◆迷子と刃物とクラシック。
探偵と契約した翌日、紅茶は学校が終わるとそそくさと一人でどこかへ出かけていった。
いつもなら緑茶と一緒に行動する事が多いのだが今日はその当人が休んでいる。
だから俺はてっきりあの緑茶女の見舞いにでも向かったのかと思っていた。
なのに紅茶の足は緑茶女の家とは別の方向へと向かっていく。
いったい何をする気なのかとも思ったが、年頃の女の子ならば本屋へ行ったり喫茶店へ行ったり買い物をしに行く事も不思議な事ではないだろう。
勿論、自分が狙われているかもしれない状態で一人フラフラする馬鹿はそういない。
この状況で何も恐れずにそれができてしまうのが紅茶なのだ。
しばらく紅茶の動向を眺めているとあちこちで人助けのような事を始める。
なんというか少しおせっかいなところがあるのだ。
困っている人を見過ごせない性格で、さらに言えば、彼女は何故か困っている人を見つけるのが尋常じゃなく上手い。
変なセンサーでも搭載しているんじゃないだろうか。
横断歩道を渡りきれない老婆を背負って走り、ボールを追いかけて道路に飛び出した子供を間一髪のところで助けたりしながら目的地のショッピングモールへと辿り着く。
さすがに子供を助けようと道路に飛び出した時には心臓が止まるかと思った。
無事だったからよかったものの、こんな生き方を続けていたら本当にいつか死ぬぞ。
…しかしこんな不毛な生き方をするのが紅茶で、それを改めるようではもう紅茶ではなくなってしまうようにも思う。
だから俺は紅茶の好きなようにさせたいし、それで何か危険が迫るならば俺が助けてやらなければならない。
そして洋服を見たり雑貨屋を覗いたりしながら数店を回った頃、迷子の子供を発見し買い物そっちのけでその子の親を探し回る事になる。
しかし紅茶は馬鹿なので非常に効率の悪いやり方で探した。
まずは子供を連れてあちこち大声を出しながら探す。
反応がないと子供を中央広場の噴水に置いて動かないように言い聞かせショッピングモール中を走って探し回る。
そりゃもう何々君のおかーさーん!!みたいな感じだ。
結局まったく見つからなくてとぼとぼ噴水まで戻ると、その子供が見当たらない。
焦った紅茶は今度はその子供を捜してモール内を走り回る。
二週ほど全域を回って探した後、母親と楽しそうに話しながら買い物をしているその子供を発見して崩れ落ちる。
あまりにお馬鹿すぎて言葉も出ない。
迷子の放送をしてもらえば一発で解決していた事だろう。
なんでその発想に思い至らなかったのか。
「…はぁっ、はぁ…はぁ…よ、よかったぁ~っ」
こういうところには流石にイライラする事もある。
紅茶からしたら頑張りが全部無駄になったのにどうしてそんな風によかったと喜べるのだろうか。天使かよ。
「…迷子のお知らせをします。東京都からお越しの…」
「…あっ」
気付いてしまったか。
しかしそんな事で気を落とさないのが紅茶のいい所だ。
「まっ、いーか♪」
時間は無駄になったけど不幸になった人がいないならそれでいいやっていうのが紅茶の考え方である。
能天気というか馬鹿というか阿呆というか天使というか天使と言うか天使。
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
「に、にげろぉぉぉぉっ!1」
な、なんだなんだ?
少し離れた所にあるキャラクターグッズの店舗前あたりが騒がしい。
というよりも阿鼻叫喚の図だ。
大人数の悲鳴があがり、沢山の人がこちらに向かって逃げてくる。
どうやら何かがあったようだが、場所が場所だけに女性が多かったらしく悲鳴で耳が痛くなってきた。
「え、なになに?どうしたの!?」
紅茶はトラブル発生を感知して、相変わらずその中心へ向かおうとする。
今回は多分お前がどうこうできる問題じゃないからじっとしててくれよ。
案の定、騒ぎの中心には刃物を振り回して暴れる青年。
まさかこいつがあの事件の犯人なんて事は無いだろうが、それでもショッピングモールで刃物を振り回すような阿呆に近付くべきではない。
紅茶も流石に状況を把握してこれはまずいと感じたのか、それ以上男に近付くのをやめて距離を取りながら様子を伺っている。
どうやら誰かが少し切りつけられたらしく地面には血が点々と散っていた。
警察を呼んだぞと誰かが叫んだが、そんな事を気にする様子も無く刃物を上に向かって掲げ、立ち尽くしている。
いったいあいつは何がしたいんだ?
何か特定の相手に対する殺意があるようには思えない。
最近よく耳にする『誰でもよかった』というやつだろうか。
被害者が倒れているわけでもないので軽症だったのだろうし、既に避難しているだろう。
警備の人間も到着し、じりじりと距離を詰めていく。
もうすぐ警察も来るのだろうし特に心配する必要は無さそうだ。
…と思ったのだが、また面倒な事が起きる。
キャラグッズ店の中に子供が一人逃げ遅れていて、離れた所から母親が子供の名前を呼んでいる。
愚かにも程があるだろ。
幼い子供ならむしろそのまま隠れていた方が安全だった筈だ。
母親があんな風に声をかけていたらそこに子供が取り残されていますよと犯人に教えているようなものである。
「早くこっちへおいで!!」
ばっかじゃねーの!?
