不穏ー1

 彼らの村から奥へ向かうと、それと気づかぬ緩やかな傾斜に起伏が混ざり、さらには木々や草むらが密集して、薄暗い樹林帯を形成している。


 村までの道程にあった明るい森とは違って湿度がやや高く、人があまり踏み入らぬ、野生の聖域となっている。空気中に含まれている魔力の素となる粒子の濃度も他より高く、あちこちに仄かな燐光が目の錯覚を疑わせるほどの微かさでゆっくりと明滅している。


 そのような人の触れ得ぬ神秘の中を、無造作に進んでゆく人影が二つある。


 一人は薄暗がりの中に溶け込むような、保護色となる暗緑の防護服に身を包んでいる。その手には長すぎない程度の筒が握られていて、それは銃と呼ばれるものであった。


 銃は火薬で鉛弾を発射するただの銃ではなく、金属を掛け合わせた複合素材による魔道具であり、一般的に普及されている魔道銃という代物である。発射物は容易に発掘できる鉛製の弾であることは変わらないが、その先端は鋭く、内部には簡素な魔法陣が刻まれている。魔法の性質は睡眠や麻痺といったものであり、獣の狩猟や罪人捕縛が主な用途となっていた。当然、一般人が購入するには公的な専門資格が必要であり、この銃の持ち主である狩人のシュガーは中型獣に関する狩猟許可資格を国家から正式に認められているのである。


 もう一人は闇の中でも染み出るような、漆黒のローブを纏っている。誰あろう、彼こそ大陸随一のトリントル高等魔法学校を次席で卒業したソルトその人であり、いささか一般的な常識に欠けるところがあって、ギルドの求める人材として不適格の烙印を押された人材だ。


 そして今この地においても、その常識の欠落を遺憾なく発揮して、シュガーの困惑を招いているところであった。


「……このキノコの成分、使えるかな? ちょっと持ち帰って解析してみよう」


「ソルトくん? 私たちはキノコ狩りに来たんじゃないんだよ? 名目としては、害獣狩りに来たんだよ? 分かってる?」


「分かってる、分かってるよ。でも、害獣狩りって言うけど、どんな獣を狩るの?」


「おっ、よくぞ聞いてくれました!」


 シュガーは足を止めぬまま、されど歩幅と速度を緩くして、出立前にも説明した事柄を再び彼に話して聞かせた。


 狩りで主に狙う獣は、村の畑を荒らす害獣どもであるという。ゆえに、山頂へ至る森の深奥まで行くことはせず、村の外周をぐるりと回っていくことになる。姿を現す害獣は畑の作物の味を覚えているため、そう遠くない位置に寝床を移しているそうだ。


 種類としては、猪、狼、熊、鹿、猿などである場合が多いという。それら中型の獣に加えて、後は小型の獣が現れるくらいであるが、小型の獣に関しては広範囲に仕掛けた魔道具による罠で捕えることができるために、狩りの対象とはなりにくいとのことである。


「なるほどね……じゃあ罠に掛かっている小型の獣を回収しつつ、中型の獣も見つけて退治していくってことになるのか」


「基本はそうだね。でも……」


「でも?」


「ここのところ、少し森の様子がおかしいんだよね」


 彼女は不意に足を止め、地面に伏せてあった罠の端末を手に取ると、それをソルトに手渡した。薄い端末のパネルには特に何も映っておらず、それはどうやら魔道具による罠が仕掛けられてからこれまで、罠に反応した獣がいなかったということを示すらしい。


「仕掛けて初日なら、まあこういうこともあるんだけど。これは仕掛けてから六日ほど経ってるんだよ」


「六日間、獣が罠に掛からなかったってこと? それくらい、あるんじゃないの?」


「罠に掛かってないだけなら、そういうこともあるよ。でもね、これが示してるのは六日間、獣が村の周囲に近寄ってすらいないってことなんだ。明らかに、これは異常だよ。何かが森の中で起こっている可能性が高いと思うね、私は」


「何かって、例えば?」


「さあ? それをこれから確認しにいくのさ!」


 その蒼い目に好奇心を滾らせながら、シュガーは森の奥へと足を向ける。その後を遅れないようついていくソルトは、何事かを諦めた表情を浮かべていた。


 彼は経験上、こうなったシュガーは言葉によって立ち止まるような性格ではないことを知っている。さらには、野性的とも呼べる直感力に優れた彼女が、何らかの異常を見つけずに一日を無事終えたということを知らないのである。


