かくして、彼等はそう在り続ける。
どこぞの街角
第1話正気なき瘴気の発明
「俺さ、発見しちゃったのよ、世紀の大発見。いや、これは発明だな。稀代の大発明。かのエジソンも蓄音機回しながら電球に明かり灯すレベルの」
「例えが具体的に何を示しているのか分からんが……。何を発明したんだ」
「いいんだよ、細けぇことはよ。ともかく、聞いてくれ。俺のプレゼンを」
「はいはい、どうぞどうぞ」
「いやいや、冬ちゃん。俺はさ、これは本当に歴史を変える発明だと思ってんのよ。だから、そんな姿勢で聞いてたら……損するぜ? 知らないよ? 後でもう一回!何て言われてもアンコールは――」
「いいから、やれよ」
俺は椅子から立ちあがり、改めて横に座っていた冬冬狼(ふゆとうろう)を見る。
聞かせてやるか……。驚天動地、世界が目を覚ます、目からうろこが落ち過ぎて眼球そのものが飛び出す俺の発明。
俺は黒板の方へと歩みを進め、冬冬狼を振り返った。頭に思い描くイメージはスティーブ・ジョブズ。新作iPhoneを発表するかの如く堂々とした立ち振る舞いを意識する。
「まず、こちらのグラフを――」
「ねぇよ」
これは失策だった。
俺は発明の告知を急ぐあまり、プレゼンテーションのスライドなどを用意する時間を確保できなかったのだ。
虚空を指す指先が、悲しく映った。自信満々な表情の空振りが全米の涙を誘う。心に一筋流れた俺の涙には、苛酷な戦地にいる歴戦の兵士さえも銃を下ろすほどの、エモーショナルな何かがあったという。
しかし、何も俺の発明そのものが無くなってしまったわけではない。再び心に灯がともる。
「“良い意味で”って言葉あるじゃん。前述した、もしくは後述する文言は、聞き方やある側面から見ると悪く聞こえるかもしれませんけども、私は良い意味で喋ってますよ。褒めて褒めて褒めちぎってますよ。あんたが世界一ですよ、ってやつ」
「さっきの時間は何だったんだか……。まぁ、いい……。おう、一部過剰な発言があるが、概ねそんな感じだな」
冬冬狼の近くへと再び寄り付きながら、俺は語る。さぁ、心して拝聴せよ。
「それをさ、悪口の後に付け加えたら、相手の印象を一切合切悪くせずにこっちのストレスやら恨み言やらをぶつけることが出来るんじゃね、これ」
「いまいち分からんな。一切合切悪くならないのか? 本当に」
「実践してやろうじゃないか」
「しょうがないな、俺相手にやってみろ」
研究が認められ、それが正式に発見・発明だと認められるためには、確実な再現性が不可欠である。ここで俺の発明の偉大さを冬冬狼が実感してくれれば、俺の発明は世界に産声を発したと言っても過言ではない。
俺は深呼吸を一つし、心を整えて、実践へと移る。さぁ、ここで産み落とされるは世界の歓声。開けぬ夜に太陽を浮かべるが如くの成果なのだ。
「お前さ、本当にキモイんだよね。自覚無いでしょ? マジで自覚無い奴に成長とか改善とかないから。お前の感覚と一緒でそれらも死に絶えてるから。何かウジウジしててさ。公害も公害。身体中にキノコとかそういう菌類が繁殖するぐらい根暗だよな。むしろ、菌類が躊躇うぐらいあるよ。“あ、これ、僕たちが子孫を残す気力を奪うぐらい根暗だキノ”って。“これはもう死に絶えた地だキノ”って。良い意味で」
「全っ然印象悪いわボケ。一心不乱に不快感が上昇中だボケ。まず悪口そんなに重ねる必要性が見えてこねぇわ。しっかり目を見て話しやがって。何が良い意味だ、どこにも良く捉えられる節がなかったわ、微塵もな」
「あらあらまぁまぁ」
「ひきずり回すぞ」
何ということでしょう。先程まで協力的だったあの温厚な冬冬狼さんが、烈火のごとく怒り散らしてしまったではありませんか。
俺の心中では、あのリフォーム番組のBGMが鳴り響いていた。
「ありゃりゃ……、これは駄目かい」
これには浅学菲才の逆の座標に位置する俺でも、降参のポーズを上げざるを得なかった。
発明とは、こうも厳しい道なのだ。いばらの路を抜けることはできずに、いばらによって傷ついただけであった。主に、目の前の男が。
「失敗失敗……、じゃねぇよ。お前ただ日頃の鬱憤を何かにかこつけて発散しただけだろ、この俺に」
「そんなことないって、な?」
俺は満面の笑顔を浮かべる。
ばっちゃんが言ってた、笑顔を浮かべていれば大抵の状況は切り抜けられるって。
