異世界転生『男の娘主人公』

葛城2号

第1話 かの者は、美しかった

 



 人肌よりも優しく、それでいて涼しさをも感じさせる絶妙な陽気の中。すっかり芽吹いて繁茂する緑の中に……一つの影が、いた。


 影は、小さな人型であった。それは、誰しもが麗しきと認め、誰しもが可愛らしいと褒め称え、誰しもが美しいと目を細め、誰しもが咲き掛ける蕾を連想させる……年若い少女であった。


 その年若い少女は、小柄な体格をしていた。ワンピース一枚というラフな格好をしているから、余計にそれが分かる。


 小さい頭部を支える首も、だらりと投げ出された手足も、スラリと細長い。ともすれば華奢と捉えかねられないぐらいに小柄なその少女は、大地に背中を預けたまま……静かに横になっていた。


 絵の具で描かれたかのように鮮やかな晴天の合間に浮かぶ、目が痛くなるほどに白い雲。草むらの中で横たわるだけなのに、まるで体中をマッサージしてくれているかのような柔らかい日差しの下で……静かに閉じられていた少女の目が、ゆっくりと開かれた。


 青い空と、白い雲、大地を彩る緑の中に栄える、黒い瞳。太陽の輝きを吸って力強さを放つ山吹色を思わせる肌。そして、傍らに置かれた一振りの刀……自らの黒髪をふわりと揺らして少女は身体を起こすと、その刀を支えにしてするりと立ち上がる。


 身体に纏わりついた羽虫や砂埃を手で振り払いながら、少女は視線を草原の先……地平線の彼方に向ける。 時刻はまだ、昼にもなっていない時間だろう。腹具合と太陽の位置でおおよその時間を計った少女は、黙って彼方を見据える。


 少女の視線の先には、おおよそ人工物らしきものは何も無かった。遠くの方に見える小さな森が一部邪魔となっているが、その奥に見える世界は辺りのものとほとんど変わりない。おおよそ数十キロにも渡って続く広大な景色が、己が矮小であることを改めて思い知らされる。



「…………」



 その広大な世界を前に、少女はただ静かに……それでいて真剣な眼差しをそこへ向ける。それは別に、少女は感傷に浸っているわけではない。付け加えるなら、景色に見惚れているわけでもなかった。


 聞こえたのだ、少女には。


 ふわりと心地よく靡いたそよ風の中に混じる、戦いの雄叫びを。絶望に泣き叫ぶ者たちの声が、死の臭いと交じり合いながら……少女の元へ届いたのだ。


 他の誰もが聞こえなくとも、他の誰もが分からなくとも、他の誰もが想像すらしなくとも、少女には分かる。


 悲痛なまでに、そこに何が起こっているのかが分かってしまう。そこで行われようとしている事が、嫌が応にも少女の脳裏に映像を想起させた。



「…………」


 刀を掴む指に、力が入る。もはや握り締めているに等しい程に力を込められた刀は、まるで少女の内心を表すように微かに震える。戦いの臭いを、戦いの声を聞いたときはいつもこうだ……ギリギリと奥歯を噛み締めながら、少女は思う。


 いっそのこと、知覚する間もなく消えてくれればいいのに。例えその先で何が起こったとしても、そこに居た者たちがどんな悲惨な終わりを迎えたとしても、そうであってくれればこうまで苦しまずに済むのに……そう、少女は本気で思う。


 けれども、少女は同時に思う。呪いにも似たこの力を、実は誰よりも望み執着しているのは自分ではないか……と。


 知らぬ存ぜぬで誤魔化してきた過去の己が出来なかったこと。


 一人でも多くの命を……己が求めた正義の名の元に、己が望みを果たせるように『神』とやらが与えた慈悲ものなのかもしれない……そう、少女は思考を締めくくると、歩き出した。


「…………」


 その動きは遅く、のんびりとしたものであった。しかし、その速さは瞬く間に加速を始め、風を切り、大地を蹴って、少女は……一筋の砲弾と化す。残像すら残す程に加速する中、息切れ一つ起こさずに前を見据え続ける少女は……ぶるりと、心を震わせる。


 それが恐怖から来るものなのか、それとも怒りから来るものなのか、あるいは悲しみから来るものなのか……それは、少女自身分からない事。分からないけれども、少女はソレに突き動かされるがまま……ただ、戦火の臭いを頼りに地を駆けた。





