you're in the world

一色星人

第一話

 これから僕が話すことは、ただ僕が話したいだけのことだ。どうせ君も暇だろう?いや、暇に違いない……そんなことないって、言ったって、じゃあ、これからなにかすることでもあるの?……ほら、なにもないだろう。大丈夫すぐに終わる話さ。すぐに終わってしまう、僕とひとりの女性の話だ。だけどほんの少しだけ特別な話だよ。



 中高生の頃、みんなが一心不乱にスマートフォンをいじっているなか、僕はひとり読書に勤しんでいた。ああ、つまらなかったね。でも当時の僕は、周りの奴らを見下し、難しい本を読む自分に酔いしれていた。みんなが流行りのJポップをスマホから流しているなか、僕は家にあった古いレコードプレーヤーで昔の洋楽を聞いていた。レコードは死んだ父親のものだったけど、僕は母に「興味がある」と言って半ば強引に奪ったんだ。聴いても、どこがいいのか全く分からなかったけどね。ただ、エルトン・ジョンの『ユア・ソング』は不思議と何度も聴いていた。それをただひたすら聴き続けたんだ。

 そんな自分が格好悪いと気付いたのはずいぶんと後のことだ。


 大学に入ってから、一人暮らしを始めたんだ。実家にあった、沢山の本はおいてきた。まとめて縛って物置に放り投げてしまった。悪びれることなくね。エルトン・ジョンのレコードは何となく、持っていこうと思っていた。だけど、引っ越し作業中に踏んづけて壊してしまったんだ。真っ二つに割れたレコードの中身はきれいな鈍色だった。壊してもショックを受けることはなかったけど。

 大学ではとびきりチャラいサークルに入り、講義はサボりがちになっていった。誘いを断ることはしなかった。断ればまた僕は独りになってしまうと分かっていたからね。遊びにはお金がかかることを知り、深夜のバイトも始めた。

 そして、今まで手にしたことがなかったスマートフォンを買ったんだ。毎晩飲み歩き、お金がなくなったらバイトをした。スマホの中には、たくさんの人の連絡先を詰め込んでいったよ。

 一年ほど経ったある日、不意に思い立って今まで詰め込んだ連絡先を吐き出した。跡形もなく全部。バイト先は残しておけば良かったと少し後悔したけど、それ以外は何も感じなかったな。わけの分からない難しい本を読み、エルトン・ジョンを聴き流す自分と変わらない、その頃よりも愚かだと気付いてしまったんだ。そういえば、隕石のことが騒がれだしたのもこの頃だったかな。

 そしてまたひとりぼっちに戻った。

 彼女に出会ったのはその頃だ。理想的なひとだったんだ。

 僕が

「愛してる」

 と伝えると、彼女はすぐさま

「またまた」

 と言った。間髪入れずに

「愛してるよ」

 と伝えると、

「お気持ちだけはいただいておきます」

 お気持ちだけ貰われてしまった。

 

 僕が彼女に出会ったとき、彼女もまた、ひとりぼっちだった。

 バイト先には彼女を知る人がいた。その人から聞いたことだが、彼女は、昔はかなりモテていたそうなんだ。多くの男性から言い寄られており、告白された回数は数知れないらしい。そんなことを教えてくれた彼もその一人だったそうだ。驚いたよ。彼から、

「彼女のことを知らなかったのか?」

 と聞かれた。僕は頷くと、彼は目を大きくした。どうやら彼女は少し有名らしいんだ。

 彼女は男性からの告白をはぐらかし続けたらしい。好意を告げられても、付き合いを懇願されても断っていたそうだ。僕は、そんなような人どこかにいたな、とつぶやくと彼は眉間にしわを寄せてぼくをみつめてきたんだ。そっちの趣味はないんですよ、と言ったら、さらに目を細くして見つめてきたんだ。こればかりはあとで丁寧に断わっておいたよ。ごめん話しが逸れたね。彼女が男性をあしらい続けていくと、次第にみんな彼女のもとを離れていったらしい。思いを告げた人たちは戻ってこなかった。


 僕が

「好き」

 と伝えると、彼女は

「あっ……あそこに子犬が」

 とはぐらかした。また彼女にあったとき、僕が

「好きです」

 と伝えると、

「そのことはあとで話しましょう」

 と言った。また話をそらされてしまったけど、僕は初めてしっかり返してもらえた気がしたんだ。でも、“あとで“のことはやってこなかった。次会ったとき、さらに僕は

「好きです」 

 と伝えた。すると彼女はすこしどもった。でもはっきりと

「…私には何かを愛することができないのです」

 と言った。僕はそのとき口を開けて固まってしまったんだ。そのあと、家に帰って紙にその言葉を写してみた。一晩中考えてみた。でもよく分からなかった。今ではなんとなく分かるけどね。

