◆ワインとカキフライと救急車。
縁との話を終えて事務所兼自宅に帰る。
今日はいろいろ情報が集まってきたので風呂に入りながらいろいろ考えをまとめてみる。
風呂にのんびり浸かっていたらのぼせそうになったので適度に切り上げ、バスタオルで大体の水分を取ったあと、裸に首からバスタオル状態のままで僕はキッチンへ向かう。
ワイングラスを一つ取り出し、部屋の隅に設置されたミニワインセラーから一本手に取ると部屋の中央にあるソファに腰掛けた。
テーブルにそれらを置き、オープナーを用意するのを忘れた事に気付いて軽く舌打ちをする。
いやいや。
これはイライラすべきところではない。
これから味わうワインを美味しく頂くためのタメの時間だ。
ここで焦らされれば焦らされるほどワインが愛おしくなるというものである。
もう一度キッチンへ行きワインオープナーを手に帰って来ると、自分が無意識に浮き足立っているのが分かった。
やはり日課のこの時間が僕にとっての至福なのだ。
本来僕はお酒がそこまで好きなわけでは無い。
ビールなんて嫌いだし、日本酒も苦手だ。
チューハイ程度なら飲めるが、これならただの炭酸ジュースでいいんじゃないか?と思ってしまう。
勿論人それぞれ好みがあるだろうからそれらを否定する訳じゃない。
僕の好みに合わないというだけだ。
その点、ワインと出合った時は感動したものだ。
僕は特別高級嗜好なわけではないのだが、これが不思議な事に気に入ったワインを手に入れようとすると自然とお高くついてしまう。
やはりそれだけ自分の見る目が確かだという事だろう。
うん、そういう事にしておこう。
結果、本当に美味しい物に拘ってしまうとロマネコンティあたりに行き着く。
一度だけ一千万以上のワインに手を出してしまったのだがさすがにそんな贅沢は何度もできないので普段はもう少しグレードを落としている。
そうでもしないといくら稼いだところでワインで破産してしまう。
日々飲むにはボジョレーくらいがちょうどいい。
それなら僕の稼ぎでもやっていける。
年々値段が変動してくるのが玉に瑕だが背に腹はかえられないのだ。
誰かが自分の血液はワインで出来てるみたいな事を言っていた気がするが、なんとなく分かる気がする。
香りを吸い込み、ゆっくりと口に含んだ瞬間のなんとも言えない感動は、あるべき物があるべき場所に収まったかのような一体感に似ている。
僕はこれを求めていてこれはここにあるべき物だったんだ。
そんな風に思う。
難点があるとしたらそれが一過性の感情で、もう一度それを体験したかったらまた飲むしかないのだ。
そうして、僕はまるで中毒患者のように日々ワインを求めている。
しかし、酒に溺れた生き方をするつもりもない。
あくまでもワインは僕の人生に無くてはならないパートナーであり、依存すべき対象ではないのだ。
そこはけじめをつけなければいけない。
だから僕はこの時間、寝る前のひと時だけをワインの時間と定めて、必死に普段は我慢しているのだ。
我慢をしていると感じている時点で依存の兆しがある。
だからこそその誘惑に負けてはいけない。
一度でも負けたら僕はもうダメになってしまうだろう。
むしろ最近はこの時間のワインを待ちわびて我慢を重ねる事が快感になりつつある。
我慢を重ね、飲みたい飲みたいという感情が高ぶれば高ぶるほど、この時間が素敵な物になる。
言わば僕が僕自身で僕の為にワインの価値を高めている。
これを死ぬまで続けていくつもりだ。
きっと病気になってアルコールを禁止されたとしても僕は飲むだろう。
それで死ぬのなら仕方ないと思うし、死を恐れてこの至福の時間を手放すわけにはいかない。
一日に飲む量は多くてもワイングラスの三分の一程度の量を二杯。
それが自分の中での決まりにしている。
沢山飲めばそれだけ価値が薄くなり、僕の身体がワインに慣れてさらなる刺激を求めるようになってしまう。
正しく、実際以上の感動を味わう為にはほどほどが一番という事だ。
そう、多ければいいと言うものではない。
情報も少し似たところがある。
多ければいいと言うものではなく、必要な物が必要なだけあれば真実は解明できる。
でも僕はこれに関しては我慢が出来ない。
知識欲とでも言うのだろうか?