 ――神様というやつは、どうして俺を俺のままにしておくのだろうか。





 次々に変わりゆく景色と、驚いて飛び退く野生動物たちをしり目にしながら、少女はどこかぼんやりとした頭で、これまでの日々を……始まりの瞬間を思い浮かべていた。


 少女が転生体……すなわち前世の記憶を持っていることを自覚したのは、まだ上手く言葉を発せない時。おそらくは年齢にして3歳に達したばかりの頃であった。


 『己』を思い出した瞬間のことを、少女は今もはっきり覚えている。『前世』にはなかった緑の臭いと、己の手を引いて前を行く、映像の中でしか見たことが無い金髪碧眼の美女。


 映像でしか見たことが無い長閑な風景の中に点在する、映像の中でしか見たことが無い風貌の人達。そして、夢とは思えない程に鮮明に近く出来る風の冷たさに……『ここが現実で、『過去の己を自覚しながら』も、『現在の己』を自覚した』、その瞬間。


 少女は、『少女ではなくなった』。前世の記憶と、その世界の己が同期した瞬間、少女は『俺』となって、『私』となった。言葉にすれば分かり難くとも、当時の彼女は……まさしく、言葉通りの状態であった。


 ――少女の前世、つまり『俺』は、携帯ゲーム機が流行している日本に住む『平凡な男』であった。いや、贔屓目もなく対外の評価に彼を当てはめるなら……『平凡よりも幾らか下の男』であった。


 一人で食っていくには十分な稼ぎではあるが、二人で生きるには心もとない収入。それが、世間からの彼の評価であり、周囲が彼に与えた価値であった。


 妻はいない、というか、おおよそ付き合いのある女性はいない。家族はとうに逝き、一人暮らしを続けて早十余年。一人の寂しさも、一人の気楽さも十二分に噛み締めながら、幼いころからの趣味であるゲームに浸る……それが、前世においての彼の一生で、その一生の幕を引いた記憶があった。


 だが、それがどうだろう。静寂で包まれた暗闇の中に自分が消え去って行くのを知覚した、その後。まるで半日にも渡って貪った惰眠から目覚めた直後のような寝ぼけを初めて『彼』が知覚した瞬間、『彼』は『少女になった己』を自覚したのだ。


 始めは、何が起こったのか分からなかった。今と違って経験のない当時の『彼』は、『少女になった己』を理解出来なかった。けれどもそれは、当然のことであった。


 何せ、目が覚めたら幼女になっていて、見覚えのない美女に手を引かれている。しかも、周囲はそれを当たり前のことだと認識、あまつさえその周囲の人たちは『彼』が知る日本人のそれではなく、まるでゲームの世界に出て来るキャラクターたちのように出で立ちが整っていて、あまつさえ『魔法』という単語が当たり前のように聞こえて来るのだ。


 驚くな、という方が無理である。夢だろうか、と現実逃避を始める方が自然であり、ゲームの世界に転生する夢でも見ているのだろうか、と考えるのは、むしろ自然なことであった。

 だから、なのか。今がどうしようもない現実であり、己が女であり、そこが地球ですらないということを呑み込み、彼は己の身に起こっている現状を理解し、順応するまで……己が体から『女の証』を垂れ流すときになるまでの時間を要した。



 少女は駆ける、駆ける、駆ける。馬よりも早く、虎よりも早く、ドラゴンよりも早く、少女は駆ける。その世界における平均から考えても小柄な体格でしかない少女が、その世界においては最速であるドラゴンよりも早く地を駆ける……はた目から見れば、それは正気を疑うような光景であった。


 けれども、少女の足は止まらない。砂埃を巻き上げながら、少女はただまっすぐ突き進む。


 声が聞こえる方へ、臭いがする方へ、立ち並ぶ森の中を進み、立ち塞がる枝の間をすり抜けて、繁茂する緑を踏み越えて、まるで巨大な糸に手繰り寄せられるかのようにそこへ走り続け……そして、少女は捉えた。


 少女の進行方向の先、終着点には城があった。尖がり帽子を思わせる赤い塔が目印の、石とレンガで構成された巨大な城。平時だれば、遠目からでもその壮大さが分かる厳かな城壁の前には……戦いが繰り広げられていた。


