◆緑茶と人間不信とドロップキック。
まったく私の友人は困ったものだ。
常日頃から変った奴だとは思っていたものの、その人並みはずれた明るさと自由奔放さは私には無いもので、私は彼女のそんなところが気に入っていた。
私は本来彼女の隣にいていいような人間ではない。
少なくとも私はそう思っている。
ここに今存在している私という生き物は、ほぼ作り物だ。
学校ではいつも紅茶と一緒に行動しているため、必然的に学内にも知り合いは多く、仲良くしてくれる友達だってそれなりにいる。
でも私は、それらの人達を友達などと思った事は一度もないし、特別必要とも思わない。
むしろ煩わしいとさえ思っている。
紅茶が回りと仲良くしているから自然と人と接する機会が増え、仕方がないからその中に溶け込もうとしているだけだ。
本当は紅茶以外の人間となんて一切関わりを持ちたくないし、馬鹿なクラスメイトと話をしているとその顔面をぶん殴りたくなってしまう。
それを必死に我慢している理由は勿論紅茶だ。
紅茶は私も友達の輪とやらに入れようとしている。
私が他の連中と仲良くしてほしいと思っているし、わざわざ私と他の連中との間を繋ごうと動いている節がある。
そんな事は不要だと言った事もあるのだがあの女はそんな事を聞く奴ではない。
だったら紅茶のしたいようにするだけだ。
何故なら私は
紅茶に嫌われたくは無いから。
どうしてそこまで紅茶に執着するのか、それは私自身にもよく分からない。
というより、理由を挙げたらキリがないのだ。
紅茶は何故かこんな私を一番の友達だと言い張っている。
それは純粋に嬉しい。
そもそもどうして私が紅茶と一緒に居るようになったのか。
大した理由じゃない。
最初は私にとって一番の敵だった。
私が陰なら紅茶は陽。
真逆の存在で、彼女がする全ての行動が腹立たしくて仕方が無かった。
大嫌いだったのだ。
私が持っていない全てを持っている紅茶。
無理矢理私を日のあたる場所へと連れて行こうとする紅茶。
鬱陶しくて仕方がなかった。
だから私はあの女に面と向かって迷惑だと言ってやった事がある。
私に構うな。放っておいてくれ迷惑だ、と。
それに対してあの女は
「そうなの?でも私がそうしたいから今後もよろしくね♪」
と笑ったのだ。
ふざけるなと思った。
馬鹿なんじゃないかと罵った。
それでもあの女は
「でも思った事は言うしやりたい事はやる主義なんだ。相手が迷惑とかそういうの知ったことじゃないんだよね。ほら、私馬鹿だから」
と言って無理矢理私に纏わりついた。
何で私なんだ?
なんでこの女は言っても分からないんだ?
一時期あの女のせいで登校拒否になった事があったのだが、それも未遂に終わってしまった。
一日学校を休んだだけで家に押しかけてきたのだ。
そして私の家に泊まりこんだ。
無理矢理。
帰れと言っても聞かないから家から強引に追い出したら二階にある私の部屋の窓ガラスをぶち割って入ってきた。
馬鹿極まりない事に紅茶は、私の家の庭にある木をよじ登って直接窓にダイブしたのだ。
その時の私の驚きようと言ったら今でも昨日の事のように思い出せる。
本気で心臓が口から飛び出るかと思った。
柄にもなく「きゃぁぁぁっ!!」なんて乙女のような叫び声をあげてしまったものだ。
部屋の中にガラスを撒き散らしながらみっともない姿で転がっていた紅茶は、私の悲鳴を聞いてゲラゲラ笑い転げたのだ。
今考えると気が狂っているとしか思えないし通報したら逮捕案件だったと思う。
それでも、私はその笑顔を見た時
あぁ、この女には何を言っても何をしてもダメだ。
そう悟った。
そして、その行動力と私には無い底抜けの明るさが…とても、とても羨ましくなってしまったのだ。
そのまま私の家に一泊していった紅茶に、私は何故かいろんな事を話していた。
自分の事、家庭の事、そして紅茶に対する嫉妬と羨望の気持ち。その全てを。
私が話している間紅茶は何も言わずにずっと黙って話を聞いていた。
もしかして眠っているんじゃないかと思えるほど普段と違い静かだった。
意外な事に、あの女は私と同じような事を言い出した。
「縁ちゃんは、私にとっての憧れなんだよ」
この女はいきなり何を言い出したんだ?
