15 ステファニー・パーカー

 『ステファニー・パーカー』は現在二十一歳、日本の大学に留学中の女の子だ。

 ロッキー山脈にほど近いコロラド州に生まれて小さな頃に日本の文化――侍が痛快に暴れるアニメを見て親日家になり、日本語をアニメで習得して憧れたまま来日した。

 刀一本で悪と立ち向かい弱きを助け強きを挫くその様は、今でも彼女の心に焼き付き行動指針として根強く胸に残っている。

 それ以外にも両親から教わって趣味程度にベースも少しかじっていたのだが、日本に訪れてからはゲームセンターにある音ゲーに見入られて全国的にもそれなりに良いスコアを出して動画投稿などもしており、三万人程度のチャンネル登録者もいた。

 そういう下地があって、和風と音ゲーの要素も兼ね備えた『大和伝』を大学の友人から紹介された彼女はどっぷりとハマることになる。


 『歌舞うたまい』という職業はバッファーでありながら音楽的要素を必要とし、かなりテクニックが必要とされたが、持ち前の音感とリズムによりこれまた歌舞の中でも難関とされている三種バフ(歌・踊り・演奏の同時行使)も可能とするほど実力も上げており、美人でパーティーの誘いも引っ切り無しなゲームライフを満喫していた。

 


「歌って踊って音ゲーしているだけでみんなハッピーになれるんだから素晴らしいゲームデスネー!」



 とは彼女の感想だ。

 ちなみに語尾の変なイントネーションや自分のことをミーと呼ぶのは日本のアニメに出て来た外国人を見たステファニーなりのリップサービスというかキャラ作りなので、真面目にしゃべろうと思えば消せるのだが今のところやめるつもりはないらしい。もし彼女が中国人だったらきっと語尾に「アル」と付けていたことだろう。

 卒業後は日本と海外をつなぐ通訳系、もし可能であればゲームかイベント会社に就職したいと思っている。



「とまぁ、そんなこんなでこっちに来てから色々と旅をして回っているわけデース!」



 窮屈そうな胸を揺らして先頭を歩く彼女が景保などに簡単な自己紹介を終えたところだった。

 プレイヤーでないキーラにはよく分からない部分もあったが、彼らは彼らで空気を読んで話の腰を折って詳しい説明を求めたりもしない。

 足腰がそんなに良くない祖母のジーナと一緒にステファニーのお供である木曽馬のトモエサンの背中に乗っていた。

 トモエサン自身はかなり小さいので普通は二人乗りが厳しいのだが、子供と老人なので辛うじて乗馬が成立しているといった感じだ。



『そうなのデース! なの!』


「デース! デース!」



 景保の足元を歩くタマが真似をしてそれにステファニーが乗っかる。

 元々陽気な性格というのもあるが動画配信などをしていたステファニーは多少の揶揄やからかいぐらいは全てプラスに受け取るし、それに子供も好きだったのではしゃいでいた。



『明るいのはいいんだけど、私の名前をトモエじゃなくてトモエサンにしたのはやり過ぎよね』


「オー! なんでデスカー? トモエサン、クールで格好良い名前じゃないデスカ?」


『さん付けにしたらトモエサンさんになっちゃうからよ!』 


「それも含めてクールビューティーデース!」


『はぁ……もう諦めているからいいんだけどね……』



 やんわりとステファニーたちが乗っている馬と会話できると聞かされているキーラたちは半信半疑で二人の会話を引き気味に聞いている。



「そちらの話は大体分かりました。僕らの方はさっき話した通りです」


八大災厄カラミティエネミーズと戦ってリィム教とも揉めているんデスヨネ? それで出来れば向こうの味方をして欲しくナイ。もちろんそのつもりデース!」


「それは助かります」



 彼方たちの手助けをしないと聞けて景保はほっと肩の荷が少し軽くなった気分だった。

 ステファニーの動画までは知らないものの、歌舞という職業をサブ職業として試したことがあった彼は三種バフがどれほど難しいのかを知っている。

 彼女にもしそれを用いて彼方の支援されると余計に勝利の確率が減ってしまうことを危惧していた。


 ステファニーとしても同じプレイヤーの彼らと縁は感じているし、会話している感じ悪い部分もないのでこのまま同行していきたいという気にはなっている。



「それにしてもかなり驚いてマス。八大災厄がいるというコトヤ、奉納によってレベル制限まで開放されるナンテ。卑怯デスネ。ミーが知らない間にそんなビッグイベント目白押しトハ!」