 そこには、白と銀色の鎧を見に纏った兵士たちの怒声交じりの雄叫びと、緑色の肌を持つ魔物たちの雄叫びが交差しているのが少女には見える。おおよそ数kmという距離を物ともせずに戦況を確認した少女は、砂埃を巻き上げながら……おもむろに刀を構えた。


 兵士たち……正確には城を襲っている魔物たちの正体は、この世界においては『ゴブリン』と呼ばれる本能で動く生物である。魔物とはこの世界における『害獣』の総称であり、ゴブリンはその中でも他種族に卵を植え付けて繁殖する托卵性という稀有な機能を有した、特に有害な魔物である。


 その性質は極めて凶暴で、おおよそ知性というものはない。食う事と寝る事と繁殖する事にのみ執着し、姿かたちは人型。特に大きいモノを『オーク』と表し、大きいものは4メートルにも達するおぞましい怪物である。


 ――繁殖期か。


 米粒大から豆粒大にまで迫りながら、少女は『ゴブリン』の情報を思い出す。


 基本的にゴブリンは人里にはあまり近づかず、同じ魔物の動物に卵を植え付けてその勢力を拡大する生き物だ。だが、数年に一度、繁殖期と呼ばれる時期に差し掛かると人里へ下りてきて人間を襲う。それが、特に有害とされている理由であった。


 ――変だな。


 その情報と、眼前にて広がる光景を確認しながら、ふと、少女は首を傾げる。小さな村ならまず壊滅的被害を受け、それなりの街でも多大な被害を残す。


 だから『ゴブリン』の繁殖期は事細かく調査され、繁殖期が差し迫ると討伐隊が組まれ、その数を減らされる。もちろん、全てを討伐なんて出来ないから、多少は取りこぼしが出るが……それにしては、あまりに数が多過ぎる。


 本来なら『ゴブリン』共が繁殖期を迎えても、被害を最小限に抑えられるように対策が成されているはずである。特に、あの襲われている城の規模ならば、例えその数が多くとも、討伐隊の網から取りこぼした程度の相手なら余裕で撃退できそうなものなのだが……ん?


 戦場へと近づくにつれて速度を落としながら、少女は目を細める。人間たちと魔物との間に見えた、一瞬の赤色。見間違いかもしれないと思いつつも、ある可能性に思い至った少女は目を凝らし……なるほど、と納得した。



 『ゴブリン・ロード』が、『ゴブリン』たちの中にいた。



 それだけで、少女には十分であった。既に完全に足音を消し、凄まじい勢いで少女は狙いを定めた。


 『ゴブリン・ロード』。


 それは、『ゴブリン』の中では突然変異に当たる魔物であり、唯一『同じゴブリンに対して、テレパシーにてある程度操ることが出来る』能力を得ている魔物であり、『ゴブリン』の中では極めて高い知性を有している厄介な魔物でもあった。


 『ゴブリン』は基本的に本能で行動し、知性が無い分タフで頑丈だ。加えて、腕力においても人間の比ではなく、まともに正面から戦えばどんな城であっても相応のダメージを受け、並の兵士では歯が立たない。


 だから、『ゴブリン』と戦う際は、人間側が知恵を使う。餌をばらまき、罠を張り、絶えず『ゴブリン』たちの注意を逸らしてから各個撃破が基本中の基本となっている。


 いや、というよりも、こうでもしなければまともに『ゴブリンの集団』と戦えるわけがないのである。そして、実際にこの戦法で人間側はいくつもの勝利を積み重ねてきた……だが、しかし。


 そこに『ゴブリン・ロード』が混じれば、話は別である。『ゴブリン・ロード』は他の『ゴブリン』と違って頭が良く、罠では効果が薄く、餌をばらまいても食いつかない。


 それでいて、他の『ゴブリン』にテレパシーを通じて操ることが可能の為、そいつがいるだけで、他の『ゴブリン』も同様に罠に掛からなくなってしまうのである。


 そうなれば、後に人間たちが取れる手段は『正面対決』か『逃走』の二択。けれども、『逃走』を選んだところで……結局、残された手段は『正面対決』一択なのである。


 城(町でもそうだが)を捨てれば行く場所などない者は野垂れ死にが当たり前であるからだ。よしんば当てが有ったとしても……そこへ行くまでに、繁殖期を迎えた『ゴブリン』共に捉えられ、肉の苗床にされるのがオチ。それが分かっているからこそ、城の兵士たちは必死になって応戦しているのであった。


 とん、とん、とん。一蹴りで数十メートルの距離を滑空しながら、少女は『ゴブリン・ロード』へ迫る。その動きはあまりに早く、戦いに気を取られた兵士たちはもちろんのこと、優位に立っている『ゴブリン』たちすら例外ではなかった。


 ――ぐぎゃぎゃ!

