16 王子捜索

「すみません、ここに船に乗って下ってきた二十代半ばから三十ぐらいの男と、十歳ぐらいの男の子の二人連れを見掛けませんでしたか?」


「うん? いや今日はまだ見てないね」


「昨日は? 夜とか」


「昨日? 昨日は昼過ぎから雨だったろう? だから船なんて出せるはずがないじゃないか。それに夜に船を下るのは危ないから禁止されてる。仮に緊急の要件があったとしてももみんな帰った後だし分からないよ」


「そうですか……。ありがとうございます」



 私は船着き場にいる人たち数人に訊いて回っていた。

 船着き場は川から人工的にある程度大きい広さにくり抜かれていて、そこだと水の勢いが弱まるらしくロープでしっかりと結ばれた船が幾つか停留されている。

 やはり手掛かりは無しか。



『あーちゃんごめんね。まーのはながやくたたずで……』


「そんなことない。雨も降ってたし船で移動されたんじゃ匂いが付くはずないもの。豆太郎のせいじゃないよ」



 サミュ王子たちの匂いを追跡できずにしょげかえる豆太郎の頭を優しく撫でてあげる。

 まったく、あいつらのせいで豆太郎が元気ないじゃないの。絶対に文句言ってやらないと気が済まないわ!


 あの後、サミュ王子の他にオーバーンもいなくなっているので、あいつがサミュ王子を攫ったのは間違いないだろうという結論に行き着いた。決め手はロープで繋いであった船も一艘無くなっていたことだ。

 荷物が幾つも無くなっていたので無理やりではないかもしれないけど、どうせあいつがあの世間知らず王子の隙を突いてそそのかしたんだろう。あの顔はそういうことをしそうな顔だ。



「でも困ったわ。たぶん船で下ったなら途中休憩を挟むために船着き場がある村に立ち寄るはずって話だったのにこうも姿かたちも無いなんて」



 クレアさんやアレンたちと相談し、まずが足取りを追うために私が先行していた。

 私が川沿いを本気で走れば船より速い。それに美歌ちゃんと連絡手段はあるからノータイムで結果を伝えられる。

 みんなは川下りで私を追って来ている最中だ。

 一応、食事処なんかにも確認はしている。それでも影も形もない。どこに消えたのやら。


 ちなみにあの村の連中は今のところお咎め無しだ。

 というか、構っている時間が惜しいってだけだけど。

 とりあえずサミュ王子の誘拐に関わっていないかぐらいの尋問はしたがシロっぽかった。そもそもあの山賊上がりの村長、演技がめちゃくちゃ下手だし。あれでよく山賊やれてたわね。



「ひょっとして私たちを巻くために途中で降りた? いやそれはさすがにないか。運動不足気味の子供を連れて徒歩に切り替えは時間が際限なく掛かるだけよね。ん? あれ? そもそも個人なのかしら?」



 ちょっと嫌な予感がした。

 


「まさかオーバーンって暗殺者たちの一味? もしそうなら途中で新しい馬車が用意されてる可能性もあるか。あぁでもそもそも殺し目的なんだから誘拐する意味ないわ。あの宿で殺したらいいだけだもんね。それとも身柄が要るような状況に変化した? あーもう、全然分かんない!」



 駄目だ。焦りもあって冷静に考えられずにこんがらがって頭が茹で上がってしまう。

 こういう時に景保さんがいたら状況を整頓してくれそうなんだけど、こっちの事情は話を伝えただけじゃ分からないだろうし私が上手く伝えられる気がしない。

 それにあっちはあっちで街から逃げ出したとかで忙しそうだし、依頼を受けた以上、解決しなきゃいけないのは私たちだ。

 まぁ依頼人である王子に思いっきり足を引っ張られてるんだけどね! やっぱり見つけたらデコピンを追加しよ。


 すっきりしない気持ちのままウィンドウを開いて美歌ちゃんを呼び出す。

 数コールで美歌ちゃんとのビデオチャットが繋がった。



『あ、美歌ちゃん? そっちどう?』


『うーん、川下り自体は新鮮で面白いんやけどみんな暗くて沈んでて葬式会場みたい。なんか重い空気のせいで船も沈みそうやわ』


『あー、まぁそうなっちゃうか』



 護衛対象が仲間の護衛と共に消えるというのは複雑な心境だろうね。

 サミュ王子の身を案じることを始め、自分たちの責任や仲間だったオーバーンが何を思って何をしようとしているのかとか。

 それに当初の目的すら叶わない可能性だってある。もしここでサミュ王子がいなくなった先でモンスターや暗殺者たちに襲われて死亡したら、部族連合から勝手に抜け出したことも加えて間違いなく重い罪になるだろうし。

