◆ナースと牡蠣と契約変更。
「…はっ!!」
いったい何が起きた?
ここはどこで今はいつだ!?
れ、冷静になれ呑萄酒葡。
一体僕の身に何が…?
確か定食屋で素晴らしい親子丼とカキフライを食べて…そして…
ダメだ、そこから先が何も思い出せない。
「あ、目が覚めましたね。一時的にとはいえ結構危ない状態だったんですよ?」
声がした方を振り返ると、そこには純白のナース服を身に纏った看護婦がいた。
「ぼ、僕はいったい…」
「アレルギーですよ。呼吸困難になって体中に発疹が出て倒れちゃったんですね。今度から牡蠣は食べちゃダメですよ?」
そ、そんな馬鹿な。
確かに今までアレルギー反応がなくても急に発症というケースはある。
だがよりによってこのタイミングで…?
「丸一日寝てたんですよ?症状が落ち着いてももう少し様子見た方がいいですし今日はまだ入院していって下さいね」
なんだと!?
では僕が倒れたのは昨日という事か?
一日たってしまっているとは…こ、こうしてはいられん!!
「す、すまんが退院させて頂くっ!!請求書はここに頼むっ!!」
そう言って僕はベッドから飛び起き、自分の服や私物を近くの籠から回収すると看護婦に名詞を押し付け走って病院を出た。
というか逃げた。
あんなところにもう一日なんてやってられるかっ!!
とりあえずこの患者服のままと言うわけには行かないので近くのコンビニに飛び込んでトイレで手早く着替える。
外に出てから落ち着いて辺りを見回すと、どうやらここはこの地区でも一番大きな病院で、僕も一度訪れた事がある場所だった。
これは帰るのに一時間はかかるな。
病院の近場という事もあってタクシーはすぐに捕まえる事が出来た。
飛び乗って事務所の場所を伝え、スマホを取り出すと縁からの着信が四十件ほど…。
「まったく、アイツはストーカーか何かか?」
まぁ僕が約束をすっぽかして連絡も取れないなんてケースは今までに無かったから仕方ないのかもしれない。
縁に電話をかける。
メールで済ました方が良かったと、かけてから気付いた。
「ちょっ、今までいったい何やってたのさ!!心配したじゃないか!!」
「あー。すまん。急病で運ばれて入院してた」
「急病…?それで、大丈夫なのか?」
「おう。とりあえずもう平気だから病院飛び出してきたよ。今そっちに向かってるところなんだが紅茶君の予定は空けられそうか?」
「それは大丈夫。彼女も心配してたんだよ。とりあえずさっき学校終わって今帰宅中だから」
「そうか。じゃあこのまま紅茶君の家まで伺うとしよう」
電話を切り、運転手に目的地の変更を告げる。
大体五十分くらいで紅茶の家の前に到着。
住所は聞いていたが訪れるのは初めてなので一応周りを観察しておく。
が、特に何も変ったところの無い一般家庭のようだ。
外観から予測するに一家の収入は中の上といったところか。
チャイムを鳴らすとすぐに玄関の扉が開く。
誰が来たのかくらいは確認してからドアを開けろと説教したいところだがまぁいい。
「あ、葡萄のお姉さんいらっしゃい♪」
昨日…ではないのだった。
先日ショッピングモールで遭遇した時にくらべると大分明るさが戻っているように思う。
これも縁のおかげなのだろうか?
