第10話ホラーと呆然と対抗

「よし、準備はいいな、須藤」

「う、うん」

「これから、俺らが見繕ったお前の運命の相手を巡る旅が始まる。へまはすんなよ? そして、チャンスは逃すなよ?」

「任せて! 頑張るよ!」

「よし、今から『ドキっ、出会いは偶然、恋は必然、あなたと私の未来は燦然ツアー』を開始します!」

 「どんどんぱふぱふー」と気の抜けた太鼓とラッパの盛り上がる音を描写する冬冬狼と、「わっしょいわっしょい」と須藤を神輿に見立てて担ぎ上げる動作をする久遠。

久遠は部活名を決めるときもそうだが、“わっしょい”という単語に取り憑かれているのではないだろうか。

 それはともかく、場は温まった。

 「これから、スタンプラリーよろしく、俺らがアポイントメントを取り付けた女性陣を次々に回っていく。とりあえず全員に逢いに行くつもりだから、良い人が見つかれば、ちゃんと印象を残しつつ、記憶に焼き付けるように」

 「ありがとうございます!」

 凄い勢いで何度も頭を下げる須藤を見下ろす。

当然の反応である。何と言っても、こいつの理想の恋を成就させるべく、入学間もない数少ない人脈を駆使して女性陣に話を付けたのだから。

もちろん、無理矢理に場をセッティングしたりはしていない。女性陣にはあらかじめ、ちゃんと須藤のことを話し、そういった出会いを求める少年と話してほしいという旨を伝えている。

 しかし、安心してほしい。

 『須藤が恋人を探していて、その条件にあなたが合致しました』という確信めいたことは、相手方には伏せている。

 女性陣には、『女性に対して苦手意識を持っている少年がいるので、その克服に付き合ってほしい』という話で、女性に対する苦手を払拭するような女性との出会いを求めている、ということにしている。

 これで晴れて、両者は何の警戒心や不利な前提条件の心配がなく、話し合いに乗り出すことが出来るというわけである。

 女性陣からもちょっとした依頼を受けており、異性の友達を増やしたいという依頼には、須藤という男性を通してその方面に交友関係を広げるという名目。そして、男性と会話を交わす機会が少ないという女性には、須藤という比較的おとなしい男性と話す機会をセッティングしますという場を提示している。

 これによって、誰しもにメリットがある状況を作り上げた。

 女性陣には情報を伏せてあるので、少し申し訳ないが、そこは後々久遠に全力のフォローをお願いしたい。頼むで候。

 そんな女性陣の小さな依頼も含め、二重に依頼を達成することが出来るという完璧な布陣を引いた俺らには、既に達成感が漂い始めていた。

 「よし、じゃあ行くか」

 いざ、俺らが一行が歩き出す。

 俺や冬冬狼、久遠はいかにも楽しげではあるが、須藤は緊張している風であった。

 それも無理はなく、今まで女性経験の薄い須藤に、「さぁ、恋人を探しに行くぞ。上手くやれよ」みたいな状況が眼前に構えているのである。多少の緊張は仕方がない。

しかし、緊張しきっていては、上手くは行かないだろう。

張り詰めた空気の中では、面白い会話など生まれ得ないからだ。しかも、その空気は相手にも伝染する。お互いに黙りこくってしまってはもちろん、そこに会話というコミュニケーションは死に絶えてしまっている。

