第2話語るに及ばぬ語り事
雲が流れ行く。俺の遥か頭上を悠然と勇進していくそれらを見て、ある人は雄大な勇気を、ある人は果てしない向上心を抱き、ある人は「忙しなく足掻く俺らを見下しやがって……」と呟いたという。
諸説ある。軽々しく信じてはいけないし、荒唐無稽だなと切り捨てるには早計である。情報に関しては取捨選択が必要であるし、真偽を精査する眼力を鍛えるのは大事なことである。
長年付き添う伴侶でさえも「はいはい」と聞き流してしまうようなどうでもいいことを、淡々と垂れ流してしまうぐらいには晴れ渡った空だった。
行進していく雲の行く先には、慄然とするぐらいに大きくそびえ立つ入道雲。外表こそ純白でどこぞのスイーツのようにフワフワとしているが、内包する自然現象には、近代技術をこれでもかと搭載した都市を壊滅状態にさせることもある。
恐ろしきは自然、外見のみで侮るなかれ。
入道雲を望むことができることからわかるように、その自然の恩恵を鬱陶しく感じる程の、季節は夏、それも真っ盛りであった。
日を経るごと熱を増していく外気温に反比例するように、街を行く人々は苦悶の表情を浮かべ、ゾンビのように緩慢とした動きでそれぞれの道を行く。
何を隠そう、俺もその中の一人であった。
「あぢぃぃぃぃ~」
こんな情けないひとり言を漏らしてしまうのも許してほしいものだ。
みんな感じていることをあえて口にするという、むしろ俺の視界の中で誰も成し遂げていないような偉業を褒め称えこそすれ、何をそんな恨みのこもった視線を向けるのだ。
おい、そこのサラリーマン風の男だ。何が、「いちいち言うんじゃねぇよ……」だ。だからお前はいつまでもサラリーマン“風”なのだ。風に飛ばされろ、サラリーマン風だけに。
お前の気持ちを代弁してやってんだ。太陽に直訴してやってんだよ、お前の代わりにな。
そもそも俺が口にしても外気温は変化しないぞ、精神的な方は知らんけど。いや、このぐらいで暑くなった気がするならば、いっそのこと果てしなく暑くなってしまえばいい。
……俺も暑さに侵されているようだ。
厚かましい気持ちを熱く語るぐらいには暑い。あついあついうるさいな。
意味もなく入道雲のように膨らんでいく夏の暑さへの文句を頭の中に跋扈させながら、俺は学校へとのろのろと歩みを進めた。
……サラリーマン風の男もこっち方面かよ。
ええい、こっちを見るな。もう一度「暑い暑い」と呟くぞ。
何かを察したように、その男は俺から視線を外す。
その視線の先に、俺の学校も待っていた。
入学式から三カ月程たった今、最初は互いの距離感を測り合い、性格や人となりを観察し合った新入生も、友達やグループを形成し、教室には学生特有の活気が湧いている。
この学校は自由を校風とし、生徒たちの個性を尊重するという方針を取っているため、初期は遠慮がちだった生徒たちの髪色をはじめとする諸々のファッションも次第に特徴が表れ始め、今の時期には既に各々の個性の色を発揮している。
素晴らしい校風だ、と感心した人も多いと思うが、この校風はすべて、校長が自らの真の外見探しをしているからだと俺が気付いたのは、入学してから間もない頃だった。
集会に校長が参加するたびに、頭髪や眼鏡の色が変わっているのである。突然に短期的変化するはずのない骨格でさえも変えてしまうその校長の妙技、もとい神業は、校長が自らの名前を告白するまで誰にも分からなかっただろう。
新入生は毎年、“校長先生の代わりに挨拶をする人が毎回個性的な誰かに変わるのが集会の特徴”といった習慣があると勘違いをするのがこの学校の名物なのだという。
まんまと今年も引っかかったわけだ。
「どうも、校長です」と言い放つ何時ぞや見た校長とは異なった外見の別人に、何て笑えないギャグだろうと顔をしかめた新入生は枚挙に暇がないはずだ。しかも、毎回そのギャグを誰一人欠けることなく披露するのである。うんざりするのも無理はない話。
その種明かしをされた時の、俺らの表情たるや。
ぽかんと開けたその口に練りワサビを放り込まれても、呆然としたその表情を変えることはできなかっただろう。未だに新入生の半数近くがその事実を信じていないという点に、校長がいかに外見をゼロから作り変えているかが分かるであろう。人間業ではない。
ちなみに、俺も信じてはいない。
だが、校風を存分に私的に利用している校長の恩恵に俺らはあやかっているのだ。今の自由なファッションを楽しめるのも、先頭を切って、自らの行動を持って自由を謳歌するという歓喜を示している人がいるからなのだ。
……しかし、声まで変わるのは違うよな。
本気で別人説を支持している俺にとっては物的証拠が山の様にあるので、説を唱える材料に事欠かない。
そんな自由な学校だ。
そのせいか、無法とまでは行かないが、秩序はあまりないように感じる。
だが決して荒れているわけではない。個性同士が化学反応を起こして爆発することも多々あろうが、ヤンキーが幅を利かせるような印象はない。
それも、風紀委員に端を発する自治体のような部活が割拠しているからである。
そして、俺もその中の一つに所属している。
自治体というには大袈裟だが、しかし、本質はそんなに離れてはいない。
そんな部活。
『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部は、三つある部室棟のうちの一つ。その中でも一際建物の建築年数が若い、運動部でも文化部でもない部活が詰め込まれた部室棟にある。
勉強は学生の本分である。
どこかの誰かがそう言ったし、普遍的に言われることである。
実際にそうである。大人の庇護下にいるうちに多種多様の勉学を修めることで、俺らは種々様々な成功をその手につかむことが出来る。
「何のために勉強するんですかー?」と問うてる奴は、それだけで自分は勉強が出来ないですと自白しているようなものだ。勉強とはその向こう側の何かを見通す作業であり、自分の視野を広げるためにするものだ。
何より、何週間後かのテストに役に立つだろ、親に怒られないためだよ。
まぁ、そんなわけで。
高校生たる俺は日々、勉強に明け暮れるわけだ。
数式や図形の濁流に溺れたかと思えば、異国の国の言語に耳を侵され、ただでさえ自然には勝てないというのに自然現象を解明しようとする学問や自然の成り立ちを学ばせられ、自然に二重に辛酸を嘗めさせられる。自国の歴史上の偉人だけでなく、外国の似通った名前の偉人が堂々と立ち塞がったり、目に見えない、本当に存在するかどうかも分からないような物質同士の邂逅を教科書に見る羽目にもなる。もう話す人もいないような喋り方の日記を読んだときには、本気で脱走を考えた。
先生、これは何のために勉強するんですかー。
睡魔は何度も俺を襲うし、落書きに奔走して教科書のページは見失うし、周りとしゃべっているうちに黒板はその表情を変えていた。
そんな連続的かつ絶望的な死闘を終え、今日も俺らは教科書と共に今日学んだことを学校の引き出しにしまうのだ。
そうして放課後。
俺は部室へと向かう。
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