リアル・メルヘン書房~赤ずきん~

平中なごん

リアル・メルヘン書房~赤ずきん~

「――メルヘン書房……リアルなメルヘンを取り揃えております……か」


 その本屋の看板には、そんななんのひねりもない店の名と、ずいぶんと自信ありげな売り文句が書かれていた。

 

 名前からして童話専門の本屋だろうか? 


 確かにその店構えはドイツとかスイスの田舎にありそうな、白壁に斜めの木の張りが露出した中世ヨーロッパ的なものだ。


 なんとなく、いつもと違う町の裏通りを歩いていた俺は、ふとそんな特徴深い建物を見つけ、そのこじんまりとした書店の前で足を止めたのだった。


「こんな店、前からあったかな? ……ま、こっち来ることあんまないし、気づかなかっただけか……」


 珍しい日本離れした店構えだったこともあり、その見憶えのない小さな本屋に興味を抱いた俺は、ちょっと冷やかしに立ち寄ってみることにした。


「ああ、いらっしゃい」


 少々ガタつく古い木戸を開けて店内に入ると、入口すぐの所にこれまたドイツを思わすごっつい木彫のカウンターがあり、その向こうに座る店主らしき老婆が愛想よく挨拶をする。

 

 客は俺以外誰もいない……店の名前とこのどこか怪しげな雰囲気のためなのか? その鼻眼鏡をかけた小柄な老婆がなんだか魔女のように思えてしまう。


 カウンターだけでなく、古びた分厚い背表紙の並ぶ背の高い書籍棚や天井から下がる煤けたシャンデリア、内部を満たすどこか埃っぽい空気までもが、やはりメルヘンのよく似合う雰囲気を醸し出している。


 ざっと遠目に並ぶ背表紙のタイトルを見渡してみたが、日本語のものにフランス語にドイツ語と、言語は様々なれど、どれもグリムやペローなどの全集や有名なお話の題名ばかりであり、童話と言うよりは本当にメルヘン専門の稀有な本屋さんであるらしい。


「あ、あのお、外に書いてあった〝リアルなメルヘン〟ってどういう意味ですか?」


 完全に勝手な思い込み…というか妄想であるが、その魔女に見える老婆店主に、俺は気になったそのことを素直に訊いてみた。


「ああ、あれかい。もちろん文字通りの意味さ。この店に置いてある本は、どれも〝リアルな〟メルヘンを追体験させせてくれる本なんだよ」


 すると、老婆店主はそう思って見ているからだろうが、ほんとにメルヘンに出て来る登場人物のような口調で俺の質問に答える。


「リアルなメルヘン……ねえ……あの、何かおススメはありますか?」

 

 その言葉の意味はわかったような、わからないような……いや、たぶん真の意味では理解できていなかったろうし、別にメルヘンに関して詳しいというわけでもなかったので、俺は自分で見て回るよりも先にあっさりそう老婆に尋ねた。


「ああ、そうさね……今日のおススメはこのペロー版の『赤ずきん』かね。一般に知られてるのはグリム版のストーリーだが、ペローのはそれよりも古い形のお話だよ」

 

 その問いに、老婆店主はわずかに黙考した後、そう言いながらカウンターの下より一冊の本を取り出し寄こす。


「赤ずきん……ですか」


 よく書店で目にする廉価版とは違う、豪奢な装丁のお値段張りそうな書籍ではあるが、まあ、そうは言ってもよく知った『赤ずきん』である。


「………………」


 その内容の割には妙に分厚いと思う本を皺だらけの手から受け取ると、俺は老婆の前でパラパラと捲ってん飴読みしてみた。


 やはりゴシックな装丁とは裏腹に、分厚くはあるがイラストも多く、字も大きな絵本のような童話本である。


 ただ、確かに老婆の言った通り、話の筋はよく知る「赤ずきん」とは少し違っていた。


 赤い頭巾をかぶった少女がおばあさんの家へお見舞いに行くことになり、道草してる間に先回りしたオオカミはおばあさんを食べ、そのおばあさんに化けたオオカミに自身も食べられてしまうまではやはり同じであるが、知ってる話では猟師によって最後はオオカミの腹の中から助け出されるところ、こちらでは食われたままそれっきりである。


 そのけしてハッピーエンドでは終わらない、身も蓋もない話なところが古風といえば古風なのだろう。


 フランスの詩人ペローの作ったまだまだ粗削りな童話集を、グリム兄弟がさらにこども向けのメルヘンにアレンジしたというわけだ。


「ま、まあ……なんというか、今まで聞いた話とちょっと違って興味深くはある……かな?」

 

 多少おもしろくはあったが、だからと言って〝リアル〟かといわれればそれほどでもなく、だが薦められた手前、「あんましでした」と言うわけにもいかず、俺は考えた末にそんな当り障りのない感想を答える。


 リアル……この救われないちょっと残酷なところが、昔流行った『ほんとは怖いグリム童話』的にリアル=現実的だってことなんだろうか? 


