第15話平和と苦悩とポーズ

 「違う違う! そうじゃない! あー、全然違う、全く以て違う! あぁー、何でできねぇのかなぁ! 俺がこんなにも言ってんのによぉ!」

 「できねーよ! 何なんだよさっきからよぉ! 何で俺もこんなのに付き合ってんだよ!」

 「こう……、こうじゃない!? ほら、見て、見て! こう! こう!」

 「ちげーよ! 欠片も合致してねぇよ! 何かもう怖いわ! お前の自由度が怖いわ! お前はもう、この世の拘束系の物理法則にがんじがらめにされろ! そんなんあるか知らんけど! とりあえずあれだ! 重力8倍ぐらいになれ!」

 「あぁ……、もうじれったい! だから――」



 ある日の昼下がり。

 ではなく、時は移って放課後の時間。

 今日も今日とて部活動に励んでいる、学生の鑑のような勤勉たる俺らである。

 夏を、想像していただきたい。

 頭が沸騰するような暑さ、具体的には脳のタンパク質が熱による変性で、本来の立体構造を保てなくなり、機能を完全に喪失するような暑さ。景色の森羅万象が日差しを強く反射し、具体的には日差しの強さを十とすると、六ぐらいは跳ね返しているんじゃないかと思われる程である。

 具体的な説明を心掛けると、語彙力、及び理論的思考が身に付くと昨日のテレビでやっていたが、いざ実践してみるとかなり鬱陶しい語り口調になるな。

 いや、俺のやり方が悪いのだろうか。いいや、やはり夏の暑さが悪いのだ。

 続きになるが、日差しの照り返しが網膜を焼き、眼球に著しいダメージを与えるとともに、ただでさえ頭上から猛暑が降ってくるというのに、その照り返しのせいで地面や家の壁などからも熱がこの身を焦がしに襲い来る。

 まさに、前門の虎後門の狼。四面楚歌。俺らは暑さという怨敵に包囲されている。これは身内の人質を取られるまでもなく、白旗を挙げてしまうというものだ。……その白旗も日差しをよく反射しやがる。

 そもそも、家の壁とかも簡単に反射すんなよな。何してんねん。

 いや、分かるよ。何で俺らが住民の代わりに、無償で盾にならなあかんねんって気持ちは。「いや、建ててあげたのは俺らだろ」っていう意見にも、「いや勝手に作って、勝手に使命与えんなや」っていう反論があるのも分かる。

 でも、こっちに反射させんなや。俺はそもそもお前を建てとらん。

 そもそも共通の敵ちゃうんかい。太陽とかいう奴は。

 何で敵増やしてんねん。

 という文句を垂れながらの登校。

 そして、物理的な熱の次は、知恵熱が襲い来る。

 夏は「暑いー、アイス食べたいー」しかしゃべられなくなるということを知っての狼藉なのだろうか。英語の例文を読ませたり、穴埋め問題を答えさせたり。

 何が「今日は7月だからー……、13番の酒美鳥!」やねん、その思考過程黒板に示せや。何その後笑っとんねん。「変化球だ、変化球。わっはっは」とか暑さにやられとんのか。お前を変化球で校庭に放り込むぞ。

 夏は「暑いー、プールに入りたいー」しか書けなくなるということを知っての狼藉なのだろうか。数学の公式を使って問題を解かせたり、化学反応式を覚えさせられたり。

 何が「今日は7月だからー……、13番の酒美鳥!」やねん、それはお約束なんか、それは公式なんか。何その後笑っとんねん。「驚いただろう。わっはっは」とかこちとら変化球投げられた後やぞ。グローブ完全に構えとるいうとんねん。驚いて黙ったんじゃない、これはただの冷静な対処や。

 夏は「暑いー、クーラーで気温ガンガン冷やして、あえて毛布被って寝たいー」しか考えられなくなるということを知っての狼藉なのだろうか。登場人物の気持ちを考えさせたり、歴史的事実の裏側の出来事や民衆の動きを読み取らせたり。

 何が「今日は7月だからー……、7番の滓風(おりかぜ)!」やねん、笑いが分かってないんか。そこは俺やろがい。滓風も当然の帰着なのに、呆然としとったぞ。三度目の正直はいらんねん。「何驚いているんだ。別に何も、おかしくないだろう?」だからや。だから逆に驚いてんねん。おかしくないのは、そのパターンや。

