第3話魔王と森ガールと部員

 部室は決して豪勢な造りではない。

 扉を開けると右手に大きな本棚が鎮座し、誰が読むかもわからない多種多様な本が勢揃いしている。誇らしく本のタイトルをこちらに誇示してくるが、残念だったな、俺はそんなものに飛びつくような軽い男ではない。

 単純に、活字の羅列に興味はないだけだ。安心しろ、お前は悪くない。俺が活字を目で追い出すと決まって襲い来る睡魔に抗う術を持ち合わせていないだけだ。勝つ方法を見つけ出すその時まで、お前らは俺の帰りを待っていろ。

 「何を本棚を前にして立ち止まっているのだ」

 「そこはトイレじゃないぞ。用を足すならせめて部室の外でしろ」

 「誰が羞恥心が狂って人前で用を足すことになれた男やねん」

 「もしそうなら狂ってるのは羞恥心だけじゃないだろ。お前の常識やその他社会を生きていく上で大事な諸々だ」

 鋭い第一声は我らが部長、朧飛響和音(おぼろびきょうわおん)さんのものである。長く伸ばした艶の光る美しい黒髪は、一種の芸術品のような雰囲気を見る者に与える。目尻にまつ毛の陰影を乗せる切れ長の目は、涼しげな印象と、どこか近り寄りがたいクールな空気を醸し出している。しかし、彼女の綺麗な鼻筋、ふっくらとした唇、そして恐ろしくなるほどの綺麗で真っ白い肌に、寄り付く男は後を絶たないそうだ。一言で言うと、かなりの美人さんである。

 立ち止まることと用を足すことをイコールで考えている馬鹿野郎が師嶽冬冬狼(しがくふゆとうろう)、俺と同クラスの友人である。こちらもまたクールな印象のいけ好かないイケメン野郎である。目に少しかかるぐらいのさらさらとした茶髪に、気だるげなイメージを他人に抱かせる伏せたような双眸。シャープな顎が小顔を強調し、物憂げな表情でも浮かべれば女子共がキャーキャーと騒ぐ、女子キャーキャー発生装置である。

 部長たる響さんは、部室の真ん中に堂々と置かれた長机の終点の先にある、少し立派な机にいつも通り陣取っている。クリアファイルによって整理された資料が立てかけられ、今まで読んでいた本にしおりを挟みながら、こちらを向いていた。

 その長い机には珍しく、部員が全員そろっていた。

 「やぁ、酒美鳥。今日はどうしたんだ、本棚の前で立ち止まったりなんかして」

 「いやなに颶風(ぐふう)さん、先輩の身体に何か異常が起きねぇかなって、呪いの祈祷をしていただけですよ」

 「酒美鳥!?」

 柔和な笑顔を浮かべた表情が瞬間にして沈み、驚愕の表情へと早変わりしたこの副部長が、颶風桜劉淵(ぐふうおうりゅうえん)さんだ。表情がころころ変わる優しい先輩で、そのとっつきやすい性格に魅せられる人は大勢いる。少し長めの髪の毛がさらりと顔に陰影を作り、しかしそれが全く負に働かずに、不思議な気品が漂っている。いつも顔に優しく居座る微笑は、先輩のトレードマークだ。この仰々しい名前に先輩は少し辟易としてるらしく、それは、初めて名前を見た人は総じて大柄古風で硬い人物を想像するからとのこと。

 ちなみに俺もその一人だった。だって桜劉淵だぞ。よく分からない強者の漢字が並んで構えを取ってるだけでなく、画数も半端ないと来た。俺も思わず構えを取ったね。白鳥のポーズ。

 「まーたテキトーなこと言って! そんなことばっか言ってるから、うちのクラスでも浮いてるんでしょ」

 「え、俺浮いてんの!?」

 「えぇ、浮いてるわよ。具体的には53センチぐらい」

 「すっげぇ浮いてんじゃん。もう安いドローンレベルで浮いてんじゃん。いや、誰がドローンみたいな無機物レベルの存在感しかないクラスメイトやねん」

 「言ってないわよ」

 このノリがいい活発な女子が、芽乃琉久遠(めのるくおん)。活発を体現したように、髪型は金髪のショートカット。普段ははじけるような笑顔に、誰とでも仲良く話しかけるクラスの中心を担うようなムードメーカーである。整えられた眉毛にぱっちり二重の綺麗な目。健康と元気をそのまま映した唇は絶大な人気を誇る。文句ない美少女ではあるのだが、しかし、俺の恋愛対象にはならない。

