3. 西田はとばされる
時刻は午前十一半過ぎ。
ステージのゴタゴタを解決して、ようやく一息を着いた。私と熊沢はベンチに腰掛け、暖かい缶コーヒーを傾けている。
全てのサークルが納得行くようにスケジュールを組み、さらに雑用の仕事を手伝っていたらこんな時間になってしまった。機材のセッティングを手伝い、お客さん用の椅子を並べ、さらには誘導係まで務めた。風紀委員とは何だったのか。
周りを見渡せば、学園祭への来場者はどんどん増えており、まっすぐ歩けないほどである。
「熊沢、俺は疲れたよ」
「西田、まだ午前だぞ、がんばれ」
優しい熊沢が慰めてくれる。しかし、私は本当に疲れてしまった。
「俺たちは十分風紀委員として、いやそれ以上の役目を果たした。もう帰ってもいいんじゃないだろうか」
基本的に引きこもりがちな私にとって、二時間以上の肉体労働は体に悪い。筋肉痛がもう始まっている気すらしている。
「ちょっと早いが昼御飯でも食おうぜ。そしたら元気になるかもしれない」
熊沢はそう言って立ち上がると、投げ縄同好会がやっている「たこ焼き屋」にたこ焼きを買いにいった。
熊沢は柔道部だけあって体力はまだまだ有り余っているようだ。うらやましい。
歩く熊沢を目で追えば、友達とワイワイ騒ぐ人々や、イチャイチャ歩くカップルたちが目に入る。考えてみれば学園祭などは陽気な奴らが集まるスポットであり、私のような陰気な人間が来るような場所ではなかった。
なんだかムシャクシャしてきた。風紀委員長自らが学園祭の風紀を乱してやろうか、そんな考えが頭をよぎる。
そんなとき、見覚えのある奴が視界に入った。急いでいるためか、珍しく早歩きである。そう、全ての元凶、井上である。
私はベンチから立ち上がった。足は重く、すでに帰りたい気持ちでいっぱいだが、井上には一言文句を言っておかねばなるまい。
「熊沢! 少し席を外す!」
遠くでたこ焼き屋の列に並ぶ熊沢に声をかけてから、残った力を振り絞って走り出した。遠くから「おう!」と熊沢の返事が返ってきたことを確認する。
私は人混みを掻き分けて走った。しかし、想像を絶する人混みを前に、なかなか井上を追うことができない。「私は風紀委員長だ、通してくれ」と言ってみても効果はなく、みんなで押し合い圧し合いを繰り返す。無理やり押しのけて通ろうとすれば、逆に押し返されて人混みからはじき出されてしまった。
こんなんだから学園祭などは嫌いなんだ。陽気な奴も人混みも大っ嫌いだ。
「そこのあなた、どうやらお困りのようですね」
すると壁際の黒幕で覆われたテントから声が聞えた。こじんまりとしたテントからは怪しげな雰囲気が漂っている。
このテントはどこのサークルのものだろうか、とそんなことに気を取られていると、唐突にファンファーレが鳴り響き、テントを覆っていた黒幕が徐々に上がり始めた。そしてそこから、シルクハットをかぶり、タキシードを着た、いかにも怪しげな男が笑顔で現れた。光沢のあるステッキを華麗に振っている。
「何者だ?」
「私はアドリブ奇術サークルの長、ターナカです。私の奇術によってあなたを救ってみせましょう」
そう言って男はステッキの先端から薔薇の花束を出現させた。
何やらおかしな奴が現れてしまった。この学園祭はやはりおかしい。
少なくともこの男は無視したほうがいいと本能が告げているが、今の私は学園祭風紀委員長であり、いかにも怪しげな輩は取り締まっておいたほうがいいかもしれないと思い始めた。
しかし、この男にかまっている間に井上がどこかへ行ってしまう。井上には文句を言っておかねば気が済まない。どうするべきか。
そんな考えが私の頭の中をぐるぐる駆け回っている間に、その怪しげな男はテントの横に置いてあった人ひとりが入れるほど大きな箱の扉を開けた。禍々しい模様が描かれたその箱は奇術の道具であろうか。
「さあ、この箱の中にお入りなさい。私が三秒数えたなら、あなたは目的の場所にテレポートしています」
「おい、勝手に話を進めるな」
つい、答えてしまった。こいつが何を言っているのか分からないが、やはり無視をしよう。今は井上を追うことが重要だ。答えたことは忘れることにして、私は再び走り出そうとした。
「あなた、走るよりもテレポートしたほうが速いですよ。私はそれをお手伝いするだけですので」
男がそう言った瞬間、テントの中からマスクを付けた屈強な男が二人現れ、私の両腕を掴んだ。がっしり掴まれて身動きが全く取れない。
「おい! 何をしている!」
私は掴まれた腕を振りほどこうと必死に体を動かそうとするが、屈強な男に挟まれた腕は固まったように動かない。そのまま両脇を挟まれた私は、無理やり引きずられて例の箱に投げ込まれた。すぐに箱の扉が閉じられる。
「おい待て! 何だこれは! ここから出してくれ!」
私は叫びながら扉を叩く。この状況は何だ。学園祭なんて来るべきではなかった。
「大丈夫ですよ、安心してください。私の奇術に失敗はありませんので」
「安心できるわけないだろ! 早くここから出せ!」
私は必死に叫ぶ。しかし、男は変わらず冷静に続けた。
「それでは三秒数えたら、あなたはテレポートします。いきますよ、3、2、1」
「おい、止めろ!」
男が三秒を数え終えた瞬間、外の音が消えた。さっきまでの喧騒が嘘だったかのように静かである。何が起きたのか。さっきの男はどうしたのか。本当にテレポートしたとでもいうのか。何がなんだか分からない。
「おい、どうなっているんだ。おーい」
私は外に向かって話しかけるが、誰も反応を示さない。
私はそっと箱の扉を押してみた。するとさっきまで全くあかなかった扉がいとも簡単に開く。
扉の外に私は一歩踏み出した。
「嘘だろ」
そこは私が所属している研究室であった。
###### つづく ######
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