#2 髪のみぞ知る

「はあッ、はあッ……!」


 死に物狂いで玄関口から廊下を走り抜け、私は教室に飛び込んだ。それもそのはず、あの恐ろしき先輩――二階堂榛那が追ってきたのだ、走って。それも私の髪の毛を後生大事に両手に抱えて。

 落ちた髪の毛を握りしめ全力で追ってくる女を想像してみてほしい。新手の都市伝説もいいところだ。


「もう……追って来ませんわよね……!」


 不肖、纐纈幸来。こういう時ばかりは抜かりない。自分のクラスが怪物にバレないように、わざわざ校舎内を3周して撒いたのだ。


「追ってこないって誰が?」

「んぎゃああぁあぁあぁあぁぁあっ!?」


 背後の声に驚いて、顔から床に転がった。痛い頭をさすりながらおっかなびっくり視線を上げると、そこに居たのは――


「あっははは、全然クールじゃないね! クール・カッコワライって感じ」


 私立星花女子学園高等部商業科、1年5組。

 いつも口が半開きのクラスメイトの有栖川水晶みあきが、ケタケタ笑っている。

 そして、クール(笑)だ。聞き捨てならない単語が聞こえて、さしもの私もクールじゃいられなくなる。


「か、カッコワライは付けないでっていつも言っておりますよね!?」

「そうかなあ。実のところは、似非エセクール? ……あ、今の5・7・5になってる。やっばー、私俳句の才能目覚めちゃったかも~」


 この有栖川水晶とまともにやり合ってはいけない。何故なら彼女は、ついこの間まで掃除機の中にはブラックホールが入っていると思っていたほどのアレだ――バカだ。

 クールな私は、華麗にスルーを決めなければ。


「あ、纐纈さん。おはよ~」


 水晶の隣には、同じくクラスメートの鳴瀬ゆみりさんが居た。こちらは穏やかな性格に柔らかそうなぽっちゃり体系。私がクール系で水晶がバカ系なら、ゆみりは癒やし系のゆるキャラ枠だ。


「おはようございます、ゆみりさ――」

「聞いてよ、ゆみり。私俳句の才能に目覚めちゃったっぽいんだよね~」


 私の挨拶を遮って、水晶はヘラヘラ笑っていた。ゆみりはほけーっとした顔を見せたあと、水晶の発言を指折り数えて納得したように「なるほど~」と頷く。


「ホントだね~。じゃあ下の句つけて短歌にしようよ。美味しそうなのがいいな~」

「えっ? どうしてそうなりますの!?」

「さっきの『そうかなあ。実のところは、似非エセクール?』の後に続く7・7だもんね~? 『そして輝く、ウルトラソウル』とか?」


 ハイ!

 ――じゃなくて。

 落ち着け私。あなたはクールなクール・ビューティー。クール系美女になるためには、どんなおバカ発言もスルーしなければ。ツッコまないようにせねば。


「『あまあまクリーム、ふわふわほより』」


 わあ。ゆみりはかわいいなあ。

 何にも伝わってこないけど。


「『ブラックホールと、ブラホックは似てる』」


 水晶はまったくルールを理解していない。

 というか字が余りすぎだ。


「『とろあまふにょっと、さくもちふわあ~』」

「『それにつけても、金の欲しさよ』」


 ――ああ、ツッコミたい……!

 このどこへ向かっているのか分からないトークに今すぐツッコミを入れてしまいたい。

 だけど、ツッコめばメッキが剥がれてボロが出る。クール(笑)だと思われてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。何せ私は纐纈家の者。クール・ビューティーであらねばならないのだから。

 私、纐纈幸来はツッコミ自粛期間に突入します。


「『そいえば次は、移動教室』」

「『電算室で、パソコン授業』」


 天然でボケ倒す水晶とゆみりは、なぜか下の句の7・7で会話を始めてしまった。もうどこからツッコんでいいのか分からず、聞いているだけでツッコミたくなる下の句の連歌を避けるように教室を出る。

