星屑愛話

参星(カラスキボシ)

記憶の帳。

 

 彼らは時々夢を見る。


 遙か彼方かなた神代の向こう。

 ありもしない、神話じみた想い出は彼らの魂の何処かにそっと潜んでいるのだ。



 ▼



 このお話は、彼女の一言から始まった。


「夢を見たの」


 酷く悲しい気持ちになったから厄落としに語らせて、と言って彼女は訥々とつとつと夢の話をしだしたのだ。


 放課後、夕陽が溶け込む図書室の一角。

 窓際の、一番端の席。大きな窓からはグラウンドが見渡せる。

 野球部の掛け声が、膜を隔てて遠く。薄朦朧うすぼんやりと、静かな部屋に跳ね返って消えた。


 そんな『いつもの場所』で、俺達は顔を突き合わせて不思議な夢の話をする。


 夢は、人に話せば正夢じゃなくなるんでしょう、なんて言っていたけれど。それは黙っていたって到底正夢にはなりそうもない内容で。

 ──まぁ単純に、彼女は話を聞いてほしいと、それだけのつもりだったのだろう。


 それでも、あんまりに綺麗で悲しいお話だったものだから、自分の中の一時的な記憶にだけ留めておくのはもったいない、と思った俺は、試しに「それで話を書いてもいいか」と言ってみたのだ。


 ぱちりと、少し意外そうに、その黒々とした瞳をしばたかせた彼女は「書いたら、読んで聞かせてね」と、夕陽に溶けるように微笑わらった。


 そんな彼女のために、俺はきっといつか、これを声に出して読むことになるのかもしれない。


 その時はこんな風に柔らかな夕暮れの中で、お互いの顔が見えなければいいな、と、そんなことを思っている。



 ▼



 仄暗い宇宙の中に在って、なお一層その闇を誇る門がある。

 その荘厳な門の門扉は常に開かれ、なにものも拒まず、ただ其処そこに門として在った。


 ──そこは、光さえも飲み込む漆黒の世界の入口である。


 地球において、何時いつかブラックホールと呼ばれるそれ。

 門そのものであり、その門番である彼女に名前はない。


 名もなき少女は門の傍らに立ち、今日も門前へ来た星々を、光を、あらゆる全てを受け入れ、冥闇もんの向こうへ旅発ってゆくのをただ見送っていた。



 門は、境界である。

 それ以上でもなく、それ以下でもなく。たださかいなのだ。

 口を開き、受け入れるだけの門には、己の内──門の先にあるものを知ることができない。

 門番は常に門前に立ち、門番が見るのは外の世界ばかり。

 門の内側、その向こうを伺い知ることは、彼女には決してできなかった。

 ──そういう、決まりなのだ。



 ▼



 なんだそれ、とヒロは薄く笑って首をかしげた。


「門なんて、覗けば向こう側は直ぐに見られるだろ」

「夢だって言ったでしょ。見えないのよ、真っ暗なんだもの」


 あなた、ブラックホールの向こう側を覗けると思って? と、ともこが馬鹿にしたように言う。


「自分が見えない、なんて。……夢なのに、にそっくりね」

「夢だから、の間違いだろ」


 自分自身をうまく見つめられない、自分の中身が一体何なのかわからない。

 その門と、門番の少女の関係は、もどかしい自己認識に似ている。


 こうして傷の舐め合いのように、人気ひとけのない教室としょしつの中、お互いに顔を突き合わせ始めたのは何時いつからだっただろう。もう何度も顔を合わせて、手を重ねて、指を合わせて、唇だって重ねたのに。

