始動ー1

 翌朝、日も昇りきらぬ白空の頃である。山の空気は肌を切るように冷えており、集まった者たちの吐息を白い湯気へと変えてゆく。


 作戦参加者の集まった場所は村の奥、山の頂への入り口だ。疎らな木々で囲まれた小さな広場は深い森への入り口にもなっていて、水気の篭もった重い空気がゆっくりと降りてくるのをすぐ側に感じられる。


「皆、揃ったようだな」


 重く沈み込むような冷たい空気の中、ギルドマスターは覇気の篭もった口調で言った。その鋭さは身を切る冷たさよりなお強く、聞いた者の油断を切りつけて熱い血潮を湧かさんとする、熱い気持ちの表れであったろう。


「第一部隊は山頂へ赴き、通信機材を設置して通信網の構築に当たること。連絡の有無で作戦行動の成功確率が大幅に左右される。抜かるなよ」


 防寒装備に身を包んだ第一部隊の面々は鋭い眼光を煌かせ、無言の首肯をもって返事とした。他の冒険者たちに軽く手を上げ、老練の狩人を先導とし、暗い森へと足を踏み出してゆく。


「第二部隊は対象の討伐だ。狩人の先導に従いつつ、周囲を警戒して先手を取れる状況を得ること。攻撃を与える前に通信機にて連絡し、万一に備えよ。十分に注意し、事に当たれ。特にシュガー、お前はまだまだ甘いところがあるから第二部隊の注意を良く聞くことだ」


「分かってますって!」


 討伐部隊を先導するシュガーが、明るい声音で返事をした。少なからず緊張はしているものの、昨夜までに生じていた恐怖感は微塵も見られない。


(この状態ならば、無事に役目を果たせるだろう)


 ギルドマスターは彼女に良しと頷き、その肩を軽く叩いて勝気な笑みを見せる。


「うろたえるなよ。いざというときは、冒険者を盾にしてでも逃げろ。彼女らはそれを許せるだけの力量がある」


 ギルドマスターの視線の先で、第二部隊のリーダーである女性剣士が親指を立てて微笑んでみせた。任せておけと言わんばかりの力強さを湛える笑みで、見る者に勇気と安心感を与えてくれる。


 シュガーは彼女に頷き返し、ギルドマスターに「いってきます」と告げ、第二部隊を率いるために、森へと怯まず進んでゆく。


 ギルドマスターは一息つくと、最後の第三部隊にも訓示を述べた。


 彼らの役目は巣穴となりうる洞窟に、魔力反応を感知させる魔道具を設置するというものであるが、これもまた魔物に遭遇する危険性が高い。決して油断することのないように、と注意を述べた彼女は、足取り強く森へと入ってゆく彼らの姿を見送った。


「みんな、無事に戻れよ……!」


 彼女の願う声は森の暗がりに、ほんの僅かな余韻を残した後、纏わりつく湿気の重みに耐えかねて、押し潰されるように消えたのだった。


   ◇ ◇ ◇


 シュガーの先導する第二部隊は、熊の遺体が放置されている広場に着いた。

 深緑の濃い空気に混じって、僅かな異臭が漂っている。それは熊の遺体から湧き出る腐臭であり、前日にも増して腐敗と溶解が進んでいることを如実に物語っていた。


「うひゃー、これは酷いぞ」


「虫食いが多すぎる。魔力の痕跡も微かだし……」


 二人の仲間が表情を歪めて熊の遺体を検分している間に、リーダーは通信機からアンテナを伸ばし、耳元に本体を当てながら、別働隊へと連絡を取るべく魔力を慎重に通してゆく。相互に密なる連絡を取り合うことこそが未知の土地における作戦行動を支える基盤であると、確かな理解を得ているためだ。


「こちら二部。応答されたし」


『こちら一部。通信精度極めて良好』


「二部了解。第一地点に到着。繰り返す、第一地点に到着」


 微かな雑音も入ることなく、明瞭な声音が通信機から響いてくる。第一部隊はまだ山頂まで至っていないであろうにも関わらず、通信精度の水準が非常に高い。これはおよそ、一般に普及している魔道具では考えられないほどの、質の高さと言って良かった。


(これだけ質の高い魔道具の補助があるなら……結構楽できるわね)


 第二部隊のリーダーは胸中で任務の達成を確信しつつも、しかし油断は厳禁だと自身に戒め、目の前の報告に注力する。この小さな通信機が第三部隊においても問題なく稼働するならば、通信に関する問題は、ほぼ解消されるためである。一つひとつの不安を消して、確実に任務を遂行していく。それこそが冒険者としての、仕事におけるプロ意識というものであった。


『一部了解。二部の第一地点到着を認定する。一部より三部へ通達後、追跡を開始されたし』


「二部了解。一部より通達後、追跡を開始する」


『一部了解。再度通達を待たれたし』


 通信を終えたリーダーは軽い満足の息を吐き、小型で手軽なその通信機を腰のベルトに差し込んだ。アンテナも、忘れずに畳んで通信機本体へと収納する。その頃合いを見計らってか、あまり間を置くこともなく、メンバーのロアがリーダーへと近づいてきた。


