第20話再会と決戦と作戦

 「さぁさぁさぁ! やってきました、やってきましたねぇ! 遂に遂に、このときがぁ! 見てろよ口ガッパァ開いちゃった包丁撫でまわし女しゃんよぉ!」

 「やれるだけのことはやったからな。何をやるだけやったかは置いといて」

 「刃獅々噛んでるよね? 出鼻早速くじかれてるよね? 旅立ちの日に土砂降りみたいになってるよね?」

 俺らは校門前に仁王立ちしている。

 太陽の光を存分に浴びて、身体のギアを上げつつ、心の中にはその熱を軽く凌駕するほどの闘志で溢れている。その熱量で沸騰しそうな心臓も熱され、鼓動が暴れる。鼓動の高鳴りが体を伝い、足に届き、大地を軋ませる。

 震度二ぐらいはあろうか。これは恐怖で震えているのではない。武者震いなのだ。

 俺らの目線の先には、俺らの旅路を見守るように、また激励するように家々が立ち並び、そして何より、俺らの輝かしい完璧な勝利が見えている。

 あの夜蹴橋へと続くこの道は、俺らのザ・ヴィクトリーロード――ネイティブ発音を心掛けた口元――なのだ。

 見よ、木々のざわめきが、小川のせせらぎが、空に踊る雲が、頬を撫でる鬱陶しく生ぬるい風が、夏の暑さを助長するようなやかましいグラウンドの激しい喧騒が、俺らを応援している。

 出来る限りの準備はした。

 相手を無力化するような策も練った。

 意味があるのかは分からんが、早朝に走り込んだ。

 授業をサボってアイスを食べた。

 授業をサボってカツ丼を食べた。

 授業をサボってプールに忍び込んだ。

 授業をサボってアイスを食べた。

 授業をサボってサッカーをした。

 授業をサボってアイスを食べた。

 やれるだけのことは、やり尽くした。

 人間とは、人事を尽くして天命を待つ際、武者震いでお腹が痛くなるのだろう。今、結構な質量を持った腹痛が俺の身体を暴れ回っている。

 「お前、めっちゃアイス食ってたよな」

 人間とは、人事を尽くして天命を待つ際、武者震いでお腹が痛くなるのである。

 「結構余裕のある一日を送ってたよね? 普通に笑ってたし」

 人間とは、人事を尽くして天命を待つ際、武者震いでお腹が痛くなるのである!

 「バジやトウロウがそんな調子で良かったぜ。時計の針が何週回ってもガタガタ震えてんなら、靴にエンジンでも乗っけなきゃならなかったぜ」

 「けっ、それで誰かさんの口の中にダイブってか?」

 「いや、刃獅々は少し震えてるけどね。何ちょっとカッコつけてんのよ」

 こんな軽口を叩きあってるが、今日、雌雄を決するのだ。死闘の果てに、生者を決めるのだ。天秤は傾く。意思とは関係なしに。

 女神は微笑む。夢や理想を無視して。

 最後に拳を掲げるのは、力の強い者。

 最後に笑うのは、相手を上回った方。

 じゃあ、今回勝つのは、俺らだ。

 「てめぇらは、凡人だ。戦車をひっくり返すことも出来なけりゃ、新幹線みてぇに速くも走れねぇ人間だ。都市伝説相手に啖呵を切ることは出来るが、正面切って殴り合ったところで次の瞬間にはバラバラになってるような、そんな脆いガキだ」

 剞鞨から笑顔が消える。

 大きな顔で夏を謳う太陽が、青空の切れ目の白に隠される。

 「だが、てめぇらはやるんだろ? 聖剣もなけりゃお札もねぇお前らは、それでも、人も殴ったことのねぇような手で中指立てんだろ?」

 ――化け物相手によ――

 覆い被された幕が上がったとき、ステージのライトは強く俺らを照らした。

 「あぁ、相手がどうとか知ったことか。俺らは、声が枯れようが喉が潰れようが、大声でスケルツォをアイツの前で歌い切ってやる。合いの手でアイツへのディスを盛大に飛ばしながらなぁ」

