工房ー1
表情の変わらぬソルト少年の後に、不気味な笑みを湛えたバニラが続く。
カウンターの奥にある小さく狭い廊下を真っ直ぐ抜けた先に、彼の仕事部屋が開かれていた。
そこは物識りである彼女が見る限り、職人の仕事部屋というよりも、小規模な魔道具工房という表現が相応しいように思われる。
成人男性の四~五人は寝転がれそうな作業台の上に、規格の違う工具の数々が、そして改造途中と思われる魔道具の部品と本体とが、作業者の性格を表しているかのように整然と、一定の間隔を保って並べられている。
それぞれの部品や工具には細い紐金が括りつけられ、その先には複数の数字と記号が刻み込まれた魔力紙が付随している。それは魔力に反応して光り輝く魔道具であり、万に一つ、遺失した際に発見するための用心であろうと推測された。
床には部品どころか塵の欠片すら落ちておらず、壁には未使用と思われる工具が天井の光を受けて鈍色の光沢を輝かせ、いつでも活躍する準備が整っていることを誇示している。
「ほう、これほど整っている工房は初めて見るぞ」
「まだ使い始めて日が浅いからね」
興味と好奇の色を隠さぬバニラに、ソルトは少しばかり苦笑した。日が経てば経つほど、そして忙しくなっていくほど、彼は整理と整頓を二の次として、掃除もせずに放置していくのである。整理整頓など後回しで良いという思考によって寮の自室がガラクタで埋まっていたことを、その悪癖を、彼はきちんと自覚していたのだ。
工具や魔道具に触らぬように、とバニラに注意を促したソルトは、作業台の上にある部品を少しずつ組み立ててゆく。
その手際と雰囲気は熟練の技術者というよりは、おもちゃをいじる少年のそれである。にも関わらず、魔道具の部品は彼の手によって次々と組み合わされ、乱れも停滞も見せることなく完成品へと近づいてゆく。
その光景を異常であると明快に断じたのは、つい先ほどまで嬉々として工房内を見回していたバニラであった。今やその顔に喜色などなく、表情は能面のように色を無くし、目は鋼糸のように鋭く細められ、ソルトの手元を貫かんばかりに注視している。
(魔道具に魔力を込める速さが尋常ではない! 魔法陣の書き換えすらも……!)
魔道具は多数の魔法陣と精密な魔力制御による芸術であるとバニラは認識している。それに加えて、魔法の性能を正確に引き出すための素材が使われている。素材の性質は繊細で、少しでも魔力の制御が疎かであったり、魔法陣による魔法の出力が不安定であったりすれば、素材はすぐに摩耗・消滅して、魔道具としての体を為さないことだろう。
最悪の場合、魔法の暴発も十分に有り得るため、危険の頻度という点では未熟な魔法使いとそれほど大差はない。
僅かな瑕疵も許さぬ繊細な内部機構こそが魔道具を製作する上の困難さであり、大量生産を行う魔道具に背を預けざるを得ない理由である。魔力を操作することに慣れていない常人には、到底不可能と言われる所以である。
しかし、バニラの目の前にいる少年は既存の価値観を打ち破るほどの手際の良さで、魔道具を完璧に組み上げている。描かれる魔法陣に歪みはなく、注がれる魔力の量も、魔石の配分も機械に劣らぬ精密さと言って良い。
驚嘆するバニラが見ている中で、ソルトはそれほど時間も掛けずに魔道具の改良を終えてしまった。時間にして、数分といったところであろう。彼女が知る限り、これほどの速さで分解された魔道具を組み立てられる人間はいない。
「魔力洩れ無し……出力も安定……大丈夫かな」
組み上げた魔道具の点検を他の魔道具によって簡潔に終わらせると、ソルトは魔道具を壁際の箱へと収納する。休憩を挟む素振りも見せず、次の作業に移るべく軽く肩を回したソルトは、未改造の魔道具を別の箱から取り出したところで、不意に声を掛けられた。
「お主、そのような技術をどこで身につけたのじゃ?」
彼女の声には、何らの色も感情も見出し得ない。それは、彼女が興味本位で事を聞いているためではなく、用心と警戒を内に潜ませているがゆえであった。
常人が、しかも少年と呼ばれるくらいの年齢でこの境地にまで達することなど皆無であると彼女は判断している。名人と呼ばれる師につかなければ、そして日々の弛まぬ努力を経なければ、否、それであってもここまでの腕に達するかは大いに疑問が残る。
或いは、違法な改造手術を受けた人型の魔物であるという可能性があるとすら、少女は思い描いていたのである。しかしそれは多くの物を識っているがゆえの、少女の空虚な妄想に過ぎなかった。
「トリントル高等魔法学校だよ」
あまりにもあっさりと、裏が透けて向こう側が見えるほどに気楽なソルトの返事を聞いて、バニラは思わず呆気に取られた。確かに、そういう効率的な場所もあったなと、自身の考えに浸り過ぎて視野が狭窄していたことを自覚したのである。