「――遅いよ、もう」


 唯一、最も戦いの中心から外れた位置に居た『ゴブリン』たちだけが、少女の接近に気づいて声を荒げる。けれども、声を荒げた時には既に、遅すぎた。


 彼らが声を上げた時にはもう、少女はその『ゴブリン』たちの傍をすり抜けた後であり、その『ゴブリン』たちは己が死んだことに気づくよりも前に……その身を7つに分断された後であった。


 超高速抜刀術から放たれる、無音の居合切り。それは、少女の長い前世にて習得した奥義。


 音も無く刀を収めた少女は、ふう、と息を吐く。抜刀の瞬間はおろか、納刀の瞬間すら常人では捉えることの出来ない速度で行った少女は、再び構えた。そして、それは……一方的な蹂躙の始まりに過ぎなかった。


「4、6、9、14、17――」


 ぽつり、ぽつりと数を呟く。煌めきと鮮血を撒き散らしながら振るわれる刃が、その数に応じて『ゴブリン』たちの命を両断していく。それは、まるでお伽噺を見ているような光景であった。


 鍛えた大人ですら、ゴブリンの身体を切り裂くのは骨が折れる。よしんばそれが『大人のゴブリン』で、『オーク』にもなろうものならまともに刃が突き刺さるかどうか……という程である。


 それなのに、少女が振るう刃は止まらない。その訳は、少女が持つ武器にある。少女が持つ刀は、言うなれば少女の魔力を具現化させて構築した刃であり、込める魔力が多ければ多い程その切れ味を増す、魔法の一種である。


 その魔法自体は、この世界においてはさして珍しくはない。さすがに素質は必要だが、素質さえあれば数十日程修行を積めば扱える程度の、言ってしまえば魔法使いであれば誰でも発動することが出来るという程度の魔法でしかない。


 違うのは、その具現化させた刃に込めた魔力の量、ただそれ一点に尽きた。


 仮に、少女が持つその刃を、少女から放たれている魔力を魔法使いが見たら……あまりの濃密さと魔力光(魔力を扱える魔法使いのみが視認できる、魔力の光のこと)に、一人の例外もなくその目を焼かれていただろう。


 それぐらい少女の持つ刃は、少女自身が、異常であった。そして、その異常さに兵士たちが、『ゴブリン』たちが、乱入者の存在に気づいた時にはもう、決着はついたに等しかった。


「36、39、41、45、51――」


 右に、左に、上に、下に、ありとあらゆる方向に放たれる斬撃は、あらゆる『ゴブリン』を区別なく切り裂き、両断し、その命を瞬時に刈り取っていく。


 少女が通った後に残るのは『ゴブリン』たちの肉片と、突然の乱入に呆然と佇む兵士たちの姿だけであった。


 疾く、疾く、疾く、疾く、疾く。立ち昇る砂埃、血と汗の臭いでむせ返る戦場の中で、少女は陽炎のように名残だけを残していく。


 肉眼で捉えるだけでも困難な速度で動き回る少女を、『ゴブリン』たちは誰一人捉えることが出来ない。いや、それは兵士たちも同様で、この場において少女の姿を明確に捉えられた者は一人として存在しなかった。


「――見つけた」


 切り殺した『ゴブリン』の数が三桁にも及び、二桁の『オーク』を両断した辺りだった。少女の黒い眼光が、『ゴブリン』たちと砂埃の中に隠れている『ゴブリン・ロード』を、己の射程距離内で捉えたのは。


 向けられる殺意に気づいたからなのか、それとも瞬く間に起きた戦況の変化に驚いたからなのかは、少女には分からない。だが、『ゴブリン・ロード』はその瞬間、何かに気づいた。


 ――ぎゃぎゃあっ!