 何故なら……。

 「颶風先輩、すみませんでした、うちの馬鹿が。先輩に向かってさっさとくたばって野垂れて召天して土に還れだなんて」

 「うん、芽乃琉さん、僕はそこまで言われてないよ」

 「すみませんでした」

 「それは何に対して謝ってるんだい? 酒美鳥に対してなのかい、もしくは君の殺伐とした矢継ぎ早の攻撃に対してかい?」

 「後で強く言っておきますので」

 「前者なんだね。後者は問題ないんだね」

 馬鹿だからだ。

 あの颶風さんもどこまで踏み込んで注意していいのかわからない御様子。致し方あるまい、相手は女の子で、しかも会ってまだ日が浅い。

 久遠と冬冬狼と俺は今年入学で、この部活に所属してから約三カ月程だからな。

 しかも、同じクラス。“腐れ縁”という言葉が強く意識される。

 そして、この五人が『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部の正メンバーである。

 「今日は何かやることがあるんですか?」

 「早急に解決しなければならない課題がある。これは部活の存続にも関わる問題だ。今日はそれを完全に滅することが出来るまで、帰れないと思ってもらっても構わん」

 気軽に聞いた俺の言葉を押し潰すように、響さんからとてつもない重圧が発せられた。

 この鬼気迫る威圧を感じ取った外の鳥たちは一斉に止まり木から飛び立ち、虫たちは草木に身を隠し、ただただ天災が過ぎ去ることを祈った。

 かくいう俺たちは室内の重力の増加に身体を軋ませ、飽和する迫力に息も出来ない。みたいな。そんな感じ。

 「そんな差し迫った重大な問題があったのか、朧飛」

 「あぁ、これを取り除かねば、私たちに未来はない」

 一体、何だというのだ。正直見当もつかない。

 強いてあげるとするならば、明日提出の数学の課題に一切合切鉛筆の黒鉛の痕が付いていないことか。もしくは、姉のお気に入りの熊のぬいぐるみに似せて作った段ボール工作品を、『私はドッペルゲンガーです』という立て札と共に姉の部屋に放置してきたことぐらいだ。

 昨日、オカルト特集の番組をやっていて、珍しく姉が怖がっている姿を見たものだから、取り上げられていたドッペルゲンガーを、わざわざこしらえてあげたのだ。

 妹からは、「全く似てない。これが似てるなら、ブタとウシの方が似ている」という評価をいただいたが、どうやら近代芸術を意識しすぎて妹の理解能力が追い付かなかったようだ。

 ちなみに、近代芸術とワードを打ち込んで検索エンジンに掛けても、よく実態が分からなかったのは内緒だ。そういうものなのだ、芸術って。

 とにかく、姉がどういうリアクションを返してくるかで、俺の人生が続くのか終わるのかが決まる。姉は怒ると、背景にめらめらと炎が立ち上るのだ。

 まさか……、この事を知って!?

 「部長、まさか……!」

 「酒美鳥、知っているのか?」

 「あぁ、そのまさかだ……。と、言いたいところだが、お前はどうせ違うことを考えているだろうから、黙っておけ」

 「酒美鳥、知らないのか!」

 酷い話だ。黙っておけとな!

 そして、颶風さんがひたすら振り回されて哀れだ。

 「ふっふっふ……、知らないかどうかは次の僕の一言で決めてください」

 「いや、もういいんだが」

 「では、いきますよ……」

 「お前は断られていることに気付け」

 何か冬ちゃんがのたまっておるが、俺には確信がある。“存続にも関わる”“差し迫った重大な問題”“未来はない”これらの単語から、得られる答えは一つ。

 この際、何故響さんが俺の問題を知っているかという部分には目を瞑ろう。しかし、それよりも、こんなにも大々的に俺の一身上の問題を真剣に取り上げてくれることを喜ぼうではないか。涙なしでは語れない。まだ浅い付き合いであるにもかかわらず、先輩後輩という上下関係を排し、さながら幾度も死線を共に越えた戦友のような友情を示してくれている。