 「あったりめぇだ。こちとらビビらされた分の御代を、まだアイツに払っちゃいねぇ。ぶっ壊された俺らの哲学の破片で、アイツの脳天ぶん殴ってやる」

 「時代遅れの怪談話に付き合わされて、取りこぼした時間の価値は重いからね。その分アイツの足に括り付けて海に放り込んでやるわ」

 俺らは目を反らさない。

 真っ直ぐに、愚直なまでに、悲劇を喜劇に変えるように、演じ切る。

 「上等だ。てめぇらの九ミリでアイツの眉間ぶち抜いて来い。ただ、引き金を引くのを躊躇うなよ。そうなっちまったら最期、銃口はクルリとてめぇの方に向くことになるぜ」

 俺らは歩き出す。

 血風吹きすさぶ鉄火場へ。血で血を洗う修羅場へ。命のやり取りをする、戦場へ。

 そして、どうでもいいけど。

 剞鞨の口調にやや、俺らは毒されていた。



 「いや、遠くね? そういえばあそこまで遠くね? それまでにテンション下がらね? 締めた兜の緒が緩まね?」

 「あぁ、正直太陽に照らされ過ぎた、喉が渇いたからいったん戻ろう。このままじゃ戦う前に倒れる」

 「あ、カナブン飛んできた!」

 俺らの、脳内がらんどう行軍。

 緊張感も何もない。五月病患者に似た、ただの怠惰がそこにはあった。

 カナブンを追いかけ走り回る、一人を除いて。

 「一度、お前らはアイツに出逢ってる。なら、アイツのなわばりの近くに立ち寄りゃあ、あっちから見つけてくれるはずだ」

 剞鞨はそう話した。

 しかし、その道のりはやや遠く。

 今日は一段と熱いのか、コンクリートからは陽炎が行く手を阻むように立ち上る。

 正直もう、引き返そうかと思った。

 「今日は時期じゃないわー」

 そんなことを口ずさみながら、帰りたい。そう思わずにはいられなかった。


                  ●


 遥かなる道中、橋をようやく視界の端に捉え始めた、その瞬間。

 身体に纏わりついていた茹だるような暑さが、冷蔵庫に入れられたかのような冷気に変わった。体躯を押さえつけていた重力も、気圧のそれとは比べ物にならないぐらいに、肌を圧迫する。風景も心なしか、色褪せており、人の声が途絶えた。

 それを二人も察したのか、顔つきが真剣なものへと移り、警戒心を全身から発し始める。

 果たして、それらを裏付けるように、その声は鼓膜を叩いた。


 ――私、綺麗?――


 来やがった……!

 しかし、その出現した位置が、誤算も誤算だった。

 俺らの、背後。今来た道を背にするように、その女は立っている。

 俺らは身体が悲鳴を上げることも厭わずに、全力で振り返りつつ、強く大地を蹴りつけ距離を取った。

 「おいおい。こりゃー……、やべぇなぁ……」

 「ちっ、その可能性も考慮しとくんだった……!」

 立ち塞がるように、帰り道を封鎖する口裂け女。

 俺らの作戦は、その帰り道をじわじわと引き返しつつ相手を牽制し、その途中にある公園へとソイツを誘い込むことだった。しかし、ソイツがそこを塞ぐように立っているせいで、俺らの作戦は滞ってしまった。

 窮地だ。これは不味い。


 ――ねぇ、私、綺麗?――


 急かすように、焦らせるように再び、化け物は呟く。

 首をコマ送りのように、回転させながら。

 二度目の光景だとしても、慣れない。どこまでも、コイツは化け物だということを痛い程に伝えてくる。

 そして、今度のコイツは、我慢が長い方ではなかった。

 「私ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ、綺麗ぃぃぃぃぃいいいいいいいい!?」

 語尾を怒らせ、俺らに飛び掛かる。

 鬼気迫るその目だけで訴える怒気は、背筋どころか心臓まで凍り付きそうだ。

 「どうする!? バジ!」

 「とりあえずぶつけろ! 田んぼには入るな! 足を取られる!」

 俺らは事前に、硬球を幾つも用意した。

 硬球は、軟球と比べ物にならない程硬く、硬球という名前を体現するような威力を持つ。グローブを装着し、キャッチボールをするだけで手の平が悲鳴を上げる程だ。プロ野球において、たまにデッドボールを受けた打者が倒れ伏す場面を見ることがある。ヘルメットで頭を保護していても、それ程の衝撃を生むのだ。

