009 反撃の狼煙
潮気をふくんだ
「火事だ! 地下から火の手があがっているぞッ!」
その声は奇妙なことに、砦の二方向からほぼ同時に発せられた。
ひとつは門番の立つ玄関口。そしてもうひとつは、青鬼らが捕らえられている石牢のそばである。
夜の
「地下だと!?
「草は? 草はどうした!?」
「ごちゃごちゃ言っている場合か!! とにかく急げ!」
赤鬼たちは血相を変えて持ち場を飛び出し、取るものも取りあえず暗い廊下を疾走した。
その一部始終を、鉄格子の内側にとり残された青鬼たちは呆けた様子で見送った。
本国へ連れ戻される恐怖と絶望で引き攣れていた胸中に、困惑と警戒がさざ波となって広がっていく……。
この降ってわいた騒動を、物陰から息を殺し、じっと見つめるひとつの影があった。部屋の暗がりに潜んでいたその小さな生き物は、見張りがすべていなくなると、牢檻の壁をするすると這いおりた。
「――あっ!」
一人の青鬼が驚きの声をあげ、あわてて自らの口を手でふさぐ。
どこからともなく現れた一匹の獣が、その短い前足を伸ばして、壁にかけられている鍵束をつかんだのを見たからだ。
つられるように、いくつもの視線が飴色の毛をもつネズミへとむけられた。ざわり、と緊張が走る。賢い囚われ者たちは、はじめの目撃者にならうように、喉までせりあがった驚嘆の声をぐっと噛み殺した。
彼らは、このチミー族という生き物が赤鬼と敵対する立場の種族であると知っていた。ゆえに、これが自分たちにとって最後の転機なのだと、暗黙のうちに悟ったのだ。
ネズミは鍵の束をかかえ、鉄格子の間をするりとくぐり抜けた。
「キミは!」
「しっ、お静かに……。みな様方、枷をはずされましたらこのトトの後ろにお続きください。外へとご案内いたします」
「!!」
「……、恩に着る!」
囚人たちが互いに鍵を解きあっている間、ネズミは木戸の隙間からそっと廊下をうかがい見た。喧噪は遠く、今ならば脱出も難しくないように思われる。
まさか、こうもあっさり事が運ぼうとは――。
「何者なのだ、あの御仁は……」
ぽつり、とこぼれ落ちた疑問は、誰の耳にも拾われることなく、カビついた石牢の片隅に転がった。
+ + +
同時刻。地下へとつながる隠し扉の前では、騒ぎを聞きつけた牢番と門兵が合流していた。
ただでさえ幅のせまい通路に、泡を食った筋骨隆々の鬼どもが押しあい圧しあいひしめくさまは、筆舌につくしがたいむさくるしさである。
だがしかし、この場の空気がまるで蒸し風呂を思わせる熱気で充満しているのは、盛りに盛られた赤黒い筋肉の押しくらまんじゅうが原因ではなかった。
火事の第一発見者がそのままにしておいたのか、半端に開かれた隠し扉のすき間から、白い煙がもうもうと立ち昇っている。赤鬼たちは目の色を変えて、例の仕掛けへと殺到した。
鬼のひとりが鍵となる壁の石材を殴りつけ、四本の支柱に支えられた石床が降下する。下層へ着くやいなや、彼らは我先に隠し部屋の扉へとなだれ込んだ。
深い地の底であるにもかかわらず、部屋の内部は真昼のように明るい。床を濡らす油が、独特な臭気をあげて燃え盛っているからだ。
引火の原因は、壁掛けから落ちた照明用の油皿であった。それを管理するはずの不寝番は、喉から血を流し死んでいる。
赤鬼たちは震撼した。
こぼれた油を追いかけて蛇のように床をなめる炎が、白い植物へ食らいつき、根本からちぢれた
「な、なんだってんだ!? どこのどいつがこんな――!」
「侵入者か!?」
「んなことより草だッ! 草が燃えちまうぞッ!」
「水持って来い!!」
場は騒然とし、嵐のような怒鳴り声が支離滅裂に飛びかった。
数人がまろぶように通路を引き返し、上階へ戻るために壁の石材を再度押しこむ。しかしどうしたことか、仕掛けはうんともすんとも動かない。
「おい、どうした!?」
「故障か?」
「冗談だろ!? こんな時に!」
赤鬼たちは色めきたった。そうこうしているうちにも炎はどんどん勢いを増し、にごった煙が天井を白く覆いはじめている。
――……余談であるが。
混乱というものは、ひとつならば大概のことはすぐに収束をはかることができる。しかしそれがふたつ同時に発生すると、思考は少なからず混迷し、三つ以上となればもはや何から手をつければ良いのかわからなくなるものだ。
このような恐慌状態を意図的に演出することこそ、忍者の
浮き足だった鬼の喚き声が地下の空洞に反響するのを、東雲は昇降機の裏側で聞いていた。
間一髪、ちょうど昇降機の屋根に取りつけられた飾り籠を、鬼の金棒でひしゃげさせ、動力源である〝浮かぶ花〟を取り出したところであった。
そうとは知らず、階下では赤鬼たちがなんとか仕掛けを動かそうと試みている。
東雲は頭上を仰ぎ見た。
天井の石材のひとつがどんでん返しのようにくるくると回転し、そこにはめこまれた光る石が、せわしなく顔を出したり引っ込んだりしている。そうやって月光に似た白銀の光が降り注いだり途切れたりするたび、飾り籠から解き放たれた黒い花もまた、ふわりふわりと宙へ浮かび上がったり下降したりを繰り返した。
遊ぶように空中をたゆたうその動きは、まるで夜の
とにもかくにも、これらがカラクリの核心部という見立ては正しかったようだ。東雲はひとまず安堵しながら、そっと黒い花弁を指先でつついた。見た目はまるっきり植物のようだが、触感は陶器のようにすべらかで硬い。
触れても害がないことを確かめると、東雲はちゃっかりそれを懐へおさめた。
そして赤鬼たちの怒号を尻目に、そそくさと自分だけ縄を伝って上階へ引き返したのだった。
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