれば良い。幻視を普通の塗装と比較すると、耐候性がおそらく無限であるし、夜でもはっきり見えるというのが利点で、外観全体を幻視で覆っている店舗も少なくない。あとは飲食店がメニューを店舗の外に書いていたり、屋根の上あたりに看板が作られていたりする。基本的にはなにもない空間に幻視を描くことは推奨されておらず、これは多くの人が幻視鏡を掛けて歩くので、道に構造物を描くとそれを避けて通るか、眼鏡を外して幻視か物体か確認しなければならないから。ただ、立体感のないものであれば地面に描かれている。道案内から落書きまで。
幻視町には観光名所となっている独特の施設が点在する。その一つに『幻視通信路』というものがあり、これは何も障害物の無い細く長い直線の通路で、両端に望遠鏡が設置されている通路だ。望遠鏡のそばで伝えたいことを書き、遠すぎて見えないので望遠鏡で見てやりとりする。発想は面白いが、前もって時間を決めておいて、お互いここに訪れて、書いては消して望遠鏡を覗いて……と、通信手段としては不便すぎる。ついでに言えばそれほど大した距離じゃないのであまり意味がない。というわけで観光客が記念に使うだけになっている。これでプロポーズをするカップルがいると聞いたこともある。というかこれは幻視じゃなくて普通の紙とインクでも良いのではないだろうか、視認性は良いかもしれないが……。
『幻視町西区画廊』なんかも面白い。眼鏡越しに見れば普通の美術館だが、裸眼で見ると真っ白なキャンバス(酷ければただの木の板のものもある。一度白塗りしてから絵を描けば良いので)が展示してあるだけというもの。幻視前提のギャラリーというわけだ。定期的に描いてある絵は変えられているそうで、画材を消耗しないので遠方からも画家やその卵が集まってきて作品を披露する場となっている。ちなみに、眼鏡を外すと何もない(数点”あえて”本物の絵が飾ってあったりするが)というギャップが面白いだけで、絵の内容についてはよくわからなかった。
さて、私達が幻視町を訪れた目的は観光だけではない。ここのところ幻視を描くことの出来る領域が広がっており、近隣には『遠見の魔女アイリス』の仕切る『塔の街』もあるため、干渉してしまう前に”お話”をしにきたというわけだ。平和的解決が望めなければ
描画可能領域が広がっている理由をまず二分すると、何らかの意図(それほど悪意のある捉え方をしなくても塔の魔女アイリスへの宣戦布告と言えるだろう)があるか、単に制御不能に陥っているかだ。無意識的に広げてしまっていて全く気がついてない可能性もある。このまま描画可能領域が広がっていき、人々がどんどん幻視を描き広げていってもアイリスに大した影響が出るわけではないそうだが、近くで領地を広げるような真似をされて面白いわけではない。
素直に考えれば街、正確には描画可能領域の中心点になるが、そこにナイアンが居ることになる。というわけで街の中心部へ向かって歩みを進めていくのだが、少しづつ建物が密集して建築されているようになり、道は入り組み、まるで迷路の様な構造になっていく。
「なんか全然中心に行けなくないですか?」
「そうね、聞いていたより厳しいわ」
こうなっている理由はやはりナイアンを外敵から守るためだろう。この街は観光に訪れる人が多く、したがって収入の基盤となっている。人々にとってはナイアンに万が一があっては不都合なのだ。本人はどう思っているかは分からないが、少なくとも定住をすることに不満がないのは間違いない。
それから住民に呼び止められるケースが出てきた。中心部へつながる道へ曲がろうとする度に声をかけられ、そっちは行き止まりだの、行ってはいけないだのと言われる。その度に何かしら魔法を見せつけて、知り合いなので。と切り抜けてはいるが、こうも警戒されるとこちらも身構えてしまう。