 だから、俺は言わなければいけない。

 せめて、俺自身の口から喫緊の問題は掲げ上げなければいけないだろう。

 問題提起までおんぶにだっこでは、戦友としてあまりにも不甲斐ない。

 俺は口を開く。響さんに目を向け、ウィンクを一つするのも忘れない。

 「流石にそこは任せてくれ、戦友」

 「誰が戦友だ馬鹿者」

 「どんなハッピーエキセントリックな思考回路してるんだお前は」

 「朧飛と酒美鳥は戦友だったのか……!」

 「いや、当てはまるのはせいぜい主人と下僕ぐらいですよ」

 響さん、冬冬狼、颶風さん、久遠がそれぞれの反応で俺を迎え入れてくれる。しかし、その口調とは裏腹に、俺の次の句を待ってくれている。

 全く……。素直じゃない野郎どもだぜ。その友情にマジ感謝。

 「ずばり、その切迫した問題とは、俺のドッペルゲン――」

 「違う、口をつぐんで座れ」

 「ご愁傷さま」

 「ドッペルゲンって逆に気になるんだが……」

 「どうせまた変なこと考えてるだけですよ」

 こうして俺は素直にみんなと同じように椅子に座る。

 響さんのゴホンという咳払い一つで、今までのやり取りはすべて遠い過去のものとして扱われ、懐かしむ間もなく俺らは議題へと歩みを進める。

 しかし、頭をどうひねってもその議題に心当たりがない。

 「響さん、そんなに喫緊の問題って俺らにありましたっけ」

 「不本意ですが、同意見です。そんなに重大な問題が長い間気付かれずに、放置されてきたということはないように感じますが」

 何に対しての不本意かは俺の脳内材料では判断がつかないが、まさにその通り。そこまでの重量感を誇る問題ならば、流石の入部歴が浅い俺らでも気付く。

 そもそも、運動部でも文化部でもないこの部活に“部費”という概念はあまりない。部活動をする上で必要な道具もないし、長机やホワイトボードなどの類は、もともとこの教室にあったものをそのまま拝借しているらしいので、必要経費で落とすなんてこともなかっただろう。

 生徒の手助け、学校生活の円滑化、問題の解決、現状の改善を主題とする部活動に当てはまる俺らをはじめとするそれらには、共通のパターンだ。

 「ある。むしろ何故気付かないのかが、私には不思議でならない」

 「問題……? 何かミスでもしたかな」

 「颶風、そういうことではない。もっと表面的で、抽象的な問題で、しかし根本にかかわるものだ」

 「難しいですね……」

 むむむ、と手を口に当てて考え込む久遠。こんなに考え込む姿が似合わない奴もおるまい。その思考をジャックしたのか、こちらにガンを飛ばしてくる。

 「失礼なこと考えてんじゃないわよ」

 「なめるな、こちとら昨今急速に進む地球環境汚染問題についてあらゆる観点から解決策を模索していたところだ。お前みたいな平々凡々、いやそれからも劣るような存在なんかにかまけている暇はない」

 「結局、より失礼ね、あんたは……」

 そんなやり取りを展開していると、響さんが咳ばらいを一つ。全員の視線が集まったところで、彼女は再び口を開く。

 「私たちが所属しているこの部活は、どんな部活だ? 颶風」

 特に考える様子もなく、すらすらと答えていく。

 「困っている個人や団体に手を貸す、だろう? 様々な依頼に対して様々な角度や視点から解決策を掲げ、円満な解決へとアプローチしていく……。そんな感じだ」

 「うむ、まったくその通り」

 満足げに頷く。

 しかし、次の瞬間に、響さんの纏う雰囲気が豹変する。

 どこか嬉しそうに首を縦に振っていた先程までは、それはそれは春の穏やかな気候に抱かれて微笑む森ガールみたいな空気を醸していたのに対して、今はどうだろう。恐怖の大魔王もかくや、というような肌を突き刺すような冷気と、命に直接訴えかけてくるような圧力を持ってこの世に君臨している。