 一体、何に怒って恨めばいいのかもあやふやだ。

 

 雇われた護衛という立場の私たちやアレンたちだけが、一歩引いてそれを俯瞰できている状態だった。



『そっちはどうなん? おった?』


『いや全然いない。このままもう一つ先の村に行こうと思うんだけどそれをクレアさんに伝えて。仮に休憩無しで行ってたとしても、たぶん速度的に次の村だったら私が追い付くんじゃないかと思うのよ』


『分かった。ちょっと待っててや。……クレアさん……みたいで…………ました……』



 川の音もあるから横を向いてしゃべっていると向こうでされている会話までは聞き取れない。

 しばし答えが出るまで待つ。



『お待たせ。そうして欲しいって。んで、どうにか見つけてってめっちゃ真剣な顔で頼まれてる』



 まぁあの人にとっては本気で命を懸けて守る主君であり、弟みたいな存在だからね。いきなりいなくなったなら心配しない方がおかしい。

 気持ちは分かるよ。私だってこんなモンスターがいっぱいいる世界でもし豆太郎が本当の犬で行方不明になったら平静でいられないかもしれないし。



『全力を尽くすって言っておいて。じゃ、次の村に着いたら連絡するね』


『うん、分かった。頑張ってや!』



 通信を切って空を見上げると、さっきまで晴れていたのに私たちの気持ちを代弁するかのごとくまた空にはどんよりとした雲が現れ始めている。

 きっと雨が降るかどうか怪しいので運行はストップになり、クレアさんたちもこの村でまた足止めになるだろう。よっぽどの理由が無い限りは船頭さんたちは小雨でも中止したがる。まぁ自分やお客さんの命が懸かってるんだからそこは言っても仕方ない。



「要は私が見つけ出せればいいってことよね。じゃあお騒がせ王子様探しにそろそろ出発しよっか」


『あいさー!』



 だが、というかやっぱりというか、さらに一つ下の村へ向かってもサミュ王子の行方を掴むことすらできなかった。

 仕方なくさっき寄った村へとんぼ返りしてクレアさんたちと合流する。

 

 外はしとしと傘を差さなくてもいい程度の鬱陶しい雨が降り出していて、頭や服に着いた水分を手で払う。

 何気に軽い防水耐性まで備えているからやっぱり大和伝の装備って高品質だわ。


 宿には私が帰ってきたことにすら気付かないクレアさんとそれにアレンと美歌ちゃんたちがいた。

 他の騎士たちは部屋に引きこもっているようだ。まぁ彼らの仕事は今はないから別にいいんだけど。



「よぉ、空振りだったみたいだな」


「うん、どこへ消えたのやら皆目見当も付かないわね」



 いち早く私に気付いたアレンが声を掛けてきた。

 クレアさんはこちらを一瞥しただけで思いつめた顔をして机と睨めっこを再開する。

 相当参ってるねこりゃ。


 昨日は色んなことが起き過ぎてみんな冷静になれなかったけど、今はちょっと話し合ってまとめてみるのがいいかな。

 とりあえず今回のことについて糸口を切り出してみる。



「走りながら色々考えたんだけどさ、オーバーンの目的ってなんなのかな?」


「そんなの分かるわけねぇだろ」


「いやいやアレン君、人間考えることを止めたらアレン君のようになるから考えなきゃだめよ?」


「お前にだけは言われたくねぇっての!」



 いきなり話を終わらせようとするアレンは放っておく。

 するとオリビアさんが彼の代わりに私の話に乗って考えを巡らしてくれた。



「ハッキリとはしないけど連れて行ったってことは何かに使って利用するってことだから、そういう意味ではすぐに殺されるような事態ではないわよね」


「うん、そうよね。もしあいつが暗殺者たちと仲間だったとしたら宿の時点で殺害できたもの。だから当分は安全と考えていいはず。後から身代金だとか人質だとかに利用されるかもしれないけど」



