015 デビルフィッシュ

 陽は釣瓶落としのごとく暮れ、薄紫の闇が数瞬ごとにその暗幕をおろしている。

 どうやら化け物と取っ組みあっている間に、島の裏側まで流されたらしい。レイラの無駄によく通る声が、船と衝突した島の正面付近から響いていた。

 東雲は苔やシダに覆われた岩壁を器用に跳び越え、ぐるりと反対側へまわった。

 海面からやや離れた位置に、ひらけた場所がある。そこに黒々とした人影がうごめいていた。


「なんじゃアレは……」


 彼女たちもまた、得体の知れない生き物と遭遇していた。


河童カッパ……、いやタコか?」


 しなびた海藻が絡みついたタコの頭部に、金属の防具をつけた人体。青白い手には三つ又のもりが握られ、鋭い切っ先がレイラたちを品定めするように取り囲んでいる。

 タコ人間たちがなにごとかしゃべったが、ここからではくぐもっていてよく聞こえない。異形な見てくれだが、会話できるだけの知性はあるらしい。次第に言い合いとなり、ひとりがレイラの腕を強引に掴んで、どこかへ連れて行こうとした。

 しかしそんな暴挙をネズミが許すはずもない。

 一条の細い光が夕闇にきらめき、磨きあげられた小さな剣が、鎧の隙間を縫うように突き刺した。相変わらず素早い身のこなしである。

 引き攣れた悲鳴があがり、レイラが解放された。すると彼女は、恐怖で顔をこわばらせながらも、タコ人間へむかって果敢に拳を振り抜いた。

 ゴッ、と予想外な重い音が鳴り、タコ人間が吹き飛んだ。

 どよめきが走り、他の仲間たちがぎょっと身を引く。彼らだけでなく、トトも鳩が豆鉄砲を食ったように彼女を凝視していた。


「……あのお転婆娘、護衛なんかいらんじゃねェか」


 くわばらくわばら、と乾いた笑いが忍び出る。儚い外見にだまされそうになるが、東雲は彼女の体重を思い出していた。そりゃあ繰り出される拳も軽くはあるまい……。

 しかしそれは持って生まれた体質の話であって、彼女自身が戦いの場にむいているかどうかとは別問題である。

 三竦さんすくみの原因をつくった張本人は、怯えと混乱で今にも倒れそうであった。

 遭難して五日目、疲労も空腹も限界に達している。加えて多勢に無勢では、彼女らだけで切り抜けるのは厳しかろう。

 かくいう東雲も、先ほどの化け物との攻防でさすがに気怠さを隠せなかったが、金ヅル――、否、護衛対象を見捨てるてるわけにもいかない。

 ひゅっ、と風を切って無数の影が飛んだ。

 拳ほどの大きさの石が、目にもとまらぬ弾丸のごとき速度でタコ人間の顔面へぶち当たった。石は針の穴を射抜くような正確さで、銛を持つ手や、足の指先を襲い、次々と歩く海産物たちを広場へ陳列していく。

 突然の襲撃に彼らは狼狽え、警戒してあたりに視線をめぐらせた。しかしどこにも乱入者の姿はない。石は、広場のまわりに乱立する岩場のあちらこちらから飛んでくるのだ。彼らは、自分たちが大勢の何者かによって包囲されているという錯覚に陥った。

 もちろん仕掛け人は東雲ひとりである。

 彼は縦横無尽に岩場を跳びかいながら石を投擲し続けた。たまにわざと岩場へぶつけ、跳弾させることで自身の居場所を攪乱するなど、巧みに敵を惑わせていく。

 ちなみにこの石を投げるという行為、一見地味で格好悪い印象を持たれがちだが、実際は刀を振りまわすよりも楽に人を殺傷できる、合戦でもよく使われる手段である。

 東雲はこの礫業つぶてわざが得意中の得意であった。

 生きて情報を持ち帰ることを本分とする忍者たちは、やむをえず交戦と相成った場合、己の生存率をあげるため、刀や槍の届かない間合いの外からの攻撃手段を重視した。

 そうして生み出されたのが手裏剣である。しかしアレは、里の鍛冶屋が独自の製法によって生産する秘伝の武器であった。そのため数に限りがあり、もっぱら身分や忍務に応じて里が個人へ支給する枚数を管理していた。加えて形状が特殊であるため、所持しているところを見られれば即刻出身がバレてしまうという致命的な欠点があり、上忍でもそう多くは持ち歩かない。ましてや、東雲のような末端の者には十分な数が回ってこないこともしばしばであった。

 その反面、石ならばどこにでもタダで転がっている。彼が礫業に傾倒した背景には、そういった世知辛い事情が絡んでいるのだった。

 東雲は用心に用心を重ねた。先ほど、ヘドロの化け物の襞に苦戦を強いられたこともあり、あのタコ人間たちも自分の理解を越えたなにかを秘めているのではないかと警戒したのだ。

