第19話最後に笑うのは誰か

 「よぉ、ダボ助ども。また日が拝めることに感謝しながら飯食ったか? あんな見るに堪えねぇ笑顔を見た後は、診療所に通うことに必死になってんかと思いやぁ、いやぁ元気そうで何よりだぜ」

 現実に起こった不可思議極まるオカルト現象に、何一つ物理的法則の落としどころを付けられなかった俺たちは、暗闇からまた化け物のデカい口が見えるかもしれないという恐怖に少し怯えながらも解散した。

 あんなことがあったのに、夕焼けは驚く程きれいで、嫌になる程、日常はいつも通りだった。

 テレビ番組のレギュラー放送は何の変わりもなく始まり、食卓に変な食材が並ぶこともなかった。蛇口をひねればお湯も冷水も切り替え可能な綺麗な水が飛び出し、枕は低反発のくせに翌日俺の頭を離れて床に転がっている。反発してんじゃねぇよ。

 赤いレインコートは検索エンジンにでも語り掛けなければ見ることも出来なかったし、包丁は虚空から生み出されることはなかった。

 要は、口裂け女は俺の前に現れることはなかったのだ。

 もしかしたら、俺の言葉の節々に感銘を受けて、思考を洗練しているのかもしれない。そうなってくれれば御の字である。俺は晴れて大恩人、これ以上の被害者が生まれることはない。

 俺の家族の鳴りやまない喧騒は、俺を日常にあっという間に引き戻し、夜は眠れないかもしれないという危惧を一瞬のうちに宇宙の彼方へとぶっ飛ばした。口裂け女との邂逅という、心身に与えるストレスが最高潮の事件のおかげで疲労感は言うまでもなかったが、それ以上に姉と母親が何故かエンジン全開だった。

 あの暴れっぷりは、俺の家が物理的形質変化を催す程の威力があったと思わずにはいられない。屋根とか隣の県まで飛んで行くかと思った。

 そうなった場合、屋根と一緒に飛んで行ってほしい。いったん大気圏まで上昇し、その後落下するような弾道ミサイルさながらの挙動を取れば、少しは頭も冷えるだろう。

 “少しは”というところに、俺の姉と母親に対する負の信頼が窺える。

 しかし、そうなってくると落下の衝撃と、天災級の人災の到来によって、隣の県民が涙を流す羽目になるところが、今日の世知辛いポイントだ。結局、俺らが涙を飲むしかない。人の幸福とは、誰かの不幸の上に成り立っているのだと、一つの真理に至る。

 そして、今日。

 その事件の、まさに翌日である。

 「おうおうおうおう、何てものに誘い込んでくれたんだよ、おめぇはよぉ。マジで死ぬかと思ったぜ、マジで、死ぬかと思ったぜぇ! どう落とし前付けてくれんだよぉ、おぉ?」

 眩しい笑顔で生きていることの祝福をしてくれる剞鞨。しかし、その祝福には何か裏を感じざるにはいられない。

 確かに、俺らは自ら退路を断ち切った。

 しかし、こう問い質したくなるのも分かるだろう。

 説明もなしに、あんな修羅場に巻き込まれたのだ。いくら説明途中だとはいえ、頭で理解はできても、心は感情を叫んでいる。

 「まぁまぁ、落ち着けよ刃獅々の旦那ぁ。あたしもあんたも、誰も怪我一つなかったんだ。まずはジョッキをぶつけあうことが大事だろ、ブラザー」

 肩にポンポンと手を乗せて、俺をなだめすかす剞鞨。

 俺じゃなかったらここで喧嘩沙汰だ。俺の心の広さ、器の大きさに感謝して咽び泣くがいい。俺という存在に感謝して、これからは俺の居る方向に、四時間ごとに一礼するがいい。

 「つーかよぉ、剞鞨。お前、昨日どこ行ってたんだ? 逃げてる途中に気付いたんだが、お前、いなくなってただろ。連絡が返ってきたから大丈夫だとは思ったが、何もなかったのか?」

 冬冬狼が問いかける。

 こういう気配りが良いんだよと奈璃に言われたことがあるが、「上辺でなく本心を投げ合うのが友達だと思っているのだ」と返したら、笑いながら、君はそういう人だったねと何故か納得していた。

