019 酒宴

 夜がふけていく。島をあげた盛大な宴はなお勢いを増し、眠ることを知らない不夜城は、飲めや歌えのはやし声に包まれた。


「すげぇ! 十五人抜きだー!」


 こんなはずではなかった。東雲は岩の食卓に突っぷしながら、苦々しくうなった。

 島随一の酒豪だったらしい老婆との激戦は、わずか七杯目にして白い女傑に軍配があがった。


(鬼ババアめっ)


 いや、ここはあえて蟒蛇ウワバミババアとでも呼ぶべきか。

 いつの間にやら、東雲のまわりは黒山の観衆でごった返していた。無謀な余所者をたやすく撃沈してみせた老婆の雄姿に、距離を置いていた島民たちが我も我もと集まってきたのである。老婆がそれらをごぼう抜きにし、東雲の前後左右はひとしく潰された飲兵衛のんべえどもの屍で埋め尽くされた。

 こんなはずではなかったのだ。東雲はこれまで酒というものに酔ったためしがない。人生初の酩酊めいていを体感し、それでも盛大に啖呵を切った手前ひっこみがつかずに、かぱかぱと杯を空けた結果がこれだ。

 耳まで赤くした東雲を気の毒に思ったのか、誰かがみずがめを机のかたわらに置いてくれた。大変ありがたい。

 しかし醜態をさらしたかいあってか、彼らとの間にあったよそよそしい壁は嘘のように氷解していた。酒の力とは偉大である。

 樽で追加されてくる黄金色の蜂蜜酒を、島民たちは浴びるように楽しんでいる。しばらくして復活した東雲も、こりずに杯のふちをなめた。まろやかな口当たりだが、咽喉ごしはくどくなく、尾を引く甘さが枯れた身体に染みわたる。東雲はすっかりこの贅沢な酒を気に入っていた。とろけるような後味と、カッとほてる熱が心地よく癖になるのだ。

 酔いにまかせておっかなびっくりつまんだゲテモノ料理も、予想に反して悪くない味であった。そもそも、いろいろと誤解だったようなのだ。

 てっきり血だと思い込んでいた汁物は赤い香辛料を煮溶かした物で、具材の白い眼玉の正体は魚の卵、泥団子は黒いイモをすり潰し丸めた彼らの主食であった。

 赤い汁はピリリと辛く、忍の繊細な舌を持つ東雲には少々刺激が過ぎたが、黒いイモの団子はなかなかの美味であった。炙った表面はカリッと香ばしく、中はモチモチとしていて、まぶした塩がイモの旨みをほど良く引き立たせている。

 蟲の串焼きだけは想像通りの代物であったが、見た目のえげつなさを差し引けば、食えなくはない味であった。

 驚いたのは、その他の、百鬼夜行さながらなゲテモノの山が、すべて魚であるという事実である。現世の魚とはかけ離れた姿形であるが、ヘドロの海坊主しかり、地獄の海に住む生き物がおどろおどろしい風体なのは、かえって当然のことかもしれない。

 幸いにして、それらを口にしても今のところは腹をくだすことなく済んでいる。

 食欲も満たされ、なおかつ美味い酒がふんだんにあるとなれば、いやがうえにも気分が上むこうというもの。酔いもまわり、島の酒蔵を空にする勢いで闘飲とういんに興じる青鬼たちを上機嫌に眺めていると、ふいに、ここ数日ですっかり聞き慣れた軽やかな声が耳に飛びこんできた。


「素晴らしい御方なのです! シノ殿は!!」


「ごっふ!」


 ――酒が器官に入った。


「不覚にも赤鬼オグルの手にかかり、もはやこれまでと覚悟したその時! 一陣の風のごとく颯爽と現れ、快刀かいとう乱麻らんまに凶悪な賊めを打ち負かしてしまわれたのですから!」