 俺らはそれを背負っているバッグに山ほど詰め込んでおいた。

 これをぶつけつつ、どうにかして退路を確保する作戦をひねり出す。

 「うぉおらぁぁああ!」

 三人の声が共鳴し、三重の闘気と共に硬球が口裂け女の身体を襲う。

 「おらぁ! その場に座りこめぇ! この世から全速力で立ち去れぇい!」

 「おらぁ! 泣き叫べぇ! 神に縋って、聖なる力が身体に合わずに一瞬で成仏しろぉ!」

 「おらぁ! 怒り散らせぇ! そしてそのエネルギーを、作家活動とか他の分野で活かせぇ!」

 展開されたのは、俺らが弱者をいじめているような図だった。

 状況や立ち位置を知らなければ、これは警察沙汰の事件だ。

 口裂け女が最初の何球かを腹に受けて、ダメージを受け続けるとまずいと判断したのか、それともダメージは一切ないが、単純に鬱陶しいから反撃しようとしたのかは分からない。

 しかし、今日初めて、ソイツは自身の武器を解放した。

 世界を拒絶するような刃渡り、断末魔を詰め込んだような刀身に、あらゆるものを切り刻むという怨念を垂れ流す存在感。

 あの、人を殺した包丁だ。

 「怯むな! アレを出したってことは、攻撃が効いてるって証拠だ!」

 「でもこのまんまじゃジリ貧だぞ!」

 「疲れて走れなくなるかもよ!」

 しかし、投げ続けるしか今できることはない。

 俺らには、策を考える時間も、コイツを近づかせないための距離も、必要なのだ。

 策を練ろうと、脳に集中力を供給した瞬間。

 口裂け女が包丁を横薙ぎに、一閃。

 硬球が真っ二つに両断され、あらぬ方向へと、球形だったものが飛んで行った。

 残骸の散った様子を見て、俺らは一瞬、呼吸を忘れた。

 何度目の、“ヤバイ”だっただろう。

 だが、一番のそれが、俺らから湧いて出た。

 「うおおおおおおおおおお!」

 恐怖を掻き消すように、上から重ね塗りするように、俺らは大声を張り上げる。

 それは、虚勢だった。だが、止まらなかった。

 そうでもしなければ、俺らは押し潰されていたかもしれないから。

 しかし、恐怖の色とは、黒。真っ暗な、闇。

 どんな色を塗り重ねても、それは黒に帰結した。

 投げる。一閃。投げる。一閃。

 人智を超えて振られるその腕を追うように、鞭のように振り回されるその切っ先が、すべてを斬り落としていく。すべてを。悉くを。

 届かない。何もかも。気迫も、闘志も、受け付けない。

 虚しく、時間と武器だけが、削られていく。

 そして、削られるのはそれらだけではない。

 じりじりと、距離が削られてきている。一歩、また一歩と。愉しむかのように、進んでくる。

 このままじゃ、殺られる……。

 「おい! 俺が合図を出す! それと同時に空いてる方に掛け出せ!」

 俺はポケットから、特別に用意したボールを取り出す。

 秘蔵の虎の子。温め続けた秘密兵器だ。

 二人の準備を見計らって、俺は口裂け女の顔面めがけ、それを投げた。

 「今だ!」

 そのボールは大気に穴を穿ちながら、真っ直ぐにソイツに吸い込まれていった。

 ボールが、顔の目の前で、包丁に斬られる。

 しかし、そのボールは特別製だ。

 「ジャックポットだよ、馬鹿野郎」

 その瞬間、ボールの中身が飛び出した。

 内蔵されていたのは、大量に押し込まれていた「カロライナの死神」の異名を持つ唐辛子、キャロライナリーパーである。先端が鎌のように曲がっていることから、死神と名付けられたこれは、かの有名なデスソースの辛さを軽く上回る。