 上手くいってほしいと思う半面、何かやらかしたら面白いなという気持ちもあった。

 いきなり「は、ははははははは初めまして」みたいな感じで、笑い出したと錯覚するぐらいの噛み方しないかな。それだったら面白いのに。

もしくは、緊張でくしゃみが止まらなくなるとか。「特異体質過ぎるだろ!」みたいな状況が生まれれば最高だなぁ。

 「いや、バジっちよ。漏れてんだよ、漏れ出てんだよ。お前のその『面白い失敗しねぇかなぁ』みたいな呟きは全部漏れ出してんのよ」

 「緊張で渦中の人物には届いてないみたいだけど、ちゃんと聞こえてるからね、それ」

 「え? 俺口に出してた?」

 たまにあるんだよね。思考が口から外界に漏れだす、無意識下のこの現象。

 不利な場面を生み出すことも多々あるから、必要無いときは、俺の口が石になる魔法でもかけたい気分だ。

 「ま、聞こえてないなら、そいつぁ重畳。須藤、まずは一人目だ! 気合い入れていけよ!」

 俺らは一つの教室の前に到着した。

 ここには、久遠が話を付けた人物が待ってくれているはずだ。その人物を、俺と冬冬狼は知らない。つまり、俺らも初対面で話をすることになる。

 しかし、須藤みたいな気合はないので、気楽に久遠を通して話せばいいだけだ。

 須藤にアイコンタクトを送り、強い頷きが返ってきたため、教室のドアを開けた。

 ガラガラという声を上げて、教室の中へと道を開けたドアの先には、生徒同士の活発な会話が、放課後の喧騒を形作っていた。

 そして、恐らく件の女子生徒であろう人に、久遠が走り寄った。

 俺らもそれに続く。

 「マミ~!」

 そう久遠が呼びかけた先には、儚げな雰囲気を演出する女子生徒が椅子に座っていた。

 長く艶のある黒髪が腰辺りまで伸びそれが顔を流れており、横からはその表情を窺うことはできない。久遠に呼びかけられて、ようやくその顔を拝むことが叶った。

 物大人しそうな印象を受ける顔だった。目尻がやや下がったまぶたに、薄く讃えられた笑み。そして何より、目よりも大きな黒縁の眼鏡が似合う小顔な女子生徒だった。

 肌は病的なまでに白く、なるほど、アウトドアな趣味は持ち合わせていないことがそこから窺うことが出来た。

 「メノちゃん。今日も元気だね」

 「まぁ、元気だけが取り柄だからね!」

 「そうだな」

 「異論なし」

 「何なのよあんたたち」

 俺らのやり取りを見て、マミと呼ばれたその女子生徒がこちらに向き直った。

 「あなたたちがメノちゃんが言ってた刃獅々君と冬冬狼君ね。私の名前は――」

 「この子は弔浄駁雅(ちょうじょうまみやび)ちゃん! あのオカルト研究部の部員で、とっても可愛い子なの!」

 本人からの自己紹介を遮り、勢いよく久遠がバーンという効果音が響きそうなくらいに、手の平で紹介してくれた。

 当の本人はそれに対して全く気にした様子がなく、久遠との付き合いがそれなりにあって、久遠の人となりを多少身をもって知っているか、もしくは、こうしたことに対して口を挟まない温和な性格なのかの二択に絞られる。

 どちらにせよ、おっとりとした性格であるに変わりないような所作であり、オカルト研究部ということで、どちらかというとインドアな印象の部活に所属しているという事実もあり、久遠にしては良い人選であることが分かった。

 しかし、オカルト研究部という看板は、須藤が把握しているかは分からないが、結構な変人の巣窟ということで有名である。

 元々、自由を校風としている学校であり、更に生徒同士もお互いの個性を重んじる傾向もあって、本来の自分というものを全員が存分に出しているため、変人という母数は他の学校に比べてかなり多いように思える。