 流石は『ゴブリン・ロード』、と判断するべきか。気付いたと同時に『ゴブリン・ロード』は奇声をあげ、己の周囲を手下で固め始める。その動きは素早く、瞬く間に『ゴブリン・ロード』は『オーク』に囲まれて見えなくなった……だが。


「――だから」


 それでも、少女には遅すぎた。一蹴りでひと塊となった『オーク』の前に近接した少女は、ちん、とつばを鳴らす。直後、途方もない魔力が込められた刃は痛みすら与えずに『オーク』の身体を両断し……その奥にて隠れていた『ゴブリン・ロード』の姿を露わにした。


 ――ぐががが!


 知性があるからこそ実感できる死の恐怖に、『ゴブリン・ロード』の顔が歪む。唾を飛ばして周囲に居る全ての『ゴブリン』と『オーク』に指示を飛ばした直後、その場にいた全ての魔物が少女へと殺到する……が。


「もう遅いって――」


 少女の前には、関係なかった。刹那が如く一瞬の間に構え終えた少女の斬撃が、四方八方へと放たれる。周囲に人がいないことは、既に確認している。だから、少女は久しぶりに放った……己の、全力の刃を。


 悲鳴すら、断末魔すら、魔物たちはあげることが出来なかった。瞬きよりも短いその一瞬の間に、『ゴブリン』が、『オーク』が、少女から放たれた斬撃によって宙を舞う。しかも、ただ飛ばされたわけではない。魔物たちは一人の例外もなく、その身体を肉片へと分断され、辺りを真っ赤に染めた……親玉だけをこの世に残して。


「――言ったじゃん」


 そして、親玉である『ゴブリン・ロード』も同じであった。


 城すらも落とし、時には国に多大な被害を与えるとされる『ゴブリン・ロード』は、顔を恐怖にひきつらせたまま。己が死んだことを理解する間もなく、その身体は十の肉片へと解体されたのであった。






 昼を大幅に回ってはいるが、夕方には早い時間。寒々といた城壁の中心に建てられた、巨大な城。外からは尖がり帽子ばかりが目立っていたその城の中の……何だろうか、と少女は内心首を傾げ……ああ、と軽く目を瞬かせる。


(ああ、思い出した。謁見の間だ……相変わらず、こういう場所は好きになれないんだよなあ)


 立派な玉座に座る白髭が立派な王と、その隣の、同じくらい立派な椅子に腰を下ろす王妃。そして、その王妃の少し後ろに用意されているこれまた立派な椅子に腰を下ろす少年と少女。席の位置から見て、王子と王女だろうなあ、と少女は思う。


 『ゴブリン・ロード』を倒した後、少女はさっさとその場を後にしようとした。


 だが、少女の存在に気づいた兵士の一人に涙ながらに懇願されて引き留められ、あれよあれよと言う間に立派な城の奥へと引っ張られ……気づけば、少女は多数の人間に見つめられるという嫌な状態に陥っていた。


 部屋の片方には、おそらくは近衛と思われる人たちがずらーり。その反対側には、おそらくは此度の戦に参加した諸侯直属の精鋭……と、言ったところだろうか。身に纏っている装備に微妙な違いがあるのをこっそり見て、少女は推測する。


 珍しいこともあるもんだ、とも少女は思うが、まあ、『ゴブリン・ロード』のいる『ゴブリン』の集団に責められれば無理も無いと納得する。


 滅多にあることではないが、『ゴブリン・ロード』の影響はそれだけ大きく、十数年に一度は城や町がまるごと滅ぼされたという話があるぐらいなのだ。むしろ、両方ともこれだけ生き残っていること事態が奇跡に等しい話であった。


「面を上げるのだ、『剣聖』よ」


 頭上から浴びせられた声に、少女は顔をあげる。目に留まったのは、やはり王様の無駄に立派な白髭と、何故か微笑んでいる王妃の存在であった。


「まず、此度の戦に加勢してもらったことに感謝する。本来なら勝手に参加した者に対して褒賞は無いのだが、『剣聖』、あなたの場合は別だ。あなたのおかげで、我が城は没落の危機を脱することが出来た……この恩に、我らは報いなければならぬ」


 多分、メンツとかそういう意味合いもあるんだろうなあ、と少女は内心鬱陶しさでいっぱいになりながらも王様の話しに頷いた。


 けれども、そんな少女の内心など知る由も無い王は、「それでは、さっそく本題に入ろう」そう言って手を叩くと……近衛兵士の一人がガラガラと、大きな皮袋を乗せた台を少女の傍に押してきた。