 「あぁ、血圧、血糖値、心拍数何一つ問題ない、オールオッケーだ。別の方向にとんずらこいただけさ。現に、あの化け物はお前らのケツを追っかけて行ったしな」

 そう、あのとき急に剞鞨は消えてしまっていたのだ。

 逃げることに必死で、周りを見渡すことに注力していなかったから気付かなかった。

 ただ、無事で何よりだ。

 「ところで、話の続きは聞かせてくれるんだよな?」

 もちろんだぜ、と剞鞨は笑う。

 場所は『Youが望む鬱牢が先の光芒』の部室。

 今日は珍しく響さんと颶風さんの二人は部室に居らず、俺と冬冬狼と久遠はここで剞鞨の到着を待っていた。

 剞鞨の話が始まる瞬間の、俺らが彼女の言葉を待つ時間、クーラーの音だけがやけに大きく響いた。

 「昨日も言ったように、アイツは都市伝説だ。具体的には――」

 分かるよな? と俺らに向ける視線に、俺らは頷きを返す。

 「お偉い様方が論文に記載するような理論的な説明はねぇ。敬虔なクリスチャンが諸手を挙げて肯定するような神々の御業もねぇ。ただ、そいつらは実在するのさ。ここに、そこに、あそこに」

 証明道具はない。証明理論もない。ただ、存在するから実在するのだと。

 最も簡単で、最も反論のできない説明だった。

 シンプルが故に、重かった。

 「ソイツ等はたまに人間に干渉する。食べるため、殺すため……、目的は様々だ。だが、人間側にとっちゃあたまったもんじゃねぇ。捕まえることも出来なければ、逃げることも出来ない、もちろん退治することも出来ないとなりゃあ、泣き寝入りだ。ただのワンサイドゲームだ、賭け事にもなりゃしねぇ」

 それが、今回起こった事件。

 人外の、人間界への干渉。

 一方的な、虐殺。

 「だがな、人間はそれが我慢ならなかった。自分のガキや兄弟が殺されるのが許せなかった。だから、何とかしてソイツ等を殺そうとした。怒りもある、技術もある、誰もが賛同してくれる。欠けていたものは、化け物共の情報だけだった」

 未知への侵攻。

 人間の、外部からの干渉への反抗。

 悲劇を英雄譚に変えるための、人類の誓い。

 「話は簡単じゃなかった。当たり前だ、相手は神出鬼没で埒外の能力がある。足取りすらも掴めずに、犠牲者の数字だけが増えていった」

 打倒とは、言わずもがな困難を極める。

 想いだけでは、足りないのだ。

 力と時間とを食べさせ続けて初めて、それは叶う。

 正義を名乗るだけでは意味がない。伴うものがあってこそである。

 「そんな中、その化け物共に対抗できる奴らが見つかった。その連中は、都市伝説の化け物共が使う力と同等以上のそれを持ち合わせていた。まさに、救世主だ。人類はようやく、都市伝説という劇物を克服できるんだからな」

 救い。

 奇跡。

 血反吐を吐き続けた祈りが、悲嘆の涙に塗れた抵抗が、遂に姿を成したのだ。

 「そうして、まぁ諸々は省くが、人間の悲劇は去った。少しの間だけな」

 平和とは、悲劇と悲劇の間に窮屈そうに座り込む、束の間の時間だ。

 恒久的な平和などないと、剞鞨の話は告げる。

 「人間の歴史が積み上がるにつれて、人間の悲しみってのは世の中に溢れて混ざる。それがまた新たな都市伝説を生むのさ」

 「そうして生まれたのが、今回の口裂け女……ってことか」

 御名答、と剞鞨は笑う。


 「何で、この話を俺らにするんだ?」


 冬冬狼がそう零した。

 それが聞きたかったというように、剞鞨は笑みを深める。

 そして、この言葉が、俺らの分岐点。

 俺らは、これを引き金に、彼方の世界に足を本格的に踏み入れることになる。


 「だから言ったじゃねぇか。打倒するべき都市伝説に対抗する力を持った奴らが、見つかったってなぁ」


 もう分かっているだろうと言わんばかりの、ギラギラとした視線。

 それが、俺らを射抜いていた。

 「まさか、それが……」

 「そう、お前らだ。お前らが、あの化け物をこの世界から追い出すんだよ。さぁ、愉快痛快な妖怪退治ならぬ、都市伝説退治としゃれこもうじゃねぇか。へっぴり腰だけは晒してくれるなよ。火薬と場が湿気っちまって笑い話にもならねぇぜ、ブラザー」

