冒険者ー1
冒険者ギルドとは、民間の警備企業に近い種類の団体だと思って良い。
ただの警備団体と異なる点は、魔物を相手にする稼業であるという一言に尽きるであろう。当然、ギルドに所属する者は腕に覚えのある者でなければならず、また、多くの民衆を相手にする客商売の一面もあるために、それなり以上の処世術と自己肯定感を身につけている者でなければ長く勤めていられない。
ギルド設立から現代に至るまで、少なくない数の冒険者が偉大なる功績を世に示してきた。王族・皇族の護衛、師団規模に及ぶ魔物の討伐、街道を占拠した盗賊団の捕縛、新たな土地の開拓、発掘された古代遺跡の保護など、その偉業は数知れない。
そういった歴史的な背景もあり、冒険者とは兵士よりも上に位置している名誉な職であると一般には認識されている。そのため、入団試験の難しさは士官試験にも劣らぬほどに難しく、入団合格者の数は希望者に比して少ないのが特徴である。
そんな冒険者ギルドであるが、これもまた魔道具の一般的普及に乗ずるかのように、大陸の隅々まで出張所を構えるようになった。ゆえに当然、それだけの出張所に配する冒険者の数が少数であることが問題となり、多くの人員を新たに雇い入れる必要が生じた。
出張所に配する新人を雇い入れるという名目のために試験難易度が見直されることとなり、結果として冒険者の全体的な質が低下するという事態に陥った。が、傍目に見て分かるほどではないとされ、冒険者全体における質の改善については、まだまだ先送りにされているというのが現状である。
ともあれ、冒険者ギルドはそこが最果ての地であっても、たとえ人が独りであっても、生活を営んでいるのであれば、出張所を建て、人員を派遣した。それはソルトの故郷である山中の田舎村においても例外ではなかった。
村から下山する入口付近に、冒険者ギルドの出張所が建っている。
他の家屋と同様の木造建築で、けれどもギルドとしての面子や役割を果たすため、村の中でも有数の建築物となっている。
ソルトは森から戻ってくると、すぐに冒険者ギルドへと駆け込んで、森に潜んでいるだろう魔物の脅威を焼写紙による証拠と共に伝え、冒険者による討伐隊の編成を依頼した。
しかし、ギルドマスターを兼ねている受付嬢は、彼の依頼を受け入れることはできないと、淡々と返したのである。
「……何故です?」
ソルトの声音はいつもと変わらぬ平坦なものであったが、その分厚い眼鏡の奥にある目つきは平時よりも鋭さを数段増していて、見る者の心胆を寒からしめるほどの紅い光が湛えられていた。
そんな彼の瞳を真正面から平然と見返しながら、受付嬢は事情を説明していく。
「見て分かる通り、ここのギルドに人手が無い」
ギルド内には中年どころの冒険者が三人いるだけであり、そしてそれがこの出張所における冒険者の全てであった。さらに言うなら、三人は下級の上位ランクに属する冒険者であるが、ソルトの示した魔物を倒せるほどの実力を持っていないと彼女は言う。
ここにいる冒険者たちは村での畑仕事の手伝いや、害獣狩りを目的としている者たちであり、魔物に対する討伐意欲をも持ち合わせてはいないのだそうである。
「であるなら、麓の町から応援を呼ぶのはどうです?」
「応援を呼ぶなら、金が掛かる。それも、大金と呼ばれるほどの額だ」
受付嬢の見る限り、彼の示した魔物は熊をも屠れる大物だ。まず間違いなく、大型の魔物であり、見習いや駆け出しの冒険者には荷が重い。となると、中堅どころの冒険者を応援として呼ぶ必要があるわけだが、その中堅冒険者と認められるほどの者たちを呼ぶには、相応の金が必要となるのである。
彼らも人々の善意によって生活できているわけではなく、働きに相応するだけの報酬を必要としており、その対価として仕事を引き受けている。
今回の大型魔物の討伐を目的として依頼書の発行を考えるとなると、中堅どころの冒険者が四人以上は必要であろうと受付嬢は考える。なにせ、命の危険がある依頼だ。それなりの報酬を用意しなければ、彼らは見向きもしてくれないだろう。
「それだけの金を、君は用意できるのか?」
さらに言えば、現状は大型の魔物がいる痕跡があるというだけであり、まだ魔物が視認されたわけでも、被害を出したわけでもない。順序としては、魔物が山中に存在するか否かを調査する依頼を先に出し、いたら討伐を依頼するということになる。そして調査の段階においても金が掛かるし、討伐の段に至っても金が掛かる。
「常識的に考えて、君の出る幕ではない。諦めることだ」
「――のように、門前払いを受けるでしょうね」
シュガーの話を聞いた彼女は、母としてではなく、村の長としての厳しさを示して言った。
彼女が村ではなく、ギルドを統率する立場であったとするなら、人に害を成すであろう魔物が近くに生息していると聞いても、討伐隊を組織することはないだろう。