トリントル高等魔法学校は、大陸の技術が収斂している場所であると彼女は認識している。優秀な師に値する教師は掃いて捨てるほどいるだろうし、もし自身に合う教師がいなくとも、独学が出来るだけの施設や資料は豊富に用意されているのである。学校の名義を借りることにより、各地の有識者や在野の無名な研究者を招いて師事することすら可能であった。それほどに、トリントル高等魔法学校の収めている学術的・技術的価値は高いのだ。
ゆえにその名をソルトが口にしたとき、バニラは納得せざるを得なかった。彼が嘘をついた可能性もあったが、すぐにそれは杞憂となった。
彼の差し出した学生証には、確かに卒業したことを示す魔力印が刻まれていたのである。これは学校組織が正式に卒業を認めたという証であり、トリントルという魔法の名門校を知る国であるならば、国内外を問わず、身分証として通じるほどの効果がある。
「なるほどな……まさか、お主がトリントル卒だったとはな。流石は我の後輩といったところか」
「えっ、後輩?」
「うむ。何を隠そう、我もトリントルで学んでおったのじゃよ」
凶悪極まりない笑みを浮かべながら、バニラもまたソルトに自身の持つ学生証を差し出した。それはやや色合いが異なるものの、紛れもなくトリントル高等魔法学校の学生証であり、魔力印もしっかりと刻まれているものであった。
相手が上級冒険者であるということよりも、同じ学校に通っていた先輩であるという事実の方がソルトにとって大きかったのだろう。彼はその顔に朱色を巡らせ、バニラに対して尊敬の視線を向けた。
「実際に社会で活躍されている先輩にお会いできるとは、光栄だ……!」
「止せ止せ、そんな目で見られるほど我は立派なもんじゃないわ」
手をひらひらと鷹揚に振りながら、頬を赤らめもせずにバニラは言った。それは本心からの言葉であって、彼女は他人から敬意を向けられるほど、立派に仕事をしてきたとは少しも思っていない。
彼女から言わせれば、この世で労働をしている者は人間関係が上手くいっているからこそ、仕事ができているに過ぎないのだ。人間同士の交流が上手くいかないときには、どれだけ能力が優秀であっても他人と自身の感情が足かせとなり、全体的な仕事の能率に響いてしまうものであると知っているのである。
思い出したくもないことを思い出しかけて、バニラは脳裏に浮かんだ微かな記憶の靄を掻き消し、自身の不審を誤魔化すように、こほんと小さく咳払いをした。
「ところでお主、トリントルを卒業したなら引く手数多であったろう? なにゆえこのような田舎で店を開いておるのじゃ?」
「そりゃあ、ギルドの面接に全て落ちたからだよ」
あまりにも気楽なソルトの言葉を聞き、バニラは「なるほどのう」と納得の相槌を打った。彼女とて、上級冒険者として今の名声を得るまでに少なからぬ苦労を背負ってきているのだ。気持ちが分かるというほどでもないが、少年が社会に存在する数多のギルドに対して失望したことは想像に難くない。
「我もギルドの面接では辛酸を舐めさせられたからのう。田舎で店を開くという気分も分からんでもないな」
「バニラ先輩ほどの人でも、就職には苦労したんだね……」
「そうじゃよ。しかし、お主ほどの才幹を取らぬとなると、ギルドの人事担当の連中は相も変わらず頭の固い連中ばかりのようだのう……」
「まあ、今はこうしてのんびり……じゃないか。今は限定的に忙しいけど、普段はもうちょっと余裕をもって活動してるからね。ギルドで扱き使われるよりよっぽど楽で良いと思うよ」
その言葉が心からのものであろうことは、彼の雰囲気から察するに、疑い得ないものであるとバニラは思う。
それほどにギルドの面接官というものは第一印象主義とも呼ぶべき外見偏重の思考に陥っており、その者の持っている人脈や知識、技術などを見ることなく、自身との数分間の受け答えによる面接と、自己分析シートのみで判断してしまう傾向が強いのである。
確かに、第一印象というものは大事であると彼女も思う。外見の良さも、仕事の効率に影響するには違いない。なぜなら、人間社会における仕事と呼ばれる労働は一人でできるものなど無きに等しく、どこかで必ず他人との交流が生じるためだ。
トリントル高等魔法学校の学生であると知りながら、面接官の誰もが彼に対して失格の烙印を押したという事実を鑑みるに、彼は致命的なまでに他人との協調性が取りにくい人間であると判断されたのだろう。
彼女が初対面にも関わらず何気ない調子で彼と会話できているのは、波長の合う優秀な同類として、或いは同じ学校の先輩後輩として、互いに認められるだけの性質を相手に見出しているからに過ぎないのかもしれない。
