025 崖っぷちの奮起

「どうしてこんなことに……」


 島民たちは暗鬱としていた。

 特に海賊の砦から脱出し、これから夢の西大陸で暮らそうと渡航を決めていた者たちの失望は底がない。

 しかし、痩せても枯れても彼らは絶望することに慣れた元奴隷である。しおれている理由のおおもとは、期待が無残にもついえたからではなかった。

 青鬼が、青鬼を裏切った。

 同族にこっぴどく出し抜かれたという事実が、彼らにはよほどの衝撃だったらしい。先ほどから「なぜ、なぜ……」と、自分の尾を追う犬のごとく終わりのない問いを繰り返している。

 東雲にはこれが解らない。

 自ら高潔を謳う武士ですら、旗色が悪くなると蜘蛛の子を散らすように謀反へ走るのが戦国の世の常である。さらに言えば、親が子を、弟が兄を、伊賀者が抜け忍を、人間が人間を――そむそむかれ殺し殺され、そうして連綿と巡る負の連鎖が呪詛のように絡みついた国。それが東雲の知る日ノ本である。

 ここからは勝手な憶測だが、おそらく東大陸ホルンガルドという鬼の棲み処は、彼の想像以上に種族という見た目があらゆる価値を紐づける社会なのだろう。

 外見がもたらす根拠なき先入観は、忍もよく逆手に利用するところである。日ノ本でも、いまだに交易へやってくる南蛮人を天狗てんぐかモノノ怪の類だと信じ込み、じっひとからげに忌避きひする愚か者が後を絶えない。それがたとえ虚像であろうとも、自分と異なるモノを人は恐れ、本能的に遠ざけたがる。その相手が強大であればあればあるほど、弱者側の団結は強固になるものだ。

 青鬼たちの困惑と失意の源泉は、このような下地から噴き出したものと思われた。

 しかしだからといって、彼らの嘆きに同調するつもりも、ましてや慰めてやる暇も東雲にはない。

 その役割にあたる古参の島民たちは、事切れた同胞の亡骸を抱いて悲憤ひふんに水没している。

 こちらは裏切り者が同族であったという以前に、ともに暮らした仲間の情が、怒りと困惑に拍車をかけ、応報へとむかう足を引っ張っているらしかった。

 どちらにせよ、彼らが立ち上がるまで付き合っているいとまはないのだ。


「どっこい」


 ゴキリ、と東雲の身体からおかしな音が鳴った。

 部屋中の青鬼たちから異様なモノを見る目をむけられながら、身をよじり、なに食わぬ顔で手足の縄を解く。そのあまりにも自然な縄抜けに、彼らはしばし唖然と口を半開きにした。


「あ、あんた……」


 驚愕のままに言葉を発しようとした青年を、初老の航海士が小突いて黙らせる。

 それを尻目に、東雲は音もなく部屋の扉へ身を寄せて、外の気配を探った。

 左右に二人立っている。地獄では出入口に見張りを二人一組で配置するのが流行っているのだろうか。

 身じろぐ音の重さから、どちらも混じり者のようである。赤鬼よりは小柄な彼らも、東雲とくらべると頭ひとつぶんは大きい。十中八九、ダネルという男の指示であろう。これが青鬼であったならもっと楽にことが済んだものを、と室内にいる島民にはいささか失礼なことを考えながら、拾った情報を即座に組み立てていく。

 かすかに金属がこすれる気配に、両者とも半月刀を携えていることがわかった。

 部屋には縛られた青鬼以外なにもない。脱出に際し、これを当座の武器としてぶんるのがよいだろう。

 ふむふむ、とひとりで公算をはかる東雲に、老いた船長が声を潜めた。


「小僧、テメェなにをおっぱじめる気だ」


 言外に、軽率な真似はするなと釘をさされたのだ。

 たった今しがた身内をひとり失ったばかりである。余所者の勝手な行動で、これ以上の犠牲は看過できないというのだろう。――なるほど賢明な、老人らしい腰の抜けた判断である。