 しかし、彼奴らは呆気にとられるほど脆弱であった。

 おかにあがっているからだろうか。石の襲来を受けた化け物たちは、あっさりと地面へ引っくり返り、いつまでも痛みに身悶えている。広場は、さながら港の魚市場のような有様となった。

 うむ、と東雲はあごに手をあてた。――悪い癖である。彼の脳裏では、すでによこしまな考えがいくつも頭をもたげていた。


「シノ殿!」


「よォ、息災か?」


 しれっと岩陰から出ていけば、トトが再会の喜びと安堵で瞳を輝かせながら駆け寄ってきた。一方の怪力娘は、得体の知れない化け物がよほど恐ろしかったのか、眼の端に涙をにじませながら、眉をつりあげた。


「アンタ来るのが遅いのよ!」


「助けてやっただけありがたいと思え」


 適当にあしらい、地面に転がっていた銛を拾ってくるりとまわす。その双眸はタコ人間たちをねっとりと見定めていた。妙に熱がこもった、怪しい視線である。


「なァ、ちっと訊きたいんだが」


 すいっと指を前にさし、東雲は真剣な面持ちで呟いた。


「アレは食えるのか?」


「…………え、」


 しん、と水を打ったような静寂がおとずれた。


「え?」


 敵味方双方から、困惑と動揺に濡れた視線が突き刺さる。

 しかし東雲は大真面目であった。普段ならばこんな発想はしないだろう。しかしいかんせん、腹が減っているのだ。人に似た胴体部分はさすがに躊躇を覚えるが、あのタコの頭部は、味はどうであれ食いでがありそうだ。


「ちょ、ちょっと、あんなうねうねしたの、食べられるわけないじゃない」


「なんだ、鬼の国ではタコを食わんのか? 美味いぞ」


 ドキリ、とタコ人間たちの肩が跳ねた。この男、本気である。


「お、お待ちくだされ。さすがに、知性ある種族を食すというのは……」


「そう、よね。さっきしゃべってたし、立ってるし……」


「なら足だけもらうか」


 飢えでギラついた視線にさらされて、タコ人間たちは怯えながらじりじりと後退をはじめた。中には自分の足を隠そうとしている者もいるが、狙われているのはそっちではない。

 レイラたちも、ことさらやめさせようとはしなかった。倫理的な拒否感はもちろんあったが、それ以上に枯渇した三大欲求が、冷静な判断をにぶらせていた。


「――やめんかッ!!」


 突然、雷鳴のような大声が混沌を貫いた。

 広場のむこう側に、ひとりの老人が立っている。額に細い一本角があった。青鬼である。


「この者たちは敵ではない。武器をおさめろ」


 彼らの長なのだろうか。片眼に大きな傷のある厳格な風貌の老人は、地に倒れているタコ人間たちを悩ましげに見やると、次いで研ぎ澄まされた矢のような眼光を東雲へ突きつけた。


「無礼をわびよう。見慣れぬ風体ゆえ、我らに仇なす者かと疑った」


 穏やかな言葉とは裏腹に、老人の鷹のごとき双眸が瞬きもせず威圧してくる。これ以上ことを構えるな、と忠告しているのである。


「仇をなされたのはこちらなんだが」


「いやはや、誠に申し訳ない。近頃とみに赤鬼オグルのならず者どもと出くわすことが多くてな。みな気が立っていたのだ」


 老人のもとへ居並んだタコ人間たちが、その頭部をずるりと剥いだ。その正体は、化け物に身を扮した青鬼たちであった。


「大層腹もすかれている様子、非礼のかわりといってはなんだが、夕食を馳走させてくれ」


 ふいに、島の側面にあった大岩が、轟音を響かせながら横へ転がった。巨大な空洞が姿を現し、中から幾人もの青鬼がこちらの動向をうかがっている。


「――歓迎しよう。赤鬼オグルの砦へ火を放った、剛毅なる勇士たちよ」


「なぜそれを!?」


 トトが驚きに目をみはった。

 東雲は、海上に積み上がった船の墓場を思い起こし、――してやられた、とこめかみをヒクつかせた。小船を木端微塵にされたところからすべて、彼らの手荒な〝歓迎〟の一環だったのだ。


(このタヌキじじいめ……!)


 見知らぬ他者の本質を見極める定石として、意表をつくことはもっとも手っ取り早い手段である。

 とんでもない先制攻撃からの品定めを受けていたのだと悟り、東雲は苦虫を噛み潰した。


「ここは本国より逃げてきた青鬼ユニルが隠れ住む島。すでに先客が、お主たちの到着を待ちわびている」


 トトとレイラが、わっと喜色をあらわにした。

 連中も船を粉々にされただろうによく無事だったな、と再会に水を差すようなことは、さすがに言わずにおいた。




――――――――――

つぶて――戦国時代の合戦における戦死者は、七割が遠距離系武器(弓、投石、鉄砲)によるものであった。


◆デビルフィッシュ――タコの別称。

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