異常ー1

 その頃、討伐作戦第一部隊の面々は老狩人の先導によって山頂に到着していた。

 山頂とはいうものの、木々が密集しているのは道中と変わらず、見晴らしなど望むべくもない。板を張り合わせて作られたような簡素な山小屋が建っている他には、別段目新しいものはなかった。


 その山小屋の中で、狩人を含めた第一部隊の男たちは他部隊のバックアップを確かなものにすべく、通信魔道具とその補助魔道具の組み立てを行っていた。


 第一部隊の運んでいた通信魔道具は他部隊が持っている小さな携帯型ではなく、成人男性が背負うほどに大型の精密魔道具であった。それは遠距離においても精度の高い通信を可能とするものであり、今作戦における重要な魔道具とされている。その精密魔道具を高度な通信設備とするための必要な補助として、通信線を確保するためだけに用意された箱型魔道具が数個、動力源となる増幅炉が一個、万全を期するために用意されている。


 面々は武具を小屋の壁に立て掛け、完全に通信専用員としての役割を果たすため、頭に各種受信機を装着していた。他部隊が持っている通信機から常時発信されている信号を捉え、それぞれの現在地を把握するのが任務であるためだ。


「しかし、魔物退治にここまでやるとは思いませんでしたね」


「ああ、これほどの魔道具を用意できるとは思わなかったよ。よほどの軍隊でもなければ、これほどの充実した設備は用意できまいよ……」


 地図を睨み、第二・第三部隊の現在地を把握しながら、二人は使用している魔道具の性能に舌を巻いていた。


 村長が渡してきた機材は、通信だけでなく相手の位置を把握もできる、広範な行動把握装置だったのである。これらの魔道具はソルトが改造・製作したものであるが、当然、そのことを彼らは知る由もない。


 村人である老狩人は脳裏に思い当たる節があったが、それを言葉として出す前に、第二部隊からの通信が入った。


 その内容は、討伐対象には人間との交戦経験を有している可能性があるというものであった。だからこそ縄張りから追われて、この山に新たな縄張りを構築するために逃げてきたのだろうと第二部隊の彼女たちは言うのである。


「……シャルル、どう思う?」


「一概に切り捨てられる考えとは言えないでしょうね」


「問題は、人間との戦闘経験がある魔物の行動に変化が起きないか、ということでしょうな」


「なるほどな。第三部隊に注意しておく必要はありそうだ。ペリーニ、頼む」


「了解」


「魔物の行動に変化とは、どういうことです?」


 老狩人が恥を承知で尋ねると、冒険者の男たちは魔物の基本的な習性について説明を行った。魔物の習性については仕事の情報としてではなく、民間にも幅広く伝えられるべきであると、彼らはそう思っていたからである。


 どんな魔物も身体の大きさに関わらず、周囲の動物に襲い掛かる特徴を有しているのが基本的な習性であるという。凶暴極まりない生物であるが、そんな魔物も敵対者によって予想以上のダメージを受けると、不意を打って逃げ出すこともあるらしい。


「そして一度逃げ出した魔物は、逃げ癖がついていることが多いのです。人間に傷をつけられたのなら、人間に対して恐怖感を持つケースも確認されています。もっとも、より凶悪になるというケースもありますが、こちらは比較的少ない印象ですね」


「今回の魔物については、どういう影響があるんでしょう?」


「そこまでは分からんが、厄介には違いない。熊をも一撃で倒せるような奴が相手を選ぶようになってみろ。面倒なことになるのが目に見えてるだろ? 例えば、俺たちのような冒険者から逃げて、あんたたちのような一般市民だけを襲う……そんな悪知恵をつけられでもしたら、やりにくいことこの上ない」


「確かに、そうなると厄介ですな……」


「しかし、今のところは問題ないでしょう。村は上級冒険者のパーティがきっちりと警護しているでしょうし、魔物が山から逃げ出したという状況にもなってはいませんから」


 第三部隊に連絡を取っているペリーニを、現在地を確認しているリーダーのバランを横目に見て、シャルルはそう締めくくった。


 話を終えてしばらく、老狩人によって冒険者たちに茶が振る舞われ、小屋内の雰囲気が緊張の呪縛から一時的に解放された頃のことである。通信機が信号を受信し、甲高い鳴き声のような音を発したのだ。


