第11話ヤンキーと困惑と慟哭

「よし、着いたぞ」

第二の戦場の扉が、俺らに姿を現した。

本来、こんなに鬼気迫る雰囲気が漂うツアーではないはずだ。

なんたって、趣旨は『須藤に女の子としゃべる機会を設けてあげよう』ということなのだ。

何故、こんなにも須藤は戦場に赴く兵士の顔つきを呈しているのか。

何故、こんなことになってしまったのか。

須藤も察しているのだろう。

冬冬狼は久遠と同じ部活。その久遠の人選が、あんな形と相成ったのだから、冬冬狼の選んだ人というのも、相当癖の強い人に違いない、と。

そんな表情でドアを開けようものなら、相手の女子生徒も相応の反応をするに違いない。

ここは、俺が緊張を解してやらねばいかないだろう。

須藤、と声をかけ、俺は口を開く。

「女子生徒との会話と、滅茶苦茶ウザい冬冬狼のお腹と解きます。その心は、どちらもゆるい方がいいでしょう」

「おい、何の恨みがあって俺の便意を頻繁に呼び起こしてくれてんだ」

「お腹がゆるキャラの誕生だね」

「なぞかけの完成度はともかく、何が言いたいかは理解できたよ」

ありがとう、と呟いて、須藤は深呼吸を幾度か繰り返した。

じゃあ行くぞーという気の抜けた冬冬狼の先導で、教室の扉は俺らに内部をさらした。


                   ●


未だ、喧騒の包む教室。

冬冬狼は迷うことなく一点を目指し、その先には不敵な笑みでこちらを待つ女子生徒が机に座っていた。

様々な色で染め上げた実にカラフルな髪の毛は、後頭部で小さく結われており、薄く茶色がかった虹彩を短いまつ毛が装飾している。肌は日に少し焼けており小麦色に輝いているが、傷やシミ一つなく艶々している。しかし、鋭くとがったような双眸と、口から覗く人よりも長めの八重歯が印象的で、好戦的なイメージを抱かせる。

須藤が提示した、もの静かという条件とは真逆の雰囲気を醸し出しているが、人は見た目によらない。それを冬冬狼は身をもって経験させてあげようということなのであろう。

素晴らしい発想だ。

内面のイメージを、人はそのまま外見に映し出しているとは限らない。更に、例え初対面で外見通りの印象を持ったとしても、本質はまた別の所にあるのかもしれない。

クラブハウスに常駐し、ダメージジーンズや革ジャンの服装をしている人は、一見テンションが高めでお祭り好きなイケイケの印象を持ちがちだが、その実、寂しがり屋で日々の空虚さを誤魔化すためにその様な場所、そのような服装に落ち着いているのかもしれない。

“会話とは、人と人の心同士の対話を経てこそ、会話たる“ということを教えようとしているのだろう。

冬冬狼が口火を切る。

「よー、天梨(くうり)。待たせたな」

「ホントだぜ、冬ちゃんよぉ。待ちくたびれすぎて、あと少しで骨と皮だけになるところだったぜ」

 最初の会話を見て思ったことだが、この人は外見通りの人だということだ。

 へへへ、と八重歯を覗かせるように笑うその姿からは、接しやすいフレンドリーの印象を受けるが、しかし、大人しくはない。

 これは完全に、深窓の令嬢ではなく、豪快な姉御タイプであろう。

 「こいつは、剞鞨天梨(きぜつくうり)。見た目の派手さとは裏腹に、さばさばしたヤンキー風な野郎だ」

 「裏腹の意味を辞書で引いて来い」

 「条件とほぼ真逆じゃん」

 「えぇー……」

 「ヤンキー風野郎とは言ってくれるじゃねぇの。夜道の背後に気を付けな、風切る音が聞こえりゃ、胴体と首が永遠にさよならだぜ」

 メンチを切るような目つきで冬冬狼を睨む俺と久遠。そして、うな垂れるように小さく嘆く須藤がそこにはいた。

 「言いたいことは分かる、だが、色んなタイプの女性を経験しておくことは必ず後々の財産になるとは思わねぇか? そんな一種類の経験だけを積み続けるなんて無菌的な飼育をしても、何か土台を脅かすことが起きりゃ一発でご破算だ。そんなことになる前に手を打っておきたいという俺の親心が分からんのかというか、ぶっちゃけ物静かな知り合いがあんまり居なくてめんどくさくなってもうこいつでいいかってなりましたごめんなさい」