 だが、そんな中にいても、生徒から変人の巣窟と噂が立つということは、つまり、そういうことなのであろう。

 何でも、部長さんの変人っぷりは数多くの伝説を打ち立てており、“オカルト研究部に超常現象あり”と、部活の看板に偽りなしの評価である。

 その、部員。

 一年生で入部歴は浅いとは言えど、しかし、その部活に所属しているということで、彼女の変人度が分かるというものだ。

 「弔浄さん、今回は恐らく話が通っているとは思うが、こっちの須藤と少しばかりはなしをしてもらいたいと思ってる」

 「はい、話はメノちゃんから聞いています。今日はよろしくお願いしますね、須藤君」

 「は、はい! よろしくお願いします!」

 あらかじめ女性に苦手意識を持っていると伝えているが、この須藤の力の入り過ぎた緊張が、いい感じにそれを演出しているような気がする。

 天然の名俳優に、この作戦の成功を見た。

 「おい、バジ」

 一方的に力が入りまくっている男と、微笑を浮かべる女との、二人の会話が幕を開けた直後に、冬冬狼が俺にこそこそと話しかけてきた。

 「なんだ、お前も、かのマミちゃんと話したいのか」

 「違う、そうじゃない」

 冬冬狼は首を横に振る。

 「久遠の言葉を否定しなかったってことは、あいつは恐らくオカルト研究部で確定だ」

 「そうだな、偽る意味はまるでない。何故ならあのオカルト研究部だからな」

 「そう、そのオカルト研究部だ。ということは、だ。あいつはきっと、ヤバイ人種だ」

 「須藤はそのオカルト研究部のヤバさを知らないみたいだな。まぁ、いいんじゃないか? 何か害があるわけでもあるまいし。見たところ、弔浄さんには不審な点はないし」

 「それはそうなんだが……。家に行ったら魔法陣がありましたとか報告受けたらどうするよ。絶対俺らに泣きついてくるだろ、だとしたら面倒だ」

 「安心しろ、その時は『魔法のすべて』という部室にあった鈍器のような本を貸し出してあげよう、それですべては解決する」

 じゃあ安心だな、と呆気なく問題が解決したことに冬冬狼は満足したのか、二人の会話を見守る姿勢に戻る。そこには、最初と変わらない風景があった。

 「須藤君は、どんな趣味を持ってるの?」

 「え、えーと……。読書とか、映画鑑賞とか……。ありきたりな回答で申し訳ないんですけど、範囲は広いと思います。色々なジャンルを見ますし……。本なら、小説とかエッセイとか、映画ならアクションとかミステリーとか……。弔浄さんは、本とか映画は見ますか?」

 その時、彼女の雰囲気というか、纏う空気が変わったことを俺らは感じた。

 「ホラー。ホラーよ。ホラーね。ホラーは見るよ。ホラー以外に見ないかもね。ホラー以外は見ないわ」

 「え?」

 矢継ぎ早に口々に言葉を重ねる弔浄さんに、須藤は戸惑う。

 「ホラーは良い……。ホラーのいつの間にかそこにいるような隣り合わせの感覚と、現実にどこまでも迫るリアリティは他の追随を許さない。あの肌を刺す恐怖も、心を砕く暴力も、能に直接響く悲劇も、すべてが美しい。死に行く時こそ、その生命は輝くの。風に散り行く花弁や自然を見ると理解できるでしょ? それを生み出す怪物たちこそ、芸術家なのよ」

 「あ、オカルト研究部の癖が出ちゃった」

 「完全に開放してんじゃん。これ完全に変人じゃん」

 「趣味の話を喜々として話すだけで、ここまで心に訴えかけてくるとはな」

 須藤は何故か笑顔のままで表情と動きが固まり、もしかしたら心臓も止まっているのでは、と錯覚させるほどすべてが停止している。

 相対するは恍惚とした表情で、ホラーの素晴らしさを延々と語る変人。

 ここに、静と動の二極化の風景が形成された。

 そして俺らは、須藤は弔浄さんを選ぶことはないだろうと確信した。

 「――と思うんだけど、須藤君はどう?」

 「ウン、スバラシイデスネ」

 とうとう自然なイントネーションすら喪失してしまった須藤が、油の切れたロボットのように緩慢な動きで、こちらに助けを求めた。

 仕方あるまい。

 助け舟を出すかと足を踏み出しながら、冬冬狼と久遠を見る。冬冬狼は俺は行かないぞと言外に訴えるように首を横に振り、久遠はああなったら話は長くなっちゃうのと言わんばかりに、首を横に振っていた。

 エスパーさながらの読心術を発動した俺は、今から鉄火場に向かうのはこの身一つだという事実に辟易とし、溜息を一つ零した。

 「貸し一つだぞ」と小声で二人に言い、俺は二極化の風景に近づく。

 「よぉーうお二人さん、良い雰囲気だねぇ? 話弾んでる証拠っしょ、へっへっへ」

 「どうしていいか分からずにキャラと語尾がぶれてるな」

 「何よ『へっへっへ』って。軽薄な馬鹿丸出しじゃん」

 少し離れた位置から、関わることを止めた臆病な二人の戯言が聞こえるが、しかし、本当に何と斬り込めばいいのか分からなかった。

 相手はかのオカルト研究部。下手なことをすれば、黒魔術で俺の口から絶えずカナブンが吐き出されることだろう。

 弔浄さんの視線が俺を射抜く。身構える俺を他所に、彼女は柔和な笑みをもって俺に語り掛ける。

 「刃獅々さんは、ホラー映画はお好きですか?」

 こやつ、俺までも巻き込むつもりか……!

 しかし、こちらも屈指の変人集団と噂されている――らしい――『Youが望む鬱牢の先の光芒』部の部員だ。負けるわけにはいかない。

 響さんが何というかは知らないが、こちらも侮られては困る。

 後ろにはその屈強な部員が二人も控えているのだ。布陣は完成している。

 「ホラー? ホラーとは何ぞや。貴殿、ホラーとは何ぞぉぉぉやぁぁ!」

 「始まったぞ、バジの必殺技“屁理屈幻想空論”。あの前に説法を諦めた奴は数知れず」

 「あの狂喜モードのマミちゃんが一瞬止まるぐらいだもんね」

 まずは一番槍の俺が、戦場を支配する!

