018 地獄飯

 とりとめのない話をしていると、しばらくして、厨房の方からひときわ大きな歓声があがった。――どうやら宴の料理ができたようである。

 急にすきっ腹がきゅうと情けない自己主張をしてきた。無理もない。何日も海藻で騙し騙しなだめていたのだ。忍とて、飢えもすればひもじさも感じる。普段あまり食には頓着しない東雲も、この時ばかりは運ばれてくる夕餉ゆうげにそわそわと心躍るのを禁じえなかった。

 だがしかし。並べられた皿の中をのぞいた彼は――絶句した。


「――……は?」


 これはなんだ……。硬直する東雲を置き去りにして、周囲の青鬼たちは大皿に出された食事へ次々と手を伸ばし、実に美味そうに頬ばっている。 そこにはなんの疑いも躊躇もない。

 東雲は顔を引き攣らせた。忘れていた。やはりここは地獄の世界なのだと、強制的に再認識させられる。

 食卓の上には文字通り地獄絵図が広がっていた。

 艶やかなとろみのある汁物は血のようにどす赤く、白く濁った目玉がごろごろ浮いている。中央に山のごとく積み上げられているのは、泥団子としか思われぬ黒々としたこぶし大のかたまり。――その他、ムカデによく似たむしの串焼きなど、よく分からないゲテモノのてんこ盛りがこれでもかと運ばれてくる。

 あれほど「腹が減った!」とやかましく喚き散らしていた胃袋も、まさかの展開に今や借りてきた猫よろしく黙りこくった。

 驚愕が一周まわって真顔になってしまった東雲を蚊帳かやの外に、青鬼どもの夜宴は今宵最高潮の盛り上がりである。――とても水を差せる雰囲気ではない。

 どこかに援軍はいないのか。一縷いちるの望みをかけて目をむけた先では、上機嫌なネズミが頬を丸々と膨らませながら泥団子にかぶりついていた。完全なる孤立無援である。

 東雲は額に手をあて暗くうなだれながら、五日越しの食欲ですら木端微塵に粉砕するしゅうかいな晩餐を睨みつけた。


(いや、待て。これを歓待の馳走と思うからいけないんじゃないか……)


 東雲も忍の端くれである。ひとたび忍務となれば、兵糧ひょうろうが底をつき、木の根や羽虫で飢えをしのぐこともある。下忍の下である彼は、里の秘伝である兵糧丸や水渇すいかつがんといった便利な携帯食の製法を伝授されていない。そのため、水が無い場合は小石を口にふくみ渇きを癒したものだ。

 そう、とどのつまり生存のための食だと割り切れば、これらの異物を口にすることもやぶさかではないのだ。

 どのみちここで食わず嫌いをおこしたところで、明日以降の船の上で出される食事が劇的に改善される期待は薄く、頼みの西大陸へも、このまま空腹を抱えてたどり着けるはずもない。

 しかしそうは言っても、まだ重要な問題が残されていた。

 食堂に充満する未知の薫りを嗅ぎながら、東雲はなおもうなった。


(食っても死なんだろうな?)


 なにせ初の地獄じごくめしである。

 一介の忍として毒にはある程度の耐性があるものの、あくまでそれは現世うつしよの食物に限った話だ。

 すでに死後の世界である地獄で、さらに死んだ場合はどうなるのか、という根本的な疑問はさておき。地獄の住人でない人間の身体が、これらの食物を受けつけられるかどうかは判断がつきかねる。一応、海で小エビや海藻を拾い食いしても体調を崩すことはなかったが、あれらは見た目も味も東雲の知る範疇であった。

 見た目もさることながら、鼻腔を抜ける強烈な刺激臭も、尻込みしてしまう原因だった。

 戦国時代における一般的な調味料の種類は、塩、酒、酢、味噌のみである。それ以外の辛味や甘味などを味付けとしてもちいることに慣れていない彼が、独特な臭いを放つ料理に警戒を抱くのも無理からぬことなのだ。

 笑顔咲く宴のただ中で、東雲だけが、ひとりぽつんと取り残される事態となった。


「――……鳥がおるわいな」


「あ?」


 しわがれ声に振り返ると、背後に腰の曲がった老婆が立っていた。めしいた白濁の瞳が、ぎょろぎょろと東雲の全身を眺めまわす。


「黒い鳥がおる。それも三本足とは、おかしなこともあるもんじゃわえ」


 どうやら、東雲が腰かけている細い椅子を足の一本と数えたらしい。それにしても鳥とは、どこをどう見たらそのように映るのか。


「おい、まーたセンリばあの絡み酒だぞ」


「悪いねぇお客人、その婆さんちっとボケてるんだ。適当に相手してやってくれや」


「ああ」


 呆れたようにそろって苦笑いを浮かべる島民たちだったが、彼らの視線にはかすかに心配の色がにじんでいる。もちろん、絡まれた東雲の身を案じているのではなく、老婆が見知らぬ余所者に手酷くあしらわれるのではないかと気を揉んでいるのだ。