もうとっくに眼鏡は外しているが、そのうちに裸眼でも幻視が見えるようになってきた。近づいてきている兆しだろう。かなり高密度で幻視が描画されていて、カラフルな濃霧の中に居るような状態だ。しまいには動き出すものも現れてきたので、さすがに目を閉じて手を前に出しつつすり足で移動していくことにした。亀の歩みだ。
「ここね」
そうしてようやく、小さいが広場と言えるような場所に出て、ナイアンと思われる人物を除けば幻視であろう物体の無い空間に出ることが出来た。周りは実体(触って確認したわけではないが)の建築物の外壁と、いま通ってきたのとは違う路地があるのみで、上を向けば久方ぶりに空を拝むことも出来た。
ナイアン氏は古びた椅子に座っていて、眠っている様子だ。横には台があり、小さなベルと「御用の方は鳴らしてください」の張り紙がある。
「鳴らしますか?」
「そうね……このまま殺してしまう選択肢もあるけれど、脱出経路が確保できているわけじゃないのよね」
「それって起こしてから殺しても同じことじゃないですか?」
「そうね、だからどうせなら対話をしてから殺すべきということよ」
「嫌ですよ隠れんぼの末に住人になぶり殺しにされるの! 殺しはなしで!」
ちりんちりん
すぐには起きなかったが、2、3回鳴らして待っているとやがて身じろぎし始めた。
「やあ、来客とは珍しい」
それから軽く自己紹介をして、魔法の領域が広がっていること、塔の魔女が困っていることを告げた。
「こちらとしては街が広がるたびに範囲を広げているだけで、さすがにそちらの街まで広がる前には止めるつもりではあるよ、十分にコントロール出来ているはず」
氏の言い分を疑わないのであれば、話はこれで終わりとなるが。
「流石に塔の魔女にそれだけを伝えて終わりには出来ないわ、もう少し確約が欲しい」
ソラさんから聞くに塔の魔女はそれほど剣呑な人柄では無いそうだが、確かにこのまま引き下がるには面倒な旅路であったのも事実だ。
「それもそうだね……では境界線を引いたらどうだろう。近くに都合のいい川があったりするわけじゃないから、何か地形生成の得意な人を探して壁か谷を造ればいい」
「そういうツテあります?」
「『境界の魔女』にお願いは出来るでしょうね、忙しい人だからいつになるかは分からないけど」
「そもそもの話だ、塔の街は魔法で制御された街では無いはずだろう?侵食してしまったとしても問題は無いと思うのだが」
「あなたの幻視がアイリスの遠見の魔法の邪魔になるのよ」
「良いことを聞いた」
「本気で争う気ならそう伝えるけれど」
「冗談だ」
それからも話し合ったが、結局、今の拡張ペースよりは、境界の魔女(その他地理的な境界線を形成出来る者)を連れてくる方が早いので、いずれ街の人々にも分かりやすいように街の間に谷か何かを作る案で合意した。そうしたら橋を作ったり、鉄道の改修が必要になったりと大忙しだろうが、まだ何年も先の話だし、私達が立ち会うかも分からないので考えないこととする。
「では塔の魔女に対して敵意が無いこと、先に断りを入れてなかったことについての謝罪の意を伝えて欲しい。よろしく頼むよ」
「分かりました」
「それから、礼になるかは分からないけれどペンの持ち出し許可も出しておくよ、街から遠く離れてもペンが消失することはないはずだ」
ペンと眼鏡をセットで持ち運べるのであれば、他人に見られないようにメッセージを残すことも出来たりする。どうにも危険なシチュエーションでしか使いみちが思いつかないので縁起の悪い道具だが、ありがたく頂戴しておくことにする。
塔の街と幻視町とで暴動が起きた、という知らせを聞いたのはそれから数カ月後のことだった。少なからず建物や人に被害が出たようだ。詳しく分からないのに断定してはいけないが、ナイアンが人々をけしかけたとみて間違いないと思う。
「私達余計なことしちゃったんじゃないですか」
「これでいいのよ」
「はあ」
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