畳に火を付けて家族がてんやわんやしたときも、両親が火消しに奔走していた時に、俺に向かってそう語ってくれた。「いや、あんたも火消しに参加しろよ、何笑ってんだよ」という言葉は、その無言の笑みの圧力によって押しつぶされた。
しかし、そのばあちゃんも、その部屋にも発火するようなものは何一つ置かれてはいなかった。ばあちゃんにどうやって火を付けたのかを尋ねてみても、笑うだけで何も答えてはくれない。これは俺の家の七不思議の一つである。
そんなこんなをしていると、部屋の中に大きなため息が木霊した。深く吐き出されたそれは部屋の温度を二度は下げたに違いない。何だろう、機嫌が悪いわけではなさそうなので、原因が見当たらない。
しかし、ここで響(きょう)さんに声をかけなければ彼女のメンツが保たれないような気がする。先輩の顔を立てることは、後輩の誉れなのだ。
考える。先輩は、何を憂いてため息をついたのか。
我々を取り巻く世界情勢の趨勢か、昨今の不景気や社会秩序の崩壊か、はたまた今後に立ちこめる漠然とした不安という名の暗雲か。
いや、考えても仕方あるまい。話を聞いてあげるだけで心が楽になるというケースも多い。何より、こちらで先輩の悩みを推測したところで、あまり意味はないだろう。
俺はポケットに入っていたガムを取り出しながら、響さんに話しかける。
「響さん、まぁ悩みもあるだろうけどさ、そりゃちっぽけな人間、悩みの種何て尽きることはないと思うけどさ、何て言うのかな……。先輩には、前を向いて、歩き出して欲しいんですよね。先輩に停滞は似合わないというか……。ほら、ガムです」
「やかましい馬鹿者。ガムなど差し出すな、温かいまなざしをするな」
何ということでしょう。私の行動が、すべて徒労に変わったではありませんか。達成感なんてものは無く、与えられたのは疲労感と罵倒。とんだギブアンドテイクです。
再登場のBGM。恐縮の極みだ。
「さっきのため息は私自身に対するものでも、何か外部に向けられたものでもない」
「では、何を対象にしたので?」
「分からないのかお前は。師嶽(しがく)は分かるな?」
冬冬狼は少し思案したような素振りを見せ、恭しく頭を下げながら口を開いた。
「俺たちの会話に参加したいという意思表示かと」
「違うわ、誰がかまってちゃんだ馬鹿者」
この世には、言葉以外にも雄弁に心情を語る仕草が数多存在する。その一角であるという冬冬狼の指摘には納得の感嘆を上げそうになったが、しかし、そうではなかったらしい。
思考と現実の乖離が、俺らの不満という忌み子を産み落とす羽目になる。
「じゃあ何なんですかー」
「ですかー」
「コイツら……! まぁいい。お前らのくだらない会話に頭を痛めていたんだ」
くだらないだって……?
俺は、思わず身を乗り出して饒舌に反論する。
「くだらないとは何ですか! 僕は確かに凡人の類かもしれませんが、しっかりと筋道を立てて現象を考察し、人の心という不可解極まりない神秘を解明しようと奮闘したんですよ! それをくだらな――」
「まぁ、不毛でしたね。不毛というか、コイツを踏もうと思いました」
なにぃ?
冬冬狼の突然の裏切り。背中を預けていた戦友なだけに、俺のダメージは計り知れない。心中を動揺が跋扈している。
しかもちょっと上手いことを言っている。心中を嫉妬が跋扈している。二つが跋扈し合って合体して、新たな味を生み出す。冬冬狼は上手かったが、この味は美味くない。
「そういうわけだ、酒美鳥(さかみどり)。少しは建設的な会話を心掛けろ」
「うぃーす」
腑に落ちない。全く以て納得がいかない。しかし、戦うわけにもいかない。
戦いの女神様がくれた粋なマッチだが、その女神が向こうにいる。しかも相対するは多勢に無勢。勝てる見込みなどないに等しい。
俺は拳に無力を握りしめ、ただ無様な太腿を己で叩くしかなかった。
「雑魚め、お前がわけの分からん理論を滔々と語るからいかんのだ。臭い息で汚い言葉を紡ぎやがって。世界に迷惑だ、口をつぐんで暮らせ。良い意味で」
「冬ちゃん……、やっぱりこれ、ただの悪口にしか聞こえないわ」
「だろ?」
「お前ら……!」
俺らの重ね合う不毛のハーモニーは、響さんの頭痛のボルテージをぐんぐんと高め、ちぐはぐなオーケストラの演奏のようにこの場に不協和音を奏でた。
時刻は午後五時を回った頃。
我らが部屋、『なんでもかいけつしちゃうぞ部』部の部室でのある一幕である。
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