 口裂け女の笑顔が、脳裏にちらついた気がした。


                   ●


 「何で俺らがそうだって分かるんだよ。俺らは別に特別な力なんて持ってないし、家系が代々陰陽師だったってこともないぞ」

 「簡単な話だ。てめぇらはあの包丁が見えた、それだけだ」

 さも興味がないように、剞鞨は言う。

 「おいおいおい! もっとなんかないのかよ! 血液検査でとんでもないスピードで分裂を繰り返す血小板が見つかったとか、何気なく書いたポエムが呪文になってたとか、幅跳びで三十メートル飛んだとか」

 「流石に三十メートル飛んだら自覚あるだろ」

 「あの痛いポエムを正当化しちゃ駄目だよ」

 「おう、何もねぇ。てめぇが使ってる文房具に聖なる力が宿ってるわけでもねぇし、てめぇが発する奇声に化け物が嫌がる周波があるわけでもねぇ。ただ単にお前は滑ってるだけだ」

 「後半悪口じゃない? え、何か波動とか飛ばせないかな、剞鞨までの距離でいいから」

 どうやら、本当に理由はそれだけらしい。

 確かに、俺らはスポーツで何か目玉が飛び出す程の成績を残したわけでも、学問において腰が砕け散る程の発見をしたわけでもない。

 でも、何かあっても良かったと思う。

 こういうのって、少年漫画とかじゃ自分の中に眠る力を自覚するシーンじゃん。

 その力を駆使して敵と戦い、ライバルや新しく出来た師匠とかと修行しながら、時にはヒロインと恋に落ちたりしながら最後には幸せの大団円、みたいな感じじゃん。

 何でそのパターンがないんだよ。ちくしょう。

 「ま、何はともあれ、お前らの力はあいつに通じるんだ。じゃ、さくっとアイツ倒して来い」

 「え、この子馬鹿なの? 頭沸いてんの?」

 「今回ばかりは、バジに賛同する。よし、じゃあ行ってくるわ! で倒せるわけないよな、普通に考えて」

 剞鞨は、救い難い馬鹿だった。救い難いというか、救えない馬鹿だった。

 あいつの周りだけクーラーの冷気が避けて通らねぇかな。別に当たり付きじゃないアイスとかにも全部“ハズレ”って書いてあるパターンもいいな。とにかく不幸が起きろ。

 「じゃあ聞くが、例えば俺らがバットを振り回したとして、アイツに効果はあるのか?」

 そういうことだ。

 別に俺らに特別な力なんてものは無いとするならば、それは現実にある物で何とかしなくてはならないということに他ならない。

 日本に重火器を学生が持っていいという規則はない。であるとするならば必然、学生が持ち歩ける武器はせいぜい、そのぐらいに絞られてくる。

 しかし、それでは全く勝てるイメージが湧かない。

 アイツにバットを振り回したところで所詮、バット自体をあの包丁でスパスパ細切れにされて終わりな気がする。何より、その距離まで近づくのがとんでもなく怖い。

 更にだ。俺らにはその手の経験がない。

 少なくとも、俺は姉や母親以外と拳を交えたことなどないし、冬冬狼にもその印象はまるでない。人は見かけによらないとは言うが、口裂け女は見かけ通りに化け物だ。

 喧嘩経験があったところで、太刀打ちできるという望みはかなり薄い。

 結局は、素人が武器を振り回したところで、あんな殺人慣れしてるような玄人には足元にも及ばないということなのだ。

 「おう、効くんじゃねぇか?」

 しかも、戦わせようとする知識人がこれだ。

 素直に言えば、一番情報を持っている奴が馬鹿なのだ。

 もうこれ負け戦一直線だろ。

 死に猛突進してるだろ、これ。

 「え、マジで何もないの? マジで丸腰スタート? もうあれだよ、十分に時は満ちたよ。もう『はい、実は――』っていうパターンがあっても大丈夫だよ?」

 俺の必死の問いかけに剞鞨は渾身の笑顔と、親指を立てた完璧なグッドポーズを繰り出して言った。

