第4話無関心と羞恥のスペシャルネーム

 まさか、『なんでもかいけつしちゃうぞ部』の頭に何か単語が付加されていたのか?

 先程の野球部の例を思い出せば、そのように考えるのが妥当だろう。響さんはとても聡明な人だ。意味もなく野球部なんかを例には出さないだろう。つまり、そこから導き出される答えは一つ。

 「『THE なんでもかいけつしちゃうぞ部』ですね?」

 「定冠詞を付けてお洒落にするな」

 「その考えはなかったぞ、酒美鳥」

 「馬鹿野郎、『viva なんでもかいけつしちゃうぞ部』だろ」

 「何故部を上げて万歳せねばならんのだ」

 「その考えはなかったぞ、師嶽」

 「馬鹿ね、『わっしょい なんでもかいけつしちゃうぞ部』でしょ」

 「年中お祭り騒ぎ集団にするんじゃない」

 「その考えはなかったぞ、芽乃琉さん」

 「じゃあ――」

 「ええい、話が進まん! お前たちはいちいち寸劇を挟まねば気が済まんのか! 颶風、お前もだ! 一回一回ボケた奴に対して特異性を評価するな!」

 俺がさらに考えを語ろうとすると、バンという大きな空気を破るような音がそれに割り込み、響さんが気炎を吐いた。机に両手をつき、椅子から勢い良く立ち上がった彼女に視線が集まるのも当然であり、それに準ずるように発言権も彼女が持つ。

 「そうではない。今更驚くような語句が頭にも尾にもつくわけではない」

 つまり、噛み砕くとそれは何も難しい話ではないということだ。極端に言えば、考えることではなく、むしろへ下手に考えるから響さんの求める真相から遠ざかっていると思われる。

 あくまで、自然体に。

 自然と一体になるのだ。

 風景に溶け込み、風の流れに逆らわず、環境の奏でる音に身体を預けて……。

 「なにぃ!? 刃獅々の身体が……だんだんと景色と同化していくだとぉ!?」

 「凄い……! 極限まで集中力と無心という、一見矛盾するように見える二つの要素を掛け合わせることで、その矛盾を乗り越え、さらに高位なものに昇華させているのね!」

 そう、私は自然そのもの、環境の権化、風景の化身、まさに光景という概念の鏡映し。

 人の身でよくぞここまで練り上げたものだと、天におわす老師も満足げに頷いているのが脳裏に浮かぶ。そんなヤツ知らんけど。

 「これが俺の修行の……成果だ!」

 「大きくなりやがって……」

 「必ず打ち倒してきなさい、あなたの悪夢を。必ず清算してきなさい、あなたの過去を」

 「見ててくれ、これがお――」

 「何度言わせる三馬鹿が! 話が進まんと言ってるだろうが!」

 再び、机を叩く音が鼓膜をノックした。

 今度はハーハーと息を切らしている様子が窺える。何をそんなに疲れることがあったのだろうか。いや、単に気持ちが昂りすぎているのかもしれない。

 「落ち着きましょう、響さん」

 「やかましい。両手を縛られてワニの群れに放り投げられても何だか大丈夫な気がする薬を飲ませるぞ」

 「やだ、なに、その具体的な幻覚を引き起こさせる倫理に反する薬」

 「バジ、発展に犠牲はつきものだ」

 「いやもう効果ははっきりしてるよね? 服用した後の結末まで明瞭だよね?」

 「安心しなさい、副作用で尿意は一切ないわ」

 「誰もトイレの心配とかしてないんだけど? むしろその状況で尿意を心配する奴は真に頭イってるよね?」

 「酒美鳥、俺はお前に真の男の姿を見る」

 「いや、見るって何? 過去形じゃないってことは、早くワニの群れに突っ込めってこと?」

 何だ、この理不尽の応酬は。

 俺は怒りと、この状況へと迷い込んだ自分への不甲斐なさに震えた。

 いや、罪を憎んで人を憎まず。

 これを掲げるならば自分を責めてはいけない。

 ……そうだな。この状況が生まれたのは何故か。

 辿り辿っていけば、物語は生物の誕生から、そもそもの地球の誕生へと、果てには宇宙の誕生へとさかのぼる。

 憎い。この状況を生んだ宇宙が。

 憎い。この現状へと俺を放り込んだ地球が。

 憎い。この現場を創り上げた種々の生物の誕生が。

 「ちくしょう……! スケールが大きすぎて、どう怒ればいいのか分からなねぇ……!」

 やるせねぇ、やるせねぇよ……。こんなことがあっていいのかよぉ!