知りたいのだ。
必要な情報も必要でない情報も、少しでもかき集めてそれを自分で必要かどうかを精査するのが楽しいのだ。
それらを組み合わせて真実を突き止めるのが楽しい。
パズルを解き明かすような快感が得られるのだ。
僕が探偵をやっている理由なんてそれだけである。
むしろ警察に入った事だって不思議な事件に触れていたかったからだ。
しかし組織の中で動くのが僕の性に合わなかったので、こんな事なら最初から探偵になればよかったと思った事もある。
しかし、実際事件を解決するのにあたって警察の情報というのは貴重だ。
有る程度精査されて必要な物だろう、という情報だけが回ってくるので少々気に入らないが、解決の為には警察を利用しなくてはいけない場合も多々有る。
そう考えれば以前警察にいたというのは意味があったのだろう。
敵視されてる分逆に困ることもあるのだが、中島のように無理矢理使える駒があるうちは使い潰していこう。
…ふぅ。
今日の分を飲み干してしまった。
仕方ない。
今日はもう寝よう。
これ以上起きていてもワインをじーっと眺めてドーパミンが溢れ出てくるだけの時間になってしまう。
正直それは辛い。
また明日の夜を楽しみに、今日を終えよう。
そうすればどんなに面倒な日々も
つまらない毎日も
明日が楽しみになると言うものだ。
勿論、今はこの事件が楽しくてたまらないのでそんな考え方をしなくとも明日が待ち遠しいのだが。
さて、明日は紅茶にいろいろ聞かなければならない。
彼女が嘘をついていないかいろいろ揺さぶりをかけて検証しなくてはならないので、一応記録として残しておこう。
会話内容を録音しようかとも思ったが、それなら動画を撮影してしまった方が早いなと思いなおす。
確か以前証拠を押さえなければいけないような仕事で用意した隠しカメラがあった筈…。
うーん。
どこに置いたかな。
これから探すのも面倒なので明日起きてからにしよう。
今日はもうさっさと寝たい。
グラスをシンクに置き、適当に水を少し入れて洗い物も明日へと押し付ける。
首にかけていたバスタオルを洗濯機の中へと放り投げ、一糸纏わぬ姿のままベッドへと倒れこむ。
一通りシルクで統一されているので素肌にひんやりと気持ちいい。
しばらく布団の上でひんやり感を楽しんでから布団の中にもぐりこみ、丸くなると意識はすぐに闇の中へと消えていった。
…翌朝。
「…うっ…頭が…」
酷い頭痛で目が覚める。
二日酔いするほど飲んだ覚えは無いのだが…。
のっそりとベッドから起き上がり、時計を見てみると昼の十二時半を少し回ったところだった。
特別驚く事は無い。
基本的に僕の朝は遅い。
何か用事があれば別だが、普段は昼過ぎまで寝ている事の方が多いくらいだ。
まだぼんやりした頭でシャワーを浴び、眼を覚ますと、クローゼットに沢山並んでいる同じ色、同じ形の服を一セット取り出しささっと着替える。
そういえば紅茶君にアポイントメントを取るのを忘れていた。
彼女の学校が終わった後時間が取れるといいんだが…まぁそれは今のうちに縁に連絡を取って紅茶君を確保してもらおう。
別に本人に連絡してもいいんだが縁がいるならその方が個人的に話を進めやすい。
何せなんとしても身柄を拘束しておけと言うだけで後の事は投げっぱなしにできる。
本人に連絡を取る場合用事があると言われてしまったら面倒だしそこから交渉するのは僕自身という事になる。
人に押し付けて話が進むならそれに越した事は無いしそれで失敗したらそいつを責めればいい。
我ながらやり方が汚いと思うが、それを悪い事だとは全く思っていない。
勿論超重要事項ならば僕は人に任せたりせず自分で動くだろう。
今回の件は別に最悪明日でも明後日でも構わないのだ。