 出会いの場をセッティングしたのに、何故決戦の火ぶたが切って落とされたかは俺の知るべくところではないが、戦士は、剣を構えたからにはその切っ先を下ろすことはない。

 敵を斬り伏せるまで、この身を闘志の炎で焼き続けるのみ。その姿は、鬼にも似ると知るがいい。

 大きく息を吸い、肺を空気で満たす。今からこの空気は、相手を沈黙へと誘う弾丸へと姿を変える。

 弾丸たちは、相手へと突貫するその時を待ちわびて、その身を熱く焦がした。

 「心霊写真や心霊現象、それに組する地縛霊や生霊。そしてぇ、人智を遥かに超越した能力や怪力で人を襲う怪物や関わるだけで親族までも呑み込む呪い、怨念。数多あるそれらを一般にホラーという? 然り、然り、然りぃ!」

 「そうだよ、地に根付き幾つもの人々の足音を聞いて来た地縛霊や、強い私怨が姿を成し人を害する生霊。奪うことや幸福を黒く塗り替える、今や世界を斡旋した科学でさえ全く説明もつかない圧倒的、徹底的なその力。怪物たちの呼吸で木々は枯れ、大気は濁り、動物は首が落ちる。呪いを紡ぐと景色は闇に燃え、思い出は切り裂かれ過去は干上がる。それがホラーなの! すべての原初にして、すべての頂点。それが――」

 「しかぁぁぁし! それらの霊の果ては? それらの怪物や呪いの果ては? 霊は人の思い無くして成らず、怪物は恐怖無くして歩めず! 霊は忘却に消え、怪物は勇気によって打倒される。結局ホラーとは、とどのつまりホラーとは、人が紡ぐ英雄譚の土台でしかない! 敵でしかないんだよ! つまり、君が愛しているのは、ホラーなんかではなく、その先にある輝かしい幸せのエンディングの他ならない!」

 描写のなかった物語の先には、きっと英雄が来て怪物を退治し、描かれることのなかった呪いの果てには、人々が力を合わせ、神算鬼謀でそれらを打ち払う!

 「俺らの歴史がそれらを証明している! 打ち破れなかった怪物はおらず、涙を飲むしかなかった怨念は時間の濁流に、悲劇を乗り超えた愛情に焼かれた! ホラーとは、ホラーの本質とは! 人類の熱い勇気の、不屈の闘志の、不変の愛の、肯定の物語である!」

 「結末の先の結末がそうだとしても、ホラーが愛の物語ってことにはならんけどな」

 「何か高尚な風なこと言ってるけど、やってることは思考の捏造よね」

 ギアを上げ、加速の止まらない口は、大気を震わせることを終わらせはしない。

 例えそれが、机上の空論だと罵られても、話題のすり替えだと糾弾されても。

 偽りの勝利を目指して、それを真の勝利だと錯覚するために。

 「君がホラーを愛していることは認めよう! 確かに、君はホラーというジャンルを愛している。誰が否定しても、俺はそれを肯定する。君がホラーが大好きだという想いを叫ぶ口を、何者にも塞がせたりはしない。しかし、君が真に愛しているのは、ホラーの残虐性や陰鬱な雰囲気なんかではなく、来たる幸福なのだと! 性善説のような、理屈も理由も飛び越えた、愛と言うすべてに勝るものなのだと!」

 「話が気付かぬうちに、別の方向に行ってんだよな」

 「それを指摘されないような、勢いや言葉選びは流石だとは思うけど。当事者になると、本当に指摘しづらいのよね」

 相手が押され始めた。

 言論の勝負とは、相手に事実を突き付け理論で武装し、ぐうの音も出ないような敗北を自覚させることを互いが目指すものである。

 もちろん、脈絡のない文句や罵声の類をぶつけ、相手がそれに対して冷めた目で関わらない方がいいと断じて無視を決め込んでいるのに、それに気付かずギャーギャーと喚き立てるのは愚行の極みである。

 しかし、相手が少しでも納得しようものなら、話に関係なく、理論に少しでも整合性の欠片を感じたのなら、そう錯覚してしまったのならば、この面と向かって互いに言論を披露する舞台に立ってしまった時点で、それは術中である。