(しかし、この優れた才能を田舎に埋もれたままにしておくのは、惜しいな……)
目の前で討伐作戦に使用する魔道具を鼻歌交じりに分解し、改良し、組み立ててゆく鮮やかな手腕を見て、彼女はそう思わずにいられない。
できることなら、すぐにでも自分たちのパーティに引き入れたいと思うほどに、パーティの活動を支える魔道具等の管理を担ってもらいたいと頼みたくなるほどに、バニラは彼の魔道具における知識と技術を、無意識のうちに買っていた。
けれども、ここでいきなり勧誘を行うというのは唐突に過ぎるとも彼女は思う。
魔物の討伐作戦の前夜であるし、さらにはその作戦行動のための魔道具を作成している最中に――許可を得たとはいえ――邪魔をしているという立場なのである。
さらにその上、この場でパーティに勧誘するような無粋な真似を行うことは、彼女の矜持が許さなかった。
(いずれまた、誘う機会があろう)
バニラは集中して作業しているソルトを見て少しばかり躊躇ったが、これ以上邪魔をするのも忍びないと考えた。
「では、またな」
彼に小さく声を掛け、返事が無いことを確認した後、彼女は工房から立ち去った。
ソルトはバニラが立ち去ったことにも気づかず、しばらくそのまま魔道具の準備を続けていたが、やがて細く長い息を吐いて全身から余分な力を抜いた。作業台の上には魔道具の部品は置かれておらず、使い終えた工具しか残っていない。
どうやら、一段落が着いたようである。
「お疲れ様! ソルトくん!」
「……あれ、シュガー?」
ソルトは辺りをきょろきょろと見渡すが、先ほどまでいたはずの、魔法使いの先輩の姿はない。どうやら明日に備えて帰ったようで、思えば声を掛けられたような気がしないでもない。シュガーに聞いても見なかったというから、集中している間に去ったのだろう。
「それにしても、上級冒険者がソルトくんの工房にねぇ……スカウトとかされなかった?」
「いや、別に」
「むむう、そっかー……」
首を傾げるソルトを横目に、シュガーは軽く息を吐いた。もし上級冒険者に彼が見出されていれば、と悔しく思う気持ちと同時に、どこかホッとした気分も浮かんでくるのである。その自身の内心に生じている微妙な泡立ちに目を背け、「そうそう、冒険者と言えばさ――」と彼女は話題を僅かに転じた。
「私も、明日の討伐作戦に参加することになったんだよ!」
「……はい?」
さらに彼女が言うところによると、魔物を追跡及び討伐する戦闘部隊の先導であるらしい。狩人の中でも森の地理に最も詳しい人材であると見込まれ、その大役を任されることになったとのことである。
「大丈夫なの? ただの獣と違って、魔物は襲ってくるんだよ? 命を失うことだってあるかも知れないし」
「大丈夫大丈夫。私だって命は惜しいからね、用心に用心を重ねるつもりさ!」
手をひらひらと軽く振りつつ屈託のない笑みを浮かべるシュガーであったが、しかしその実、内心では不安の雲が広がっていることをソルトは見抜いていた。
長じてからは離れて暮らしていたとはいえ、幼い頃に培った経験と記憶は意識せずとも自然と身に着いているものである。彼は姉貴分たる彼女の仕草に僅かなぎこちなさを見出し、その心中が緊張以外の理由によって穏やかならざることに気づいたのだ。
恐怖に準じた感情を持て余しているであろう彼女に対して、どういった言葉を送るべきか、などという懊悩が彼の心をざわめかせることはなかった。なぜなら、ソルトはシュガーが狩人として作戦に参加するだろうときのことを考え、平常心の奥に不安を抱くであろうという予想をつけていたのである。無論、シュガーが抱くであろう不安における対抗策についても、しっかりと練り終えていたのであった。
彼はいつものそっけないような口調で、笑みを湛える彼女に軽く声を掛けた。
「ま、無理しないで頑張ってね、シュガー。これは僕からの餞別」
「えっ、これは?」
シュガーがソルトから受け取ったのは、謹製のお守りであった。手の平に収まる程度の朱色の布袋に、蒼の刺繍糸で『守護』と縫われている。持つだけで全身が優しく包まれるような、不思議な温かさがあり、心に安堵の気持ちがゆっくりと広がっていくのが分かる。
「見ての通り、お守り。肝心なときに緊張しすぎないように、魔法を込めてある。無くさないように気をつけてね」
「ありがとう……大切にするね」
手の中のお守りを大事そうに両手で包み込み、シュガーは儚げな微笑みを見せた。それは、幼い頃から彼女が困った時にする癖のような表情だったと彼は後に思い出し、時折、このときに作戦の参加をなんとしても止めるべきだったのではないだろうかと、悔やむことになるのである。
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