「いやまったく楽しくなかったですけどね」


「ミーも参加したかったデス」


「全然オススメはできませんけどね。はは……」



 これまでの死闘をイベントという括りにされると景保はさすがに苦いものを感じてしまった。

 こればっかりは実際に体験した者でないと分からないだろう。

 


「まぁそれはともかくだ。一体どこへ向かっているんだ? そろそろ教えて欲しいんだが」


「まだ内緒デース。もう少し近くなったら教えますデス」


「しかし儂らは構わんが坊主らがそろそろ体力的に限界だぞ。さすがに宿に泊まらせてやらんと」



 ワーズワースを抜けてすでに三日が経っている。

 旅慣れた者なら野宿も辛抱できるが、子供と年寄りでは固い地面の上に寝そべり、モンスターや野生の獣がいる壁や屋根の無い野外で疲れを取れというのも難しい話だった。

 


「あたしらのことは気遣わなくていいよ。あんたらの魔術で相当楽になっている。それにもうすぐ村に着くはずだ」



 一応、景保やステファニーの術によりかなりの補強はされている。

 そうでなければ馬に乗っているだけとは言え、もっと衰弱していただろう。


 ジーナたちは着の身着のまま町から逃亡してきたおかげで行く宛てがない。

 しばらくはお人好しの彼らに着いて行かせてもらおうと思っている手前、わがままを言うこともしなかった。

 キーラは何にも考えずに助けてもらったまま厄介になるつもりでも、大人のジーナとしては景保たちの親切心がいつ売り切れになるかも分からず、どこか落ち着けるところを探すことを忘れていない。自分たちが住める場所を探すというのは急務だった。