 私たちの話が始まるとクレアさんに反応があった。こちらの会話を聞こうとしているようだ。

 よし釣れた釣れた。この人には元気出してもらわないと。



「そいつらと繋がっているのならそうだろうけど、もし一人での犯行だったらこの行動の意味は手柄の横取りみたいなのかしら? ここまで護衛してきたのは自分一人の功績ですよって言い張るために。あぁいうやつってそういう横取りみたいなの好きそうじゃない?」



 ミーシャが別の意見を出してくれる。

 彼女は騎士たちには腹に据えかねるものはあったので吐く言葉は多少トゲトゲしい。



「それって私たちが着いたら嘘ってバレない? どう考えてもあいつ一人じゃここまで来れないでしょ」


「んー、だからこのままじゃ命の危険があったから単独で護衛した、っていうそういう筋書きの箔が欲しいのよ。到着さえすれば後から何とでも言えるし、いくら私たちが騒いだって成果を上げた点は無視できないでしょ」



 なるほど。オーバーンが手柄欲しさに王子を連れて先行したというのもあり得そうだ。



「オーバーンは確かに手柄欲しさに焦っているところがあった。四男で冷遇される境遇だからそれは把握はしていたし、功名心は良く言えば強い意気込みがあるということだからそれほど気にはしていなかった。こんな大それたことを仕出かすまでは予想しなかったが……」



 ようやくクレアさんが顔を上げて会話に加わってきた。

 この調子だ。塞ぎこまれても意味ないしね。



「仮にオーバーンがそういう目的だったとしてクレアさんたちはどうなるんですか?」


「城には入れないかもしれないな。サミュ様が王となった暁には恩赦も頂けるだろうが、それまでは私たちは逃亡を手助けした犯罪者扱いで見つかれば投獄されるかもしれん。もちろんサミュ様のお耳に入ればすぐに解放はして頂けるだろうがそれを他の陣営がそう簡単に許すとは思えない。そうなるとまずいな……」


「何がです?」


「継承権争いに味方できなくなる。私が敵陣営ならサミュ様と私たちを分断させたままにするだろう。上手く見つからないように城内、もしくは城下に入れればいいのだが」



 あぁそう言えば着くのがゴールじゃなくて着いてから本番なんだっけ。

 確か第二王子カミールと第四王子のリグレットと争って勝たないといけない。

 私にはどれほどの勝率があってそれがどれくらい下がるのかはハッキリとは分からないけど、旗色は間違いなく悪くなるのだろう。

 ただあの王子とオーバーンの二人きりでどうにかなりそうには思えないことは確かだ。



「結局のところオーバーンがやったことは何一つメリットが無いってことね」



 まとめるとあいつがいかに馬鹿なのかが浮き彫りになってきた。



「どっちみち手掛かりはないんだからこのまま川沿いに足取りを探しつつお城のある首都を目指すのがベターな選択かな。私は少し休憩したら先駆けして到着地点の降りる予定の街まで行ってみます」


「すまない。恩に着る」


「まぁこっちも依頼を成功させないとお金はまだしも魔石がもらえなさそうだしね。張り切りますよ」



 深々と頭を下げるクレアさんにそうやってちょっとおどけて返した。

 実際のところ、これが失敗したらたぶん約束の魔石は本当にもらえなさそうだし私だって焦りはある。

 それに王子たちが二人きりのところに暗殺者たちが出くわさないとも限らず、悠長にしている時間はもうあまりないのかもしれない。

 それでも下を俯いたままじゃあダメなんだ。可能性が残っているうちは足掻かないと。それがこの世界に来て学んだことの一つだもの。


 しばし歓談したのち、私は豆太郎と一緒に薄暗い雨の中を王子様を求めて走り出した。


□ ■ □



『サミュ! お前……!』



 幼いサミュの目には息を呑んで放心している彼の父親――『ヴィルマン』の姿が映っている。

 彼は正気を取り戻してくるとだんだんと唇が震え眉間に眉が寄っていく。明らかに不機嫌。いやそれすらを通り越して憎悪の感情と言ってもいい。

 露骨に態度を変え吐き捨てるようにこう言う。



『ええい近寄るな! 余の子が汚れた子だったとは! 気分が悪い!』



 サミュは大好きな父に喜んでもらおうとしただけだった。

 なのにまるで汚らしいものを見るかのように豹変した父の目は彼が生まれて初めて見る憎しみの感情だった。

 最初は何がいけなかったのかすら分からなかった。

 しかしようやく今やってしまったことが父の勘気に触れたことを知る。

 

 ――父上? なんで? なんでなの?