 まあ、そういう意味ではリアルなのかもしれないが……。


「……ん?」


 そんなことを思いつつ、なんとなく老婆店主を眺めていた俺は、ふとあることに気付く。


「あれ、耳が……」

 

 なんだか、老婆の耳がさっき見た時より大きくなっているように見えるのだ。


 某マジシャンのそんな手品ギャグを真似たわけでもないと思うのだが……いや、ただ大きくなっただけでなく、なんだか人間のものではないような……。


「んん、どうしたんだい?」

 

 呆けた顔で見つめる俺に、老婆はその大きな三角形をした耳をピクピクと動かしながら尋ねる。


「あ、あの、その………なんだか耳が大きいなと思って……」


 目の前で起きた不思議な現象に、訊かれた俺は思わず素直な疑問を口にしてしまう。


「ああ、これかい? これはお客さんの声がよく聞こえるようにさ。この歳になると耳がとおくなっちまってねえ。商売に支障が出るといけないからね」

 

 だが、老婆店主はさして気分を害するでも訝しがるでもなく、さも当然と言うようにそう答える。


 いや、いくら歳とって耳遠くなるからって、自分で耳は大きくできないと思うのだが……ん?


 その説明になってない答えに心の中で密かにツッコミを入れる俺であるが、苦笑いを浮かべて老婆を見つめていた俺は、さらなる奇妙な変化に気づく。


「な、なんか目が……」


 老婆の目が、もとから小ぶりな鼻眼鏡と釣り合いがとれないほど大きくなり、その上、まるで野生の獣が如く爛々と薄暗い店の中で輝いているのだ。


「め、目が……なんだか目が大きくなってます!」


 某スマホの人気画像処理アプリを使ったでもあるまいに、耳に次ぐその奇怪な変化に今度は訊かれる前から心の声を漏らしてしまう。


「目が大きいのも、もちろんお客がよく見えるようにさ。本を探してるお客がいたら手伝ってあげたいし、こう言っちゃなんだが、昨今は万引きをするふとどき者も多いからね。特にこういう小陣経営の本屋にとって万引きは死活問題さ」


た、確かにそうだとは思うけど、だからってそんな猛禽類みたいに目を光らせなくても…ってか、そんなことしようと思ってもできないだろ?


「…て、言う先からなんか手もデカイよ?」


 思わず心の声を実際に口に出してしまった。


 なぜならば、耳と目に続き、先程、本を手渡してくれた老婆の皺だらけの手までが肥大化していたからである。


 いや、大きくなったばかりではない。


 女性の、しかも老人だというのに妙に毛深く、その爪は着け爪なんてもんじゃないほど長く鋭く尖っているのだ。


「ああ、この手かい? これはたくさんの本を一度に抱えて運べるようにだよ。一種の職業病だね。長年、そうして重い本を運んでたら、こんなに筋骨隆々になっちまったのさ」


 なるほど。それで老婆とは思えないほどこんなに太く……って、んなわけあるかい! しかも、そんな爪尖らせてたらむしろ邪魔だし、商品の本を傷つけてしまうだろう?

 

またしても、さも当たり前と言うような顔で説明する老婆に、俺は心の中で密かにボケツッコミを入れてしまう。


「……え、く、口まで?」


 だが、不思議な老婆の変化はそれだけに留まらなかった。


 店に入った時にはいたって普通に見えていた老婆の口が、今は耳元まで大きく裂け、そのパックリ開いた赤い割れ目の隙間からは鋭く尖った白い牙が恐ろしげに覗いている。


 加えてメガネのちょこんと乗った鼻先も前方へと伸びて、とても人間のそれとは思えない、肉食獣のような二等辺三角形に頭部も変化して見えるのだ。


「…………ど、どうして、そんなに口も大きいんですか?」


 〝それを言ってはダメだ〟と心の奥底で何かが警戒信号を発していたが、俺は好奇心の方が勝って……いや、違うな。正確なところはよくわからないが、どうしてもそれを訊かなくてはならないような衝動にかられ、気づくとそんな言葉を恐る恐る口にしていた。


「この口のことかい? それはねえ……」


 その問いにも、老婆店主はそれまで同様のなんらおかしなことはないというような調子で答えはじめるが、今回はどこかもったいつけながら、そして、その大きな目の奥に冷たく静かな鋭さを湛えながら、俺の顔をじっと見つめる。


「大きくないと、おまえを食べられないためさっ! ガルルッ…!」


「うぐっ…!」


 次の瞬間、そんな台詞とともに老婆の目がキラリと光ったかと思うと、俺は頭に焼けた火箸を突き立てられたような激しい痛みを感じ、レトロなセピア色めいていた目の前の景色は鮮やかな赤一色に塗り込められる。


「ぐ、ぐはぁ……」


 それが自分の血の色であるとわかるのにさほど時間はかからなかった。


 俺は大きく開かれた老婆の口で頭からパクリと喰われたのだ。


 ……そうだ。これは『赤ずきん』と同じ筋書きだ……そういうことか……〝リアルなメルヘン〟というのいうのはこういうことだったのか……。

 

 火のように焼ける激しい痛みもだんだんと感じなくなり、次第に薄れゆく意識の中で冷静にも俺はそんなことを考える。

 

 そして、そんな冷静になってる場合じゃないのであるが、今、俺をかじっている老婆の薦めたのが〝グリム版ではなく、〝ペロー版〟の『赤ずきん』であったことを思い出し、ある最悪な事実に思い至る。


 ……そうだ。ペロー版はグリム版と違い、猟師に助けられることなくオオカミに食べられたまま終わるんだった……と。

                    

                 (リアル・メルヘン書房~赤ずきん~ 了)

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