「オー! じゃあ今日はベッドの上で眠れマスネ!」


『熟睡スヤスヤデース! なの!』


「タマちゃんは素直でプリティーちゃんデース!」



 デースな口癖が気に入ったタマの相手をにこやかにステファニーがしていると、



「――!!」



 ジーナとキーラ以外のメンバーが全員反応した。

 微かに人の悲鳴が聞こえたのだ。

 彼らの五感は通常の人間よりは強くなっていて、聴覚も格段に音を拾いやすくなっている。

 故に彼らだけがそれに気付けた。



「ミーが行きマース!」



 すかさずステファニーが音の聞こえた方へ一人で飛び出した。



「あ、ちょっと!」


「この鉄砲玉具合はどっかの嬢ちゃんを思い出すな。儂も行く。念のため景保はここに残っていてくれ」


「分かりました」



 こういう突発的なことにもまず考えてから行動する景保はどうしても遅れがちになる。

 思考する間も無く動く方が珍しくもあるのだが、ジロウがそのステファニーの後ろを追従した。


 聴力だけではなく脚力も人間を超えている。二人とも後衛職で【忍者】ほど速くはないものの計測すればロードバイクぐらいの速度は出ていた。

 だからそれほど時間を掛けずに異変の現場へと到着する。



「エネミー発見デース!」



 そこにいたのはキーラと同世代ぐらいの小さな女の子だ。

 足元には野イチゴやら山菜やらが散らばっている。


 そしてそのすぐ近くにいるのはワームミミズに近いモンスター。

 ただしその大きさは大人の人間すらも飲み込みそうなほど大きく、口がぽっかりと空いていて歯のようなギザギザの突起物がびっしりと垣間見えた。

 明らかに襲われているふうだ。ただしタイミングが悪かった。そこに辿り着くにはまだ距離があるというのに凶悪な大口は少女をすっぽりと飲み込む寸前だったのだ。



「任せろ!」



 いち早くジロウが弓を出しその場から軽くジャンプしながら僅かな滞空時間の間に照準を合わせて射った。

 モンスター相手には手加減など必要ない。凄まじい速度で矢が飛び出しステファニーの横を通り抜けワームに向かいそのまま巨体に穴を空けた。

 一撃で絶命したモンスターだったのだが、不運なことにぐらりと揺らいだ巨体が尻もちを着いて動けない少女を押し潰しそうになる。



「しまった! 間に合わん!」


「間に合わせマース!」



 咄嗟のことで仕方なかったとは言え、倒れる方向までを計算に入れなかったジロウが後悔を呻く一方、ステファニーはそのまま足を止めずに疾駆する。

 直ちに彼女も愛用のギターを担ぎ歌を口ずさむ。


 

「―【舞楽術】詩歌管弦しいかかんげん―」



 全力疾走しながらステファニーは演奏と歌をキーが外れることなく奏でる。

 効果は速攻で現れた。

 バフとデバフだ。自分には速度アップを。ワームには速度ダウンを。

 二種によるステータス変化は合わさるとジロウの想定を超え少女との距離を一気に縮めた。



「切り捨て御免デース!」



 加速したステファニーは持っていたギターをワームの体にさながら野球のバットのように振り抜き、勢いが付き過ぎた力により巨体のワームは物理法則など無視して後方へ高々と打ち上げ吹っ飛ばされた。

 切り捨て御免と言いながら斬ってはいないがそこを突っ込む人間はいない。

 

 ステファニーは怯える少女を確認して一瞬だけ真顔になった後に笑顔を作り直して手を出した。



「大丈夫デスカー? お姉さんが来たからにはもう大丈夫デスヨ?」



 死の間際にいた少女は目が虚ろで、はっはっはっ、と小さく荒い息を繰り返すのみ。正常な意識が戻らず焦点の合わない人形のようだ。

 ステファニーは思うがままその場で膝を折り、ぎゅっと少女を抱いた。

 


「もう……もう安心デス。よく我慢しまシタ。あなたはミーが守りますカラ」


「あ……ああああああ……ああああああぁぁぁぁ!!!」



 人の温もりとしっかりとした抱擁にようやく意識が回復してきた少女は目からポロポロと涙を溢れさせ泣き出す。

 それは一度失った正気と感情を取り戻すには必要な作業だ。ステファニーはそれが終わるまで辛抱強く待ってあげた。 


 雰囲気がガラっと変わったステファニーの後ろにはすでにジロウが追い付いてきている。


 

「他にはおらんようだな。その、すまん助かった。儂のヘマで危ないところだった」


無問題もうまんたいデース。むしろ矢が無かったら怪我は絶対にしていたでしょうから結果オーライデスヨ」



 少女を抱きかかえながら、殊勝な態度を見せる背中にいるジロウにほんの少しだけ首を傾けてそう返した。


 やがて連絡を受けた景保たち後続が辿り着く頃には少女は泣き止んでいてようやく話が聞けそうな雰囲気になる。



「こんなところに一人でどうしたんデスカ?」


「あの……食べ物を探していて……。それでさっきのに会っちゃって……」



 景保たちは少女が少し痩せこけていることに気付いていた。

 さっきステファニーが素に戻りかけたのはそのせいだ。頬にすぐ分かるほどの影ができている。



「そんなに暮らしが大変なのデスカ?」


「うん……。税が上がっちゃって。それで最近、弟が生まれたんだけどお母さんのお乳の出も悪くて。だから食べ物を探しに来たの」



 景保は記憶にピンと来るものがあった。

 ワーズワースでジーナとキーラが会話していた時にあった情報だ。

 ここしばらく臨時徴収が行われているとジーナが熱を帯びた話を語っていた。


 その時は確かにひどいな、と思ったが実際にこうして目のあたりにするとその残酷さが実感できる、

 こんな小さな子すら食べ物に困り、授乳すらままならない。ここだけが特別な事情ということでもないだろう。おそらくは帝国全土にこうした不幸は蔓延している。

 どうにかしてあげたいと思う反面、しかし景保は所詮は他人事だと勝手に頭が割り切る。これは国の領分であり、自分のような個人がやれることなんて無いと憤りを感じても線引きをしてしまう。