 そんなこんなの知恵熱あり、何か変な熱ありの授業時間。

 こんな気疲れもすれば、人間、寝ちゃうよね。

 いやいや、勘違いしないで欲しい。何も俺が不真面目でやる気のない怠惰な馬鹿野郎というわけでは断じてない。

 そもそも、人間とは張り詰めすぎては糸が切れて、重篤な病などを発症してしまう生き物なのだ。ストレスというものを溜め込みすぎると、重大な怪我などを負ってしまう動物なのだ。

 それを事前に避けるための、多角的論理思考と、本有的安全思想。生命のリスクを極限まで減らすための、壊滅的鎮圧と、積極的攻勢。むしろ脳のパフォーマンスを最大限に維持するための、根源的対処法と、啓蒙的創造案。

 身体が救難信号を発したら休む、ということも出来ないような世の中では、その先に待つのは破滅だけだ。そう、俺のこの姿勢は現代へのアンチテーゼなのである。

十全に、思考を育てるという教育の成果が表れていることであろう。そう、これはもはや教師への世界の称賛、教師は感涙を流しても構わないという賛美の形なのだ。

 こうしてあなたの教育で、また一つ、世界は良い方向へ向かったという、引いては人類の存亡へとプラスの要素を足したといっても過言ではない。

 故に、俺を起こすでない。

 暴論でも極論でもない。こっちは眠りたいだけなのだ。

 


 さて、そうして俺は授業中に睡眠という、抗い難き現状を打開するための普遍的解決策を講じたわけだ。

 果報は寝て待て。人事を尽くして天命を待つ。

 寝耳に水で棚から牡丹餅で嬉しさ爆発。

 そんな感じの面持ちで夢の世界へとダイブした。

 しかし、何という行幸。その際に見た夢が非常に愉快痛快で、とても面白かったのだ。

 教師に起こされ、授業へと復帰させられた時にも、その記憶は鮮明にあったのだと思う。何故なら、その目が覚めた頭脳をもって、夢の続きを描いていたような気がするからだ。

 とにかく、夢が素晴らしかったということだけ、ここでは記しておきたい。

 そこで俺は、この楽しさを俺だけが占有していいものかと、ふと立ち止まった。

 急に、この夢の内容を知らない、教室を行き交うクラスメイトやその他学生が、教師陣や用務員の方たちが、可哀想に思えてきたのだ。

 いや、実際に可哀想なのだ。憐憫を極めていると言っても過言ではない。

 この人たちは、この夢の物語を知らずに死んでいくのかと想像すると、涙が止まらなかった。心で泣いた。表情で泣いた。

 そうして俺は思い至ったのだ。これを共有してみんなと一緒に、笑顔の大輪を咲かせようじゃないかと。幸せとは、笑顔を分かち合うものなのだと。

 しかし。

 ローマ法王からの聖人判定待ったなしの思想をもって、いざみんなにそれを話そうとすると、とんと夢の内容が霧に覆われてしまったのだ。

 人物の動きや舞台のセットは、ぼんやりと分かる。しかし、時間を追うにつれて霧は濃くなっていき、仕舞いには、登場人物の声までもが遠ざかって行ってしまった。何度呼びかけても、反応はなかったのである。

 これでは、俺が聖人に成れない!

 この時点で思考が利己的なもの一色に染められていることも理解できない程に、俺はそれを思い出すことに没頭した。

 この際、多少は脚色や実際にはなかったシーンを付け加えてもいい。そう思っての作業であったが、自分で必死に薄い跡をなぞるように物語を書き起こしてみても、これが全く面白くないのである。微塵も。