 ――僕が悪いの? 嫌いにならないで! そんな怖い目で見ないで!



「鬱陶しい! そんな目で余を見るな! 誰ぞこやつを部屋の中へ監禁しろ!」



 衣服にしがみつくサミュをヴィルマンは蹴り上げて離れさせた。

 サミュが冷たい大理石の床に横倒しに倒れても眉一つ動かず心配すらしない。

 ついさっきまでは笑顔で親子の対面を果たしていたというのに。サミュは自分が愚かな失敗をしてしまったことに涙を流して悔いた。

 

 ――ごめんなさい! ごめんなさい! もう二度としないから許して!


 だが何を話しても思ってもヴィルマンには届かず受け入れてもらえない。少年の切望は頑なまでの閉ざされた心によりシャットアウトされる。

 


「おそらく母親の血筋だ。あいつも幽閉しろ! そして余の前にこいつらを見せるでない!」



 ――母上は関係ない! 僕が悪いの! 母上は許してあげて!


 泣き叫ぶサミュは騎士たちに手足を拘束されてその場から引きずり出された。

 どれだけ後悔してもどれだけ嘆いても過去は変わらない。

 

 これは罪業だ。自分が犯した失敗のせいで母まで巻き込み未来が閉ざされた。

 この後、自身は遠くの国に送られ、母はとても貴族とは思えないような場所に移される。

 きっと母は温もりのない部屋で悲嘆に暮れた人生を終わらせたに違いない。他国にいてその死に目にも会えなかった。

 これは王子としての仕事だから仕方ないと無理やり言い聞かせていたが、まだ少年と言って差し支えの無いサミュの心にそれは深く傷として残っている。


 気付くと目の前に自分と全く同じ姿をした黒い影がいた。

 それは突然サミュの首をきつく締め上げる。



 ――全テお前ノセイダ! オ前ガイタカラ母上ハ死ンダ! 父上ニモ見捨テラレタ!



「ぎ……ぎ……が……」



 息が詰まり苦しさは一層増し、巻き付く痛みは感じたことのないほどの激痛をもたらす。

 口からは泡が吹きこぼれて溢れ出した。



「そ、そうだ……余の……せいで母を……両親を……失っ……た……」



 ――オ前ニハ何モナイ! 傲慢デ何ノ力モナイタダノ子供ダ!



「そんな……こと……端から……知っている……。余は……がらんどうだ……」



 ――ナラバ死ネ! オ前ナド無価値ダ! 腹ヲ満タスパン一ツニスラ及バナイ



「そう……だ……な……。死んで……母に会うのも……悪く……ない……」



 ――闇ニ呑マレテ消エテシマエ!



 影は肥大化し、そしてサミュを覆い口の中にも無遠慮に侵入してくる。

 何も見えない。下も上も全てが真っ暗闇のプールでもがいても何も変わらない。

 苦しかった。内側から得体のしれないものに体が浸食され犯される恐怖があり、外側は寒く真冬に裸で放り出されたかのごとく凍てつく寒さが全身を刺してくる。

 どこまでいっても何をしても助けなどない。何も動かず変化もしない無為な暗黒の世界で彼はついに窒息し――脳が停止する。

  

 暗転した。


 

「……ああぁぁぁ!! ……はぁはぁ……あ……そう……か……また……この夢か……」


 

 闇に飲み込まれて死んだはずのサミュは寝汗をびっしりと掻きながら生きていた。

 先ほどまで見ていたのはサミュの夢だ。眠ると彼を縛る悔恨が過去にあったこの出来事を幾度も見せていた。

 この夢を見た日はいつも憂鬱から始まる。部下たちに会う前には無理やり取り繕うが自然と不機嫌になることもあった。


 まだしゃっきりとしない意識を少しずつ瞼を開き覚醒させていく。

 周囲を知覚するとやや薄暗い。室内か。と思ったがやけに揺れている。そして周りには自分以外にも人がいた。十代後半から老人まで様々だ。

 ただし誰もかれもが今自分が着ている粗末だと思っていた服よりもなお一層ひどいボロの服に身を包んでこちらを見ている。おそらくは先ほどの絶叫のせいだろう。

 サミュが起きて静かになったら関わり合いにならないよう俯き出す。

 


