第1章 鬼ヶ島からの脱出

004 胎動

 暗闇を前にした時、人は無意識に光を求める。しかしそれは往々おうおうにして愚策である。


 東雲しののめは即座に瞳を閉じた。

 後ろ手にすばやく木戸を閉め、石壁のすみに身をよせると、そのままじっと黙して動かなくなった。――暗夜における隠法おんぽうの一種である。

 いったん部屋へ取って返して、油皿から松明をつくれば、容易に暗がりの奥まで照らすことができるだろう。しかしながら、得体のしれないこの場所で考えなしに火を持てば、自らの存在をおおっぴらにさらすことになる。他者の気配がないとはいえ、用心するにこしたことはない。

 鬼から拝借した衣が暗色だったこともあり、東雲の姿は溶けるように闇の中へと沈んだ。

 光が遮断された空間で、身じろぎもせず、壁に耳をあて音を探る。あたりは水を打ったように静かである。かすかなざわめきすらなく、かわりに湿った土の臭いが濃く満ち満ちている。やはりこの場所は地下にあるらしい。

 しばらくして瞼をあげると、その両眼には先ほどよりもはっきりと周囲の様子が浮かびあがった。忍者の夜目は、度重なる修練により常人のそれをはるかにしのぐ。東雲もまた例外ではない。伊賀の忍術はこと地獄においても、おおいに役に立つようだ。

 もっとも、だからといって彼の里に感謝の念を抱くようなことは、天地がひっくり返ってもないであろうが――。

 東雲は壁に手を触れたまま、ゆるりと前に進んだ。しかしいくらも進まないうちに行く手をはばまれた。部屋の外は、三方を壁に囲まれた袋小路になっていたのだ。


「はて、十中八九どこかで上に通じているはずだが……」


 指先をなめれば、やはり空気が上へと流れている。つられて天井をあおぐと、その場所だけ石材ではなく、鉄のような金属の板になっていた。

 板は、床から伸びた四本の柱によって天蓋のように支えられている。

 東雲は石壁のみぞに手をかけ、軽々とした身のこなしでてっぺんまで登ると、天板を押し上げようと試みた。


「ふんぬっ」


 しかし、どれほど力をこめようともびくともしない。天板は予想以上に分厚く、頑強なつくりになっていた。

 天板と壁の間にはわずかな隙間があり、風はそこを通り道にしているようだった。駄目もとでそこに指をさしこみ、押したり引いたりしてみるが、隙間の分だけ前後に揺れ動きはしたものの、脱出口となる兆しはみられない。

 まんべんなく調べつくし、あきらめて床に飛び降りる。

 ――するとその時、視界の端に奇妙なものがよぎった。

 壁の石材のひとつに、不自然にすり減ったあとがある。まるでなにかしらの意図をもって、幾度もなでつけられたかのような痕跡だ。

 まさか、という期待を抱きながら触れると、あきらかに噛みあわせがゆるい。

 慎重に押しこんでいけば、石材はこまかい砂を巻きこみながら、すべるように壁の内側へと埋まった。

 それが鍵だったのだ。

 ガタン、と頭上で音がして――次の瞬間、予期せぬことが起きた。


「うぉおっ!?」


 突然、四本の柱につながれた狭い一角を遮断するように、分厚い壁が降りてきた。

 あっという間に退路を断たれ、東雲は咄嗟にそれを蹴りつける。しかし、隙間なく立ちふさがった四枚の壁は、頭上の天板と同様の金属でできており、どれほど力を込めようとビクともしない。

 そうこうしているうちに、足もとの石床がガタガタと振動をはじめ、東雲はたたらを踏んだ。

 信じがたいことだが、どうやらこの空間全体が地盤から切り離され、ゆっくりと上昇しているらしい。これにはさしもの彼も、警戒した猫のように身構えた。

 漆黒の闇の中、狭い金属の箱が石壁をこする硬質な音が、忍の鋭敏な鼓膜を叩く。箱は、見えない力に引っ張られるかのごとく上昇を続け、みるみる下層部が遠のいていく……。

 東雲の脳裏に、最悪の事態がよぎった。

 もしも、この仕掛けが侵入者を誅殺ちゅうさつする類のものだったとしたら、いかに忍の術を心得ていようとも、あえなくおだぶつである。

 東雲はつとめて体勢を低くかがめ、全方位に神経をとがらせた。

 息がつまるような暗闇の中、耳ざわりな鳴動だけが刻一刻と時をけずる。

 しかして、機はほどなく訪れた。

 突然なにかにぶつかるような衝撃が走り、上昇移動によって圧迫されていた胃の腑がひっくり返る。直後、あれほどかたくなであった金属の壁が、するすると上へ開いた。

 東雲は転がるように箱の外へと跳び出した。

 謎の仕掛けによって強制的に移動させられた上階は、地下とさほど代わりばえのしない石造りの部屋であった。

 東雲はしばらくあたりを警戒して身構えていたが、特段罠のようなものも見受けられず、肩の力を抜く。

 むしろ呆気にとられるほどの静けさである。

 取り立てて地下との違いをあげるとすれば、天井から降り注ぐ淡い光くらいか……。


「……なんじゃあ、あれは」


 東雲は眩しげに手で目もとを覆いながら、頭上の光源をあおぎ見た。

 ほこりっぽく湿った闇に、摩訶不思議なものがチラついている。――石だ。青白く光る奇妙な石が、天井に取り付けられた木製の台座にひっそりと鎮座している。

 大理石のように白いその石は、夜空に輝く月を彷彿ほうふつとさせる淡い光を放って、あたりをほのかに照らしている。その美しさたるや、数多の宝石が路傍ろぼうの石ころに思えるほど蠱惑的であった。