 もしもこの状況で彼らが抵抗の意志をみせれば、少なくない数の死者が増えるのは必至である。

 だがしかし、ならばこのままヤツらの言いなりとなって、むざむざ赤鬼どもに虐げられる人生へと逆戻りするのか。――そう言いかけて、東雲は言葉をつぐんだ。

 死ぬまで伊賀の里に縛られ続けた自分が言えた立場ではない。たとえどれほど自由を失おうとも、命だけは奪われたくないと保身に走ってしまう気持ちは、誰よりも理解している。

 なにより、東雲はこの世界の住人ではないのだ。

 正直に白状すれば、ダネルという男がこれみよがしに見せびらかしてきた海図の価値も、鬼の社会の実情も、酒のさかな程度にしか知りえない。完全なる部外者である。

 したがって彼らが自由の闘争によって命を投げうつより、他者に束縛された明日を選ぶというのであれば、口を挟む権利などない。

 しかしその決定に、自分があわせてやる義務もまた、等しくありはしないのだ。


「俺は西大陸へ行くぞ」


 扉から離れて、東雲は静かに、しかし決然と言い放った。

 赤鬼の艦隊と合流間近であるこの状況で、勝率は風前の灯火である。だが、たとえどれほど無謀だろうと、彼の覚悟はとうに決まっていた。

 ここで身を捨てに行かなければ、浮かぶ瀬もまたないのだ。


「死にたくなければじっとしていろ。たとえしくじっても、俺は鬼ではないからな。仲間ではないと言い張れば、アンタらの処遇が重くなることもあるまいよ」


 あまりにもさらりと自分の死後について語るので、青鬼たちは数秒の間、真顔のまま固まっていた。台詞の内容を正しく解釈するのに手間取ったのだ。

 しかしながらひとりだけ、東雲ならば当然こう言うだろうと待ち構えていた者がいた。


「トトも御供しますぞ!」


 気持ちいいほどに打てば響くような応えの直後、またしても船が傾いた。

 ぎょっと目をむく青鬼たちの隙間を、縄団子状態のネズミがころころ転がっていく。

 どうにも締まらない旅の相棒を拾い上げ、東雲は微妙な面持ちで鼻頭をつきあわせた。


「一応聴いておくぞ。もし命の恩人だとか、そういう理由で付き合おうってんなら願いさげだが?」


 トトはつぶらな瞳をしぱしぱと瞬かせ、すぐに真剣な表情で首を振った。


「トトはシノ殿と心中するつもりはございません。――なぜならこのいくさ、かならず勝たねばならないからです」


 今度は東雲が瞳を瞬く番であった。一方、島民の何人かは、トトの言葉にハッと顔をあげた。


「このまま海図が奪われてしまえば、西大陸ユーラヘイム赤鬼オグルどもの手によって荒らされてしまいます。トトの夢の大地を、けがされるわけにはいかんのです」


 恐怖で曇っていた青鬼たちの双眸に、一筋の小さな火が灯った。

 西大陸に憧れ、夢に観たのはトトだけではない。ここにいる全員があの場所を目指し、死を覚悟で海へ出たのだ。その情熱は、一朝一夕で渡航を決めた東雲の比ではない。

 トトは並々ならぬ決意と、深い悲哀のこもった声で続けた。


「昨夜、トトはシノ殿に嘘をつきました」


「嘘?」


「ミクトランを奪還し、一族の夢は果たされたと……。しかしあの戦には、まだ続きがあったのです」


 赤鬼からかつての故郷を取り戻したという世紀の快挙は、瞬く間に各地のチミー族を歓喜の渦へ巻き込んだ。

 岩と砂だらけの過酷な土地で、明日をも知れぬ暮らしをしていた彼らは、ぞくぞくとミクトランへ大挙した。――そして、都市はたちまちの内に溢れ返ってしまった。

 これまで厳しい生活であるがゆえにお互いが助け合い、貧しいながらも温かな親愛の輪をなによりも大事にしてきたチミー族であったが、ひとつまたひとつと移り住んでくる一族が増えるごとに、その金剛の絆に明らかなヒビが生じていった。