私は理解できなかった。
紅茶が言うには、私は紅茶が持っていない物を沢山持っているのだそうだ。
自分に無い知性。
自分に無い冷静さ。
自分に無い疑いの心。
最後のは褒められているように聞こえなかったが、要は彼女も自分に無い物を羨ましく思っていたのだ。
そして私のように嫉妬に駆られるのではなく、無理矢理にでも手に入れようとした。
とんだ暴君である。
それでも、私はその無理矢理にでも欲しい物を手に入れようとする姿勢に素直に感動した。
お互いがお互いに、自分の持っていない物に惹かれあったのだ。
次の日は二人で私の家から登校した。
それからというもの何かと二人で行動するようになったのだ。
私は今でも自分の中にどす黒い感情が渦巻いているのを自覚しているし、紅茶の眩しい笑顔を直視するのが辛い。
だけど、今の私にはもう無くてはならない存在だった。
私にとって紅茶は自分の一部になってしまっていた。
失うわけにはいかない。
彼女の笑顔が失われるような事があってはならない。
だから私は今回の事件の犯人を許すつもりは無いし、相応の報いを受けてもらわなくてはならない。
だけど私にそれを解決するだけの力はなかった。
…だから、あの人の力を借りる事にしたのだ。
必要なら探偵を紹介するなんて言いながら、紅茶が断ったとしても私が依頼していただろう。
あの人には
探偵呑萄酒葡には…それだけの力がある。
私はそう信じていた。
彼女は私の親戚で、幼い頃から既に聡明だった。
学力が高いとかそういう事じゃなく、とてつもなく賢い人だったのだ。
私が紅茶と出会うまで、唯一興味を引かれる人間だった。
彼女が関わった事件の話を聞くたび根掘り葉掘り質問したものだ。
呑萄酒葡ならば、この事件を解決に導いてくれる。
悔しいが、私に出来る事は彼女を紅茶と引き合わせる事だけだ。
探偵の話をした時、紅茶はすぐにでも会わせてほしいと言ってきた。
軽く嫉妬したのは言うまでも無い。
二人が会えるようにセッティングをした所で、私の役目は終わってしまった。
これ以上自分に出来る事はない。
何も出来ない。
無力だ。
それがとても悲しかった。
虚しかった。
一人暮らしの二階建て一軒家がとてつもなく広く感じて、自分の部屋という限られた空間のベッドの上の毛布の中というさらに限られた空間に蹲ってもやもやを掻き消そうと足掻いていた。
それでも気持ちは晴れる事はなくて、気がついたらどんどん憂鬱になっていって、そしたら全身がむず痒くなってしまって、そのままでいたら私は全身を掻き毟って出血多量で死ぬんじゃないかという荒唐無稽な妄想に押し潰されそうになった。
その全身のうずうずを解消する為に風呂に入ってみたり冷水を頭から浴びてみたりもしたが全く効果がなく、仕方ないので私には縁の無い、汗をかくという行為に逃げた。
早朝から外を走り回ったのだ。
勿論マラソンなんて大嫌いだし、走りなれていないので運動用の靴など持っているわけもなくローファーで靴擦れをおこしながら走った。
かかとの痛みさえ痒みと疼きを抑えるための物だと思えば心地よく感じた。
ただ、私の身体はそんなに都合よく出来ていないのですぐに息があがり、満足に呼吸もできない程にむせ返った。
全身からは汗が噴出し、ベタベタと気持ち悪い感覚だけが残った。
そんな時だ。
幻を見た。
本当に、そう思った。
辺りはまだ暗く、日の出もまだだった。
そんな時間帯にこんな所に居るはずの無い人の姿が見えた気がした。
きっと気のせいだろう。
そう思いながらも、もし本人だったらと思うと私はいてもたってもいられなかった。
一瞬、通りの向こうに見えた後姿が…本当に紅茶だとしたら。
こんな所に一人でいたら危ないじゃないか。