 それが、アイツの目に降りかかったのである。

 「ぎゃあああああああああああああああ!」

 化け物でも、お手本のような悲鳴を上げるんだな。

 せめて、これが効いてくれて良かったぜ。これが通じなかったら俺らは包丁の生贄。めでたく御陀仏掛ける三である。

 「流石バジだ、愚直なまでに汚ねぇ!」

 「うるせぇ! 命のやり取りだ、戦場に汚ねぇも何もねぇ!」

 「ほら、早く! 二人共!」

 俺らはソイツの横を駆け抜ける。

 だが、叫び過ぎて相手に位置を知らせてしまったのが、運の尽きだった。

 見えては、いなかったはずだ。

 俺らの、姿は。

 しかし、音源を頼りに、目に走っているであろう激痛を堪えて、ソイツは包丁を振った。

 それが、冬冬狼の腕を薙いだ。

 「冬!」

 俺と久遠の絶叫が、同時に俺らの足を止めた。

 舞う鮮血。

 腕から飛び散るそれが、俺の視界に激しく映った。

 世界が、スローモーションになる。

 眉間にしわを寄せ、口を一文字に結んで、冬冬狼は首を横に振った。

 「大丈夫だ、足を止めんな!」

 視界の回復が化け物特有の治癒力で凄まじく速いのか、口裂け女は片目を俺らに憎悪を籠めて、向けていた。

 「クッソ……!」

 俺は硬球がまだ数個入ったバッグをソイツに向けて振るう。

 「早く行けぇ! 久遠! 冬を頼むぞ!」

 「バジは!?」

 「すぐ行く!」

 死角から殴りつけるように振るったそれは、綺麗にソイツの顔面に直撃した。鈍く重い音が、場に響く。

 勢い余って身体に巻き付くように動きを制止させたそれを、再び、今度は腹部に向けて全力で振るう。死に物狂いだ。

 今はとにかく、あいつらを逃がす。

 遠く、遠くへ。

 しかし、それはソイツに届くことはなかった。

 振るわれたそれを、ソイツは簡単に左手で受け止め、俺の胸に、一閃。

 世界が、止まった。

 斬られた、という認識だけが先行し、遅れて、血と痛みが溢れる。

 赤熱した鉄を押し付けられたような痛みが、胸から迸り、脳内がぐちゃぐちゃに掻き回される。視界はチカチカと明滅を繰り返し、足元の感覚が朦朧となった。

 死ぬ。そう感じてしまった。

 そう、悟ってしまった。

 その時。

 「バジぃぃぃぃぃぃぃ! 倒れるんじゃねぇぇぇぇぇ!」

 「バジぃぃぃぃぃぃぃ! 今行くからぁぁぁぁぁ!」

 その声が微かに、鼓膜へと泳ぎ着いた。

 一瞬判断が付かなかったが、死にたくないという生存本能の一心で、口裂け女を視界に入れる。その愉悦に歪む顔を、一球のボールが、打ち抜いた。

 そこで初めて、あの二人が引き返してきたのだと理解できた。

 「っ……、馬鹿野郎がぁ……! 助けるなら、もっと早くしろやぁ……!」

 九死に一生を得た。ありがたかった。

 でも、このままやられるなら、せめて二人だけでも逃げて欲しいという思いがあった。

 「でも――」

 「早く走れ馬鹿! 生き残るんだろ!? ぶっ倒すんだろうが!」

 その冬冬狼の鬼気迫る叫び声が、想いが。

 俺の傷を見て、俺以上に苦痛に表情を歪める久遠が。

 俺から、諦めを奪った。

 「当たり前だ……! 行くぞぉぉぉぉぉぉぉ!」

 今度こそ、三人で俺らは駆けだした。

 冬冬狼は腕から、俺は胸から血を流してはいるが、死んではいない。

 まだ、生きてる。

 まだ、やれる。

 俺らは、負けちゃいない。

 冬冬狼と久遠は余ったボールを撒菱のように背後にばら撒き、口裂け女の追撃を阻害し、僅かにその足を遅らせる。

 そこが、悪状況の突破口だった。

 そこだけが、勝利という奇跡へと続く階段だった。

 走る。走る。走る。

 もっと速く。もっと迅く。疾く、疾く。

 死が、追ってくる。

 惨劇を生む怨念が、倒懸を呼ぶ憎悪が、災禍を構えた、死神が。

 「だぁぁぁちくしょう! 公園が来いよぉ!」

 「何笑ってんだぁぁぁぁ! 気でも狂ったかぁぁぁぁ!」

 「馬鹿野郎! 最後にもう一回笑うための、予行演習だぁぁぁぁ!」

 「そうだよ冬ちゃん! 勝利の女神に、笑いを誘うんだよぉぉぉぉ!」

 「じゃあ俺も笑ったらぁぁぁぁ!」

 でも、負ける気は一切、しない。

 こんな馬鹿共が、簡単に死ぬわけねぇだろ?