そんな言い訳じみた事を考えながら縁にメールを送ると、すぐさま返信があり、放課後にアポが取れたとの事だ。
なかなか優秀である。
今後も面倒な事があれば縁に押し付けてもいいかもしれない。
そうだ、先月一人しかいなかった事務員が辞めてしまったのがすべての原因である。
出来る限り面倒な事は他人に押し付けて生きて生きたい。
縁はなかなかできる奴だからここで雇って雑務をやらせたり助手をさせるのもいいかもしれない。
それは検討しておこう。
新しく人を募集したりする事も面倒だから縁を引っ張ってこれれば一番いい。
何せ気を使う必要がないのだ。
縁は知識欲の塊だから事件の話をすれば根掘り葉掘り聞いてくるし、だったらむしろここで働けばいいという流れにすれば断らないだろう。
そして適当に最低賃金のバイト代でも出してやれば…。
いや、辞めるのが惜しいと思わせておかないとだからバイト代くらいは少し奮発してやるか。
こちらとしても生活にはゆとりがあるし、面倒な事を一通りこなしてくれるのであればそのくらいは構うまい。
むしろ高い給料払ってるんだからという理由でいろいろ押し付ける事も可能だ。
よし、それでいこう。
…結論を言えば、その日紅茶に会って話す事は出来なかった。
僕が家兼事務所を出てからの流れはこうだ。
紅茶の学校が終わるまでにはまだ時間があるので、僕は先に腹ごなしをしておこうと街へ繰り出す。
何を食べようかといろいろ迷った結果、結局自分が何腹なのかはっきりしなかったのでいろいろな物を選べる定食屋に入ることにした。
少し外観は古めだったが、逆になかなか趣きのある昔ながらの定食屋さんといった感じだ。
時間帯的に昼飯時から少しズレていたがまだ沢山の客で賑わっている。
これはなかなか期待できるかもしれない。
さて何を食べようか。
店員、というか店主の奥さんに促されて席に着き、メニューを眺める。
昔ながらすぎて文字のみのメニュー表なのでどんな感じなのか分からないが、回りの客達が皆頼んでいる親子丼なら外れる事はないだろう。
親子丼を注文するとほんの二分程で奥さんが持ってきてくれた。
丼の蓋を開くと三つ葉のいい香りがふんわりと広がり、半熟のたまごでとじられた鶏肉が店内の照明に照らされ光り輝いていた。
…こ、これは期待できる。
箸ではなく、一緒に提供された
いや、これ以上はなんだかグルメ物みたいになってしまうのでやめよう。
簡単に表現するとだな、とにかく美味い。
こんな美味い親子丼を喰ったのは初めてだった。
付け合せに出てきた漬物はあまり好みではなかったが、親子丼に関しては完璧と断言できる。
あまりの美味さに僕はきっと油断していたのだ。
警戒心と言うものが完全に消失していたのかもしれない。
まさかあんな事が起きるなんて。
隣の人が店主に注文する。
「カキフライ定食ひとつ!」
牡蠣か…。
実は僕も牡蠣は大好きだった。
…どうしよう。
牡蠣たべたい。
しばらく食べていない気がする…。
追加で定食というのは食べきれる気がしないぞ。
その時だ、僕が後々聞かなければよかったと心底思うことになる会話が僕の後ろのテーブルで繰り広げられる。
「あ、こっちもカキフライ!…あー、そうだな、単品ってできる?」
「はいはい、単品でも大丈夫ですよ」
そうか、そういうのもあるのか。
この店のカキフライだったら相当美味いのではないかと僕の頭は牡蠣でいっぱいになる。
そしてついに追加で注文してしまったのだ。
「こっちもカキフライ単品を頼む」
…と。
少し荒めの衣が黄金色に輝き、一齧りするとカリっとザクっとふわっとじゅわっと口の中に幸せが広がって、
そして僕は意識を失い
そのまま救急車で運ばれた。
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