 そのくせ、俺も彼女もお互いを知らない。


 ──自分のことすらわからないのに、相手のことがわかる訳もない。


 考える度に疼く胸のきずが、惨めったらしくて嫌いだ。

 これ以上考えるのは嫌だから。それで、続きは? と、逃げるように話を促した。



 ▼



 門のかたわらに立って、見上げてみたとて広がるのは闇ばかり。

 ぽつぽつと見える星明りは美しいが、少女にとって手の届かないれは無いも同然だ。


 遥か彼方にある光は、なんだか酷く懐かしく、それでいて少し忌まわしい。

 だから今日も諦めたフリをして、何時いつもと変わらず門前に立ち、ほうけたように空を見ている。



 あの小さな光たちは、あの光のまま此処ここには来ない。

 門番の少女の手が届く場所にやってくる星々は、輝きを失った屑星くずぼしばかりであったのだ。


 彼らは何時いつも疲れたような、悲しいような顔をして門前ここに来た。遥か遠くで輝くあの星々と、同じ存在だとは到底思えない程、彼らはくすみ、かげっていた。


 何をしに来たのか訊ねれば、決まって「失くしたものを探しに」と一言。

 この門の向こうにゆけば、失くしたものが見つかるらしい。


 門そのものである彼女すら知らない、そんな噂は、広大な宇宙せかいのなか、それはもうまことしやかに囁かれているのだという。

 身に覚えのない話だ。一体、誰が言い出したのやら。


 門扉もんぴは常に開かれている。

 この境界を越えれば、内に広がるくらい闇が彼らを飲み込んで消してゆく。その先は、もう少女すら知らない場所だ。


 だからこそ少女は、やってくる星々にその理由を訪ね、どんな答えを聞こうとも「どうぞ」と無感動に言うしかない。

 ──言う事しかできなかった。


 だってそれは、彼らが選んだ道だったから。

 門はただ、受け入れるだけの装置だ。


 毎日。

 毎日。

 毎日。

 ただそれの繰り返しであった。

 今日も明日も、明後日も。

 昨日も、一昨日もその前も。

 壊れたレコードを反芻するように、少女の時間はいつも進まない。つまらない、代わり映えのしない毎日だった。



 そんな少女には夢がある。

 夢のない、つまらない毎日の中でひとつだけ。

 小さな、小さな夢。

 ──それは、門の向こう側を知ることだ。


 今日もまた、小さくしなびた屑星が少女の前にやってきた。


貴方あなたは……何をしにこの門へ?」

「失くしたものを探しに」


 お決まりの問いに、お決まりのいらえ。

 ──それから、たった一つの小さなお願い。


「そう、それなら。……もし、失くしたものを見つけて、もう一度この門をくぐる時が来たなら。中がどんな様子だったか、何を見つけたのか教えてくださる?」


 門の向こう側を、自分の内側を。

 ─知らない場所を知ることができたら。


 そうしたら、何かが変わる気がした。


 否、ただこの毎日を、少しでも変える何かが欲しかったのだ。

 本当に、それは些細なことでよかった。

 だからいつも、この門を訪れた人にお願いをして、変わる時を待っていた。変えてくれることを期待していた。


 だが、この門から出てきた人は未だ居ない。

 少女はまだ変われない。

 くらい境界を超え、振り返りもせず消えてゆく寂しい背中を見送って、それで終わり。


 今日も宇宙にはこの手が届かないほしが輝いている。

 私は一層惨めで──寂しい、と呟いて、少女は一人そっと目を閉じた。





「すみません……この門の向こうに行けば、失くしたものが見つかると聞いたんですが」


 とある日。いつもと変わらない毎日のうちの、いつもと変わらない日。

 一つの屑星がかのじょの前へとやってきた。

 此処に来る星々と同じように、すっかり輝きの失せた黒髪と白い肌。覇気のない声は哀愁すら誘う。


「ねぇ、貴方は……何を失くしたの」


 何を探しているの、と自分の口から漏れた言葉に少し驚く。

 どうして聞こうと思ったのか、なぜ彼だったのか、それは自分でも解らない。


 ─どうしても、聞きたいと思ってしまった。

 単なる気まぐれだったのかもしれない。

 この、単調な日々に飽きていたから。


 この小さな切っ掛けを、私は後々、何度も思い返すことになるのだ。



 ▼



「ふぅん、失くしモノ、ねぇ」

「やぁね、茶々入れないで頂戴」


 私だって荒唐無稽こうとうむけいな話だとは思うのよ、と彼女は片眉を上げて溜め息を吐く。

 でも夢だし、と言い訳のように言葉を紡ぐのは、童話じみた夢を見たことへの恥じらいか。デタラメのような──夢だから夢想で当たり前なのだけれど──彼女にしては随分可愛らしい夢想を語るのが、なんだか普段の彼女と違って面白い。