 彼女には知り合いがたくさんいた。僕は大学でも常に彼女と行動していたけど、彼女に声をかけるひとは幾人かいた。街を一緒に歩いていると、たまに彼女に話しかける人がいた。頭のいい彼女は僕にも、他の人にもたくさんのことを教えてくれたんだ。記憶力もいいから僕の家族や数少ない知り合いのことも全て覚えられてしまい、なんだか恥ずかしかった。

 そして三日前のことだ。ああ、きみも知っている通りだよ。

 僕たちがここにきた日だ。



 三日前の日暮れぐらいだったかな。僕がバイト代をかき集めて買った中古車で走っていたときのことだ。古いカーステレオから聴こえてきたのは、地球の寿命が残り一時間を切った、という声だった。前々から騒がれていた、とてつもなく大きな隕石がここにやってくるらしい。どんな気分だったかって?そりゃあ驚いたよ。なにせ一時間後には全部終わっちゃうんだから。でも、心の隅では、どうでもいいとも思っていた。

 立ち寄ったコンビニの近くでは怒り狂う人や泣き喚く人がいた。僕は店員の消えたレジにお金を置き、寒さで悴んだ手にホットコーヒーを持たせた。瞬間的に、手の平が赤くなった。まだちゃんと生きていると知ったね。近くにあった公園の時計を見ると残り三十分を切っていることが分かった。辺りを見回すと、歩いている人も、走っていた車も消えていた。僕とは違ってちゃんと帰る場所、大切な場所があるんだろうな。

 ふと、持ち物の整理をしようと思い立った。仮に生き残った人がいて、その人に私物を見られるのは勘弁だからね。 そうはいっても私物など、この車とスマホ、先程買った缶コーヒーくらいだった。

 小さな公園だった。そこには、すべり台とブランコと、古びた木のベンチだけ置いてある。辺りは静寂に包まれていて、僕とこの小さな公園だけが取り残されたみたいだ、と思った。

 車を駐車場に置き、空になった缶コーヒーはゴミ箱に捨てた。

 僕はベンチに腰掛けると、彼女にたずねてみた。彼女が一緒にいたなんて知らなかった? ああ、ごめん言い忘れていた。でも、それまでだって、ずっと一緒だったんだよ。

 まあ、とにかく。いつ彼女と話せなくなるか分からなかったからね。何か話しておこう、と思っていたんだ。僕は思いついたことを尋ねた。

「もうすぐ世界が終わるんだって。本当かな」

「すいません。よくわかりません」

 そりゃあそうか。僕だって未だよく分かっていない。物知りな彼女でも知らないことはあるのだ。

 車に戻って再びラジオをつけると、繰り返し地球の最後通告が聴こえてくる。大して面白くもなかったね。局を変えると聞いたことがある洋楽が耳に届いた。それは、聞き慣れたエルトン・ジョンの声だ。

 世界の終わりに流れた最後の曲は『ユア・ソング』だった。


 「How wonderful life is while you're in the world

 I hope you don't mind

 I hope you don't mind that I put down in words

 How wonderful life is while you're in the world“」


 エルトン・ジョンが、最後のフレーズを歌いあげようとしている。この歌の中では何度も繰り返されるこの言葉を、あの頃はうっとうしく感じていた。その言葉は、ほかのフレーズよりもゆっくりと紡がれる。僕のなかに少しずつ、少しずつ入り込んでくる。早く過ぎてくれ、もっと早く動いてくれ、と願っていた。耐えきれなくなって途中でとめてしまうこともあった。

 でも、このときは違った。もっとゆっくり動いてくれ、終わらないでくれ、と願った。いつまでもこの歌が流れることを願った。

 そんなときだ。彼女が僕の目の前にやってきたのは。いつの間にか、僕の目を覗き込んでいた。僕は思わず吹き出してしまった。彼女は小首をかしげる。だって、こんなにも、こんなにも近くにいたんだ。彼女は、肩で揃えられた黒髪を揺らし、少し眠たそうな眼で僕を見ていた。僕は目をじっと凝らし、彼女を見た。一度まぶたを閉じてからもう一度開いてもみた。何度見ても、彼女はそこにいたんだ。


 僕らは二人、夜の海辺を散策していた。海水が届くか届かないかの瀬戸際を歩く。砂はすべて湿っていて、サラサラとした砂が足の指に食い込むことはない。足の裏を覗くと、濡れた砂や小さな石がへばりついていた。その付着物さえもたまに押し寄せる海水がさらっていく。

「ここにしましょう」

 前を歩いていた彼女はそう言って腰を下ろした。

「なあ。こんな、水が来るとこよりもっと下がらないか」

「ここがいいんです。海と陸の境界線みたいでかっこいいじゃないですか」

 ため息をついて僕も彼女と向かい合った。しょうがない、最後くらい…いや、最後まで彼女には逆らえなかったな、なんてことを考えてた。彼女は自分が持っている危うく脆いものと同じものを僕にくれた。

 線香花火だ。何故か僕は昔から得意だったんだよ。君は知らないだろ?