「どちらからだ?」


「第二部隊からの通信です」


「よし、繋いでくれ」


 男たちは耳元に受信機を、口元に送信機を配しながら、椅子へと座って地図を睨む。第二部隊の現在地は、熊の死体があった第一地点からそれほど離れてはいないようであった。


『こちら二部。応答されたし』


「こちら一部。状況を伝えられたし」


『二部了解。討伐目標を確認した。これより交戦に入る』


「一部了解。健闘を祈る」


 第二部隊との通信を終えたバランの視線を受け、ベリーニはすぐに再び通信を開始する。


 今度は第二部隊との通信ではなく、第三部隊に向けての発信だ。標的との戦闘が開始されたことを知らせて、魔物が逃走した際の用心を行うのである。人里へと繋がる道を魔物避けの魔道具によって封鎖し、逃げ道の無い山頂へと誘導させて撃滅するというのが、今作戦の肝であったからだ。


「こちら一部。応答されたし……繰り返す、応答されたし!」


「どうした?」


「第三部隊からの応答がありません」


 ベリーニの言葉に、シャルルとバランは僅かに表情に緊張を走らせた。通信装置は安定した低音を響かせており、異常は見られないのである。しかし、魔道具とて万能ではない。もしかすると、表に現れない誤作動を起こしているのかもしれないと彼らは判断したのだ。


「発信は届いていますか?」


「恐らく届いているはず。精度値に問題は見られません」


「ノイズも聞こえんしな。気づいてないだけかも知れん。もう一度呼びかけてみろ」


「了解です」


 再び通信を試みると、先とは違って薄い音の膜が広がるように部屋を満たし、微かな擦過音が聞こえてきた。これは第三部隊の通信機が拾っている音であり、ようやく信号が通ったのだと、小屋の誰もが理解する。


『……こ、こちら三部。通信精度は良好なり』


「一部了解。どうした、何か異常があったか?」


 異常は無い、という言葉を期待しての問いかけであったが、しかし同時に第一部隊の面々は何かしらの異常があったのだろうと、半ば確信を持って予測していた。


 今回の討伐に参加している冒険者たちは、中級にまで上ってきた歴戦の冒険者である。任務における通信の重要性は十分に認識していることは前提であり、それを意識していてもなお、通信機を取らない行動の空白が生じたのだ。まず間違いなく、異常が生じたと判断すべき状況であったろう。


 彼らが想像した通り、第三部隊のリーダーは震えるような声音でもって、自分たちの状況に異常が生じたことを説明し始めたのである。そしてその異常は第三部隊だけではなく、通信を聞いていた第一部隊の面々まで背筋を凍らせるような報告であった。


『現在地点にて、手負いの討伐目標を確認した。聞いていた話より一回り以上でかい』


 第三部隊のリーダーによる通信内容は、それを聞いていた第一部隊の面々が持つ思考回路を僅かに停止させ、顔を見合わせて互いの考えを読ませるのに、十分な脅威を含んでいた。


「……それで、目標は仕留められたのか?」


 バランの声は、自身でも気づかぬうちに震えていた。

 無事に仕留められたのならば、何も問題はない。


(しかし、もし仕留められていなかったのだとしたら……)


 最悪な予想というものは、往々にして当たるものである。バランの予想した通り、第三部隊のリーダーは硬い口調を崩さぬまま、彼の考えを肯定したのだ。


『交戦する間もなく逃走された。対応が早いぞ、奴は。我々はこれからどうすれば良いか……大至急、指示を乞いたい』


「……確認させてくれ。間違いなく、その標的は推測よりでかかったんだな?」


『ああ、第三部隊が全員視認している。あれは、俺たちの手には負えん……』


 相手の声に苦渋と後悔が含まれていることなど少しも気にせず、バランは強引に、一方的に通信を切った。すかさずベリーニに対して緊急連絡をギルドマスターに入れろと命じながら、顔を蒼白にしているシャルルと老狩人に頷きかける。


「これから村長に連絡を入れる。恐らく、全部隊は一旦村へと帰還し、改めて作戦を練り直すことになるだろう。撤収の準備を進めておいてくれ」


 慌しく動き出すメンバーを横目に、バランもまた宙を睨むようにして通信機を耳に当てる。着信するまでの長く短い時間に、彼は唸るように呟いていた。


「まさか……魔物が二匹いるとはな……」

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