「結局その……屑星? は、何が探したいんだって?」

「彼ね、光を失くしたんだと──そう言ってた」


 光ってなんだと思う? というともこの言葉に、愛じゃない? と返してみた。

 言ってみて、その言葉の安っぽい響きに、お互い顔を合わせて馬鹿じゃないのかと笑う。

 静かな図書館に、二人分の声が反響して入り交じって、何人か分に別れて消えた。



 "愛" を嘲笑わらってみせる俺達に、愛なんて言葉は似合わない。


「じゃあその屑星は、愛を探してんのか」

「そうかもしれないわ。……探したって見つかるわけないのに、馬鹿ね」


 愛なんて不確定で不定形なもの、探すだけ無駄なのだ、とは二人の一致する見解だ。


 あると思えばあるんだろうし、無いと思えば其処には無い。

 愛しているという勘違いと、愛しているのだという思い込み。

 ──それがどうにも上手く出来ない。


 どうやら自分は、自分を騙しきれないらしい。損なたちなのだと最近気がついた。


 否、今までは騙せていたのだ。

 めくらの如く愚直に、愛されて、愛していると信じていた。

 それが、どうやら勘違いだったらしいという現実に、夢見るたわけた横っ面を張り飛ばされ、盲信の眼鏡グラスは吹き飛ばされて。

 途端にめてしまった。


 めた夢は見直せない。

 同じ事だ。


「まぁ、光になればわかりやすいよな」

「あらやだ、愛がないと輝けないなんて唾棄だきすべき現象ね」


 お互いに失恋の傷を舐めあって、いつしか行き交わされるようになった愛の児戯じぎは、結局二人の間にあいを作りはしなかった。


 なんとなく居心地が良くて、離れがたいのは確かなのだけれど。

 お互い器用なフリをして、不器用なほど分厚い壁を作りすぎて臆病だ。


「ブラックホールは、もとは太陽並みの恒星だったらしいぜ?」

「なによ、それ。ニヤニヤしちゃって。私がブラックホールだとでも言いたいわけ? あいを失ったって──?」


 失礼しちゃうわ、全く。

 心底不愉快だと言わんばかりに、彼女は不機嫌に腕を組んで。それから、少し寂しそうに空を見た。


「それなら貴方は、せいぜいが屑星ね」

「アンタの中に何かを見つけるほど、落ちぶれちゃいねぇよ」


 お互い空っぽの癖によく言うぜ、と皮肉っぽくこぼせば、それもそうねと柔らかな微笑みが返ってきた。





 かつて輝く星だった、という記憶はない。


 この門をくぐれば、欲しいものが見つかる。足りないものが見つかる。

 そんな話を聞くようになったのは何時いつからだっただろう。


「俺も、聞いてみたいなと思っていたんです」


 あなたは一体何を失くしたんですか。


 だからそんな、縋りつくような目で聞かれたって、答えられっこないのだ。

 むしろ、こっちが聞きたいぐらい。


「俺のなくしたものは、多分、光なんです。愛なんです」


 かげくもった屑星達を、飲み込み捉えて離さない。

 自分の失ったあいを見つけて欲しくて、こんな風に浅ましく扉を開いているだなんて思いたくはない。


「……知らないわよ」

「俺、好きな人がいたんです」

「知らないったら!」

「俺よりもずっと輝いて、ずっと綺麗で、多分、本当に釣り合わないくらい」

「──やめて!」


 自分で聞いた癖に、これ以上聞くのはなんだか怖い。

 やめてくれと言ったところで、彼は滔々とうとうと、どこか遠くを見ながら──それは多分、わたしの向こうを見ているのだろうけれど──語るのをやめようとはしない。


「彼女も、俺のことを好きでいてくれたって、自信を持って言えるんです。でも、俺は自分に自信が──いや、これは言い訳になっちゃうかな」


 困ったように笑う彼の顔に、見覚えがあるだなんて。

 そんなこと、そんなことは。


「結局俺は、誰かを愛することに臆病だったんです」


 こうやって、あなたを変えてしまったから。


 ぽつり、と落とされたその言葉の意味を理解する前に、瞳からこぼれる熱を止められない。

