第22話バットとローラーと笑顔

 「まさか死んでないでしょうねぇ!? 刃獅々!」


 ――久遠だった――


 「な……! ど、どう、どうなってんだ!?」

 「説明は後よ! 早くもうちょっと離れて!」

 天使のようにみえたその姿は、黒い羽を背中から生やした、芽乃琉久遠。

 手には、大きな鉄の棒みたいなものを握っている。

 口裂け女と久遠は鍔迫り合いを演じ、お互いに弾かれたように距離を取った。

 言われたとおりに二人から距離を取る。

 その先には冬冬狼が立ち尽くしている。こいつも、状況が判断付かないらしい。

 「おい……、バジ、あれ……」

 「俺にも分からん……。何が起こってんだ……?」

 そして再び、それぞれの得物が金切り声を上げた。

 何度も、何度も。

 口裂け女が上段からハサミを振り下ろす。久遠はそれを棒で受け止め、空いた胴体に蹴りを放つ。吹っ飛ぶその体躯をすぐに立て直し、大地を爆発させながらハサミで刺突。久遠は棒を地面に突き刺し、それを利用して空へ。振り返りざまに棒で背中を強襲。アイツは遠心力を加え、棒を弾き、三度、鍔迫り合い。

 ハサミは空中に残像を生み出すように、刹那に何度も振るわれる。久遠は棒を回し、振り、すべてを避けていく。

 棒を一際強く突進させ、体躯を狙う。それをブリッジで避けられ、跳ね上がるように蹴りを繰り出し、久遠を後方へ飛ばしながら、ソイツは体勢を立て直した。

 しかし、互角に見えるこの戦いにおいて、苦々しい表情を晒しているのは久遠の方だった。

 理由は簡単だ。

 俺と、冬冬狼の存在。

 口裂け女は隙あらば、俺らを殺そうと走り出そうとする。

 久遠は常に、俺らからアイツを離すように振る舞う必要がある。

 そこが、二人の戦いやすさを分けていた。

 ジリ貧だ。

 逃げようにも、血が出過ぎたのか、下半身にあまり力が入らない。

 足手まといの、置物だ。

 どうすればいい。

 まだ、まだやれることはあったのに。

 「バジ!」

 その場にガクッと膝をつく。

 とうとう立っていることも、ままならなくなってきた。

 だが、問題はそこではなかった。

 その声に、久遠が俺の方を見てしまったのだ。

 「久遠!」

 そう叫ぶが、間に合わない。

 極限の、刹那を切り取り合う、一撃必殺の攻防戦。

 その最中、彼女の集中力が消失したのだ。

 相手を視界から、外してしまったのだ。

 化け物の凶刃が、久遠の首元に迫った。

 久遠が、死ぬ。

 しかし、足は機能を無くしたように、動かない。

 間に合わない。

 何で……!

 ちくしょう……!

