第13話あいつのあの後とこいつ
あの後、須藤は俺らの前を歩き、一度も振り返ることはなかった。
ただ、「今日は僕の頼みを聞いてくれて本当にありがとう」と、震える声が俺らに向けられていた。「僕は、刃獅々君たちにも、最大限の感謝をし尽くさないといけない」と。
時折、何かをこらえるように上を仰ぐ須藤に、強く熱い日差しが差し込んだ。それはまるで祝福のようであったし、同時に、激励の温度でもあった。
廊下を歩き響く足音は、旅路を歩き始めた彼の真の足音なのだろう。
廊下を包む喧騒を、世間の声や、彼を嗤う音だと取ろう。
きっと彼には意味がない。それでは彼の歩みは止まることはない。
須藤には、須藤のために歌われた歌が、響いているから。
立ち止まらなくていい。振り返らなくていい。
俺らはただ、お前を応援する。
「今日は本当に、ありがとう」と別れた背中に、そう思った。
その後日、須藤から決意を聞いた。
「僕は必ず、歌手になってみせる」と。
辛いときや、塞ぎ込んだとき、流れてきた音楽に励まされたこと。ライブを観に行った時の高揚感が、その時の熱が、いつまでも離れなかったこと。季節を歌った歌に、風景の美しさを教えてもらったこと。
須藤は、「僕の世界は、音楽によって描かれているんだ」と話した。
だからこそ自分も誰かに、感動を伝えたいのだと、美しさを伝えたい。
それが届かずとも、誰かのために、何かを歌いたいのだと。
受け取ってくれずとも、寄り添える距離まで泳いでいく、そんな歌を歌いたいのだと。
きっと須藤には、これから苦難のときもあるだろう。雨に打たれる日もあるのだろう。
でも、きっと大丈夫だと、そのときの表情を見て思った。
今日、この日。
今日も気温は暑く、日は眩しい。
●
「でも、何で須藤が迷っているって分かったんだ?」
「ふふっ、君はもう少し依頼人に対して、寄り添ってあげることが大事だと思うよ」
「そんなヒント散りばめられてたか? そんな感じのことは言ってなかったと思うが……」
「冗談だよ。僕の友達に、須藤君の知人がいただけさ。彼は昔からそういうものにかなり憧れてて、ずっと夢見てたらしいんだ。でも、どこかで自分を見限って、その道を諦めてしまったらしいんだ」
「でも、離れることはできなかった、と」
「そういうことだね。そして、それで開いてしまった穴を他のもので埋めようとしたんじゃないかな。彼の場合は人の温もりを求めたんだね」
「それで彼女か……。とりあえず穴を埋めたかったから、はっきりとした相手の理想像がなかったのか」
「その通りだと思うよ、僕はね」
「なるほどねぇ……」
「須藤君は未だに本心では諦め切れてないとのことだったのさ。その知人の慧眼には、ほとほと驚かされるばかりだ。彼はきっと、自分で火の起こし方を忘れてしまったんだろうね」
「だから、お前が火を付けたのか」
「結果としてそうなっただけで、彼はきっと自分で歩き出せたさ。だって、彼女を作るために変人の巣窟へ足を踏み出せただろ?」
「おい、構成員に向かって言うなや。いや、誰が構成員やねん」
「ま、時期が早かったか、遅かったかだけの話さ。それなら、早い方がいいだろう?」
「そうだな。まぁ、これは言ってなかったが……」
「ん、何だい」
「あの日以来、発破をかけてくれたお前にときめきが止まらないらしいぞ。やっぱり支えてくれるというか、背中を押してくれる女性っていうのは良いもんだな。うんうん」
「そんな……。須藤君は女性らしい柔らかな振る舞いを好むというはずじゃあ……」
「はっはっは。モテる女は辛いなぁー」
「ちょっと待ちたまえ! そういう話ではなかったのかい!?」
「いや、間違ってはないぞぉ。好みを飛び超えるほどの魅力だったんだろぉー」
「ちょっ、ちょっと待ってよ、バジ!」
「頑張れよー」
「待ってってばぁ!」
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