 良い島だ、と素直に感嘆の気持ちがわいた。

 呆けた老婆など、穀潰ごくつぶしにしかならないというのに、こちらをさりげなく見守る島民たちの目は温かい。

 穿うがった見方をすれば、働かざる者も食わせてやれるほど、生活に余裕があるのだろう。しかしそれだけではなく、ここに居る者たち皆が迫害される側の辛さを知っているがゆえに、この島は温かなのだ。


「なんじゃ、女々しく水なんぞ持ちよってからに。宴には酒じゃ、酒を飲め」


「いや、せっかくだが……」


「ワシの酒が飲めんのかえ」


(面倒くせェ……!!)


 典型的な酔いどれの横暴である。老婆は東雲の手から問答無用で水をひったくると、琥珀色の酒がなみなみと注がれた杯を押しつけた。甘い芳香がふわりと立つ。おっ、と東雲は目を瞬いた。

 この香りは知っている。蜂蜜である。

 蜂蜜といえば、伊賀の里では薬用として重宝される贅沢品であり、東雲も口にした回数は一、二度ほどしかない。

 思わず、こくり、と咽喉のどが鳴った。

 蜂蜜の酒など聞いたこともないが、そのかぐわしい艶やかな薫りは、他のゲテモノ料理とは一線を画し、あまりにも魅力的である。

 しかしながら、それでも東雲は杯に口をつけることを躊躇した。生と死を両腕に乗せた天秤が、いじましくもぐらぐらと拮抗している。


「臆病者め」


「!」


 老婆の濁った瞳が、心底めた様子でまっすぐにこちらを見据えていた。


「まっことつまらん、つまらん鳥じゃ。――さては貴様、空も飛んだことがないな」


 ことごとく見当はずれな愚痴であったが、なぜだかギクリと胸が騒いだ。図星をつかれた気がしたのだ。


「見てくれも悪いし、歌も下手そうじゃ。面白味のない鳥じゃわいな」


「おい、ババア、さすがに言い過ぎだ」


「事実じゃろうて」


 ハン、と老婆はせせら笑った。侮蔑を隠そうともしないその態度に、カチンと青筋が浮く。ボケ老人の戯言だ。軽く流せば良いものを、そうすることができないのは、老婆の指摘が東雲の一番柔らかい部分を的確に切り裂いたからであった。


「ビビリめ、ひなという歳でもなかろうに、情けない奴じゃ」


「……なにが言いてえ」


 地を這うような低い声が出た。遠目から様子をうかがっていた青鬼たちが、たちまち不安の表情を濃くしたが、漏れ出す怒気をおさめることができない。腹の内側を土足で踏み荒らされた気分だった。


「恐いからと、巣でうずくまっておっても良いことはないぞ。どうせいずれはヘビにでもパクリとやられる」


「…………」


 そんなことは百も承知だ。もうやられた。

 忌々しい里から巣立つ勇気を出せずに、東雲はこっぴどく死んでしまったのだ。

 老婆の言う通り、ビビったのである。

 里を抜ければ追っ手がかかる。よるべなく一生逃げ続けなければならない不安定な未来へ、踏み出す覚悟を持てなかった。そんなどうしようもなく情けなく、惨めな後悔を、赤裸々にあばかれた気がした。


「鳥ならば、四の五の言わずに飛べ。すぐには上手く飛べずとも、何度無様に地へ落ちようと、構わずに飛べ。さすれば、いつかは自由に飛べるようになる」


「……簡単に言いやがって」


 なかなかどうして、耳に痛い叱責だった。東雲は、叱られた子供のように笑った。

 頭では分かっているのだ。しかし一度死んだにも関わらず、相も変わらず命が惜しい。浅ましいほどに、生への執着が消えない。死が怖いのではない。一日でも、一時でも長く、生きていたいのだ。

 いつだったか、同僚の誰かに「生き意地が着物を着て足掻あがいておる」と揶揄されたことがある。けだし至言しげんである。

 魂に染みついた性根とでも言おうか、恐らくもう一度死んだとて、この悪癖は直らないに違いない。

 しかしそれではいけないのだ……。それでは、同じ後悔を堂々巡りするはめになる。


「……っ、」


 東雲は意を決して、一息に酒をあおった。

 甘美な熱が咽喉を焼く。――それは極上の味であった。楽しげに老婆が笑った。


「なんじゃ、イケる口ではないか!」


 東雲は、散々煽ってくれた分を挽回するように、空の杯を突きつけた。


「飛べ飛べうるせェ、先に飛ばしてやろうか、婆さん」


「やってみぃ、ひよっこめが」

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