 その瞬間、一瞬ばかりざわめきが謁見の間に広がる。何だと気になった少女は、嫌な予感を覚えながらもチラリと台に目をやり……内心、深々とため息を吐いた。


「さあ、受け取るが良い。これが、此度の恩賞だ」


 その言葉と共に、兵士が皮袋の紐を緩める。途端、台の上に零れ広がったのは……煌めく金貨であった。それも、十枚や二十枚どころではない。目測で見た限りでは三桁にも及ぶ……莫大なお金であった。


 その価値、おおよそ庶民が30年は遊んで暮らせる金額である。それだけの金額を一度に出せば、王国も相応に負担のはずなのだが……王はもちろんのこと、王妃やその子供たちは惜しむ様子すら見せなかった。


 だが、王族以外は違う。収まったざわめきが、また謁見の間に広がる。運んできた近衛兵士もそうだが、この場に居る大半が、一度にこれだけの金額を目にしたのは初めてなのだろう。台の上に広がる黄金の光を前に、臆されたかのように目を皿にし、生唾を呑み込み……少女が起こすであろう一動を見つめ、想像した……だが、しかし。


(……はあ、まただよ)


 少女が取った行動は、近衛兵士たちにはもちろんのこと、王たちすら驚かせるものであった。それは、隙間なく叩きつけられる濁流が如き視線の中で……なんと少女は、金貨を一枚だけ手に取って懐のポケットに収めると、ふわりと王へ背を向ける……という行為であった。


 それは、近衛たちにはもちろんのこと、この世界に生きる者ならば思いつきすらしない失礼な所作であった。


 国を治める王が、民に褒美を与える。それはこの世界においては絶対の命令であり、拒否をするということはすなわち、その王に対する反逆……ひいては、その国に対する否定に等しいことなのである。


「私は、誰の下にも留まりません」


 だからこそ、少女ははっきりと述べた。自らの魔力を乗せて、にわかに騒がしくなった謁見の間に響き渡る程の大声で、剣を抜きかけた近衛たちをその場に押し留めたのであった。


「そして――」


 手加減したとはいえ、少女が放つ力は膨大の一言。重圧とも取れる魔力の一声に誰しもが動けない中に訪れた、一瞬の静寂。


「――己が刃を向けるのは魔物と、道理を外れた者にのみ」


 その中で、少女ははっきりと己の意志を貫いた後。


「――それでは、御免」


 それだけを言い残して、少女は歩き出す。少女の道を阻む者は、誰も居なかった。ただ、呆然とするしかない者たちをその場に残し……少女は、颯爽と謁見の間を後にしたのであった。





 城を離れ、いくしばらく。どこまでも続いていた晴天はとっくに色を変え、地平線の彼方まで真っ赤に染まった頃。徐々に薄暗くなり始めた草原の中に、一人の少女がいた。


 ただっぴろい草原に、少女が一人。それも、まだ年若い。魔物に襲われる可能性もそうだが、盗賊に襲われる危険性や、雷雨夜風に晒されると分かっていてもなお……少女の足取りには、全くの怯えも不安もなかった。


 少女にとっては、もう慣れた行為なのだ。同時に、不安など覚える必要もない。何故ならば、少女の体から放たれる魔力が、少女の身体を無意識の内に防御し……常に最適の状態に保っていてくれるからである。


「夕日は……どこで見ても真っ赤なもんだなあ」


 赤く燃える夕陽を見上げながら、もしゃもしゃと、少女は城下町で買ったリンゴを片手に当てのない旅を続ける。


 その背中に括りつけられたのは、魔力で構築された刃。食事の時はもちろん、排泄の時も、寝ている時ですら、無意識の内に具現化するにまで至った……彼女だけの武器。


 その武器をカタカタと揺らしながら、少女は歩く。日が暮れても、星が芽吹いても、少女は夜の大地を歩く。草原を進み、森の中を進み、遭遇した魔物たちを蹴散らして……少女は歩く。