 知らないはずなのに。あんまりにも懐かしい気配に、心が波打って飛沫しぶきが落ちる。


 今すぐここから走って逃げてしまいたいような気持ちに駆られたけれど、門を離れることはできなくて。

 足に根が生えたように、私は屑星の彼が近づいてくるのをぼうと眺めていた。


「あの時、逃げてしまってごめんなさい。俺は、きちんと受け止められなかった」



 縮退星ブラックホールは、太陽よりも大きく、強く輝いていた星の成れの果てだという。

 自分の輝きさえその内に飲み込んで、静かに沈黙する宇宙の大穴。


 その深い闇は、光をものがさぬ冥府の入り口。



「もう、おぼえてないわ。ほんとうよ」 

「門の向こうに隠してしまったから?」

「もういくつも星を飲み込んだもの。私なんて見つかりっこないわ」

「見つけても、いい?」


 きっかけなんて覚えていない。もう、ずっと奥の方に閉じ込めてしまったと思う。

 だから彼との間に何があったのか、私が何を思ったのか、それはもう遠い遠い昔の話なのだ。


 優しく取られる手の感触は、何千何億という時間の中で初めて唯一の、たった一度の他者の温もりだ。


「──それならいつか、私の中にほんとうのあいを見つけたら、それを貴方にあげるから。またもう一度、ここに来てくれる?」





 その門は、遥か暗い宇宙そらの果てでずっと誰かを待っていた。


 寂しいという言葉を飲み込んで、愛の欠片を飲み込んで。

 愛してほしいと、絞り出すような悲鳴は空気を震わせることなく消える。


 数多のあいの輝くこの世界にあって、ポカリと空いた穴は、きっと心の穴だった。


 いつしかそれは貪欲に、の心を呑み込んで、傷を埋めよう埋めようと必死になって。


 いつか本当の、たった一つの自分を見失った。


 自分を隠すために飲み込んだ光。


 その最後の一つは、きっと愛した人だった。





「ねぇ、この門は、いつかこの地球ほしも飲み込んでしまうのかしら? 青く輝く、私達の地球ほしを?」

「そうかもな。──その時は、俺の隣りに居てくれんの?」

「あら、探してくれないの?」

「何を」


 悪戯っぽく微笑う、彼女の瞳が俺を捉えて離さない。


わたしの無くした愛」


 鏡面の如く静かな水面に、一つ、石が落とされたような。


 小悪魔じみた彼女の、夕日に映える黒髪が尾を引いて、視界から消えてゆくのを朦朧ぼんやりと見つめていた。


「みつかりっこないって、言ってた癖にさ」


 追いかけるように膝の後ろで椅子を跳ね飛ばして、ヒロは二人の秘密基地から飛び出した。





 門の中に飛び込んでいった屑星は、何かを見つけられたのだろうか。

 門番の少女に、あの屑星は、何時か探しものを見せて、門の内を──彼女の心の内の柔らかいところ、その全てを──聞かせることができるのだろうか。


 ふと窓を見上げれば、もうすっかり夜だ。

 カーテンも引かれない、無骨な窓から緩やかな冷気が肌を撫でてゆく。


 延々と続く廊下の、蛍光灯。その白く安っぽいに照らされて、その一切を拒絶するような黒髪が歩調に合わせて左右に揺れる。

 どんなにな愛に取り巻かれたって、それでも彼女は一等に美しいのだと、ヒロは静かにそう思っている。


 かつてなによりも美しく咲き誇っていた星は、何か──多分それは愛であり、光なのだけれど──を失って、何かを探す門になった。


 もし、愛を光とするならば。


 窓から見える仄暗い空。

 今日は晴れていたから、星がよく見えるだろう。

 無数のあいが輝く宇宙そらで、あの門はまだ、たった一つの屑星を──きっと待っている。


 小さく疼いた胸のきずが、なんだか少し愛おしく思えて。

 そっと繋いだ二人の手に、小さな星が生まれたような気がした。


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星屑愛話 参星(カラスキボシ) @karasuki-hoshi

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