「これまた面妖な……」


 東雲は近づいて、ほうっと感嘆の息をこぼした。

 部屋の片すみに、火の灯っていない油皿が備えられているのを見るに、照明のための石ではないらしい。

 石の真下には、先ほど東雲の心臓をおびやかしてくれた金属の箱があった。まるで光る石に吸い寄せられるかのごとく、ぴたりと触れ合い静止している。

 東雲は片眉を跳ね上げた。

 どうやらこの大掛かりな仕掛けは、侵入者を退しりぞけるためではなく、重い荷物などを地下へと運ぶ昇降機しょうこうきのようだ。床に幾筋もこすれた痕があることから、まず間違いないだろう。

 しかしそれにしては、石と箱の間に吊りあげるための縄や鎖のようなものがない。

 仕掛けは、文字通り宙に浮いていたのである。

 

「……はてさて。こんなもん、浮世では決してありえんよなァ」


 思わず、にんまりと口の端が引き上がる。

 得体の知れない物に対する警戒はもちろんあったが、それよりもいよいよ現実離れしてきたことに、愉悦の気持ちがにじみ出たのだ。

 東雲は好奇心のおもむくままに跳びあがって、箱の上へと身を躍らせた。わからないモノは徹底して調べずにはいられないのが、忍のさがなのだ。

 男ひとり分の重さで仕掛けが下降し、石との間にわずかな隙間ができる。しかしそれらは依然として引きつけ合ったまま安定していた。


「お?」


 構わず箱の上に乗りあげると、またしても変わった物を見つけた。

 下からではわからなかったが、仕掛けの上部には網目状の金属でつくられたかざかごがついており、中の空洞が透けて見えた。その中に、黒いはすに似た花が浮かんでいる。

 そう、浮かんでいるのだ。

 光る石も珍妙であるが、格子の中でくるりくるりと回る花もまた異質である。

 もしや、これが宙に浮くカラクリの核心部分なのか……。東雲は短くうなった。

 さては、この黒い花か光る石のどちらかが、強い磁力を帯びているのではないか。まじまじと観察しながら、東雲はそのような仮説を立てた。

 伊賀の忍は、星のない夜に方角を知る道具として〝耆著きしゃく〟という方位磁石を携帯するほど、この時代にしては珍しく磁気に関する造詣が深い。それ故の発想であったが、しかしいくらここが地獄だからとて、このような形状の磁石などありえるのだろうか。

 物珍しさのあまり、無意識に身を乗りだしていたのだろう。東雲の身体が石の光をさえぎって、黒い花の上に影をつくった。

 その直後、足もとの仕掛けが、突然重力を思い出したかのようにけたたましい音を立てて落下した。どうやら磁力ではなく、石の光に吸い寄せられて、花は宙に浮いていたのだ。

 そんな悠長な考察をしている場合ではない。


「おぉお!?」


 ほぼ反射的に東雲は光る石をつかんだ。

 拳ほどの大きさしかないそれは、半分ほどが天井に埋まっており、つかめる面積はわずかしかない。


「くっ、ぉ、お!」


 間一髪、宙づりとなった身体の真下で、今しがた昇ってきたばかりの縦穴がぽっかりと底知れぬ暗闇を湛えたたずんでいる。

 ひやり、と肝が冷えた。

 東雲は手汗ですべりそうになる指先にありったけの力をこめ、体を前後に揺らすと、からくも上階の足場へ舞い戻った。

 はやくも二度目の死をむかえるところである。

 情けなくも動揺する心臓をなだめている間に、再び階下から件の箱がすーっと音もなく浮上して、なに食わぬ顔でもとの位置におさまった。


「…………」


 東雲は誰が見ているわけでもないのに、ばつが悪そうな面持ちで視線を泳がせた。

 一体自分はなにをやっているのか。


「浮かれているのは俺の方だってか……。やかましい、自覚してるわ」


 無理からぬことだ。ここは伊賀の里でもなければ、彼を縛る伊賀者は誰一人としていない。十数年もの間囚とらわれていたしがらみから解き放たれた今、平常心を保てという方が土台むちゃな話なのである。

 しかしこれでは、いつ再びころっと死んでしまうかわからない。

 東雲は気合を入れ直すように両頬をたたいた。


臨兵闘者りんぴょうとうしゃ、以下省略!」


 喜ぶのはまだ早い、と喝をいれる。

 しかしその姿すら、やはりどこか楽しげであった。



――――――――――

◆九字の印=臨兵闘者皆陣烈在前と唱える、運気上昇・厄除けのまじない。忍者の間では精神統一の手段として使われた。もっとも、すべて唱えなければ意味はない。


耆著きしゃくの作り方=用意する物:小さくて軽い金属、火、お椀、水。

①金属を赤くなるまで火で熱す。②金属の先端を北にむけて冷ます。③水を張ったお椀に金属を浮かべる、以上。

熱残留磁化という仕組みを利用した忍術。地球の磁場をうけた金属の先端は、北を指し示すようになる。また、金属を船型に加工すると水に浮かべやすくなる。どうしても沈んでしまう時は、葉っぱなどの上に乗せるとよい。

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