 「後半がすべてを物語ってるな」

 「めんどくさくなってとか言っていいの?」

 呆れてものも言えない。

 こいつがここまで依頼に対して不誠実だとは思わなかった。

 でも、だが、久遠と冬冬狼の人選で俺がかなりやりやすくなったことは嬉しい誤算だ。これで俺が多少の条件の誤差をしていても、二人のキャラの濃さのおかげで失敗が薄まる可能性が高い。

 このとき、俺がもし条件から大きく外れた人選を行っていた場合、結局須藤は条件に見合う人を自力で探す羽目になるということを失念していたことに後で気付くのだが、そこは女子生徒の知り合いを増やしてやったんだから、後はそこから人脈を広げてくれという、問題の遠回しな解決を図るという未来を辿ることになるのは別の話。

 「で、須藤ってのはてめぇのことだな? いっちょ有意義な会話と洒落込もうじゃねぇの。稀代のコメディアンも目を見開くほどのジョークを頼むぜ」

 会話というキャッチボールの一発目で須藤が救難信号を送ってくる。

 しかし、可愛い子には旅をさせよ。ライオンは我が子を崖から突き落とし、成長を促す。

 ここは涙を飲んで、断腸の思いであいつの成長と進歩を見守ろう。

 俺は須藤から視線を外した。「そんな!」という叫びが聞こえたが、振り返ることはない。心を鬼にせねば、人は、強くはならない。

 「須藤が困惑するのも果てしなく分かるぐらいの人選だな、冬ちゃんよ」

 「だろうな、天梨は強烈な個性の持ち主だ。髪の色からも分かるだろうがな」

 「凄い人だねー。個性の暴力のようなこの学校でも、一段と癖がありそうだね」

 そんな俺らの少し離れたところでは、今度は緊張ではなくどこか恐怖を抱いているような須藤と、机から椅子に座り直し、机に肘を付き男らしい風景を演出する剞鞨さんが会話をしている。

 「え、えーと……。僕は普段は家で、読書をしたり……、映画を観たり音楽を聞いたりするんですけど……。ジャ、ジャンルは何でもよくて。結構色々なものを見たり聞いたりしてるので、嫌いなジャンルっていうのは、あんまりないつもり……なんですけど。き、剞鞨さんは、その、本とか映画とかは……?」

 相変わらずたどたどしい須藤。弔浄さんという相手と同じ切り口で話をしていたというのに、何故かその時よりも口下手になっている。

 特別、剞鞨さんが聞き下手というはなく、ちゃんと話を聞いてくれているのにも関わらず、ちらちらと相手の顔色を窺いながら申し訳なさそうに話す須藤。

 そんなに剞鞨さんの雰囲気が、あいつにとっての圧力になっているのだろうか。

 だとすれば、あながち須藤の『女性に対して苦手意識を持っている』という設定は間違っていなかったのかもしれない。いや、この場面を見る限り、ストレートにそうなのかもしれない。

 確かに最初の距離は掴みづらいが、剞鞨さんはどちらかと言えば、女の子女の子したしゃべり方ではなく、男性的なしゃべり方と雰囲気である。

 それで会話を円滑に進めることが出来ないとなれば、須藤は真に女性に対してビビりなのだろう。

 「小説なんかは読まねぇなぁ。あんな活字の羅列、あたしにとっては天使の子守歌より寝れるってもんだ。登場人物の気持ちを答えなさいなんざぁ、ただの運試しテストにしかなんねぇよ。冷めかけのピザよりも生ぬるい恋愛映画なんかは観ねぇな。人の恋愛模様なんか犬も食わねぇ。音楽は血と鉄と汗のにおいのするハードなロックしか耳に入れねぇな。手垢だらけの文句をつまみ食いしただけのポップなんざ赤子も踊らねぇよ」