 の二人にツッコミ倒してボロを出すくらいなら、ひとり孤独に居た方がマシだ。ていうかぶっちゃけそれこそクールだと思った私は、誰からも理解されない、孤高な女を気取ることにした。

 考えてみたらそっちの方がクールだ。うん、間違いない。


 ふたりを無視して、私は移動教室の準備をする。教科書、ノートと筆記用具を持って教室を出たところで、私は後頭部に妙な違和感を感じた。

 なんとなく後ろ髪を触られているような、そんな気がする。


 ――髪。


 途端、今朝のことを思い出した。

 謎の先輩に「髪の毛を落としましたよ」と呼び止められたことだ。天然の茶髪がどうとか、ケラチン質がどうとか言っていたあの黒髪の先輩が何者なのか私には分からない。タイの色から二年生であることは分かるけれど、それ以外のことは不明だ。むしろあんな人のことを分かりたくない。


「うん?」


 まただ、また触られた気がする。

 ほどよく伸ばしたローポニーテールの尻尾を掴まれたような。それも、イタズラ好きの男子がぐいっと引っ張るような触り方ではなく、指の隙間に髪を纏わせるような何ともいえない、ぞくぞく感。


 ――ハッ!? これが恋!?


「んなワケないわよ」


 自分で自分にツッコミを入れて、今日がツッコミ自粛期間だということを忘れていたことに気付き、心の中でさらにツッコミを入れた。そしてまた自粛期間であることに気付きツッコミして、以下無限ループ。

 これではクール・ビューティーなど程遠い。ちゃんと気を引き締めなければ。


「……よし、私はクール」


 おまじないのように自分に言い聞かせて、私は電算室へ一歩踏み出した。

 今度は、ポニーテールが不可解に揺れた。喩えるなら、バレーボールをトスするような、ふわっと感だ。

 間違いなく、誰か居る。誰かが私のポニーテールを弄んでいる。

 こんな小学生男子みたいなイタズラをするヤツは一人しかいない。


「……いつまで子どもじみたイタズラをしているのですか、水晶!」


 振り向きざまにそう言った。

 だが、背後には誰も居ない。


「『名前呼んだか? 九日ここのか十日とおか』」

「あなた、さっきから私の髪を触っていませんか?」

「『距離がありすぎ、触れないって』」

「『わたしも見てたよ? むりむりのむり』」

「え?」


 水晶は、ゆみりを伴って教室から出てきたところだ。教室からの距離はざっと5メートル。水晶やゆみりが下の句7・7のリズムで言う通り、あの一瞬で移動できる距離ではない。ていうかその7・7のリズムいつまで続けるつもりだ。


「『自意識過剰、クール系女子』」

「『触られてない、のかもねねねね』」


 そんなムリヤリ7・7で言わなくても。

 とツッコみたくなるのを抑え、自分の髪を触ってみる。うなじあたりで緩めに結んだポニーテールには大した変化もない。それどころか、いつもより指通りがいい気さえする。


「ふむ……」


 髪の調子がいいと、ポニーテールは案外揺れる。髪の毛一本一本の適度な油分が摩擦を小さくするので、さらさら、ひょこひょこと揺れるのだ。

 なるほど。そう考えると、あの妙な先輩が「美しい髪です!」と謎の太鼓判を押してきたのも頷ける。キレイな髪だったから思わず褒めちぎってしまったのだろう。なんと罪なクール・ビューティーなのだろう。私は。


