016 新宝島

 島の内部は巨大な岩窟がんくつであった。

 ありの巣のように複雑で入り組んだ通路を進むと、吹き抜けの大広間が現れた。首が痛くなるほど高い壁面には、広間をぐるりと取り囲む回廊が何層も重なり、その奥から賑やかな音や話し声が漏れ響いてくる。

 岩盤をじかに掘削くっさくした象牙色の硬質な岩肌には、豪奢な彫刻がところせましとほどこされ、円形の天井には美しい幾何学模様の絵画が描かれている。いたるとろこに大小様々な装飾品が飾られ、それぞれの通路の境には、鮮やかな織り目の布が空間を遊ぶように垂れさがっている。

 丸五日もの間、白と灰と黒が滲む単調な世界を彷徨さまよっていた東雲たちにとって、そこはまさに色の洪水だった。チカチカと目に飛び込んでくる濃密な極彩色の光景に、しばし三人は圧倒された。

 大規模な洞穴をあますところなく明るく照らす個性豊かな照明器具には、光源として火ではなく、光り輝く石が置かれていた。やわらかな太陽の木漏れ日のように温かいそれは、光の質こそ違うものの、赤鬼の砦で見た白い月の石と同じである。


「こいつは……」


輝光石サンストーンという物ですな」


 キラキラとどんぐりのように大きな瞳を好奇心で輝かせて、トトが言った。


西大陸ユーラヘイム原産の鉱石です。伝え聞くところによると、吸収した光と同等の光量を発する性質があるとか」


「ほー、結構な優れモンじゃねえか」


 皮肉屋な彼にしては珍しく、掛け値なしの賛辞が口をついて出た。

 夜間を主な活動の場とする忍者にとって、光源は無くてはならない必需品である。ゆえに、うちたけという細い竹筒に火種を仕込んだ道具を常時持ち歩くのだが、これが熱いわ焦げ臭いわ長時間は保たないわで、なにかと気を配らなければならない代物なのだ。

 ひとつ手に入れられないだろうか、とさもしい画策をしながら、それよりももっと肝心な情報が含まれていたことを、機をみるにびんな東雲の耳は聞き逃しはしなかった。


「つーことはだ、アンタらは西の大陸への行き方を知ってんだな」


「あ!」


 旅の進退を左右する重大な指摘に、トトとレイラもハッとして島の長を振りあおいだ。


「…………」


 にわかに、両者の間で期待と牽制の心が膨れ上がり、無言の鍔迫つばぜり合いが生じた。

 しかしながら、答えは疑うべくもない。洞窟内の照明はほぼすべてこの輝光石サンストーンという摩訶不思議な石を光源としている。その数は膨大で、彼らが西大陸を頻繁に往来していることは明白であった。

 島長はふっ、とひとつ息を吐くと、鋭い眼光をさやへ納めた。


「左様。いかにも我々は西大陸ユーラヘイムへの正しき航路を知っている」


「!」


「明日の明朝に交易の船が出る。もしお主たちが西大陸ユーラヘイムへの渡航を望むのであれば、それに乗れ。其の方らとともに流れ着いた青鬼ユニルの何人かも、乗船する手筈になっている」


「本当に!?」


 万感こもごもといった様子を隠しもせず、レイラは両手を胸の前で握りしめた。

 老練ろうれんな島の長は、東雲とトトに視線をむけると、ほんのわずかではあるが、柳眉りゅうびをゆるめた。


「本来であるならば、蒼き同族以外の者に手は貸さぬ規則なのだが、お主たちは我らの同胞はらからを救ってくれた。――全島民にかわり、礼を言う」


 東雲とトトは互いに顔を見合わせた。渡りに船とはまさにこのこと。これまでの苦労がすべて報われるほどの幸運を、彼らはようやく掴んだのだ。


「ありがとうございます!」


 トトは小さな体を礼儀正しく折り曲げて、心の底から感謝を示した。それに軽く手をひらめかせ、島長は深くしわの刻まれた口もとに薄く笑みを湛えた。


「朝までゆるりとなされよ。今宵は宴だ」




 案内された食堂は、すでに陽気なにぎわいで溢れていた。

 島民共用の食事場らしく、大広間ほどではないが、こちらもかなり広々としている。内装はすべて洞窟内の岩を削り出したもので、床から直接生えたテーブルや椅子には、明るい色調の厚手の敷布が掛けられ、細身の青鬼たちが銘々めいめい思い思いに腰かけている。