居場所を教えるだけじゃなく、母親が呼んだら位置的に犯人の近くを駆け抜けてくる事になる。
別にどこぞの子供が危険に晒されようと仮に殺害されようと俺としては知った事じゃない。
でも、こんな状況になってしまうと必ず動き出す奴がいるんだよ。
犯人はまだ刃物を掲げたまま動かない。
その脇をすり抜けるように子供が棚の影から飛び出した。
その瞬間、男は叫ぶ。
「俺は子供がだいっ嫌いなんだよぉぉぉぉっ!!」
響く子供の悲鳴。
母親の絶叫。
そして、
「ちょっとまったぁぁぁぁぁっ!!」
ほらきたよ…。
慌てて飛び出していく紅茶。
男は紅茶の声に一瞬ビクっとして反応が遅れる。
その間に子供は無事に男の手の届く範囲から逃げ出し母親の元へと辿り着いた。
よし、もうやる事はやっただろう?
もう引け。
そうすれば警備員や警察官がどうにかしてくれる。
「子供が嫌いって言ってたけど、今あの子に何しようとしたの?」
…何を?
急に話しかけられた犯人は少し面食らいながらも、ぶつぶつと小声で答えた。
「殺そうとしたに…きまってるじゃないか…それをじゃましやがって…」
「嫌いだから殺そうとしたんだ?私は貴方が嫌い。すっごく嫌い。だけど人殺しは嫌だから、せめてボコボコにしたい」
正直すぎる。
「…やれるもんならやってみろや」
男は眉間に皺をよせて眼を血走らせながら紅茶に近付いてくる。
…どうする?
俺が今出て行って助けるか?
万が一の時はそれも仕方ない。
こんな目立つ場所で目立つ行動をするのは本意ではないのだが紅茶の命には代えられない。
というか周りの男どもは何をやってるんだ。
警備員もビビってねぇでなんとかしろや!
警察も遅すぎる!!
どうする?
ゆっくりと男が近付いてくる。
紅茶単体で勝てるか?
紅茶は運動神経いいからなんとかなるかもしれない。
だけど刃物を持った相手と戦って怪我をしない保障は無いし怪我ですまない場合だってある。
こうなったらやるしかない…!
慌てて俺が飛び出し、男に殴りかかる。
その瞬間だ。
俺より一瞬早く紅茶の前に飛び出してきた男がいた。
紅茶を守ろうとしたその男はなんとなく見た事がある顔だった気がするから多分クラスメイトか何かだろう。
偶然居合わせて紅茶の啖呵に感化されて飛び出してきたとかこっそり紅茶に惚れていたとかどうせそんなところだとは思う。
思うのだが、すまん。
なんというかすまん!
急に飛び出してくるもんだから勢いまかせに後頭部をぶん殴ってしまった。
急に背後から殴られたクラスメイトは成す統べなく犯人に向けて倒れこみ、そんな状況を想定していなかった犯人と派手に衝突して転げ回った。
好都合な事に男は刃物を取り落としていたのですかさずそれを遠くに蹴り飛ばす。
「警備員!仕事しろーっ!!」
俺がそう叫ぶと、呆然と眺めていた警備員達がやっとこちらに駆け寄ってきた。
いろいろ面倒な事になりそうだから俺はすぐにでもここを退散する事にしたが、その前に…。
「くそっ、なんだこいつ。いったい何がどうなって…」
「死んどけ!!」
どがっ!!
無駄にヒヤヒヤさせやがったこいつをそのままにして立ち去るのは気がすまなかったので転がっている犯人の顔面を思い切り蹴り飛ばした。
クラスメイトは情けない事に俺に殴られ刃物を持った犯人に突撃し、物理と精神のダブルショックで失神していたので放置。
警備員が俺に向かって何か叫んでいるがこれ以上かかわりたくない。
すぐに走って逃げた。
なんで紅茶はこうすぐにトラブルに巻き込まれるんだよ…。
疲れた。
久しぶりに一人でゆっくり珈琲でも飲みたい。
俺は騒然としたモール内にある喫茶店に入る。
ホットのブラック珈琲を注文しゆっくりと喉に流し込む。
クラシックが流れる落ち着いた雰囲気に包まれて癒される。
久しぶりに飲んだブラック珈琲の深みのある香りが鼻から抜けていく。
至福だ。
そういえばあんな騒ぎがあったのにここは随分静かだな。
情報統制でもされているのか、無駄な混乱を避けるためかは知らないが…刃物を持った男が暴れていた事はモール内に放送されていないようだ。
あの近辺にいた人間にしか把握できていない。
怪我人も大した事ないだろうし犯人も取り押さえられているし…まぁこれ以上騒いでも仕方ないのはわかる。
モール側もそれでいちいち客を全員追い出していたら商売あがったりだろう。
警察が来てあの辺りは隔離されるかもしれないからキャラのグッズショップはご愁傷様である。
いや、むしろ興味本位の野次馬で埋め尽くされるだろうか?
…どちらにせよそんな野次馬がグッズショップの売り上げ貢献になるかは疑問だ。
俺は珈琲を飲み干してから違う種類の豆の物を立て続けに二種類ほど頼み、たっぷり一時間半程のんびりした。
本当に久しぶりの安らぎタイムだ。
…そろそろ帰ろうかと店を出て、出口の方へ進んで行くと、そこで嫌な物を見る。
あの探偵とあの糞警察が一緒に何かを話していた。
俺からしたら時限爆弾を仕掛けられた電車の中に化学兵器を撒かれるような感覚だ。
自分で言っていてよく分からないが、良い物と良い物を混ぜ合わせてもより良い物になるとは限らないが、悪い物と悪い物を掛け合わせたら間違いなくもっと悪い物になるという事だ。
今日はいろいろあって心臓に悪かったが、結果的に美味い珈琲も飲めたし良かった良かった。
で締めたかったのに最後の最後で後味最悪な一日になってしまった。
「…帰ろ」
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