2. 西田は働かされる

 時刻は九時半。


 下宿から自転車をとばして大学に到着した。周りを見渡せば、こんな朝っぱらだというのに馬鹿な学生たちが忙しそうに何かやっている。ご苦労なことだ。まあ、私もここにいる時点で同類なのだが。


 とりあえず大学に着いたことを井上に知らせるため、電話をかけようかとスマートフォンを取り出す。


 すると学食の方角から、まわりの群衆と比べて頭三つほど抜け出た大男が歩いてくるのが見えた。もちろん熊沢である。あんなに大きい人間が何人もいるわけがない。


「西田、おはよう」


「熊沢、おはよう」


 いつものように挨拶をかわす。熊沢は穏やかな人であり、ちゃんと挨拶もする。決して荒ぶる熊ではないのだ。


「熊沢はもう井上に会ったのか? 俺は井上に呼ばれて来たんだが」


「ああ、俺もそうだ。急に風紀委員を頼まれてな。さっき東講堂前で井上に会ったところだ。まあ、すぐにどこかへ行っちまったけどな」


 人を大学まで呼び寄せておいて顔を見せないとは失礼な奴だ。挨拶くらいしてくれてもいいだろう。それとも俺に構えないくらいに忙しいのか。


「それで何か仕事の話は聞いたか?」


 私がそう尋ねると、熊沢はポケットから緑の腕章を取り出した。その腕章には、「風紀委員」と書かれている。


「これを付けて学園祭を見回れだとよ。あと、西田は学園祭に来たことないだろうから、初めての大学行事を楽しめだとさ」


 余計なお世話である。学園祭にうつつを抜かして学業を疎かにするなど言語道断なり。


 私は熊沢から風紀委員の腕章を受けとると、仕方なく腕に巻いた。こんなみっともない腕章を付けることになるとは、一生の不覚である。


「ああ、それとこれも渡してくれと頼まれた」


 そう言って熊沢は小さな巾着袋を渡してきた。


「なんだこれ」


「軍資金だ」


 私はすぐに中身を確認した。なんとそこには五百円玉が十枚も入っていた。


「井上は神か仏になってしまったのか。なんだこの大金は」


「今日のアルバイト代だとよ、俺も貰った」


 熊沢は私が貰った巾着袋と同じ物をポケットから取り出した。


「今日、私は井上に借りを返すために来たはずなのに、またさらにお金を受け取っては何がなんだか分からん」


「まあ、くれるって言ってるんだから貰っておけばいいぜ」


 熊沢は豪快に言い放つ。


 借りを返せと言ったり、それなのにまたお金を渡してきたり、井上は何がしたいのか。いや、これは私をこき使う布石かもしれない。お金を受け取ったからには仕事を全うしなければならず、サボることも途中で帰ることも許されない。策士と言わざるを得なかった。


「それで学園祭はいつから始まるんだ?」


「九時半だ。つまり、もう始まっている」


 熊沢がこの大学の名物である時計台を見上げた。時刻は九時四十分を示す。


 面倒くさくて嫌になるが、仕事だから仕方がない。風紀委員長として役目を果たそう。


「とりあえず見回ってみるか、あっちの方に行ってみよう」


 そう言って私と熊沢は中央にある二号館に向けて歩き出した。特に理由はない。行き先に宛がないときは、とりあえず中央に行きたくなる人間の心理だ。


 周りを見渡せばいくつものテントが立ち並びとても賑やかだった。屋外にこれだけ模擬店があることに加え、屋内の教室でも様々な部活やサークルが何かしらやっているらしく、なかなかの大規模な祭りであるようだ。


 バスケ部が焼きそばを焼き、剣道部がポテトを揚げ、陸上部が飲み物を並べている。どうやらアルコール類もあるようで、後でいただくことにしようと心に決める。

 

 するとあたりがざわざわし始めた。みんな何事かと周りをキョロキョロしている。


 さらに、怒号が響いた。喧嘩のような言い合いの声が遠くから響いてくる。


「喧嘩だな、向こうの方だ」


 熊沢が西区画にある音楽ステージを指さした。


 さっそく事件の予感がして嫌になる。


 そちらを見ればステージ上で、ギターをかついだチャラ男やサングラスをかけてサックスを吹く女、頭に立派なちょんまげを付けた侍たち、変な格好をしたたくさんのおばけなどがいて、何やら言い争いをしている。カオス状態だ。


 すでに学園祭は始まっているというのに、こんな具合では祭りも何もあったものではない。


 ただただ面倒くさいが風紀委員長としては学園祭の風紀を守るため、仲裁に入るべきだろう。ああ、面倒くさい。


「行ってみよう」


「おう」


 私と熊沢はステージに向けて歩き出した。


 まだまだステージ上では各サークルの言い合いは白熱しており、止まる気配がない。


「君たち、私たちは学園祭風紀委員だ。何か問題かね?」


 私はステージ上の学生どもに向けて堂々とした態度でそう言った。


 私たちの登場によってステージ上は、「風紀委員なんていたのか」とざわつき始めた。その中からギターを持ったチャラ男が一人前に出る。


「私は軽音サークルの白木です。ここのステージの責任者を任されています」


 礼儀正しく名乗られてしまった。チャラ男と侮っていたが、やはり人を偏見の目で見てはいけなかった。私も礼儀を持って名乗り返すべきだろう。


「私は学園祭風紀委員長の西田です。それでどんなトラブルが?」


 私の質問に、軽音サークルの白木はすぐに答えた。


「それがですね、もともとこの西ステージは軽音サークルとフォークソングサークルで回す予定になっていたんです。それなのに今日になって、東ステージが使えなくなったからステージを使うサークルはみんなこの西ステージでやれと言われて、そんな簡単にスケジュールを組み直せずこんな状態です」


「なるほど、それを言ったのは学園祭実行委員ですか」


「そうです、実行委員長の井上と名乗っていました」


 やはり井上か。あいつは何をしているのか。


「その井上は、東ステージが使えない理由は何か言ってましたか」


「いえ何も、ただ一方的に東ステージは使えないとだけ言われました。それでさっき東ステージの様子を見に行ってみたんですが、何か別のイベントをやるらしく準備が進められていました」


 なにやらきな臭くなってきたようだ。やはり井上は何か隠している、というか企んでいる。


 明らかに学園祭を荒らしているのは井上だ。他の学園祭実行委員も見当たらなければ、風紀委員も二人しかいない。これはおかしい。


 だがまずは、ここ西ステージの問題を片付けなくてはならない。


「事情は分かりました。私が指揮をとります」


 その後、私が華麗にスケジュールを組み直して西ステージを成功に導いたのだが、それはまた別のお話。


###### つづく ######

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