 「アイツなんか勝負と勘違いしてねぇか」

 「勝ってもないのにね。しかも、話を止めて欲しかっただけなんだけどね」

 「まぁ、目的は達成しそうだからいいんじゃねぇか?」

 「流石必殺技。今回も人間の価値と引き換えに、沈黙を勝ち取ったわね」

後詰だ。

 言葉とは、武器にも人を救う薬にもなる。

 俺が最後に放つのは、今回は相手の冷静さを誘うような鎮静剤。

 「だから、そんな弔浄さんだから、愛を知らない須藤に、たまにでいいからそのホラーへの愛を教えてやってくれ」

 「な?」と須藤の方を向くと、須藤は首を力なく何度か縦に振って見せた。

すると、弔浄さんは少し黙りこくった後、須藤に向かって優しく微笑んだ。

 「はい、そのときは須藤君、お願いします。それと――」

 そして今度は、俺に向き直る。

 「ホラーという分類に対する、私とは違った方面での考察、とても感銘を受けました」

 不味い予感がする。

 これは、面倒な展開になるパターンの奴だ。

 「刃獅々君も、ホラーを愛していたんですね。またいつか、熱く話し合いたいものです。今度は是非、オカルト研究部の部室にもおいでください。あなたの考えに、部員のみなさんも、ホラーに対する見地を深め、もっと多角的に愛を注ぐことができるようになるはずです」

 「ウン、スバラシイデスネ」

 「バジのやつ、須藤と同じリアクションを返してやがる」

 「結局、一番印象を残したのは刃獅々だったね」

 またお会いしましょうと手を振る弔浄さんを後に、俺らはその教室を後にした。

 教室を出た俺らを包むのは、次へと臨むやる気と上手くいかなかったという憂鬱の両極端の空気だった。

 次を見据えて進もうとしているのは冬冬狼と久遠で、意気消沈としているのは俺と須藤だった。

 須藤は上手くしゃべることが出来なかった事実に対しての悲壮と、「女子ってみんな、あんな感じなの?」という疑問に押し潰されているおり、俺は変な人に、更には変な部活に目を付けられてしまったかもしれないという、漠然とした未来への不安が原因だった。

 後悔先に立たず。もっと普通に話に割って入れば良かったという後悔は、過去を改変することはなく、現在は定まった形を取り続けるだけだった。

 「ちくしょう……、何でだよ……。何でなんだよっ!」

 「まぁまぁ、そう自棄になんなって。須藤もバジも、とりあえず次に切り替えようぜ。まさか、そのテンションで行く気か?」

 「そうだよー。次の女の子に失礼でしょ? 失敗は次に生かせばいいんだから、ねっ?」

 須藤は「そうだね」と拳を強く握り、まだ見ぬ女子生徒に思いを馳せ、前を向いているようだ。再び炎が灯った瞳には、次こそは上手くしゃべってみせる、と言った気概が十分に感じられた。

 確かに。

 これでは相手方の女子生徒に申し訳が立たない。俺らが場をセッティングしたのに、俺らが場を壊してしまっては元も子もない。

 ここは二人の言う通り、一端先程のことは綺麗さっぱり忘れ、次に臨もう。

 「うむ、次は冬ちゃんの選び抜いた女子で間違いはないな?」

 「そうだな。須藤、次は安心してくれていい。今度は変人ではないはずだ」

 先導する冬冬狼が振り返りつつ、須藤に希望の光を差し込ませる。

 すると、須藤は思い出したかのように久遠に詰め寄った。

 「そうだよ! 芽乃琉さん! 怖かったよ、僕は! あんなに豹変するとは思わないじゃないか! 劇的ビフォーアフターだよ! 何ということでしょうだよ! 最初はあんなに物静かで聞き上手で、理想の女の子と思っていたのに!」

 「だってぇー、あれはぁー、須藤君がぁー、ホラーのぉー、話をぉー、振ったからというかぁー。須藤君がぁー、悪いって言うかぁー」

 くねくねと体を揺らしながら間延びする話し方をする久遠。

 控えめに言って助走を付けて殴りたいぐらいにウザい。そこに、男女の壁はない。俺は生粋のジェンダーレスの思想の持ち主なのだ。男女差別など、在ってはならない。俺はここで久遠を倒し、男女差別など悪しき思想だということを世界に向けて発信していく所存である。

 「次はちゃんと地雷を見抜こうよ!」

 という、アドバイスと言う体裁を欠片も満たしてない忠告を置き、久遠は満足げに頷いた。

 彼女的には、今のアドバイスもどきが須藤の心に響いたと思ってるらしい。

 いや、その地雷を教えてやれよ。

 位置と数が分からない地雷原を裸で走る勇気を、恐らく須藤は持ち合わせてはいない。

 これ以上会話が慎重なものになってしまっては、須藤は口を開くことすらしなくなるだろう。

 「今日はいい天気ですね」という不毛極まる世間話の代表格すらも、可能性の話をしてしまえば地雷になりかねない。

 沈黙は金、雄弁は銀とは良く言ったものだ。

 まぁ、こんなことを想定しての言葉ではないだろうけど。


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