「ここはどこだ? 痛っ!」



 僅かに顔を振って起き上がろうとすると、全身に引きつるような激痛が走り立ち上がるのは中断せざるを得なくなってしまう。 

 全身がだるく、力も入らない。



「余は確か……そうだ……川で溺れたのか……オーバーンめ……」



 ようやく昨日の悪夢を思い出させた。

 部下に唆され、その挙句殺されそうになったところに船ごと転覆したことを。



「ぐ……は……きついな……」



 ゆっくりとリハビリでもするかのごとく体を横に向け、手を突っ張り上半身を起こすだけでも一苦労。

 おそらく川で流された時に色々と打ち付けたのが原因だろう。

 よくよく自分を観察するとまだ服は濡れていて乾き切ってもいない。

 ぶるりと震えた。このままでは風邪を引くかもしれなかった。



「お、おいそこのやつ。何か清潔な拭く物はないか? なんだったら湯でもいい。謝礼はしよう」


「は? 俺に言ってんのか?」



 サミュは手近にいた中年の男に声を掛けた。

 痩せて髪はボサボサ。ぎょろっとした視線は獣を連想させる。

 


「そうだ。お前だ。もう一度言うぞ。拭く物を出せ」


「そんなものあるわけねぇだろ。頭沸いてんのか?」


「よ、余に向かってその無礼な態度はなんだ!」


「余? 余だと? やべぇこいつ本気でイカれてやがる!」



 中年の男は中傷するようにサミュを見て腹を抱えて笑う。それに釣られてか周りの他の男たちも小さく笑い出した。

 それは侮蔑だ。完全に馬鹿にされていた。

 そんな反応を予想していなかったサミュはぽかんと口を開けて固まるしかない。いくらか威勢も削がれる。



「か、金ならある。買ってきてもいい。だから――」


「どこにそんなもんがあるんだよ!」



 言われてサミュははっとした。

 持ち出した荷物は何もない。今は着の身着のままでポケットにすら何も入っていなかったのだ。

 


「おそらく余が流れ着いた場所に荷物が落ちている。そこまで戻れば――」


「戻れねぇよ! まだお前理解していないのか? あぁそういやお前ここに運ばれた時は気絶してたからか。頭でも打っておかしくなったにしても同情なんてしてやらねぇぜ。なんせ俺ももう終わりだ」



 男の言っていることが全く理解できなかった。

 ただこの訳の分からない男たちと別れられるのであれば恥を忍んでクレアたちと合流するのもやぶさかではない。どうにか一人でその方策を考えないといけないのは頭が痛くなったが身から出た錆でもある。仕方ないと反発心を飲み込んだ。


 そんなことを考え込んでいるとジャラという金属音が聞こえた。

 薄暗闇の中でよく目を凝らしてその音の発生源を確かめる。



「ん? お前たち何を着けているのだ?」



 それは自分以外の男たちの手足から伸びていた。

 


「これか? 縄だよ。俺たちを逃がさないためのな。俺たちはもう人間じゃない」



 縄と言うがどう見てもやはり金属であるし、人間じゃないという言葉もよく理解できずサミュは訝しげに首を捻る。

 するとそのタイミングで世界が揺れ、近くで馬の嘶きが聞こえた。

 つまりここは馬車の中だったのだ。


 サミュがよく耳を澄ますと外は誰かのしゃべり声や足音がして喧騒が耳に入って来る。

 溺れていたところを助けてくれて町に運んでくれたのだろうかと彼は考えた。

 それならば現在地は把握しやすい。きっとクレアたちは川を下ってくるだろうから逆に上ればいつか出会うだろう。

 少しだけ光明が見えた気がした。


 そして馬車の後部に足音が近づき幕が開かれて太陽光が差し込んでくる。

 外から幕を開けたのは無精ひげがびっしりと生えていてやたらとおっかなさそうな男だ。

 彼はいやらしい笑みを浮かべこう切り出した。



「さぁ鉱山に到着だ、! ここがお前らの第二の故郷だ! 精いっぱい死ぬまで働けよ!」

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