 饗宴の席はまだ整っていないようだったが、待ちきれなかったらしい大勢の男どもが石のさかずきを片手に酒盛りをはじめていた。

 奥では、額に汗を浮かべた女たちが、もうもうと湯気をあげる大鍋を掻きまわしながら、岩壁を四角にくり抜いた棚から手際よく食材を取り出しては細かく切り刻むという作業を繰り返している。たまにやかましく催促さいそくする男どもへ、なじるような叱責が飛びかうが、彼ら彼女らの表情は晴れやかであった。

 皆、暴虐な国の呪縛から新たに逃げおおせた同胞を、我がことのように歓迎していた。

 早くも出来あがった男衆に絡まれ、困惑した面持ちで身を縮こまらせているのは、東雲たちと一緒に赤鬼の砦から脱獄を果たした青鬼たちである。東雲は一度その眼に映した顔は忘れない。

 こちらもやや気後れしつつ雑踏に足を踏み入れれば、入り口近くにいた島民たちが次々に島長へ声をかけた。ずいぶんと慕われているらしい。

 やはりここの住人にとっても人間は見慣れない存在らしく、物珍しげな視線が東雲の全身にそそがれる。あからさまな敵意はないが、臆病な警戒心はぬぐえない様子である。

 東雲ははた目からは分からない程度に肩をすくめた。ここにいる者たちもかつては奴隷であったと考えれば、当然の反応であろう。それでも大仰に騒ぎたてて追い払おうとする者がいないのは、ひとえに自分たちの長の判断を信頼しているからに他ならない。

 しかし東雲にとっては、遠巻きにされる方がかえって好都合であった。

 この奇妙な世界における人間の立ち位置をいまいち把握できていない現状では、なれなれしく詰め寄られてもどのように対応してよいものか困る。よもや「自分は死んだはずなのだが、気づけば全裸で赤鬼の砦にいたんだ」などと、あられもない真実を語るわけにもいくまい。――沈黙は金、というわけだ。

 会話に思考を割かなくてもよくなった分、東雲もまた、住民たちをつぶさに観察した。

 まず最初に気になったのは彼らの雰囲気である。レイラをふくめ、ここに来るまでに出会った青鬼たちは、誰もが一様に小汚くやせ細り、薄暗い雨雲を丸ごと呑み込んだような表情をしていた。

 しかしここの住人は、心の底から幸せが弾けたように、声をあげて笑うのだ。

 彼らを見ていると、まるで常春の極楽へ迷いこんだような気分にさせられる。洞窟内の華やかな内装や、色とりどりの装飾品が、そのような錯覚に拍車をかけた。

 しかし東雲は、この島がただの安穏とした集落ではないことを看破していた。

 雑多な空間に見えて、その内部構造は堅固な要塞を思わせる仕掛けが緻密に張り巡らされている。わざと狭く入り組んで掘られた通路には、随所に分厚い円盤状の石扉が設置されており、万が一の時は即座に横へ転がすことで侵入者を遮断する防壁となるようにつくられていた。

 東雲は食堂へ案内されるまでの道順をもちろん記憶しているが、仮に血迷って大暴れでもしようものなら、すぐにこれらの仕掛けが作動して袋小路に追い込まれることだろう。

 また、部屋の壁には飾りにみたてた小さな穴がいくつも開いているのだが、有事にはこれが覗き穴となり、弓矢を射かけたり槍を突き出すのに使われるに違いない。

 他にも、なにげない置物がよくよく見ると武器であったり、天井につるされた豪華な照明が、綱を切れば落下するようになっていたりと、忍び屋敷さながらの工夫が各所に見られた。

 赤鬼の砦よりもよほどえげつない用意周到ぶりである。

 このように挙げつらねると、普通の者ならばだまされたような嫌な気持ちが湧くのだろうが、東雲はむしろ感心とともに得心した。

 幾重にもおよぶ鉄壁の備えがあるからこそ、ここの住民は笑って酒を酌み交わすことができるのだ。

 彼らにとってこの島は、まさしく安住の地なのであった。

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