 「おう、ちゃんと何もねぇ!」


                  ●


 「バットぶんぶん作戦か……? それとも硬球をひたすら投げ続けるか……?」

 「車で突っ込むとかどうだろう。俺らの身も守れる」

 馬鹿に対して文句や恨み言を矢継ぎ早に射撃しても、状況は好転しない。

 しかし、本当に俺らはあの口裂け女を早々に打倒しなくてはならないのだ。

 アイツに俺や冬冬狼、久遠は姿を見られている。故に、アイツが俺らを探している可能性もある。一度、撃退した過去があったとしてももう一度同じ手で撃退できるとは限らない。

 しかも、それが原因で俺らに恨みを持って、躍起になって探しているとかだったら最悪だ。殺人鬼の恨みを買うとか、命がいくらあっても足りない。何なんマジアイツ。むかつくわー。

 それらのとどめに、俺らは何故アイツが断末魔を上げて逃げていったのかが分かっていない。

 何から何まで、不可解な奴だ。

 笑顔で「ちゃんと何もねぇ!」とサムズアップされてしまっては、俺らも諦めざるを得なかった。

 あの事実の突き付け方には、グーの応酬をしても法律上問題ないとは思うが、まぁまぁまぁまぁ、俺らは大人だ。何も力や能力がないのは剞鞨のせいではないし、誰かが討伐してくれるのを暗闇に怯えて待つのも最善手とは言い難い。

 不幸中の幸いと言ってはなんだが、せめてもの勝ち目。相手は一人だ。

 久遠と剞鞨はこんな感じだが、納得は出来ないが生物分類上は雌なのだから、一応、矢面に立つのは俺と冬冬狼だろう。

 こちらには男子高校生が二人いるのだ。

 恐らく口裂け女は成人女性だろう。

 相手に奇天烈な能力がない限り、勝てない戦ではない。という洗脳を自身に行った。

 「よし、勝利のビジョンが見えた」

 「よし、それで行こう」

 「え、具体的に刃獅々の作戦聞かないで行くの?」

 「あぁ、こういうときのこいつは、安心できる――」

 徹底的にアウトローで汚いからな、そう冬冬狼は嫌みたらしく笑う。

 俺も笑う。

 そして、その笑顔を見て、久遠と剞鞨は引いている。

 「笑顔の下手な悪魔か何かに乗り移られたのかと思ったぜ」とは、剞鞨の言葉である。



 「んで、何をすりゃいいんだ」

 「あぁ、準備に特別なことはしねぇ。ただ、ちょいと金と時間が必要なだけだ」

 「まぁ、生きるためなら安いもんだろ」

 「そうだな、海上からの一斉射撃で塵にしてやる」

 「全然安くねぇじゃねぇか。国動かす権力どこから持ってきてんだよ」

 「しょうがねぇな、空中からにするよ」

 「変わってねぇよ、本質が微動だにしてねぇよ。動かざること国土の如しだよ」

 「落ち着け、俺らがまず目指すことはタイムマシンを完成させることだ」

 「出来るか。備え付けの椅子すら完成しねぇよ」

 「いや、アイツを次元の狭間に置いてくる」

 「話聞いてねーな、こいつ。誰もタイムマシンの用途聞いてねーんだよ。人の回答待ち伏せして空振りすんなよ。しかもやり方エグいな」

 「銃さえ手に入ればなぁ……」

 「手に入ったところで使いこなせねぇだろ」

 「知恵袋で聞けば一発だろ、すぐにプロの口裂け女ハンターだ」

 「そんな役職があるのかは置いといて……、今の時代ってスゲーな」

 「ああ、今となっては情報は普遍的で、地理的制約を受けねぇからな。あらゆる世界の出来事が、目の前に横たわっているのと一緒だ。俺らはすべからく何のフィルターを通さずに情報を収集できるようになり――」

 「何かすげぇ余計に喋るな、お前。さては作戦なんてものは……」

 「任せろ、決戦の日まで筋トレは欠かさねぇ」

 「もうお前、囮な」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る