「――おっ?」


 そして、不意にその足取りが立ち止まる。少女の目に飛び込んで来たのは、月明かりを受けて白銀に輝く澄み渡った湖。「魔物のテリトリーじゃない湖を見るのは久しぶりだな」降り注ぐ月の光の中、しばし周囲の気配を探った少女は……一つ頷くと、進路を湖へと変える。


 ぽてぽてと、歩きながら器用にも靴を脱ぎ捨てる。次いで、刀をその場に放り捨て、身に待とうワンピースを放り投げる。たった一枚の下着をも脱ぎ捨てた少女は、湖から浴びせられる反射光に目を細めながら……縁にて立ち止まった。


 ――その時、仮に、だ。少女の裸体を正面から見た者が居たとしたなら……おそらく、一人の例外もなく驚愕に目を見開いていることだろう。



 何故なら少女の体には、少女にはない物が付いていたからだ。



 それは傷でもなければ腫瘍のような類でもない。この世界の人間はもちろん、この世界においては雄と判別される者が持ち合わせている……まごうことなき男性器が、少女の股間にあったからだ。



 少女は、男だった。



 顔立ちに始まり、骨格もそうだ。ふっくらとした胸回りや、腰から尻のラインは紛れも無く女性のソレであったが……少女は、確かに男性であった。


 少女……いや、少女にしか見えない少年は、大きく息を吸って胸を膨らませると……湿った大地を蹴って、湖の中へ飛び込んだ。








 少女は、『彼』であった。







 だが、『彼』は『俺』でもあり、『私』でもあった。


 『女』である己を受け入れるのに時間を要した……そう、最初の転生の時には。


 正確に言い表すのであれば、『彼』は受け入れたのではない……ただ、順応するしか出来なかったのだ。


 ある時は男として生まれ、ある時は女として生まれ、ある時は獣として生まれ、ある時はそのどちらでもない者として生まれる。もはやこれが何代目なのかも分からないぐらいに転生を繰り返し、幾重にも続く前世の記憶は、『彼』からあらゆる者を奪った。


 男としての自覚も、女としての自覚も、人間としての自覚も、何もかもを奪い、呑み込み、混ぜっ返す。残されたのは……形容しがたい、何かでしかなかった。


 その果てが、今の姿であり、今の有り様であった。身体は間違いなく女のソレ。だが、股間にあるのは男性のソレ。そして、心は獣がごときソレで、その思考は……どちらでもないソレであった。


 辛うじて今の少女に確固たる物として残されたのは、『おそらくは始まりであろう』記憶。


 『日本という国に生まれた平凡以下の彼』だった時の記憶と、幾重にも続いた生涯の中で生み出され、蓄積された……膨大な魔力と、生き延びる為の技術だけ。


 女に欲情することはない。男に欲情することもない。獣はもちろん、物にも欲情することはない。ただ、残された力を武器に、日々を悪戯に過ごし……そして朽ち果て、また別の世界に『少女』は目を覚ますだろう。


 それが、少女には怖かった。


 これで終わりになれば良い。だが、今回のこれでも終わることなく……また、『己』のままで生まれ変わるだけかもしれない。そう考えるだけで少女は恐ろしくて堪らず、その未来に至ってしまうことを考えるだけで……自殺など出来るわけがなかった。



 ――神様というやつは、どうして俺を俺のままにしておくのだろうか。



 少女は、いつも考える。何故、己は己のままに転生を果たすのだろう。


 いっそ、女として生まれれば良かった。俺でも僕でもない、『女』として生まれたかった。


 いっそ、男として生まれれば良かった。わたくしでも、あたしでもない、『男』として生まれたかった。


 いっそ、獣として……いっそ、それ以外として生まれれば良かった。


 何もかもを忘れて、真っ新な己として生まれたかった。だが、それは叶わない。今まで幾度となくソレを繰り返した少女に、もうソレを選ぶ勇気も、気力もなかった。



 ――私は、後……どれぐらい生きればいいんだ?



 無限に続くかもしれない未来に、少女は怯える。少年は怯える。彼は怯える。彼女は怯える。獣は怯え、どちらでもない『己』は怯える。



 ――私は、俺は、僕は、己は……誰だ?



 少女の疑問に、答える者はいない。だからこそ、少女は歩き続ける。自らの未来から逃げるかのように……刻一刻と迫る寿命という名の審判から目を逸らすかのように、少女は旅を続ける。



 少女は……今日も、ただただ……歩き続ける。







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