暗雲ー1

 夕闇が音もなく宵の指先を方々へと伸ばし始めている頃、村の集会所はざわめいた雰囲気に包まれていた。


 熱気と呼べるほどの快活ではなく、むしろ焦燥を火種とした危機感と余裕の無さが、この場に戻った冒険者たちの表情や態度に色濃く出ている。


 誰もが沈重を失うまいとして理性を働かせているのは確かなものの、かといって落ち着いていられないという感情を持て余し、ちぐはぐな印象を互い互いに抱き合い、それがまた彼らの冷静を奪ってゆくのである。


 そんな彼らの動揺を収めたのは、村長の自若な態度とギルドマスターの一喝、そして今回の作戦行動における切り札、上級冒険者のリーダーたるペッパーの極めて冷静な声音であった。


「まず、情報を整理しましょう。慌てるのは、それからでも遅くはないはずです」


 冒険者たちは互いに視線を交わし合い、彼の言葉に同意を示して冷静さを取り繕った。内心は如何に荒れていようとも、表面上は冷静に、そして的確に最善の行動を模索してゆけるのである。こうした冷然なる判断と行動を貫くあり方こそ、冒険者が荒事のプロとして畏敬を受ける所以であった。


 皆の瞳に力が戻ったところでペッパーは頷き、始めの確認を開始した。


 その確認とは、当初の作戦行動における成否である。

 作戦行動の目的であったブラックグリズリーの討伐、この作戦目的は達せられたのか。否か。その確認に答えたのは、第一部隊の隊長を務めたバランであった。


「第二部隊から討伐完了の連絡が入ったことを考えると、当初の目的は達成されたとみて間違いはないだろう。その通信に関しては記録も録ってあるから、確認してほしい。ただ――」


「ありがとうございます、バランさん。そこまでで良いですよ」


 手を上げてまで言葉を遮ったペッパーの意図を、バランは黙して受け取った。

 喋りかけた言葉の先にある残酷な現実について、まだこの場で言うべきことではないだろうと、彼はバランにそう言い含めたのである。


 その判断はもっともなものであると、バランも納得した。落ち着いた場を無暗に混乱させるよりも、今はやるべきことがあるのだから。


「バランさんの言った通り、目標のブラックグリズリーは確かに討伐されたと判断して良いでしょう。しかし、未だ山には強大な魔物が存在している……そうですね?」


「……ああ、その通りだ」


 次に答えたのは、第三部隊の隊長を務めたファイであった。


 彼もまた中級冒険者としてはひとかどの人物であり、その目立たぬ風貌からは想像をし得ぬほどの判断力を有している。しかし現在、彼の顔は血の気が抜けたように白く、日頃の飄々とした雰囲気は微塵もない。


 ファイは整えられていたであろう自身の灰髪を鬱陶しそうに引っ掻き回しながら、頭の中の記憶を一つひとつ取り出すかのように語り始めた。


「俺たちは、討伐目標が逃げ込むのに不都合の無い穴倉を回って感知器を撒いていた。確か、第一部隊の通信機材で位置が確認できる型の魔道具だったはず、だよな」


「ああ、合ってる」


「……で、四つか五つの洞窟を回ったときに、そいつがいたんだ。熊型の巨大な魔物だよ」


「ちょっと待ってくれ。熊型の巨大な魔物ってのは、ブラックグリズリーとは違うのかい?」


 他の冒険者からの質問に対して、ファイは僅かに髪を引っ掻き回す手を止めて考える仕草を見せた。が、しかし、すぐに答えが出たようで、首を弱々しく左右に振った。


「すまない。分からないんだ。黒い毛並みと大きな体は、ブラックグリズリーとよく似ていたことは間違いない。だが、俺たちがそいつをブラックグリズリーじゃないと判断したのは、眼の色が違っていたからなんだ」


「違う? 眼の色が?」


「ああ。ブラックグリズリーの眼の色は黄金色だろ? でも、俺たちが見たのは固まりかけた血液のような、赤黒い色の目玉だったよ」


 一瞬、その場が静まり返る。不気味な静謐は妙な緊張感を漂わせ、言い知れぬ不安を具象化したように重苦しく感じられた。しかしそれもすぐに掻き消え、けれども不安感だけを漂わせたまま、問答が続いてゆく。