個人的には別に依頼人が明るかろうが沈み込んでいようが知ったことでは無いのだが、こうやって直接話す時の事を考えるとうじうじされるよりはよっぽどいい。
…この女の場合は平常運転が明るすぎるのが玉に瑕だが。
「緑茶…えっと…~縁ちゃんも来てるよー」
「別に僕の前だからって普段の呼び名を変えなくてもいいさ。なんで緑茶なんて呼び方になっているのかは大体見当がつくしね」
「へーさすが探偵さんって感じだね!」
…いや、そこは少し考えれば誰だってわかるだろう。
どうせ芥川の芥が茶に見えるからなんだろうからな。
紅茶に案内されて客間に通され、用意されていた座布団に座る。
背の高いテーブルと椅子、という洋風スタイルではなく、背の低い幅の広めの木を削りだして作ったような卓袱台というやつだ。サイズは割りと大きめで、ところどころに傷がある所を見るとそれなりに年代物なのだろう。
僕の正面に紅茶が座り、紅茶のすぐ隣に縁が座ってお茶を飲んでいる。
それに倣って僕も紅茶が用意してくれた緑茶を啜りながら本題に入る。
…と思ったがまずは謝らないと。
「昨日はすまなかったね。時間を作ってもらったのに来る事ができなかった」
「あー。緑茶から聞いてるから大丈夫。それより身体はもう大丈夫なの?入院してたって聞いたけど…」
「あぁ、それならもう大丈夫。ちょっと牡蠣のアレルギーが出てしまって気がついたら病院だったのさ」
「カキ?あんなに美味しいもの食べれなくなっちゃったの?」
カキのイントネーションが気になるがまぁいいだろう。そんな事はどうでもいい。
「まぁ僕の事なんかどうでもいいのさ。死んでなかったのなら今後気をつければいいだけだしね。好物が食べられなくなるのは残念だが命には代えられない。それよりも…君に聞かなきゃならない事があるんだ」
紅茶はきょとんとしながらも、ハキハキと答える。
「私に?解る事だったらなんでも答えるよー?」
…特に何かを気にしたり警戒する様子は見られない。
「実はね、どうも君の言う事があまり当てにならない状況になってしまって困っているんだよ」
「…?どゆこと?」
「一つずつ説明しようか。まず第一の事件の現場に君とよく似た女性が目撃されたのは聞いてるね?」
「らしいね。でも私別に出かけてないしなぁ」
「そして現場には君の持ち物が落ちていた」
「みたいだねー」
完全に他人事といった様子で紅茶はお茶をずずっと飲み干す。
「それが君じゃないと言うならそこで目撃された人物、或いは君のキーホルダーを持っていた人物に心当たりはないか?」
「無い」
少し喰い気味に紅茶は答える。
「そもそもずっと家に居たと思うし、キーホルダーは何日か前から行方不明だったからなぁ…」
あれが紅茶でないとするなら次が一番の問題だ。
縁が居る場所で聞くというのも少し心が痛むが仕方ない。
「実はね、この前縁が学校を休んだ日があっただろう?僕と君が喫茶店で契約をした日だ」
「うん、私その後モールで買い物して緑茶の家にお見舞いに行ったんだ」
知ってるさ。
「縁からどこまで聞いているかは知らないがね、実はその日の早朝縁が殺人事件の犯人と思しき相手に命を狙われたんだ」
「…え?何それ…聞いてないよそんなの。ほんとなの?」
紅茶は明らかに動揺した様子で縁に問いかける。
「…うん。隠してた訳じゃないんだけど、心配するかなって…それに…」
「そこから先はまだいい。とにかく、縁が命を狙われた。それは偶然にも二件目の事件がおきた場所のすぐ近くだったんだ」
紅茶の顔色がどんどん悪くなって言葉も歯切れが悪くなっていく。
「それって…もしかしたら死んでたのは先生じゃなくて緑茶だったかもしれないって事?」
「いや、そうとも言い切れん。可能性としてはその場合もあったかもしれないが…もしかしたら死体が二体になっていた可能性もある」
「…やだよぉ…緑茶が居なくなったら、私…」
動揺する様子も、恐怖に震える様子もおかしな点は見あたらない。
この少女がよほどの演者でもない限りこれを演技とは思えない。
「大丈夫。私は生きてるだろ?ほら」
「だって…」
紅茶は涙をぼろぼろ零しながら縁の手を握った。
縁はその目を真っ直ぐに見る事ができないのかおそらく紅茶の眉間あたりをぼんやり眺めながら頬を赤らめている。
照れてる場合かよ。
「それでだ。今分かってるのは…犯人は黒い雨合羽のような物を羽織った男。正体はまだ分からない。そして、その男は一件目の事件の時も少し離れた場所にある監視カメラに映っていた」
「…そう、なんだ。じゃあ、その人が誰か解れば解決って事?」
「そうなる。…だが、もう一つ問題があるんだ」
「問題って…?」
紅茶が涙に濡れた瞳でこちらを見つめてくる。
縁の気持ちが少しだけわかる気がした。
この少女は、普段明るいだけにこうなるとなんというか…こう、保護欲をかきたてられるというか、きっと放っておけなくなるタイプなのだ。
「問題はね、一件目の時監視カメラに君に似た少女も映っていたんだ」
「それは目撃されたっていう私に似た人なんでしょ…?」
「あぁ。そして、二件目…。縁が襲われた時にな、縁は君を見たと言っている」
紅茶はびっくりしたように縁の方を見た。
縁はその視線に耐えかねたのか視線を落とし湯飲み茶碗を見ているようだ。
「私には…紅茶に見えたよ。こんな時間に何してるんだって追いかけてたら見失って、そしたらあいつがすぐ後ろに立ってて殺されそうになった。…だけど、だけど、そのあと紅茶が私に向かって走ってきて、それを見た犯人は慌てて逃げてったんだ」
「…知らない。私じゃない」
「君はそう言うだろうと解っていたさ。だけどね、君の親友である縁が、あの声は紅茶だったと言うんだ。君の言う事が当てにならないと言った意味が解ってもらえたかな?」
紅茶は俯き何かを必死に考えているようだった。
「うん。それは本当に私じゃない。姿が似ていて、声もそっくりでも私じゃない。…だけど、緑茶がそこまで言うんだったら私の言う事が疑われても仕方ないと思う」
「紅茶、違うよ。聞いて…私はあれが紅茶でも紅茶じゃなくてもどっちだっていいんだ。ただ、その人のおかげで今こうして生きてる。だからもし紅茶だったなら…お礼を言いたくて」
「そっか。ならその人に感謝しないとね。…残念だけど緑茶を助けたのは私じゃないよ。信じてもらえるかわからないけど」
「…そうか。ルフナがそういうなら私は信じるよ」
「そうそう。緑茶が私の事紅茶って呼ぶと変な感じするからそのいつものよく解らない呼び方の方が安心するよ」
…ルフナ?