 そしてソルトは、彼女の見つけた異常に必ず巻き込まれるという幼少を送ってきたのであり、今回においても、幼少からの経験は彼の想像を裏切らないのであった。


   ◇ ◇ ◇


 足の短い草を踏みしめ、背丈ほどの高さまで成長している草を打ち払って進んだ先に、その妙に開けた広場はあった。


 微かな陽の光が天上から幾筋ばかりか射しており、どっしりとした老樹の表皮に侵食している深い濃緑の染み込みが、ここを人跡未踏の場であると如実に物語っている。


 緑溢れる幻想的な空間ではあったが、シュガーはそれらの神秘的な光景に目を輝かせることはなく、ただ一点、幻想の中に浮き上がっている現実の非情に、厳しい視線を向けていた。


 彼女の視線の先には、熊の死体があった。


 それは樹木の根元に腰かけているような格好ではあったが、腐乱が酷く進行していて、羽虫が耳障りな音を立て、貪り喰らうかのように群がっている。


 首元から股にかけて大きな裂傷が走っており、内部に収められているはずの臓器は一欠片も残されてはおらず、固まりかけた血塊と朽ちかけた肉塊が蛆虫の孵卵場と化していた。


 その惨たる有様から少しも目を逸らすことなく、シュガーは虚ろに呟いた。


「どうやら……怪物が入り込んだようだね……」


 熊を殺せるほどの獣は、この山にはいないはずであると彼女は言う。もしこの仕業が人間の手によるものだと考えるにしても、これほどの惨状を平気で作り出して放置する人間は、怪物と呼ぶに相応しいだろうとも。


「いや、これはほぼ間違いなく魔物の仕業だろうね」


「断定できるの?」


「死体を見れば、大体分かる」


 ソルトはシュガーの言葉に応えつつ、熊の死体の側に寄る。羽虫や腐臭を気にもしないで、その死体を注意深く観察してゆく。


「傷跡が粗雑に過ぎるし、大きすぎる。その割には焦げ跡も無いし切り傷も無い。かといって、複数回に渡った攻撃とも思えない。まあ、一撃だろうね。常識に照らして考えるなら、人間がつけられるような傷じゃないよ」


「攻性魔道具の可能性はあるんじゃない?」


「いや、それも無いかな。傷口の周りに、微かだけど魔力の残滓がある。魔道具による攻撃なら、こういった魔力は残らないはずだ。特に攻性魔道具の多くは威力を求める傾向があるから、動力である魔石の魔力だけでなく、周辺の魔力も吸収するんだよ」


 内部にも魔力の残滓があるから魔物でほぼ決定かな、などと呟きながら、ソルトはその死体を焼写機によって写し取ってゆく。焼写機とは魔道具の一つであり、この世界における写真機のようなものである。物体の形を焼写紙と呼ばれる専用の紙に焼き付けることで、精緻な模写を行うのだ。焼き跡の濃淡によって味わいが異なるのが実に良いと言い、高値で買い取る奇特な富豪がいるために、この道を究めんとする人間も少なくない。


 シュガーはそんなソルトを視界に入れながら、けれどその焦点は熊を殺したであろう魔物のことで占められている。彼の推測を基とするなら、熊を一撃で屠れるほどの魔物がここに入り込んだということになる。内臓が残されていないことから、捕食するために襲ったのだと考えられた。


(問題は、人間を襲うかということだけど……)


 遭遇した場合、まず間違いなく襲いかかるであろうと彼女は結論付けた。


 熊の内臓を喰らったということは、魔物は肉食を行うということである。加えて、熊を一撃で葬り去れるだけの攻撃力を有していることから、人間においても極めて脅威的であると認識せざるを得ない。


 そもそも、魔物という存在は身の回りにいる生物全てに対して攻撃性を有していると考えられているため、人里近くにいると判断できた時点で、厳重な警戒を要するべきであると国家の側から推奨されている。


「ソルトくん、魔物がどこに向かったか分かる?」


「……んー、死体の状態から考えて結構経ってるっぽいからなぁ」


 あちこちを熱心に写していた彼は焼写機を袋に仕舞い込み、熊の死体の周りをぐるりと歩き回って、そして痕跡を見出した。


 その痕跡とは、熊の死体にも見られた魔力の残滓である。


 残滓は地面に痕として残ってはいなかったが、微かながらも空気中に、澱み濁った色として映っているとソルトは言う。


 熊を屠る際の攻撃に、或いは防御において、魔力を込めて筋力を強化したのであろう。恐らくは外皮、そして四肢にも魔力による強化を施したがために、これだけ時間が経っても残滓が漂っているのだと推察された。


 そしてその残滓は、山の頂の方へと、森の奥へと続いていると彼は言う。


「これを追うのは、止めた方が良いだろうと僕でも思うね。まず間違いなく、殺されるから」


「でも、放っておくことはできないよ。村に被害が出るかも知れないからね」


「……どうするつもりだい?」


「とりあえず、一旦村に戻ろうか。この件は一刻も早く村長に伝えなきゃならない脅威だからね。もし、ソルトくんの想像通りだとするなら、冒険者ギルドに応援を要請してもらう必要も出てくるしさ」

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