「……交戦はしたのか?」


「していない。してはいないが、奴が手負いだったのは間違いない。咳き込むほどに濃い血の臭いがしていたし、逃げていった後にも大量の血痕が残されていたからな」


 その後も幾つかの問い掛けが村人や他の冒険者から相次いだが、実となるものは少なかった。質問が途切れた頃を契機として、ペッパーはその手を一度だけ軽快に打ち鳴らす。


「この辺で、確認をまとめておきましょう」


 当初の目標であるブラックグリズリーの討伐については、第二部隊がその役割を果たした。これは良い。問題なのはその後の、第三部隊が遭遇したというブラックグリズリーに酷似した魔物である。


「遭遇してすぐに逃走したことから、人間に対して恐怖心、或いは敵対心を持っていると考えられます。下手に追いつめれば、逃げずに向かってくることも十分にありえますね。放置しておくのが一番楽なんですが――」


「しかし、そういうわけにもいかんだろうな」


 バランの言葉に、ペッパーは頷いた。


 そう、この魔物を討伐しない限り、平穏は訪れないのである。事はもはや村だけの問題ではなくなっており、周囲の町にも危険が及びかねない状況となっていると言って良い。できるだけ早く魔物を見つけ出し、討伐しなければならないと、ペッパーは僅かな焦りを滲ませる。


「昼過ぎの地揺れと咆哮は、その魔物の仕業でしょうからね。放置はできません」


 彼の推測に否を唱える者はいない。その場の誰もが山の震えと共に響き渡った魔物の絶叫を、その心身に深く刻みつけていたからである。


「それで、討伐隊はどう編成するんだ?」


 バランの問いかけは、半ば確認としての意味合いが強いものであったろう。

 彼の属する第一部隊は、村の狩人を除けば三名しか隊員がいないのである。もちろん、戦えと言われれば戦って勝つために命を賭ける覚悟はあるが、通常のブラックグリズリーが相手でさえ善戦できるかどうかといった戦力であるから、彼自身は今回、望んで討伐隊に志願しようとは思っていない。


 第一部隊が不可となると、第三部隊を選択するのが正道であろうか?


 そう聞かれれば、否、とバランは即座に答えただろう。考えるまでもなく、第三部隊は戦闘が不能な状態であった。


 第三部隊の面々を見るに、遭遇したときの恐怖を思い出しているのか、その顔色は全身から血が抜かれたように白くなっている。その精神的苦痛と心身の疲労から起こりうる思考と行動の不全を鑑みるに、迅速の解決を旨とすべき討伐隊への参加は不可能であると判断せざるを得ないだろう。


 そう考えると必然、残るはたった一つとなる。


 そんなバランの心中を見透かしたかのように、ペッパーは首肯して言った。


「俺たち、上級冒険者のパーティで出ます」


 その宣言は予定調和に基づいていたとはいえ、この場の緊張感を僅かに緩めた事実は誰もが認める功績であったろう。


 歴戦の中級冒険者すら安堵の表情を浮かべるほど、上級に位置している冒険者の力量は高いと認められている。それは武勲という、誰の目にも見える形で証明されているわけではない。彼らが身に纏う雰囲気や空気といった、目には見えない感覚によって、彼我の格付けが行われているためである。


 生と死の狭間を頻繁に行き来している彼ら冒険者の感覚は、一般人には想像出来ぬほど鋭く研ぎ澄まされており、それは目に映る武勲などといった形よりも遥かに正確に、相手の秘している力量を推し量ることができたのだ。


 討伐チームが正式に決定したことにより、作戦の立案は次の段階へと移行した。


 集会所にいる冒険者たちは配られていた地図を広げて、穴が開くほどに睨みつけながらも、ペッパーの話をしっかり耳に入れている。


「恐らく『手負い』の最終目的地点は、第二部隊が討伐を果たした地点と一致していると思いますが、どうでしょう?」


「その通りだ。通信が途切れたのも、『手負い』が不意を打ったためだと俺たちは判断している」


「……ではやはり、第二部隊は…………」


 その場の誰もが悲痛と激情を心の内へと押し込みながら、確実に『手負い』を討滅せしめるための作戦案を詰めてゆく。第二部隊のために悲しみ、涙を流すのは、今であってはならないのである。これ以上の犠牲を出さぬためにも、今は綿密な作戦を練り上げ、討伐を果たすより他にないのだ。


 それにもしかしたら、第二部隊の生き残りが今も助けを待っているかも知れないのである。怪我を負い、魔物の目もあって迂闊に動けないだけであり、或いは通信機を落として森に迷っているだけであり、全員命に別状は無いという可能性もゼロではない。


 どちらにせよ、一刻も早く討伐作戦を纏め上げ、作戦行動を開始する必要があった。たとえ開始時間が深夜になろうとも、宵闇を分け入って強行する必要があったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る