005 第一関門

 青白い石の光に照らされた上階は、せまい踊り場のような場所だった。

 短い階段の上に、粗雑なつくりの石扉がある。東雲は用心深くそれに取りつくと、極力音をたてぬよう神経を尖らせながら押し開いた。

 たてつけの悪いそれが、ほんのわずかに傾いた時――、一条の光が差しこんだ。

 さらに開けば、すぐかたわらに燃えさかるかがりがあった。じんわりと汗がにじむような熱気とともに、新鮮な空気が肌をなでる。

 直感的に地上へ出たのだとわかった。

 扉のむこう側は、石造りの細長い通路になっていた。

 どこからか流れてくる風にまぎれて、かすかにいそのかおりがする。海が近いのかもしれない。

 誘われるように外へと足を踏み出し、扉を閉めようとした直後、ふいにその手が止まった。


「こいつァ……」


 東雲は怪訝な面持ちで眉根を寄せた。

 再び腕に力をこめると、扉はまるでそこに存在しなかったかのように、左右の壁とぴったり一体化した。――いわゆる隠し扉というヤツである。

 扉の外側は、通路の白い石材とまったく同じ様式で作られていたのだ。


「……あー」


 これはマズイ、と忍の勘が警鐘を鳴らした。

 はからずも、彼が通ってきた地下は隠し部屋であったらしい。

 誰が、どのような意図でこの空間を使用しているのか、という疑問はひとまず置いておくとして。通常こういった場所の周辺は、警戒が厳しいのがお約束である。

 これは即刻立ち去るべし、と東雲は足早にこの場を離れた。


     +   +   +


 まことに皮肉な話であるが、伊賀の捨て石として何度も敵地へ放り投げられてきたこの男にとって、見知らぬ土地からの脱出は、数少ない得手のひとつである。

 思いのほか、外への出口はすぐに見つかった。

 しかし問題はここからであった。


(……鬼じゃ)


 建物の玄関とおぼしき場所の前に、赤ら顔の大柄な鬼が二人立っている。残念ながら、今度は死体ではなく生きていた。門兵なのか、胸当てのような防具を身につけ、手には東雲しののめふとももよりも大きな金棒をたずさえている。

 暇を持てあましているのか、彫りの深い金の眼は気だるげに瞼を重くして、時折あくびをもらしている。くわり、と開いた肉厚な唇のむこうに、虎のような牙がずらりと並んでいるのが見てとれた。


(くわばら、くわばら……)


 東雲はすぐさま尻尾を巻いて、すごすごともと来た道を引き返した。

 臆病者とののしるなかれ。せっかく拾った命である。極力危ない橋は渡りたくないのが人情というものだ。

 やはりここは鬼の牙城がじょうのようである。

 しかしながら、はて、と東雲は首を傾げた。日ノ本の城において、門兵というものはおしなべて外に配置するものだ。大手門のように一人では開けられない巨大なものや、内側からかんぬきをかけているならば話は別だが、あの扉はごく普通の小さなものだった。

 にもかかわらず、あの鬼たちは内側を警戒するかのように立っていた。

 そこから導かれる答えはひとつ。建物内にいる何者かを逃がさぬようにするため、と考えられる。

 もしかしたらここは城ではなく、牢獄のような場所なのかもしれない。


(……あな恐ろしや)


 とにもかくにも、一刻も早く姿をくらましてしまうにかぎる。

 東雲は他の脱出経路を探した。

 しかし、これがなかなか見つからない。

 というのも、この石造りの建物には窓らしい窓がなく、あったとしても東雲の頭すら通らない小さな空気穴だけなのだ。等間隔に焚かれている篝火のため、見落としがあるはずもない。

 東雲の足は自然と、建物の奥へ奥へと進んでいった。

 玄関のある場所からもっとも離れたどんづまり、よどんだ空気が溜まる一角に、新たな通路を発見した。数枚の扉がぽつぽつと並ぶ薄暗い廊下が、左右に一本ずつ伸びている。

 そこから何者かのうごめく気配がした。

 ――引き返すべきだ。東雲は無意識に一歩後ずさった。

 とどこおった空気の様子から、この先に脱出口がある望みは薄く、重ねて奥からおびただしい数の生者の息遣いが伝わってくる。

 身の安全を第一とするならば、到底この先へ行くべきではない。

 しかしながら、東雲は廊下の最奥をにらみつけたまま、逡巡するように踏みとどまった。


(さすがに、トントンとはいかねーか……)


 引き返したとて、他の場所はあらかた探索し終わっている。

 すでに頭の端では、この建物の出入り口が先程の玄関以外にないのではないか、と薄々勘づいていた。もしそうであるならば、多かれ少なかれなにか策を講じねば、あの場所を突破することは難しい。

 前門の虎、後門の狼――ならぬ、前も後ろも鬼だらけの地獄で立ちまわるには、握っている情報があまりにも少ない。

 策を練るなら、まずは敵を知らねばならぬ。


(――ええい、ままよ!)


 腹をくくってしまえば、東雲の行動は早かった。

 音もなく歩を進め、数ある扉の中でも飛びぬけて気配が多い右の廊下の一番奥に目をつける。

 ぴたりと扉に張りつけば、木の板ごしに生きている者のざわめきが伝わってきた。しかし、少なくとも扉の近くには何者も立っていないようである。

 意を決し、深く長く息を吐くと、動いているのかさだかではないほど緩慢な手つきで取っ手を押していく……。


 湿った分厚い木戸をへだてたむこう側――わずかに開いた隙間の先にあったのは、痩せ細ったみすぼらしい青鬼たちが、ひしめくように鎖でつながれている姿だった。

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