「でも現実として、お母さんは村長としての立場を重視するでしょ? ギルドが討伐隊の人員を出せないとするなら、村長としてはどう対処するつもり?」
「そうねぇ……」
己の娘に曖昧な返事を残したまま、村長はポケットから通信機を取り出した。最新の型ではないものの、有用性は既存の中で最も優れていると評判の型式である。
「とりあえず、貸してる人たちから少し返してもらうとするわ」
「……貸し?」
「その点は気にしないで。シュガーはソルトちゃんのところに行って、村長がなんとかしてくれるって伝えといてくれる?」
「んー、気になるけど分かったよ! ギルドで暴走されても困るし、さっさと連れ戻してくるとするね!」
元気な返事を残したシュガーは、母に対する信頼を根拠としてその場から一目散に駆け出した。魔物の討伐に対する目途が付いたと言えば、ソルトは大人しくギルドから撤退してくれることだろう。無愛想を常としている難しい少年ではあるが、精神が常人よりもいささかばかり繊細であることを、けれどもいざという時には絶対に退かない強さを持っていることを、幼い頃から彼女は知っているのである。
走り去ったシュガーを笑顔で見送った村長は、通信機から漏れ出す声を耳に入れると、その表情を一瞬にして精悍なものに変え、口調鋭く言ったのだ。
「私だ。中級上位と見られる魔物の痕跡が村周辺で発見された。できれば、手を貸してほしい」
『畏まりました。伝説に謳われた【深炎の女帝】のお役に立てるとは、望外の喜びとするところです』
「……恥ずかしいから、その呼び名は止めてくれ」
『………………畏まりました』
「おい、なんだ? その妙な間は?」
『いえ、なんでも。今日中にはそちらに向かいます』
「助かるよ。退屈させないことだけは約束する」
『退屈な方が、助かるんですけどね。俺は動物虐待って、あまり好きではないですから』
そう言って通信を切った相手の顔を思い浮かべた村長は、疲労を一気に吐き出すようにして深いため息をついた。
「……貸しを返してもらうだけとはいえ、後々のことも考えると……何らかのリターンは用意しておかないといけないわね……」
彼女の脳裏には、都会で就職できずに帰郷してきたという少年の顔が、ちらちらと浮かんでいたのはどういう思考の末であったのだろうか。
ともあれ、平穏が取り柄の田舎村は風雲急を告げるかのようにして、慌ただしい気配をそこかしこから薄らと漂わせ始めたのである。
◇ ◇ ◇
そして、その日の夜である。
赤き陽の光が地平の彼方へと沈み込み、黒き帳が空を隈なく覆い始めていた。
星々の煌めきが躍るその下にて、頭上の輝きなどに目もくれず、多数の大人たちが囁き合いながら大きな建築物へと入ってゆく。
そこは、村の集会所であった。基本的には冠婚葬祭などにおける会合を行うための建物で、その広さは村人たち全員を収容することができるほどの広さがある。さらには、保存に適する飲食料や魔道具、貴金属といった、緊急時を考えた備蓄も密かに収められている。
集まったいずれの者たちも、既に村長によってある程度の事情を聞かされており、少なくない危機感を胸の内に抱いている。
それでも彼らが表面上落ち着いているように見えるのは、村長に対する信頼によるところが大きいであろう。加えて、村に常在している冒険者ギルドの冒険者たちが集会所の周辺警備に回っていることが、村人たちの心に幾らかの余裕をもたらしていると考えて良い。
村のギルドに常在している冒険者であっても、当然、依頼に対しては報酬を要求することが常識である。しかし今回の件においては、彼らは村に住まわせてもらっている一員として警備に参加していると明言しており、依頼の「い」の字も報酬の「ほ」の字も口に出すことなく、集会所の入り口に立ち、用心の目を村の周囲へと向けている。
そしてその目が村の入り口に向けられたとき、冒険者たる彼らは異常を察知した。
「おい、何かくるぞ」
「分かってる」
二人の冒険者は視線の先にある暗闇から、淡い光の一点が浮かび上がり、そしてそれが徐々に強くなってくることを知覚したのである。その白い光は魔物に出せるものではなく、人工物による魔法的な明かりであった。すなわち、魔道具を持った人間が、この村に訪れようとしていることになる。
「こんな夜中に、か?」
「俺が様子を見てくる。お前は村長に伝えてくれ」
「ああ、お前は気をつけろよ」
集会所に入っていく同僚を顧みることなく、彼は足を前へと進める。
その足取りは重たさこそ感じさせないものの、いつでも戦闘に移行できる慎重さを有してはいた。なにせ、異常が知れたばかりのこの村に、突然訪問してきた者たちである。
(魔物が出たという情報を知っているとは思えないが……用心はしておいた方が良いな)
