専行ー1
しかしそんな彼ら冒険者の手際を遅きに失していると憤り、先走る人間がいた。
「討伐隊の編成なんか、待ってられるか……!」
優れた魔道具を提供することによって冒険者たちの作戦行動を裏方から支援していた、ソルト少年である。彼は怯えた村人たちが家の中で震えている中、集会所にこもった冒険者たちが必死に作戦の立案をしている中、たった一人で森へと赴いていたのだ。
その目的は姉貴分であるシュガーを捜索し、できれば救い出すことであったろう。
彼は冒険者混合チームの第二部隊に同行したシュガーが行方不明であると村長から聞かされると、すぐに店の奥へと引っ込んだ。他の冒険者の部隊が村に戻り、そしてすぐ森に再出動するだろうと思考し、その機に備えて魔道具の準備を整えていたのである。
ところが、昼過ぎから始めていたそんな彼の備えも空しく、冒険者たちは夕刻を過ぎても集会所で作戦会議を続けている有様だ。ソルトにとっても他人事ではないから、会議の重要性は分かっているつもりであった。正確に言うなら、『つもり』でしかなかったのだった。
(冒険者は、頼りにならない)
彼は遂に待ちかねて、自分で行動せねばならない、と判断するに至った。この判断は、後に上級冒険者のリーダーであるペッパーと会話した際において、誤ったものであったと自省の念に駆られることになる。
だが、未来を知る術も持たぬ彼にとっては、現状を知るための情報も持てなかったソルトにとっては、その判断こそが唯一の正解であると信じるより他になかった。そしてその思いこそが、魔物の潜む未開の森に一人で入るという無謀を、決断するに至らしめたのである。
冒険者たちの呼称している『手負い』の咆哮も地揺れも、ソルトはその身に感じていたが、それがどうしたという程度の感想しか持たなかったのも、彼にとっては幸いであったろう。
もし『手負い』の影響が彼に恐慌や怯懦の感情を想起させていたならば、ソルトはシュガーを助けに行こうとは思わずに、冒険者が助けに向かってくれるのを待ち続けていたに違いない。
冒険者たちが早く魔物を退治できるように、不安や恐怖の感情から逃避するように、魔道具の製作と改良に全力を注いでいたに違いないのだ。
しかし、今となってはそんな『もしも』は、無意味の仮定と成り果てている。
ソルトは一人の人間として、それ以上に弟分として、姉貴分たるシュガーを助けるために森の闇を踏みしめているためだ。森の奥へと、シュガーの元へと、後先を考えず進み続けているからである。
森を往く彼の武装は、冒険者たちと違って丸腰だ。
丹念に鍛え上げられた剣など無く、衝撃から身を隠せるような盾も無く、強打から身を守るような鎧も無い。着ている物は普段着で、それは即ちトリントル校の制服たる、黒いローブ姿であることを示していた。
それなりに腕のある冒険者が無防備な彼を見れば、呆れるどころか激昂し、さらには説教を加えつつ、荒縄でその体を縛り上げ、納屋の奥に放り投げてしまうだろう。
しかしそんな彼であっても、常と違って準備はある。
たとえば、彼の手首と足首には軽銀の輪が嵌められていた。それらは装着者の体重を僅かではあるが上下させることのできる魔道具で、『軽量化』、『重量化』などといったワードを唱えることで即座に効果を発揮する。
首から提げている飾り紐には疲労を軽減する効果があり、これのお蔭で歩き慣れない闇の森でも、ソルトはあまり疲労を感じないで済んでいる。
履いている靴もまた、彼が独自に製作した魔道具だ。つま先を叩けば叩くほど、走る速度を増加させるという、ある意味において脚力を強化する効果を発揮する。強化を減じたいときには、かかとを叩くか脱げば良い。
こういった魔道具は一般にはまったく普及されていない。というのも、これらは魔法を直接肉体に付与する類のものであり、肉体に掛かる負担や不慮の事故性、健康を損なう危険性などを厳しく指摘されているため、生産・流通が見送られているのである。
ソルトは独自にこれらを開発したものの、魔道具の効果を限界まで高めた際における肉体の負荷をまだ完全に把握できてはいなかった。つまるところ、これらもまた使用における安全がまったく保障されていないのである。
そのような試作品をいきなり現場に持ち出さねばならないほど、彼の心は焦っていた。その焦りはひとえに、親しい者の生命が失われるかもしれないという不安と恐怖から生じたものであったろう。