「な、なんと!」


「本当かいそりゃあ!」


 一斉に、四方八方から興味深げな視線が突き刺さった。

 東雲は身を縮こまらせるように首をすくめた。幾十もの青紫の瞳には、真偽を疑うようなものも含まれていたが、それ以上に好意的な煌きがじりじりと肌を焼く。他種族が赤鬼を倒したという筋書きが、よほどお気に召したらしい。特に、ネズミが語る大活劇の渦中にいた青鬼たちからの視線が痛い。

 東雲はなんとも居心地が悪くなり尻のすわりを直した。

 すると、腰あたりの衣服がくいくいと引かれる。見おろせば、きらきらと瞳を輝かせた子供が、物言いたげにこちらを見つめていた。

 暗い鉄格子のむこう側で、声を押し殺し泣いていた少年である。


「助けてくれてありがとう、角の無いおにいちゃん!」


「…………」


 ぐっ、と東雲はたじろいだ。

 この男、悪意に満ちた視線にさらされることは屁でもないが、このように純粋で裏表のない好意をぶつけられた経験がない。酒で鈍った思考もあいまって、あけすけなおもはゆさに言葉が咽喉を詰まる。


「つ、ついでだ……」

 

 なんとか絞り出した声は、みっともないほどぎこちなく、ぶっきらぼうであった。

 そんな天邪鬼あまのじゃくな態度が、かえって話の信憑性を高めてしまう。一転して食卓が生温かな空気に包まれた。東雲は逃げ出したくなった。

 その間も、ネズミの口からはやや誇張された美辞びじ麗句れいくがとうとうと湯水のごとく流れ、愉快な酒の肴として聞く者の耳をおおいに楽しませている。もとより口巧者くちごうしゃであったが、酒が入るとより饒舌になるたちらしい。

 純真を絵に描いたような性格から語られる口上は、その言葉にかけらも嘘が混ぜ込まれていないだけに、まっすぐ聴衆の心へ届いた。おかげで、逃げ出した他の青鬼たちまでもがわらわらと東雲のもとへと集まり、改めて口々に礼を述べるので、東雲は気まずさでいたたまらなくなった。

 ついで、と言ったのは嘘ではない。

 彼らを助けた動機は、まっさらな善意ではなかった。しかしながら、その行為にまったくの情けが働かなかったかというと――、それもたぶん違うのだろう。

 東雲はむずかゆさから気をそらすように、当時のことを思い返した。

 海賊どもに損害をあたえたければ、極端な話、青鬼たちは牢へ入れたまま火を放ち、焼き殺してしまえば事足りたはずである。わざわざ逃がしてやることはなかったのだ。むしろ不測の行動を起こされる危険性を考慮すれば、自分ひとりで逃走を試みるべきであった。

 実際、例の泥棒娘によってどれほど肝を冷やしたか知れない。

 そうであるのに、トトが彼らを逃がすことを是としたのは、自分でも驚くべきことだが、一抹の仏心が彼らを助けよ、とささやいたからにほかならなかった。

 慣れないことはするものではない。

 自覚したせいで、酒の熱以外の理由から顔が熱くほてった。図星だからこそ、反論の言葉が即座に出てこない。いつもならば息をするように嘘偽りを吐く唇も、ひねくれた言葉しか転がしたことのない舌の根も、手放しに降り注ぐ感謝と称賛のまぶしさに圧し潰されて、生娘のごとく恥じらっている。

 我が事ながら気色が悪いことこの上ない。

 東雲はゆだって馬鹿になった頭を四苦八苦させながら、苦しまぎれに話題をそらした。


「いや、俺よりも、あのネズミこそだ。先に赤鬼へ喧嘩を売ったのはヤツだ。そして見事にひとり討ち取っている」


 どよめきが起きた。青鬼もネズミも同じ東大陸の出身であるはずだが、やはり赤鬼相手にネズミが大立ち回りをするというのは異例の一幕であったらしい。

 上手いこと注目の的が移り変わり、今度はトトが慌てる番であった。

 真相を問う声や、健闘を褒めたたえる言葉の嵐に、一転してもじもじと尻尾をいじりながら口ごもっている。

 してやったり、と東雲は自分の醜態を棚にあげて笑った。そして、称賛の波があるべき方向へ流れたことに、ほっと胸をなでおろすのだった。

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