 いや、これは趣味というか思想の食い違いが激しすぎて、ねじれの位置に立っているどころではなく、別次元みたいな感じだろうな。

 俺も女子高生の一般論としては、恋愛映画なるものを見て、涙したり恋をしたくなったり、主演のイケメン俳優にキャーキャー黄色い声援を上げるものだと思う。

 しかし、どうだ。しかし、その剞鞨天梨という人物はどうだ。

 映画のみならず、音楽の趣味まで真っ向から対立する概念を持ち合わせている。

 まさに、一般からかけ離れている変人と呼ばれる人種の代表格であろう。

 ただの、口調が男っぽいだけの姉御肌ではない。ただの、面倒見が良いだけの姉御肌ではない。もはや、“姉御”なんて生易しいものじゃなく、もっとバイオレンスな、須藤にとって新しい人物であるはずだ。

 その言葉の節々から感じられる血に似た臭いに、完全に須藤はやられている。

 それもそのはず、須藤はインドア派で、相手にも同じインドア派であることを願った。

 しかし蓋を開けてみると、冬冬狼が選んだ人物は須藤にとって世紀末で、ハリケーンで、今までの女性像というものを根底から覆すほどの大人物であった。

 最初から救難信号を送ってきていた須藤だが、先程の剞鞨さんの台詞で完全に白旗を上げたのだろう。

 救難信号の数が圧倒的に増え、そして目の覚める程の強い信号を出してきた。

 「おい、おい冬ちゃん。どーすんのよ。完全に須藤はたじたじだぜ」

 「うーむ。やはり須藤にはまだ荷が重かったか」

 「まだっていうか、一生荷が重そうな気がする表情を浮かべてるわよ」

 須藤は酸素を求める窒息寸前の人のような悲痛な表情を浮かべ、必死に机の下から剞鞨さんに気付かれないようにハンドサインを高速で送ってくる。

 そのハンドサインを創り出す手の動きは音速を超え、パパパパパという大気を破裂させる音さえ生み出している。

 その運動量のせいか、緊張を通り越した心境のせいか、須藤の制服はぐっしょりと汗で濡れ、その汗は椅子の下に水たまりを作る勢いである。その水分量を失っている須藤の身体も悲鳴を上げていることだろう。なお、実際に須藤は小さく悲鳴は上げている。