それは逆に言うなら、急ぎに急げばシュガーの命が助かるかも知れないという思考が前提としてあったということになる。
彼はこのときどういう心理状態であったのかは不明であり、後々においても不可解な思考だと思えるほどに、シュガーが生きていることを信じて疑っていなかったらしい。精神的重圧を回避するための、一種の逃避行動と取れるかも知れないが、どうであろう。
ともあれ、この時点で『手負い』に襲撃された第二部隊の誰か一人でも生存しているだろう根拠を、その時の誰もが呈することはできなかった。
第二部隊との通信は完全に途絶していて、戦闘の跡地は爆発したかのように消し飛んでいる。さらに、その惨状を為した魔物が未だ森の中に潜んでいるという事実に付随してくる恐怖感情、密なる討伐作戦の構成を考えなければならない使命感が、彼らの脳と心と思考の領域を徐々に圧迫していくのだ。緊急事態の最前線にいた中級冒険者たちでは、否、混乱の渦中に置いていかれた彼らでなくとも、まともに捜索できる状態ではなかったに違いない。早急に村へと戻って、今後の対応策を練らなければ、という焦燥に焼かれていただろうことは想像に難くないのである。
しかしソルトは、荒れ狂う事態の中でただ一人だけ、シュガーの居場所を知ることができる状況にあった。その事実を冒険者たちに明かすことによって、作戦立案の速やかな遂行を促すことはできたはずだが、彼は冒険者に対する信頼を失っていた状態であったために彼らを頼ることなく、自分一人で森へと踏み入ることを決断したのであろう。
もちろん、彼はこの種の独断専行が軽率な行動であるということを十分に理解したうえで決行している。たとえ命が失われることになろうとも、両親を泣かせることになろうとも、後悔だけはしたくないという、自己満足の極みであることを完全に自覚していた。救いようがないと自嘲もしたが、しかし行動を止める気にならなかったのは、心のどこかが麻痺してしまっていたためなのかもしれない。
「信号は……まだ先か……」
彼の右手には、カード型の魔道具が握られている。
その表面には幾何学的な紋様の魔法陣が刻まれており、その上には拳大の球体が浮かび上がっていた。透明な球の内部には大きさの異なる二十もの球体が存在していて、球の重心を中心として互いに重ならぬよう配置されている。
それは現在地を中心に置く、三次元的なマッピングアイテムであった。どのような場所にも拘泥されない地図と表現すれば、その応用の広さを窺い知ることが出来るであろう。
しかしその魔道具は今のところ、マッピングを主目的としてはおらず、発された信号を受け取る受信機としての役割を主としていた。
その魔道具が受信している信号は、シュガーに渡したお守りからのものであった。
ソルトが何の変哲も無いお守りを姉貴分に渡すはずなどなく、それは当然のように魔道具であったのだ。万に一つ、危険がその身に及んだ際のことを考え、発信機としての役割を持たせていたのが役に立つこととなったのである。
彼の魔道具はどちらもしっかりと与えられた役目を果たしており、ソルトの足を止めさせることなく、直線的な最短距離を、道なき道を進ませていた。
その途上で森の闇が開かれ、眩い星光が夜天の裡に灯ったのは、冒険者たちが警戒している『手負い』の功績であったろう。
「これが、魔物の持つ力か…………」
呆然と立ち尽くしたソルトの眼前に広がっていたのは、掘り起こされて倒れた樹木の数々と深く穿たれた窪地であった。最も深いところは四メートルほどにもなるだろう。
スプーンで丁寧にくり抜いたかのようなその窪みは、歪みの少ない綺麗な半球状であった。推測するにそれは、広範囲に及ぶほどの協力無比な一撃で形作られたに相違ない。
人間の力では到底作り得ないであろうその破壊痕に、彼はしばらく見入っていた。見惚れていた、と言い換えても良い。
その後すぐ、彼はここに来た目的を思い出すと、窪地とその周囲の探索を開始した。窪地を形成しただろう力に思いを馳せ、僅かな昂揚感を覚えつつ、しかし同時にその力は人命を奪ったのかも知れないという罪悪感を覚えながら、けれども心の隅からそれらの感情を排除することはしなかった。
(度し難いな……)
そう思いつつも、ソルトは心の隅に留め置かれたその非倫理的とも呼べる感情を捨てようなどと考えもしなかった。なぜなら、彼にとってその感情は人間の持ち得ぬ力そのものへの憧憬であり、客観的な尺度で測れるものではなかったからである。