茶葉の名前か?
この子達の呼び名に大した興味は無いが、その辺よく分からないルールがあるのだろう。
「ただね、そこに現れた少女は別に縁を助けただけじゃないんだ」
「…どういう事?」
「さすがに縁でも親友を間近に見て間違えたりはしないだろう?」
「それは…そうだろうけど、すぐにその似た人もどっかいっちゃったから解らないとかじゃないの?」
「どちらかと言うとね、縁に直接危害を加えたのはその少女の方なんだな」
紅茶は訳が解らないといった表情で縁と僕を交互に見ている。
「縁はね、背後から走ってきた君みたいな少女にいきなり顔面にドロップキックをくらって昏倒したんだ」
「…はぁ?」
まぁそういう反応になるだろう。
あまりに反応が自然すぎる。
これは…おそらくだが二件の現場付近に現れた少女は紅茶ではないのだろう。
「え?それでどうしたの??そのままそこで倒れてたの?」
「それがさ、私気がついたら自分の家の前で倒れてたんだ」
「え?運んだの?誰が?」
「それがまた不思議なところなのさ。君に似た人が現場付近に偶然現れ、犯人を追い返し突如縁にドロップキックをかまして家の前まで運んだ事になる。この時点で縁の家を知っている人物という条件も追加されるわけだ。君本人だったのではと疑われる理由を理解してもらえたかな」
「うん、そりゃ疑ってもしょうがないや」
なかなかあっけらかんとした返事である。
この少女は自分の周りに危害が加えられるのを尋常じゃなく恐れる代わりに自分の事となるととたんに他人事みたいになるところがある。
これは危うい。
「君は…もう少し自分の置かれている状況を理解したほうがいいぞ。周りを警戒しろ。自分の命が狙われる可能性もあるんだからな」
「…うん。そうだね…。今までは縁が守ってくれるしとか自分の事に関しては軽く考えてたけど、縁も危ない目にあったってなるなら私の事は私がどうにかしなきゃ」
「私は別に…っ。ハー・マジェスティが無事ならそれでいい」
…今度はブレンドの名前?基準がよく分からんが、どうやら普段は紅茶の名前をランダムに使用して呼んでいるのか?
紛らわしいというか理解しにくい。
「そういう訳にはいかないって。緑茶に何かあったら困るし、私に何かあったら緑茶が困るって言うなら私にも何かあったら困るわけで、えーっとだから、要するに皆元気が一番!」
着地点はそこなのか?
僕は突っ込まないぞ!
「…ありがとう」
お前が突っ込めよ!
ダメだこいつら。
「葡萄のお姉さん、お願いがあるんだけど」
「その呼び方はやめろと…まぁいい。なんだ?」
紅茶は、少し迷いのあるような声で、それでいて、もう後には引けないというような瞳で僕に言った。
「契約内容、変更して。私と緑茶、それと私にごく近しい人を犯人から守って。それと一刻も早く犯人を捕まえて」
…捕まえるのは僕の仕事では無いかもしれないが、真相を暴くという意味であれば今までと変らない。
むしろ彼女が事件を全て未然に防ぐ、から自分とその周りの人間を守れに変更してきたのは少し意外だった。
ようするに、多少他の犠牲が出るのは我慢できるが縁や家族、近しい人に何かあったら許さねぇぞ、という事である。
なかなか挑戦的な発言じゃないか。
「いいだろう。その契約変更……っと、ちょっと待ってくれ。便利な道具からの電話だ」
便利な道具から電話という発言が不思議だったのか紅茶と縁がわずかに首をかしげる。
「なんだ、こっちは忙しいんだ…って、なんだと?あぁ、ああ。解った。それについてはまた詳しく聞かせてもらう。それまでに出来る限り詳しく調べておけよ!」
なんてこった。
ギリギリじゃないか。
「何かあったの?」
「紅茶君、君からの依頼内容は先程変更が完了したという事でいいね?」
「…?いい、けど…?」
「そうか。ならこれは依頼失敗と言うことにはならないな」
「それって…」
「ああ。君のご学友がまた一人、殺されたよ」
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