 追ってくるアイツが嗤うよりも、先に笑ってやるのさ。

 大声で。窮地にこそ。高らかに。



 笑うことが速度への起爆剤になったのか、俺らは何とか公園まで辿りついた。

 だが、ここがゴールじゃない。

 むしろ、ここから始まる。

 俺らの、反撃が。

 決死の、化け物に捧ぐ、人間ビックリショーだ。


                    ●


 「よし、投げろぉぉぉぉ!」

 「何か投げてばっかりだなぁ、おい!」

 「肩が筋肉達磨になっちゃうよぉ!」

 誰も、肩だけマッチョになっても達磨にはならないだろ、とはツッコめなかった。

 それだけ余裕がなかったとも言えるし、それだけ一心不乱だったとも言える。勢い的には後者だ。

 そして、口裂け女は再び包丁を目にもとまらぬ速さで振り始める。

 口裂け女は追いかけてくる最中、そのマスクを完全に取り払っていた。

 今では口の端々から血を撒き散らし、そこら中に血痕を振りまきながら、俺らを追い詰めようとする。

 その行為は、マスクをしたままでは走りづらかったからなのか、いよいよ本気で俺らを殺しに来たのかは定かでないが、ただでさえ心臓をわしづかみにするような威圧感であったのに、それが何倍にも跳ね上がっていた。

 だが、死ぬ気で立ち向かう俺らに、今更そんなことで尻込みするような腑抜けはいない。

 俺らの視線はしっかりと、アイツに突き刺さっていた。

 「おい、備蓄はそんなにねぇぞ! 徐々に行くぞ!」

 俺らはリュックに詰め込んだ分以外にも、硬球を公園に忍び込ませていた。しかし、やむを得ない事情、主に経済状況的な理由で、数はそんなに揃えてはいない。足の進みをやや鈍らせることしかできないのが現状だった。

 そして、俺らは徐々に後退し始める。公園の中心へと、アイツを牽制しながら。

 次の瞬間。

 口裂け女の姿が消えた。

 「今だぁぁぁぁ!」

 俺と冬冬狼は傍に置かれていた段ボールをひっくり返し、中からブツを取り出して、アイツが消えた位置へと走り込む。

 俺らは朝、ランニングの途中にここに寄って落とし穴を掘っていた。大作だ。成人女性の中でもかなりの伸長を持つ、口裂け女がすっぽりと埋まってしまうぐらいには。

 この気温の中、ここまでの作品を作り上げるのはかなりの重労働だった。途中で意識が朦朧として、穴を何故掘っているのか分からなくなるぐらいには。

 そうして、大量に抱えたブツを、俺らは穴の中へと放り込む。

 ちゃんと、アイツの顔に降り注ぐように。

 果たして、俺らの読み通り、ソイツは空を見ていた。

 落とされたことに気付いて、上を目指すために、上をまず見上げたのだろう。

 当然の反応だ。

 故に、俺らの掌の上だ。

 ソイツの頭上に降り注いだのは、キャロライナリーパーを超える辛さを持つ、ドラゴンの吐息の二つ名を持つ、ドラゴンブレスチリ。呼吸困難、皮膚炎症や手足の痙攣を起こす程の辛さを持つものだ。

 それを簡単に提供してくれるうちの姉と母親は何者なのだろう。

 調理すら完全なる防護策が必要と聞くこれを、どうすればボールなんかに詰められるのだろう。

 しかし、それをここでは強く問うまい。

 むしろ、触れればこの化け物級に辛いものに触れることを意味しそうだ。

 ともかく、これで、俺らの策は成った。

 ソイツの顔に、それが吸い込まれていく。

 ボールが二つに割れ、中身が飛び出す。

 それこそ、血のように。

 血のように真っ赤なそれが。

 それが、皮膚と出逢う。

 その、瞬間。

 大きな断末魔が辺りを引っ掻きまわし、そして遂に、その声は途絶えた。

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