◇ ◇ ◇
窪地周辺の探索を終えた彼は、密かに安堵を覚えていた。というのも、第二部隊がこの場にいたという痕跡が少しも見つからなかったからである。
「死人は、恐らく出ていない……!」
最深が四メートルにも及ぶ窪地ができるほどの攻撃を受けたのならば、痕跡が残っていないのは当然ではないかと考えるのが一般的だが、今回に限っては少し違う。
魔物と呼ばれる人外の存在であるとはいえ、それほどの威力を出すのに一瞬の隙すら生じずに出せる筈がないのである。リスク無き必殺技など、エネルギー源を必要としない魔道具など、この世のどこにも存在しないのだから。
それは即ち、窪地を形成するほどの攻撃力には、それに見合ったエネルギーが必要となることを意味している。人間の活動には食事と睡眠が必要であり、大魔法を撃つには相応の魔力が必要なのだ。
それだけの大魔力を確保・移動させる場合、周囲にも影響を及ぼさずにはいられない。一陣の風が吹く際に、小さな花弁を巻き込むことが不可能であるように、それと同じ現象が魔力の移動の際にも起こり得るのである。
つまるところ、大量の魔力を移動させる場合においては、その魔力の圧力が言い知れぬ違和として、他者に感じ取れるのだ。攻撃が放たれるよりも早く、脅威的な一撃がくるのだと肌で感じ取れるのである。中級の冒険者にもなった人間であれば、その脅威は形として目に見えるようですらあっただろう。
となれば当然、彼女たちはその場からの離脱を最優先としたはずだ。攻撃によって生じるであろう余波に乗じて、その『手負い』から遠くに飛び退いたと考えるのが最も自然であり、この場において彼女たちの痕跡が残されていないことにも納得がゆく。
攻撃が直撃するということは万に一つもありえず、そして攻撃の余波によって死んだ可能性もない。もし余波によって死んだとするなら、周囲の地や倒木に血溜まりの一つや二つ、或いは身につけていたであろう装備が発見できたことだろう。
(これほどの威力なら……余波で怪我を負ったとしても、遠くに逃げて潜むことは可能のはず。だが逆に、これだけの威力を出すには、それ相応の代償が必要だろうな……)
窪地ができるほどの攻撃、その方向性として考えられるのは、魔物による大規模魔法攻撃、或いはそれに準ずる、魔力による大幅強化を施した物理攻撃であると思われた。
その根拠に、ソルトの探索した範囲全体に渡って、澱んだ魔力が地面に染み込んでいたことが挙げられる。空気中に存在している魔力は他の場と比して明らかに薄まっており、地に染みついている魔力の一部は、空気中の魔力であると推察された。ちなみに、これらの魔力の推移現象については、人間が大規模魔法を使った後の現場においてしばしば確認されている。
魔物が魔法を行使することについては認識されてはいるものの、窪地を形成するほどの攻撃力を有していたという記録は無い。可能性として高いのは、魔物による魔法の行使ではなく、魔力で肉体を強化した魔物が、力任せに攻撃を繰り出すことである。
理屈としては、体内に巡っている魔力を肉体の一点に集中させるということになる。これは戦闘を嗜まぬ人間であっても多少の訓練を施せばすぐにでも物にできる基本技術であり、手先の器用を持たぬ獣であっても狩りの武器として使用している技術である。魔物のみがその技術を扱えぬという道理はない。
しかし、大量の魔力を一点に集中させるとなると、途端に至難の技と化す。
なぜならば、魔力というものは一定の濃度を超えた場合においてのみ、離散と流動の性質を有するようになるためだ。
濃度が低ければ集中させやすい魔力であっても、濃密に集中させるとなると勝手が変わる。常人の想像も及ばぬほどの集中力・精神力・忍耐力、そして高度の魔力操作技能を必要とするのである。それに関しては人間であろうと獣であろうと、魔物であろうと不変である。
ではなぜ、『手負い』はそれを可能としたのか。
「そうか……『手負い』だからか…………」
話に聞くところ、『手負い』は全身から魔力が陽炎となって揺らめくほどに傷を負っていたのだという。五メートルを超える全身の傷を癒して余りあるほどの膨大な量の魔力を、余すことなく攻撃に転化させたと考えるなら、現場の惨状は十分に実現可能であると、ソルトには思われた。
「……遭遇したくは、ないな」
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