 僕らは同じ地点からスタートを切った。

「この隕石が落ちたら終わりですね」

「ああ」

「…今にも落ちてしまいそう」

「そんなことないよ。あと1分くらいはもつんじゃないか」

 終わりの時間を知らせに迫ってくるその火の玉は、僕の脳に直接入り込んでくるようにシュワシュワと音を立てている。飛び散る火の粉は僕らの周りを破壊していった。

「聞きたいことがあります」

「なに」

「どうやったらうまく…うまくいったんですかね」

「そうだな…この微妙な角度を調節して、なるべく震えないようにするんだ。息さえも止めてさ」

「そんな繊細なことできません。わたしに比べて、あなたは得意そうですね。」

「まあね。でも僕は」

「あっ」

 彼女が声を漏らす。僕は、ぷくぷくと膨らんだ自分の火の玉から目を離す。彼女が持つ細い紐のさきにくっついていた、紅い雫のようなものはなくなっていた。地面を見てもそこに残骸らしきものはない。

「落ちちゃいました」

「…残念」

「あなたのはまだ光ってる。何がそんなに違うんですかね…」

 少し眉間にシワを寄せた彼女は、目を細めて火の玉を眺めている。ぼやっとした赤い灯りが彼女を照らしていた。

「よし」

 そう言うと、彼女は立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ行きますね」

 耳を澄ませばなんとか聞こえるくらいの小さな声だった。波の寄せる音にかき消されるように思われたその声は僕の耳にへばりついた。待ってくれ。まだ一緒にいてくれ。置いて行かないで。そんな言葉は飲み込み、シュレッダーにかけ消化液で溶かしたさ。

「質問なんだけど、この世界はいつまで続くの?」

 そんなことはどうでもよかった。

「なんですかそれ」

 と彼女はいう。小さな眉を眉間に寄せ、怪訝そうに僕を見る。そんな彼女をみて

「きみでも知らないことはあるんだね」

 と僕は言う。純粋に驚きだった。こんな質問だったらすぐに教えてくれそう、と思っていたんだ。

「当たり前じゃないですか」

 どうやら少しご立腹の様子。何とか機嫌を直してもらおうと、彼女にかける言葉を探すが、みつからない。必死になって頭の中をかき混ぜた。

 そんなときに頭に浮かんだのは、なぜだろうか、今までの思い出ではなかった。これからのことだった。未来の話をしたかったんだ。僕と彼女の未来の話を。

 でも、彼女はもうすぐいなくなってしまう。もちろん僕も。自分の願いっていうのはなんとも不思議なことに、こんなときに溢れ出てくるものなんだね。そんな僕を横目で見ながら、コホン、とひとつ咳払いをして口を開いた。

「今から言うことは、もうすぐわたしが壊れてしまうから言えることです」

 僕は少しだけ首を上げて彼女を見た。彼女の頬はまるで、夕日に照らされているかのような朱色だった。


「わたしもあいしています」


 彼女は少しだけ微笑み、目を伏せて言った。

 彼女の声はだんだん小さく、いや、彼女自体が遠のいている。僕は必死に手を伸ばそうとした。指先に力を込め、先へ、先へと手を伸ばした。全く届かないと思っていた彼女はいつの間にか僕の指先に触れていた。彼女の手は冷たかったのだろう。でも僕の手はもっと冷たかった。だからその掌には僅かなぬくもりを感じたんだ。

 彼女の顔が白い光のなかへと包まれていった。同時に、僕にも違う光が迎えに来た。

 一度、近づいたと思ったその距離は、再び途方もない道のりを歩いても、たどり着かないのかもしれない。でも僕は会いたかった。いや、そんな贅沢は言わない。遠くから彼女の名を呼んで、彼女が応えてくれる。ただそれだけでよかったんだ。

 彼女は消えていく。遠くに去っていく。

 僕が持っている紅い雫は落ちてくれないんだ。揺さぶっても、息を吹きかけても消えない。いくら角度を変えたって何も変わらず、細く脆い紐の先についている。そのとき、湿った砂の上に落ちた雫は、僕の頬をつたったものだった。海がさらっていたはずの、それが落ちた跡は僕の足元にくっきりと残っていた。







 これで僕と彼女の少しだけの話は終わりさ。続編なんてないからね。期待しないでくれよ。僕は誰かにこの話を聞いてほしかった。僕が消えたとき、この話を知っていてくれる人が欲しかったんだ。ありがとう、聞いてくれて。

 え?彼女のことが知りたい?君もよく知っている人だよ。君とぼくとは歳はそう変わらないだろうし、絶対知っているよ……ネットで調べてみるって……君、スマートフォン持っているのか?なんだ、早く言ってくれよ。じゃあ簡単だろう……ここまで話してもわからないかなあ。試しにそのスマホに聞いてみればいいじゃないか。

「Hey Siri」

ってさ。

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