「『忘れ物した、先に行ってて』」

「『あ、私もおなじく、わすれものしたかも』」


 もはや7・7すら無茶苦茶な二人を置いて、私は教室前を立ち去った。これ見よがしに振り向いて、サラサラのポニーテールを揺らすことも忘れない。


「ふふ、さすがですね私。クール・ビューティーはクールに去りますわ」

「ええ! クールです! とても!」


 目の前に居たのは、例の黒髪の先輩だった。


「ぎぃええぇえぇええぇぇぇぇえええぇええぇ!?」


 奇声を上げて仰け反った私は、そのまま尻餅をついてしまった。気を取り直してなんとか顔を上げると、先輩が顔面偏差値3の表情で息遣い荒くこちらを見下ろしている。


 ――生まれて初めて、命の危険を感じた。


「な、なんで居るんですの!? 絶対に見つからないよう私は校舎を何周も回って……!」

「髪の毛の匂いを辿ったんです。そんなに難しいことではありませんよ?」

「難しいわ! できるか!」

「そうですか? これほど分かりやすい香りもありませんのに?」


 もはやツッコミ自粛期間などと言うことも忘れ、私は叫んでいた。ボロが出るとかどうとか言う話じゃない。目の前の先輩は、朝拾ったばかりの髪の毛を鼻の前に近づけて、ひくひく鼻の穴を膨らませている。


「ああ、芳醇な香りです。味も見ておきましょう」


 言って、黒髪の先輩は舌を出した。何をするのかと思えば、落とし物だという髪の毛を舌の上で滑らせている。

 この人は確実にヤバい。本物のサイコだ。


「このジュテームのオリエンタルな奥深いコク……! しかもコンディショナーはパンテーンですね? シャンプーとコンディショナーでブランドを分けるとは、素晴らしい髪へのこだわりです!」


 使っているシャンプーとコンディショナーをバッチリあてられてしまった。

 でも、別にこだわりがあるワケじゃない。たまたま切れていたから予備のものを使っただけで――


「……すみません! 私としたことが早合点してしまいました。普段はボタニカルなシャンプーとコンディショナーをお使いのようですね。ダマスクローズやローズヒップの風味が残っていますし、わずかにココナッツの気配もあるので……この配合比からすると、もしや普段お使いのものはラックスのボタニフィークでは?」

「ち、違います!?」


 もうまともに頭が回らなかった。

 ちなみにシャンプーとコンディショナーの銘柄は先輩の言う通りだ。しっかり的中されて――利き髪、なんて言葉があるのかは分からないけど――しまっている。普段使いのお高めシャンプーがなくなったので、来客用に取っておいたものを使ったのだ。

 なんなの、この髪の毛ソムリエは!?


「いいえ。私の誇りにかけて、間違いはありませんよ? 先ほどから何度か、答え合わせのために手触りと香りを愉しませていただき――いえ、させていただきましたから。顔は覚えていませんが、髪の毛は覚えています。貴女が今朝の、濃茶の君ですね?」

「そ、それ以上近づかないで」

「ですが念のため、確かめさせて頂いてもよろしいですか? あなたがお使いになっているシャンプーの香りとをテイスティングしたくて」

「ひいいいいいいいいいいいいいいいい!?」


 バタバタ足を動かして、下着が見えることも気にしないで立ち上がった。とにかく走れば、この異常な先輩から逃げられるはず。

 一目散に電算室を目指した私の背中に、先輩の声が飛んできた。


「ああ、濃茶の君! また髪の毛が落ちましたよ!? これも頂いてしまってよろしいですか!?」

「もういやあああああああああああッ!!!」


 必死で電算室に逃げ込んだ。さすがの謎の髪ソムリエ先輩も、授業で使う電算室までは追ってくる様子はなかった。やっと落ち着ける。

 恐る恐る髪の毛を触ってみると、長い抜け毛が一本、指に絡みついていた。普段なら気にせず捨てるところだが、電算室は商業科の一年だけじゃなく、普通科の二年生も使うのだ。そう考えたら捨てる気にならない。もし髪の毛を拾われたら、またひどい目に遭いかねない。


「髪の毛だけで分かるものなの、普通……?」


 長い茶髪をしげしげと眺め、匂いを確かめ、舌で味わってみる。当然、何も感じないし味もない。ご飯を食べている時、伸びた横髪を食べてしまった時のような、ザラザラした異物感だけだ。


「……捨てずに取っておきましょう。」


 制服ブレザーのポケットから出したハンカチで、髪の毛を厳重に、厳重に畳んだ。これで髪の毛の匂いを辿られる心配はない。もうあの変人先輩に絡まれる心配もないだろう。


「って、髪の毛生えてたら一緒じゃん……」


 長く伸びた髪の毛を触って、私は至極当たり前のことに気付いたのだった。

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