 やはり、コピーはオリジナルには勝てないのかという、ある種この世の心理に到達してしまった俺だが、諦めるにはまだ早いと、俺の中で何かが弾けた。

 少年漫画さながらの闘志で、俺は次の授業でも再び夢の中へ旅立つことを決意した。

 夢の話が思い出せないなら、その夢を想って、もう一度会いに行けばいいじゃない。

 金言の誕生である。

 それと同時に、歴史的瞬間へ立ち会うことの香りがしてきた。

 何故なら、世界中が笑顔になるための第一歩だからである。

 しかも、この一歩はとてつもなく大きい。

 それは、世界中から悲しみを浄化し、世界が一つに成るという意味でもあるし、それだけの物語が激動の世界情勢を呈す昨今に産まれるといった、平和のために血のにじむ努力を重ねてきた先祖様たちが手をたたいて喜ぶような過去も内包しているからに他ならない。

 始めの一歩は、その道の半ばである。踏み出した力で、どこまでも行ける。

 そんな使命を背負って、人類の和平を願って、俺は寝るのだ。

 故に、俺を起こすでない。

 これは、人類の悲願達成のための戦いなのだ。云わば聖戦。生存を、不朽の幸せを、それぞれの手に掴み取るための、この上なく意味のある戦なのだから。



 果たして、夢の続きは見ることは叶わなかった。

 こうして、人類の恒久的平和はまた、未来へ先延ばしと相成ったわけである。

 しかし、収穫が全くなかったわけではない。

 夢の続きこそ見ることはなかったが、「あれ、これには見覚えがあるぞ……」と既視感を覚えるシーンが多々見られたのだ。

 つまりこれは、偶然によって得られたもので大事を成そうとするのではなく、自分の手で創り上げてからこその平和というわけではなかろうか。偶然によって生み出すのではなく、必然を持って創り出しなさい、と。

 それが過去の過ちへ贖罪であり、未来への確固たる財産になるであろうということなのだ。

 偶然という薄氷の上で作られた砂上の楼閣では、誰も心から笑えはしないだろう。

だから俺は、俺の手で、人類の手で、夢なんかの天啓に頼り切りにならずに、平和を作り上げるのだ――


                    ●


 故の、これである。

 夢の中で、登場人物が特徴的なポーズをしていたことが、まず頭の中に浮かび上がった。

 やはり、物事は順序良く土台から創り上げねばならない。

 千里の道も一歩より。ローマは一日にして成らず。ここから始まり、このポーズは終盤でも活かされるはずだ。

 それに、このポーズの完成をきっかけに、怒涛にアイデアが湯水のように湧き出るかもしれない。いや、そのはずである。このポーズには、それだけの力がある。

 まだ見ぬポーズに、俺は絶大な信頼を寄せに寄せていた。

 しかし、ぼんやりとイメージがあるだけで、まだその明瞭な勇ましい立ち姿を俺の前に表してはくれていない。

 それを手に取るように観察するために、こうして冬冬狼と久遠に協力してもらっていたわけである。

 二人には、俺が指示するポーズを全力で取ってもらい、時にはオリジナリティを要求し、イメージをより鮮明なものに、ポーズをより洗練なものへと昇華しようと俺は試みていた。

 だが、蓋を開けてみればこの有様なわけで。

 「ちゃう! もう全然ちゃう! 何だよお前、さっき俺の考えジャックしたとか大口叩いてたじゃねーか!」

 「ジャック先がノイズ塗れだったんだからしょうがねぇだろうが! お前自身も考えまとまってねぇじゃねぇか!」

 「じゃあ、こうは!? ここを……、こう!」

 「お前のポーズはどうなってんだよ! そろそろ内臓の位置とか入れ替わるんじゃねぇの!?」

 何度言っても通じないし、馬鹿はもうホモサピエンスというカテゴリから外れてきてるし。

 悉く全く違うポーズを取るぼんくらと、人外ではどうしようもない。

 ここは一つ、真っ当な人間に頼み込むしかない。

 「ちょっと、響さんお願いしますよ!」

 「例え、砂漠で何も持たずに迷子になっても絶対にやらん」

 「頼みますよ、この通り!」

 「ダイヤモンドよりも固い決意だ……」

 「何が響先輩をそこまでさせるの……!」

 俺はとりあえず思い付いた直近のポーズである、股の下から顔をのぞかせて、背中に二つピースを乗っけるポーズを繰り出す。

 冬冬狼は響さんの意思の固さを比喩しながら、背中を向け、右手は股の下に向かってピースを、そして左手は振り返っている顔を覆うようにして開かれているポーズを晒している。