 特にミクトラン奪還戦に参加した一族と、そうでない一族との亀裂は顕著であった。

 命懸けで赤鬼と交戦したゲリラ部隊は自らの特権を主張し、後から来た者たちは一族の戒律である平等を求めた。

 次第に、都市のあちこちでいさかいが起きるのが日常になっていった。


「トトはとんだ愚か者でございました……。あの頃はただ無邪気に、悪い赤鬼オグルさえ倒せば、我々は幸せになれるのだと信じていたのです」


 しかしついに、同族が同族を殺害する事件が起きた。奪還戦を生き残ったトトの最後の友人が、諍いをとめようと怒れる暴徒の前に立ちはだかり、その凶刃によって刺されたのである。

 彼の死が引き金となり、抗争は激化の一途をたどった。

 トトは、友や親兄弟の命をいしずえに築かれた勝利の末路に、おおいなる失望と、背負いきれない徒労感に心折れ、一族としての誇りを圧し潰された。

 そうして、直視しがたい現実から目をそらし、逃げるように海へと飛び出したのである。



「己の道が見えなくなったら、旅に出ろ――。祖父のその言葉を信じ、トトは東大陸ホルンガルドをあとにしました。しかしここでもまた、種族は違えど同族が同族を陥れようとしている……。ならばもはや、目はそらしますまい。やるべきことは明白でございます。トトはシノ殿とともに、赤鬼オグルとそれに加担する者たちへ、宣戦布告をいたします」


「……そうか」


 相変わらず、このネズミは無自覚に他者を鼓舞するのが上手い。

 彼の話を聞いて、仲間の裏切りに面食らい、同族と争うことに抵抗を感じていた青鬼たちの迷いが解かれた。もはやこの場に、無気力にうなだれてヤツらの思惑どおりになることを是とする者はいない。

 静かに立ちあがった青鬼たちを見て、東雲は頭を掻いた。


「あー、一応聴いておくぞ。全員、死闘覚悟でいいんだな」


「わかってんなら訊くんじゃねーや」


 老獪ろうかいな船長が、さっきまでのしなびた様子が嘘のように、好戦的な笑みをひらめかせた。他の者も自由の大地を護らんとする使命感や、裏切られた憤り、譲れない尊厳などを胸に、決意を固めた面持ちで頷きあった。

 ならば、早急に策を組み立て直さねばなるまい。


「そういうおめぇはどうなんだ」


「……ん?」


「鬼でもねぇ、西大陸ユーラヘイムへ行ったこともねぇくせに、どうして命を張ってやがる」


 誤魔化しを許さない問いかけに、東雲は口ごもった。

 これからお互いに背中をあずけ合うのである。得体の知れない余所者の腹の内を知らないままでは、共闘もなにもあったもんではないというのだろう。

 しかしながら、なにやらもの凄い大義を掲げている地獄の住人らに対し、あくまで自分の動機は我欲である。とても正直には言いづらい。

 だが、ここで得意の口八丁であざむくのも、水を差すようで気がすすまない。仕方なく、東雲は自身のしょうもない心情を白状した。


「俺ァな、まだなんにもやれちゃいねーんだ」


「あ?」


「かろうじて愉快だったことといやァ、しわくちゃの老いぼれババアと酒を飲みかわしたこと、だけ! ――これで死ねるか? いや死ねん、死ねんだろう? なァ?」


 決戦目前らしからぬ薄っぺらな台詞に、なんとも言いがたい沈黙がおりた。


「……それだけか?」


「それだけだ」


「……そうか」


 老人は、どこか残念なものを見るような面差しで相槌をうった。

 はなはだ遺憾である。

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