漁夫の息子(裏切りの御曹司,火星,1時間)

人類の探究心は果てしない。

あの輝く星ですらわが手にしたいと恋焦がれ、追い求める性は、ついに彼らを母星から飛び立たせた。地球からの植民地支配は月、火星まで及び、やがてはその先へと広がる時代がきた。


地球の出先機関のように扱われる月の住人たちが、傲岸な保護者面で空を占めている青い星に刃向かうのは、不思議なことではなかった。

かつて女神にも喩えられた月は、いまや単なる火星への中継地、あるいは宇宙工学の実践場でもある手ごろな衛星でしかない。地球の学者、政治家、工学者たちはじゃらじゃらと履歴と肩書をひっさげて大挙し、安全な月基地の中に腰を下ろすと、月にすみついた元・地球人のその子孫たちを都合よく顎でこき使った。

重力下における肉体的力の差、地球という経済力の差からいっても、月で生まれ育った彼らに勝ち目はない。酸素と水を確保するだけでもうずくまっておこぼれをいただくのを待つのが彼らの一生なのだ。


不満はじりじりとくすぶり、地球政府による規制強化とその揺り戻しを何度か繰り返していた。この前時代的自由主義運動にも似た市民活動は、最初はただのシュプレヒコールから、やがて秘密結社になり、反乱分子となり、テロ集団となった。

完全に地球政府側の不手際であった。

顔をどす黒くさせるほど怒りをあらわにしている地球政府代表を前にして、くっくっと男は笑った。


「テロ? まだ、あなた方はこれを政治的な事件の一種だと思っているんですか。これは戦争ですよ」

「月が、我々に、戦争を吹っかけるだと?」


それは地球政府にとって受け入れがたい話だった。

戦争とは対等なる組織集団との対立である、国と国、企業と企業……政府と一出張所風情とが戦争になるわけがない。

この段にいたってもまだ、地球政府は月を単なる研究所のひとつとしてしか考えられないのだ。


さらに言えば、代表にとっては目の前にいる男の母星・火星も、地球から飛び出た放蕩息子のようなもの。所詮、傍系の分家、偉大なる歴史を持つ地球の前にあっては、その体積などたいした問題ではない。

「大体だ、お前たち火星政府は地球と連携をとり、互いに月を利用している立場ではないか。しかし、こちらの調べでは火星側がこのテロに援助しているという話がでている」

どういうことだ、と声を荒げる代表の言葉に、男はちょっと目を丸くする。

図体ばかりがでかくて鈍間の地球人であっても、まともに仕事ができるとは。

火星の男はあざけりを隠しもせず、肯定した。

「月の人間たちにも我々と同じ政府と発言力を与えるべきですよ。人権意識の醸成ですね」

「それは、我々のアース・マーズ会議の同意と異なる!」

「時代の風は速いんですよ、宇宙風と同じくらいね」

「──反故にする気か、きさま」


男が、きっとにらみつけた。


「君、誰に口を聞いているんだ。私は火星政府代表、メリディアニ高原領主の第一後継者だ。私の発言は火星の発言だと思ってもらおう」

「……では、この月の、反政府運動について、弁明してもらおうか。君たち火星人の利用ポイントにおいて特に活発である、理解できる説明を」

もちろん、と彼は笑みを浮かべた。事ここに至っては、真実は単なる事実でしかないのだから。


「我々が、月の住人たちを焚きつけたからだね。これは我々外星人の誇りある戦いなのだよ。我々もまた地球の支配からの脱却と栄光ある自由を目指している。お前たちのやかましい旧式の縛りを気にしなくてすむようにね」

「やはりか!」

地球人は歯軋りをして席を立った。

先ほどの火星人の御曹司の、仰々しい名乗りすら忘れて、ありったけの罵倒をあびせる。

「支配だと!? この卑劣な裏切りものめ! 我々は火星など支配していない。お前たちが、我々地球を支配しようとしているのだろうが! 月の阿呆どもの相手をしている間に、……お前たちが、地球に手を伸ばす気だ!」

「そこまで風向きが読めているなら、すべきことはここで喚くことじゃないだろう」

ため息をつきながら、男は隠した片手でパネルに触れる。

電波傍受のため特殊秘密会談用小型宇宙船内に、先ほどまでとは異なる組成の空気が流し込まれる。

それは火星人に合わせた空気だ。

地球人には耐えられないが、火星人にはぎりぎり不快な程度で済ませるほどのガスを含んだ、酸素量の抑制された空気。

無臭のそれは地球人の肺いっぱいに吸い込まれ、かひゅっと血の霧を噴出して彼は仰向けに倒れる。


『首尾はどうですか、若旦那』

「完璧だ。今、手動運転に切り替える。このまま月へ着陸する」

『了解。月の代表に連絡しておきます。そこで、地球代表を引きわたすんですね。やつら大喜びだな』

「彼らにはもう少し頑張ってもらわねばな。平和的話し合いのための外交官を殺され、激怒した地球軍の殲滅戦に適度に抵抗できる程度は」

『いい具合に両者が疲弊して、我々がいただける頃合までは、ですね』

「そのとおりだ」


無線連絡の技師と火星人の男は声をそろえて笑い、その見果てぬ人類の探究心、いやすべてをわが手にしたいという探求欲を乗せてまっしぐらに進んでいった。

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