 久遠は驚愕を口にしながら、両眼を交差した腕で覆い隠し、左足を天井へ向けて開いているポーズを威風堂々と。

 それぞれが、全力だった。

 そして、それぞれが、作品であった。

 「ええい、視界が鬱陶しい! この通りの姿勢に一切下手に出る感じがしないし、何がさせるのって、この惨状を見れば分かるだろう!」

 指で俺らを指し示し、そう言ってのける響さんの表情には、言葉と一切の相違なく、拒絶の意思を感じ取ることが出来た。

 そして、このポーズで固まること数秒。

 俺に電撃が走った。

 生ぬるい電流がちょろっと肌を撫でた、なんてものでは決してない。もっと大きな電圧が、文字通り雷の直撃のような衝撃が、俺の五臓六腑を駆け抜け、脳の奥底に豁然とした痺れをもたらしたのである。

 「これだ!」

 そう、この感覚。この視野に広がる風景。身体にかかる適度な疲労感。脳に血が上る、酩酊に似た状況。

 間違いない。

 あの夢に見た、完成を夢にまで見た、平和のポーズである。

 世界を逆様に見るという、所謂逆転の発想。そして視界に堂々とそびえ立つ二本の足。極めつけは、視界にはなくとも、背中という水平線に屹然と構える二つのピースサイン。

 現代に蔓延る利己主義や他人を蹴落とす概念、殺伐とした競争理念や不正や偽りの跋扈する世界を逆転し、人のため世のためと慈しむ精神、上を見て発起し後継者を引き上げるサイクル、より良い着点を探すために論議を重ねるという高め合い、誠実と真の清らかな背景にしようという全体像。

 二本の足には、どこまでもそれらを貫き、また、どこまでも発展や幸せが伸びていって欲しいという願いが込められている。

 二つのピースサインは、もちろん一つは世界の恒久的かつ普遍的平和を、そしてもう一つは外面だけでなく、内面の、人間一人一人の心の平和である。そこには、地球自体の環境を慮る自然への愛も含まれる。自らを育んでくれた自然を、自らを包み込んでくれる森羅万象を愛してこその心の平和である。

 そう、それらをすべて余すところなく内包し、平和を謳うポーズが、そこにはあった。

 というか、俺自体がそうなっていた。

 「これだよ、これ! 見ろ、これが平和を呼ぶ、全人類への祝福の鐘だ! これさえあれば、宇宙進出だって、未来や過去への旅行だって可能になるぞ!」

 「おお、もう段々平和から話がSFにシフトチェンジしているが、それか! 何かピースしろ、ピースしろってしつこかったのはそういうことか!」

 「ねぇ、そのポーズ取れば願い事が叶うって本当?」

 久遠はもう、数分前の発言を馬と鹿の群れによって彼方へと押し込み、自分の都合のいいように話しを作り変えていた。そんな利己的な欲を追い求める俗物では、このポーズに宿る神聖な力は受け取れまい。

 ある意味で人間的な発想ではあるが、しかし、社会を想う思想の前では等しく愚かである。

 だから、このポーズを真似したところでお前に意味はない。

 そのまま外に飛び出してエクソシストに浄化されてしまえ。

 度々登場してくださるエクソシストの方々にしっかりとお礼を言いつつ、俺は通常の姿勢に戻る。

 「俺、世界変えてくるわ」

 「待てよ、そのポーズを知るのは、お前だけじゃないだろ?」

 「それに、平和はみんなで創り上げるものじゃない」

 お前ら……。

 俺には、最高の仲間がいる。最高のポーズがある。

 平和はもう、目の前だ。

 世界中の笑顔が浮かぶ。世界中の笑い声が聞こえる。中には、嬉し涙を流す人もいる。

 しかし、平和は訪れても、貧困などの問題は簡単には解決はしない。ミサイルやテロの恐怖が去っても、荒れ地は依然としてそこにあるのだ。

 だが、俺らには仲間がいる。そして、手を取り合った世界がある。

 人間は今、一つになるんだ。

 人間は――

 「お前ら、今日はもう帰っていいぞ」

 寒さを訴えた肌は、明らかに響さんに怯えていた。

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