 そんな規模の事象と比べたら、俺の怒りがちっぽけみたいじゃねぇかよぉ……!

 「拳握りしめて何泣いてんだよ」

 「一人の世界に感情移入しすぎじゃない?」

 薄情な二人に追い打ちをかけられながら、俺の何も握られていない両手は握力を増していく。

 この世の不条理を打ち砕かんと握られたその手には、しかし、希望が灯っていた。

 この手が輝く未来を掴むのは、また別の話――

 「いや、この手の話題にどれだけ時間をかけている。早く答えろ」

 「しかし、答えろと言われても……」

 「頭の中を無にして言ってみろ。はい、この部活の名前は?」

 「えーと、『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部……?」

 「それだぁ!!」

 今までとは違って、今度は響さんの後ろに静かに佇んでいるホワイトボードの腹から、轟くようなズドンという音が鳴った。

 響さんの拳から煙が立ち上っている。空気との摩擦で生まれたものなのか。ともすれば、どれほどまでの速度だったのか。どれほどの思いがこもっていたのか。

 ガッと椅子から立ちあがり、黒ペンでホワイトボードに文字を書き殴る。

 そこには、“『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部“と先程の勢いと裏腹な、流麗な文字で書いてあった。

 今までにないテンションで、響さんは続ける。

 「これを見ろ、お前らぁ!」

 バンバンバン、と駄々をこねるようにホワイトボードを叩きまくる幼女、もとい朧飛響和音。

 その姿とホワイトボードに書かれた文字の勢いと大きさが相まって、まったく伝えたい想いが流れ込んでこない。

 「フォントが気に入らないのか……?」

 「いや、語感じゃないか?」

 「何か可愛いかも」

 「気でも狂ったか、朧飛!」

 つまり、こんな感じの俺らの反応である。

 伝えたい想いが空回りしているのだろうが、しかし、見方によっては滑稽な姿は、普段の響さんを思うと、目を反らしたくなるような凄惨な様相を呈していた。

 久遠は孫を見るおばあちゃんのような眼差しを向けているが、それはそれ。

 あれ? いつもより響さんが小さく見える気がする。

 「ええい、何故伝わらん! お前らはこれを見ても何も感じないのか!?」

 「すまん、朧飛が邪魔でホワイトボードの全貌が見えん」

 冷静な颶風さんと、

 「響先輩が可愛いという事が伝わりました」

 温かい眼差しの久遠、

 「いや、ホワイトボードの耐久性の話か……?」

 意図を勘違いしている冬冬狼と、

 「フォントはポップ調の方がいいな……」

 フォントに思いを巡らす俺。

 そして、颶風さんの指摘通りにホワイトボードの内容が全員に見えるように身をかがめ、長机の端っこから目から上だけを覗かせる響さん。

 それが、部室のすべてだった。

 つまり、同じ場所にいながらも、別々の何かを見ている俺たちなのであった。

 「違う! 何故、酒美鳥にこの部活の名称を答えさせたか考えてみろ」

 四人が四人、首をひねる。

 何故、俺に名前を聞いたか。

 なるほど……。何故だ……!

 考えをそれぞれでこねくり回す俺らの耳に、響さんの大きなため息が雪崩れ込んできた。やれやれという小言と共に、両手を力なく肘から上だけを掲げるジェスチャー付きである。

 落胆のお手本と言うべきその姿は、長机の縁の向こうに少し見える程度ではあるのだが。

 スッと立ちあがり、頭を抱えながら響さんがホワイトボードに寄り添うように構える。

 「いや、もういい。最初からすべてを私の口から言うべきだった。お前らは恐ろしく足並みと言うか、見ている方向が揃わんからな」

 気を取り直してという言葉がそのまま似合うように、響さんの瞳に力が戻る。堂々と組まれた腕は、いつも通りの厳格な響和音という人格そのものを取り戻していた。

 「さて、本題に入るが、私たちの部活の名称はここに書いてある通り、『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部だ。そこに相違はないな?」

 俺らは頷く。

 間違いない。俺らは『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部だ。

 彼女は、スゥーっと息を吸い込む。

 そして大きく咆哮した。

 「いや、もう馬鹿の部活じゃん!」

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