すぐに捕まえて家に送り届けなくては。
いや、こんな時間にこんな所に居るはずが無い。
居るはずが無いのだが、万が一という事もある。
私はゆっくりと、且つ早足でその後姿が消えた路地を曲がる。
…そこには誰も居なかった。
もしくは、既にどこかへ移動したのかもしれなかった。
少しだけその周辺を見て回ったが、紅茶の姿は見当たらない。
きっと私の勘違いか、あまりに紅茶の事ばかり考えるあまり幻覚でも見たのだろうと自分を納得させて、帰ろうと振り返った時。
目の前には
鉈のような物を振りかぶった男が立っていた。
思考が追いつかない。
なんでこんな所に、こんな時間に、刃物だか鈍器だか分からないような危険物を持った男がいて、そいつが今にも私にその凶器を振り下ろそうとしているのか。
私は不思議と、怖いとか逃げなきゃとかそういう考えがどこかに行ってしまっていた。
あまりに急な出来事に思考が置いてけぼりになってしまっただけだと思う。
その男の顔はよく覚えていない。
辺りが暗かったのでほとんど見えなかったし、一瞬だったのでどんな顔をしていたのかは全く分からないのだ。
ただ、真っ黒な雨合羽のような物を着ていて、頭もフードで隠れていたように思う。
私が覚えているのはそのくらいだ。
私は、振り下ろされる凶器をぼんやりと眺めていた。
あぁ、こんな所で死んでしまうのか。
もう紅茶とは会えなくなってしまうのか。
私のせいで紅茶がまた笑顔を失うのか。
私のせいで。
いや、むしろ私という存在をこれ以上ない形で紅茶の中に刻み込む事が出来る。
それならそれで
いいのかもしれない。
そんな事を考えていたら、目の前の男が私の背後に一瞬眼をやった後…慌ててどこかへ逃げていった。
私は助かった。
あの男は一体何を見たのだろう。
何を見て、私を殺すのをやめたのだろう?
その答えは、私の背後にある。
私の背後から聞こえてくる、誰かの足音。
私は、段々と加速してくるその足音の主を確かめようと振り返ろうとして
それからどうしただろうか。
そう。
確か振り返ったら目の前には誰かの靴の裏が二つ。
そこまでしか分からない。
気がついたら私は自分の家の前に転がっていた。
意識を失っていた時間はさほど長くはなかったようで、誰かに見つけられる事もなく騒ぎにはなっていなかった。
いったいどういう事だろう。
何が起きた?
多分、私は振り返りざまに顔面にドロップキックをくらったのだ。
そうでなければ二つの靴の裏の理由がつかない。
誰かが、私が殺されるのを結果的に助け、そしてドロップキックをかまして昏倒させ、家まで運んだくせに中に運び込みもせず家の前に転がしていった。
…わけがわからない。
勿論家を出る時に鍵をかけていったのだから中に運び込むのは難しかったのかもしれない。
だからといってこんな所に転がしていくか普通?
いや、そんな事よりも何故私にドロップキックをくらわせた?
顔の左半分と顎が痛い。
ヒビでも入っているかもしれない。
クソが…っ。
冷静になればなるほどムカついてきた。
そして、ドロップキックをくらう時に、声が聞こえたのを思い出した。
そいつは少なくとも私の家を知っている相手だったのだろう。
そしてその声の主はドロップキックをしながらこうボヤいていたのだ。
「なんでこんな所にっ!」
そうだ。
その台詞を頭の中で再生していたらもう一つ思い出した事がある。
その声は、
私の顔面にドロップキックをかました相手の声は…
間違いなく女の物だった。
そして、
出来る事なら勘違いであってほしい。
勘違いであってほしいのだが、
…よく知っている声だった。
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