 森ガールがどういう過程を経たらこんな化け物に変わるのだろうか。

 その過程を追うだけで何本かのシリーズ映画が完成しそうである。名付けて、『森が焦土に変わるまで』。涙あり、流血ありの“バイオレンス、全米が泣いた”の完成である。

 現に、その豹変っぷりに颶風さんは混乱している。「何故だ……、何故なんだ、朧飛!」と一人で劇画調に焦っている。冬冬狼は「めんどくせぇことの幕開けだな……」と遠い目で外を見ているし、久遠は久遠で「ワァオ! ベリー恐怖ネー」と、完全に頭が飛んでいる。

 そして、大魔王が口を開く。

 それはまさに、閻魔大王が在任へ判決を告げるような様相に似ていた。思わず「閻魔様っ」と叫びそうになる。

 「何言ってんだお前は」

 冬冬狼の言葉に、実際に口にしていたことを思い知らされる。

 つまり、それだけの緊張感だったのだ、ということにしてもらいたい。

 「酒美鳥」

 否、閻魔大王などでは生温い。

 地の底からではなく、どこか別次元から響いたような声が場を支配した。

 死後の人々を裁くような存在ではまるで足りない。これはもっと、それこそ次元を束ねた世界に君臨する破壊神といった方が適している。

 俺を射抜く目は威圧感だけで三千世界の生き物すべてを地獄へと送ることが出来そうだし、ゆらりと重力に逆らう髪の毛は、まさに世界への反逆。物理法則すらも捻じ曲げてしまうほどの圧倒的恐怖の権化。それに付随して部室内へと走る、パキポキと嘲笑うような両手から生ずる音などは、それを耳にした生物を終わることのない悪夢へと引きずり込むような命の根源へと咆哮する血の音色があった。

 とんでもない。とんでもねぇものが生まれちまったぜ。

 ははっ、見ろよ、俺の膝、こんなにも笑っていやがる。

 とりあえず返事はしないと、死よりも恐ろしいことが待っているに違いない。

 死地へと向かう覚悟を決め、一つ深呼吸を落として、言葉を紡ぐ。

 「何でしょうか……」

 はっきりと口に出したはずのその言葉は、場の圧力に飲まれ、儚く、語尾が潰れるようにして消えた。

 口内が干上がる。喉が熱い。心臓が五月蠅い。頭が重い。手汗が煩わしい。

 しかし、刹那、その黒く命の鼓動を握りつぶすような空気は消え去った。

 それはまるで目の前まで迫った魔王の軍勢が、瞬きの次の瞬間にはすべてお菓子や花畑に変わったような現象だった。それほどまでに、夢物語で、ある種荒唐無稽な過去と未来の果てしなき乖離だったのだ。

 肩に停まる小鳥を幻視している冬冬狼や、突如身体を包む春の気候に目を細める颶風さん、そして未だその変化に適応できずに小躍りする馬鹿といった、楽園のようで、その実阿鼻叫喚すら聞こえてきそうな地獄絵図。

 それを創り出した張本人は、今度は静かに溜息を吐きながら、俺に問う。

 「そんな私たちの部活の名称は何だ、言ってみろ」

 部活の名称を問うてくるとは、どういう意図があるのかは俺にはわからない。

 もし、響さんが「あいつには答えられないだろう」という思惑を持っているならば、それはひどい話だ。流石に馬鹿にし過ぎであろう。俺が部活の名前すらわからずに入部し、更にはそのまま月日をのうのうと過ごしているとでもいうのだろうか。

 「そんなの簡単ですよ。『なんでもかいけつしちゃうぞ部』ですよ」

 胸を張って答える。この回答に一切の隙無し。千里の堤も蟻の穴からということわざがあるが、しかし、俺の回答には寸分の狂いもない。微塵も憂いを抱えなくていいような完璧な構え。天から見待ってくれている老師も鼻高々だろう。そんなヤツ知らんけど。

 「違うな。正式名称を全て述べてみろ」

 「え、正式を全部……?」

 「あぁ、そうだ。野球部なら、軟式野球部、硬式野球部となるように、余すところなくな」

 そして俺は、少し思案してみる。

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