 涙が、零れそうだった。


 「おいおい、キャストはまだ残ってんだぜ? 何勝手に幕を下ろそうとしてやがんだ。こいつぁ喜劇の台本なんだよ、悪役は両膝ついて御慈悲を乞いな、ハニー」


 号砲。

 響く射撃音。

 それは唐突に現れた、救いの弾丸。

 口裂け女のハサミが大きく弾かれる。

 止まることなく、銃撃。銃撃。銃撃。

 アイツの身体に、幾つもの血痕が咲き、血が飛ぶ。

 俺と冬冬狼が、狙撃手を見る。

 「剞鞨……!」

 俺らのすぐ後ろには、ギラギラと笑う剞鞨が立っていた。

 整理が全くつかない。脳内は嵐が去ったように思考が散乱している。

 久遠がこちらに飛んできて、俺らの真横に着地した。

 「ちょっと! 遅くない?」

 「それは申し訳ねぇ限りだ。後で頭でも胸でも地面にこするから、とりあえずは矛を収めてくれ」

 二人は、何なんだ。

 それに、剞鞨の持ってるそれは……。

 「言いてぇことは分かるが、今はアイツだ。それとも何だ? 今からこいつのレクチャーでもするか?」

 剞鞨のいつもの調子に、やっと現実感を得る。

 目の前の出来事に対して全く理解は得られてないが、これは紛うことなき現実なのだろう。

 「お前らの生存に最大限の賛辞を。そして、お前らの現状に最大限の謝罪だ。すまねぇ、あたしもアイツがあんなに狂気を増してるとは思わなかった。くっそ……、最悪だ」

 頭を抱える剞鞨。

 口裂け女は、こちらの様子を窺っているのか、ゆらゆら揺れるばかりで動こうとはしない。

 「いや、いい。いいんだ。こうして助けに来てくれたことで、オールオッケーだ。なぁ、冬ちゃん」

 「あぁ、しかしどうだ。バジ。この状況は」

 「不甲斐ねぇ、足手まといになった挙句、久遠まで危険に晒して」

 「剞鞨の手まで借りちまった」

 俺は冬冬狼の手を借りて、自分の二本足で大地に立つ。

 そして、口裂け女と目を合わせる。

 「え、どうしたの、しーちゃん、刃獅々」

 俺と冬冬狼は、久遠に向かって、獰猛な笑みを浮かべた。

 「男の子には、譲っちゃならねぇものがあるんだよ」

 「お前らが倒して、はい、終わり。なんて、死ぬまで笑われちまう」

 アイツを倒すための、事前に用意していた、“もしも”の時の策。

 「でも、傷だらけのお前らに出来んのか?」

 俺らは顔を見合わせる。

 「あれだ、下準備までは手伝ってくれや」

 威勢のいい啖呵を切った二人とは信じられないような、腰の角度を九十度で固定した、鮮やかなおねだりをする男の子がいた。

 「お願いします」



 剞鞨から口裂け女を狙う弾丸が、何発も撃ち出される。

 アイツはその弾丸すら見えているのか、あるものは斬り、あるものは避けるといった荒業を見せつけている。

 しかし、こちらも黙ってそれを見ているわけではない。

 久遠がその合間を縫って、化け物に棒で刺突を繰り返す。

 息の合った二段構えに、口裂け女が徐々に押され始める。

 もしかしたらこのまま終わるか、と思われた瞬間、アイツのもう片方の腕に黒い煙が纏わりつき始めた。

 「アイツ、まだ……!」

 ハサミが、二本。

 死が、二倍に。

 それを証明するように、化け物の攻撃の手数は二倍になり、凄まじい攻勢をやってのけた。

 「くっ……!」

 最もそれに晒されるのは、前線を支える久遠だ。

 何とか応戦を試みるも、倍になった斬撃に、次々と皮膚に赤い線が走る。

 そして、耐え切れずに久遠は後ろへと飛んだ。

 皆殺しを誓った獣のように、口裂け女が追走する。

 このままでは、久遠は嬲り殺され、剞鞨もその後を追い、俺らはいとも簡単に死骸を太陽に晒すだろう。

 だが、それを許す者は、この場には一人もいない。

 「掛け算はてめぇだけの専売特許じゃねぇぞ。掛け算なんてものは、この国じゃしょんべんくせぇガキの頃に、学ぶもんなんだよ」

 二倍の射撃音が、口裂け女を呑み込んだ。

 ソイツは予想していなかったのか、そのダメージに隙だらけの体躯を俺らに晒した。

 「おい、バジ!」

 これが、最後の合図。


 「これが場外ホームランのスイングだ。そのケツでじっくりと味わいな!」


 俺は、素早く駆けだし、口裂け女の臀部をバッドで思いっきりぶん殴った。

 この後、倒れてもいい。

 この後、意識が飛んでもいい。

 だから、俺に力を……!

 その願いが通じたのか、身体中に力が溢れ、俺はそのまま、バッドを振りぬいた。

 口裂け女が、派手に吹っ飛ぶ。

 そして。

 地面に倒れ込むと同時に、ソイツは地面の下へと消えた。

 「冬ぅぅぅぅぅ!」

 「任せろぉぉぉぉぉ!」

 冬冬狼が持ち出したのは、グラウンドを整備するためのローラー。

 冬冬狼は穴をめがけて走り、そして、そのまま穴を飛び越えた。

 ローラーは操縦者がいなくなっても慣性の法則で大地を進み、今度は重力に従って、穴へとその身体を投げ出した。

 「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 大地を揺るがす断末魔が響く。

 そして、大気を何かが駆け抜けたような、そんな衝撃が景色を揺らした。

 「終わった……か?」

 静寂が辺りを抱き込んだ後、冬冬狼が小さく呟いた。

 「あぁ、これでようやくハッピーエンドだ」

 その声の方を向くと、いつぞやのサムズアップを掲げて、剞鞨が嬉しそうに、笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る