 とにかく、滑稽であった。

 道端でヤンキーに絡まれた哀れな少年も、ここまでの事態には陥るまい。

 それほどまでに、須藤は命を燃やしていた。

 「おい、助けねぇとそろそろ不味いんじゃねぇか? 須藤の寿命的な意味で」

 「確かに、須藤君の死相が見えるわ、はっきりと」

 と言いながら、俺に視線を向けてくる無責任二人。

 「待て待て待て待て。何でまた俺なんだよ。さっき行ったばっかりじゃねぇ―か! しかも、今回は冬冬狼が選んだやつだろ? お前が行けよ」

 「いや、その理論だと、さっきは久遠が行かないとおかしい。よって、今回は俺は行かなくていい」

 「だからさっきもそう言いてぇんだよ! お前の理論も認められるか! 第一に俺が行く理由もねぇ!」

 「刃獅々、逃げちゃダメ。逃げた分だけ、夢は遠ざかっちゃうの」

 「おめーは何を言ってんだよ。脈絡を掴め、話の脈絡を掴めよ」

 何から何まで本当に無責任な奴らだ。

 しかし、今回は流石に行かんぞ。さっきは仕方なく飛び出して、事故に遭ったんだからな。もうあんな事故はこりごりだ。今後の平穏な学校生活に重大な後遺症が残る。

 「じゃあ分かった。じゃんけんしよう。ここは公平に決めよう」

 「俺が一度割って入っていったという事実がある限り、公平ではないんだがな」

 「まぁまぁまぁ、いつか埋め合わせするから、ね? 幸平」

 「誰が幸平やねん。無理矢理、公平を押し付けてくるんじゃねぇ」

 仕方なくじゃんけんのための拳を差し出す。

 やれやれ……、まったく。やっぱり俺は甘いんだよなぁ。

 こうして頼まれちゃうと、真っ向から拒否できなくなる。いけない、いけない。悪い癖だ。これでは俺の周りが頼ることばかりを覚えて、最終的には一人で立ちあがることも出来なくなってしまう。逆に俺の人としてのスペックだけがうなぎ上りになり、俺に可能な作業だけがネズミ算式に膨らんでいってしまう。

 俺が頼みを断れない善良な市民が故に。頼みを断れない有能な才能人であるが故に。

 まったく、罪な男だぜ、俺って奴ぁ。

 神様、あんたが悪いんだぜ、俺をこんな風に何でもできる男に作っちまったあんたが、な。

 罪には罰というが、この忙しい現状が、罰なんだろうな。

 オーケーオーケー。甘んじて受け入れてやるよ。

 これが俺の背負った業ならば、な。

 すると、目の前に開かれた手の平が二つ差し出された。

 「よし、最初は――」

 「はい、勝ちー」

 「はい、刃獅々の負けー」

 「あ?」

 二人の手の平を見て、時間が止まった。

 刹那、時間が動き出す。

 「おい、待て。まさか、それがパーで決着はついている何て言わねぇよなぁ……?」

 ゆっくりと、身体の関節が、細胞が感知できない程のスピードでゆっくりと冬冬狼たちへと視線を移す。

 このときの俺は、どんな表情を浮かべていたんだろうか。想像するのも恐ろしい。俺の顔ながら。

 「まっことその通りぃ!」

 何時になく声を張り上げて、ウザいテンションで歌舞伎のポーズをとる冬冬狼。

 ロードローラーを駆使して、顔の凹凸を均してやりたい。

 「神妙にお縄につけぇい!」

 いつも通りに声を張り上げて、意味も分からぬ言葉で仮面ライダーポーズをとる久遠。

 砂漠地帯に植林用の苗と間違えられて、土に埋められて欲しい。

 「そうは問屋が卸さねぇぞ、てめぇら! 何が公平だぼんくら共! こんなん不正の大行進じゃねぇか!」

 「いやいや、まさかお前が自ら率先して負けに行ってくれるとはなぁ」

 「そうそう、あんな早出し見たことないよ。まさか掛け声さえ要らないなんて」

 「んんんー、神よ! こいつらに天罰を! お前らは右の頬を雷で打たれたら、左の頬も差し出せ!」

 流石に今のは認められない。いくらなんでも酷すぎる。

 そんな俺の抗議を「やれやれ、仕方ないなぁ。これだからバジ太君は……」と、渋々納得してやるかという姿勢で片付ける悪魔二匹。

 マジでエクソシストに退治してもらいたい。

 何かこう……、聖水で溺れさせるとかしてもらいたい。聖書で袋叩きとか。

 しかし、ここで俺が盛大にキレて話を長引かせてはいけない。

 この間にも、須藤のハンドサインは音速を超え、時間を超越し出したのだ。時間を超え、過去や未来を行き来し出したそのハンドサインは、現在に強烈な爪痕を残す。バタフライエフェクトによって、須藤の腕が四本になったりするに違いない。

 それは防がねば。流石に不憫すぎる。悲しきモンスターの歴史が幕を開けてしまう。

 もう床は汗でびしょびしょだ。ジオラマの湖みたいになっている。

 須藤の顔色はもうモザイクを掛けないと、お茶の間にお届けできないような顔色だ。お茶の間というか、あれではどこにも届けれまい。どこに出しても恥ずかしい。

 「よし、じゃあ行くぞ。最初は――」

 「はい、勝ちー」

 「はい、刃獅々の負けー」

 この日、この瞬間、一匹の復讐の羅刹が誕生した。

 それと同時に、悲しきモンスターもまた、生まれた。

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