「お疲れ様、キーリ。通信は問題無さそうですね」


「ええ、これは使えそうよ。後は耐久性に問題が無ければ、買い取りも検討したいくらいね」


 腰元の通信機を軽く叩いて、第二部隊リーダーのキーリはロアに感嘆の語調で応えた。


 一般に普及している携帯型通信魔道機械、通称【通信機】は、その設計上、屋内で使われることを前提として作られているため、外部からの強い衝撃に耐えられるようにはなっていない。


 しかし、いつでも遠くに言葉を伝えられるという利便性は屋内に留め置くには惜しいと徐々に認識が広がってきているため、近いうちに一般でも耐久性の向上した通信機が登場することは間違いないとされている。


 特に冒険者、傭兵、軍人、兵士などといった、荒事を専門とする者たちは、通信機における頑丈という要素は必要不可欠であるとして共通の認識を持っている。緊急時における通信機の重要性に対する市民意識の低さを嘆きつつ、それでも使わぬわけにはいかないため、大陸にて一般普及されている脆弱な通信機を使用せざるを得ないのだ。


 もっとも、一部の国々では頑丈さを目的とした設計の屋外用通信機も製造されていることは知られている。知られてはいるが、それらは広範に普及していない。


 なぜなら、それらは一様に不良品の烙印を押されており、いずれの屋外用通信機においても、その通信精度は大陸で一般的に普及している屋内用に劣っていることが検証によって明らかにされているためだ。天候の是非によって精度は極度に左右される上に、開けた広い場所での短距離間でしか役に立たず、さらには屋内用と比較して非常に高額であるから、専制国家に属している富裕層の私兵団や国家直属の親衛隊くらいにしか使用されていないのが実情である。


「まあ、そんなことより痕跡の方はどう?」


「ばっちり回収できたぞ!」


「ぶい」


 キーリのパーティ後衛を担当する双子の兄妹ロンとメロは、上々の成果であるとリーダーに報告した。死後数日は経過していて朽ち果てつつある死体から、魔物の残した魔力紋がしっかりと取れることは珍しい。


「一般の奴じゃうんともすんとも反応しなかったからな! 村長さんの用意した魔道具は半端じゃないぞ!」


「そう……メロはどう思う?」


「優れた技術者とのコネがあると思われる」


「そうね、私もそう思う」


「やはり、メロもキーリもそう思いますか。任務が無事に終わったら、村長に相談を申し入れたいところですね……」


 キーリ率いるパーティメンバーは、今回村長から渡された魔道具の非凡さをしっかりと認識していた。それは一般に普及している魔道具と比較して、というポピュラーな考え方であったが、だからこそ用意された魔道具の質の良さが心地よく感じられたのである。


 そういった彼女たちの感想は、ひっそりと気配を希薄にして様子を窺っているシュガーの耳に入っており、その心を十分に満足させていた。


(そうでしょう、そうでしょう! なんてったって、ソルトくんの作った特別な魔道具だからね! そんじょそこらの魔道具とは比較にならないよね!)


「シュガーさん、少し良いかしら?」


「はい、なんでしょう」


 弟分の作った魔道具の好評価を聞いて表情筋を緩ませていたシュガーは、キーリに声を掛けられた瞬間、慌てて表情を真剣なものに戻した。キーリは特に不審を覚えず、魔力紋を取った探知機を手に持ったまま、シュガーを近くに呼び寄せる。


「熊の死体から採取できた魔力紋の反応が見られたんだけど……」


 キーリたちが言うには、その反応がどうやら二手に分かれているとのことらしい。どちらも森の奥に続いているものの、その方向が違っているのだそうである。片方は山頂へ向かうように傾斜の上方へ、もう片方は山を下りるかの如く傾斜の下方へ続いているという。


「狩人としての貴女の意見を聞かせて欲しいと思ってね」


「なるほど、分かりました」


 シュガーは己の経験と知識を踏まえて、自身の思うところを述懐した。

 下方と上方の二方向に分かれているのであれば、魔物は下方から来たに違いないと推測する。理由としては、この山に元々魔物は生息していなかったからであり、上方にある魔力の痕跡は明らかに、その方向へと魔物が向かったからであろうと考えられる。


「ふむ、では下方の痕跡については?」


「魔物が下方から来たときのものじゃないかな、と私は思いますね」


「説明はつく」


「でもなんで村に来なかったんだ? そいつ」


「……恐らく、人間がいると気付いたからでしょう」


 推測混じりにはなるがと前置きした上で、ロアと名乗ったそのメンバーは言う。その個体は人間との戦いを経験しており、この山に追われてきたのではないだろうか、と。


 それはつまり、人間に敗れた経験があるためで、この山に入ってきてすぐには人間の前に姿を現したくはないのだろうと思われる。だからこそ村を避け、上方へと向かったのではないかとロアはいうのだ。


「となると、山頂に向かった第一部隊にも注意を促す必要があるわね。もし遭遇したら、死に物狂いで向かってくる可能性があるわ」


「私たちも今まで以上の用心が必要」


 討伐隊の面々が一様に頷いたと同時に、通信機が震えて着信を知らせた。キーリは通信機を手に取ると、魔力を通して受信する。


『こちら一部。応答されたし』


「こちら二部。通信精度は良好なり」


『一部了解。三部への通達終了。二部による追跡を許可する』

 キーリの視線が皆の顔を見渡した後、変わらぬ声音で返答した。


「二部了解。これより追跡行動に入る」

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