017 混じり者

 砦に囚われていた青鬼たちがこちらへ気づき、感謝の嵐とともにトトが輪の中へ担がれていった。東雲も余波に巻きこまれかけたが、咄嗟にお茶をにごして抜け出した。酒の肴がわりに見世物にされるのは御免こうむる。

 もうひとりの旅の連れも、いつの間にやら島の若い女たちに捕まっていた。ズタ袋のような彼女の衣服を新調してくれるというのだ。レイラはしどろもどろになって百面相を披露した後、そのまま彼女たちの熱気にもみくちゃにされて食堂を出ていった。束になった女ほど面倒なものはないな、と東雲は黙って頷いた。

 酒宴は弾むような盛りあがりである。

 その喧騒けんそうの中に、ふと奇妙な容姿の者たちがいた。髪も肌もすべてが青白い島民たちに混ざって、赤みがかった小麦色の肌の鬼がいる。

 すわ赤鬼か、と東雲は片眉をはねあげた。

 しかしよくよく観てみると、彼らの体躯はがっしりとたくましい筋肉に覆われてはいるものの、赤鬼の強靭な肉体に比べればやや頼りなく、額から生えた角も一本であった。まるで、赤鬼と青鬼の特徴を半分ずつ足して割ったような見かけである。


「混じり者を見たのははじめてかい?」


 片隅で壁へもたれていた東雲に、ひとりの男が石の杯を差し出してきた。下戸とでも思われたのか、中身はただの水である。軽く礼を言って受け取りながら、口はつけずに、東雲は男へと視線をむけた。

 彼もまた、異端な容姿の者であった。瞳こそ青鬼らしい透きとおるような青紫だが、潮風でややいたみの目立つ短髪は、墨に朱を数滴落としたような黒緋くろあけ色である。


「混じり者?」


 怪訝な顔をする東雲に、男は酒でささくれた唇を湿らしながら、うわべだけの乾いた笑みを形づくった。


「たまにな、できちまうのさ。――俺らみたいな、望まれないはみだし者が」


 ああ、と東雲は特に感慨もなくうなずいた。現世うつしよでもごくありふれた、よくある話だ。ただ、赤鬼と青鬼、種族が違う者同士でも交われば子ができるらしい、という事実に対して相槌をうったのである。

 男もまた、過度に嘆くそぶりもなく、淡々と彼らの身の上に起きた事実のみを語った。

 東大陸ホルンガルドでは、種族の血がすべてを決定づける。赤鬼か、それ以外か。

 赤鬼として産まれることができなかった命の価値は、牛馬とほぼ同列であり、働けなくなった者から順に死んでいく……。逆らえば殺され、病や怪我で使い物にならなくなれば放り捨てられ、老いれば衣食住を取り上げられる。劣等種として産まれた瞬間から、降りかかる理不尽に抗うすべはない。

 混血児は、そんな倫理が欠落した社会の象徴ともいえる存在であった。

 その身に赤鬼の血が半分流れているとはいえ、奴隷と同じあつかいである彼らは、青鬼たちからは腫れ物のように見て見ぬふりをされ、もしくは鬱憤うっぷんのはけ口として、理由なき暴力にさらされた。

 ありふれた、よくある話だ。

 男は、彫りの深い精悍せいかんな顔立ちに暗い影をにじませながらも、酒気をふくんだ熱い声を落とした。


「ここはいい。こんな半端者の俺たちさえも、仲間として分け隔てなく受け入れてくれる」


 食堂の中央で、どっと歓声があがった。顔を上気させた酔っぱらいたちが、食卓の上でにわかに腕と腕を組み合わせ、力比べをはじめたのである。

 青鬼よりもひとまわり体格の良い混じり者の男が、挑戦者を次々と沈めるたび、わっと喝采が沸く。彼らの間に、血の隔たりは感じられなかった。

 観衆の熱気が膨らんでいくにつれて、東雲とともに逃げ出した青鬼たちも、次第にこわばった心を溶かしはじめた。彼らの閉塞的な故郷では決して繰り広げられることのない愉快な余興を目の当たりにして、ようやく出郷しゅっきょうの実感が湧いてきたらしい。

 勧められるままに酒が入り、泣き出す者、顔をくしゃくしゃにして不格好に笑う者、それを囲む島民たちもまたもらい泣きをしながら、互いの肩を叩きあった。

 彼らは皆、命がけで自由を求め、無謀な賭けに勝ったのだ。

 伊賀の里で東雲が生涯渇望かつぼうしながらも、最期まで手を伸ばすことのできなかった強さが――命の輝きが、そこにはあった。

 大粒の涙を流して喜びに打ち震える一群を、東雲は目を細めて、どこかぼんやりと眺めた。


「すまない、つまらない話をしてしまったな」


「……いや」


「そういえば、アンタも明日、俺たちの船に乗るんだろう?」


「俺たち? お前さん、船乗りか」


「ああ、しっかり送り届けてやるから安心してくれ」


 男は、人好きのするからりとした笑みを見せ、どんと胸を叩いた。なるほど、確かに彼の節くれだった手はひどく荒れているが、奴隷のように貧相なものではなく、武骨な力強さがある。島と海上を行き来する生活が長いのだろう。噂の西大陸へも、幾度となく赴いたことがあるような口ぶりだ。


「その西の大陸とやらは、どんな場所なんだ?」


「いいところさ! 痩せた土地ばかりの東大陸ホルンガルドと違って、豊かな実りと生命いのちで溢れている。あの場所で生まれていればどんなに良かったか、って何度思ったか知れないよ」


 ふーん、と東雲は半信半疑に聞いた。別して男の話が疑わしかったからではなく、自分の眼と耳で直接確かめるまでは、なにごとにおいても信用しないたちなのだ。

 しかし信じないからといって、情報の信憑性をつまびらかにすることはおこたらない。


「だったら、どうしてここの連中は西の大陸で暮らそうとしない?」


 ざっと観察した限り、この島の生活に不足があるとは思われない。

 酒も食い物も日用品も、過不足なく行き届いているように見受けられる。しかしそうはいっても、陸地の安定した環境を放棄してまで、陰気な迷路海流を漂う孤島にこだわる利点もないように思うのだ。


「そりゃ、俺たちにとって、ここが〝理想郷まほろば〟だからさ」


 告げられた理由は、東雲にはあまり響かないものだった。

 要するに、彼らは〝この場所〟で満足してしまったのだ。

 一世一代の覚悟を決め、命を懸けて海を渡り、奇跡的に辿り着いた安息の地。

 劣悪な境遇から逃れてきた青鬼たちにとって、この島での生活は、もはや十分過ぎるほどの贅沢に満ちていた。加えて、ここには同じ辛苦を共有する同胞がいる。良くも悪くも、一度あたえられた安堵と共感と充足は、再び重い腰をあげてまで、夢の大陸を目指す気力を削いでしまった、ということなのだろう。

 もちろん、この島を離れて西大陸へ移住した者もいる。しかしそれと同じ数だけ、島を終生の都とさだめた者も多いのだ。

 気持ちは分からないでもない。しかし東雲には、到底当てはまりそうもない選択であった。

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