耳障りな大音量を発する警告機の魔道具が後ろのポケットに入っていることを確認しつつ、彼は入り口で佇んでいる者たちに近づいてゆく。
彼は集団を視界に入れた途端、賊などではない、と一目で理解した。理解せざるを得ない。なぜなら、その集団どころか、その内の一人であっても、彼を遥かに超える力量を持っていることが推し量れたからである。
冒険者としてそれなりの腕を、彼は持っている。並の新人冒険者には及び得ぬ力量を持ち、戦闘経験も豊富で、修羅場もそれなりに潜っている。この村に滞在しているのは、それらの荒事から離れたいという個人的な理由によるものであって、その力量に不安を持たれているわけではないのだ。
その彼が、賊程度に後れを取るということは過去の経験上あり得ないことであった。頭目であるならまだしも、下っ端にすら力量が劣るという現実はにわかに信じ難い。
(それに賊なら、わざわざ入り口から歩いて入ってくるわけがない)
先入観など持たないことが生き残るコツであると、彼ほどの冒険者であれば常識として知悉していることではあるが、そうした楽観的な思考を抱いてしまわねばならぬほどに、その集団が秘している力量は大きなものだったのである。
その力量の一端は、装備の見た目からも推し量ることができた。というのは、いずれも中級以上の魔道具であることが明瞭だったためだ。大量生産によって造られる物の中にも等級という概念が存在し、そしてその等級が高ければ高いほど、その物品に付けられる値は増大する。
集団の誰もが二等級から一等級の魔道具に身を包み、そしてその魔道具に見合うだけの力量を有しているのが見て取れるのだ。隙の無い立ち姿から得られる集団のイメージは、善良なる人々を襲う賊などといった矮小なものではなく、人類を滅する悪竜を討つ英雄たちといった、強烈な憧憬を思わせるものであった。
彼の歩みが集団に近づいていくと同様に、集団の方からもまた、彼に向かって歩みを進めてくる者がある。
その者は、集団におけるリーダーなのだろうと彼は察した。
短く切り揃えた茶の髪はどこにでも見られる特徴だが、閉じていると見紛うほどの細い目はやや珍しい。端正な顔立ちではあるが、それほど際立って美しいというほどでもない。全体的にほっそりとしたシルエットではあるものの、かといってがりがりに痩せているというわけではなく、全身にしなやかな筋肉がついているのが動きから分かる。
見た目だけならば一般市民の若者に思えるほどに、全体的な風貌は平凡極まりない。しかしその実力は確かなものであると彼は感じた。眼光、装備、呼吸、姿勢、足運びなど、その者を彩る全ての構成要素が並々ならぬレベルに至っており、存在としての格が自身よりも数段上であるように錯覚させられる。
互いに人間であるのは間違いない。されど、或いはその感覚は正しいのかも知れないと思わせられるほど、相手の存在感は巨大であったのだ。
彼はそんな相手に内心怯みつつ、けれどもそれを表に出さずに、堂々と対面した。
「俺はこの村で世話になっている冒険者だ。名はゾイド。今は緊急時で、村の外側から来た奴はどんな英雄だろうと、たとえ国王だろうと、取り調べさせてもらうことになっている」
「なるほど。それで?」
「見たところ、この村に用件があるように見えるが、何の用か聞かせてもらいたい」
相手は言葉による即答を避け、懐から一枚のカードを取り出した。
それは、冒険者ギルドが公式に発行している身分とランクを証明する魔道具である。カードに登録されている魔力の波長が持ち主と合致しているとき、裏側にギルドの紋章が現れるのだ。
そしてゾイドの目の前で、相手はカードの裏側に浮いているギルドの紋章をしっかりと確認させた後、表側に書いてある情報を見せながら名を名乗った。
「俺はこの臨時冒険者チームのリーダーを務めている、ペッパーという者です。この村の村長殿から指名の依頼を受け、魔物を討伐するべく参上しました」
その名を聞いて、ゾイドは思わず目を瞠った。
「まさか……【巨人殺し】のペッパーか? 村長から助っ人が来るという話は聞いてたが……あんたほどの男が呼ばれるとは思わなかったな」
「村長殿には、昔からお世話になっておりまして。そのお世話になった分を少しでも返そうと、こうして参った次第です」
ペッパーは眼光を和らげ、人好きのする表情を浮かべて微笑みかけた。その笑みは、どこか子どもの持つ無垢にも似た愛嬌に満ちていて、ゾイドも釣られて相好を崩したほどである。他人に対する心の障壁を和らげるほどの暖かさが、ペッパーの笑みにはあった。
「ゾイドさん、参りましょうか。時間を掛ければ掛けるほど、危険が大きくなってしまう」
「ああ、頼む」
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