「みんな困っているんデスカ?」


「うん……。子供が多いところは売られちゃった子もいる……」



 景保がジーナに視線をやると彼女も静かに頷いた。

 これが現状だと。そして自分たちにできることは何もないと言いたげだ。

 ジーナとしてもこれだけ困窮している村なら無一文の自分たちを受け入れられる余裕など持ち合わせていないだろうと簡単に予測が付いたので肩を落とすしかない。



「分かりマシタ! じゃあミーたちを村まで案内して下サイ。少しだけプレゼントをシマス!」


 

 だというのにステファニーだけは明るく振舞い何かをしようとするらしかった。

 


□ ■ □



「はーい、列をはみ出さずに並んで並んで下サーイ! 熱いから零さないデネー!」



 ステファニーが渡した炊き出し用のお椀とハンバーグが乗ったお皿を受け取ると、女性が深く頭を下げて離れていく。

 彼女の前には数十人の列が出来上がっていた。

 そしてその横に景保とジロウも同じように皿を渡して手伝っている。



「まったく、炊き出しの手伝いはもう卒業したと油断していたぞ」


「あの巨大ワームが食用になるとは思ってもみませんでしたね」



 なんとステファニーはあの倒した巨大ワームを食肉として扱い村人たちに振る舞うと言い出したのだった。

 最初こそは昆虫食なぞ嫌だしその調理も勘弁してくれと引き気味の態度だった二人も彼女の熱意に負けて手伝わされるはめになった。

 スープなどの材料は予め景保やジロウがいつか使うだろうと買ってメニュー画面に入れていたものから出している。

 


『マネージャー! アイドルにこんなことやらせるなんて鬼畜だよ~! こんなのアイドルの仕事じゃない~!』



 その景保たちの後ろでは喚び出された朱雀が自分で出した火を轟々と燃やし大鍋を振ってハンバーグを不満げに次から次へと作っており、横にはジーナがじっくりコトコトとスープを混ぜていた。

 出来上がったものをキーラとタマが景保たちのいるところへ運んでいる案配だ。

 ちなみにトモエサンは四つ足なので何もできずに見守るだけで、蛇五郎はさらに何もやれることがなく怖がらせてしまうだけなので召喚すらされていない。



「そう? 意外と鍋を振っている姿は様になってるけど?」


『そりゃアイドルだから人が見ている前ではなんでも楽しそうにやるけどさ~、炒飯とかならまだしも虫を扱うゲテモノのキワキワ系は目指してないんだよ~』 



 景保の召喚する召喚獣である十二天将は自ら意思を持つ。

 それなりに好感度があるのでたいていの言うことは聞くが、本当に嫌なことは景保でも拒否される。だからなだめすかすことは必要でけっこう面倒くさい。

 ある意味で景保は十二人同時攻略が必要なギャルゲーの真っ最中でもあった。



『朱雀ぅ~、次早く欲しいのなの!』


「変な格好の姉ーちゃん、急いでくれよ!」


『あーもう! こうなったら下積みと思ってやりますよ~! 肉汁溢れ出るジューシーハンバーグお待ち!』



 フリフリの魔法少女っぽい衣装の朱雀は文句を言いながらもタマとキーラに急かされ覚悟を決めたらしい。なんだかんだ言って彼女もワームハンバーグの種を作る時にもちゃんと貢献している。

 解体などは意外とステファニーが音頭を取って手際良くやれた。



「ミーの実家は牧場なんデス。だから生き物と接することは小さな時から学んでイマス。日本でも昆虫は食べるデショウ? 確かツケダニ?」


佃煮つくだにだ」


「オー! ダニなんてどうやって捕まえるのか不思議で仕方なかったんデスヨ!」


「そのダニじゃない! イナゴ、まぁバッタみたいなもんを醤油と酒に砂糖とか入れて煮詰めるやつだな」



 ダニを想像させられジロウが慌てて否定する。

 


「ならワームだって大丈夫デース!」


「いや理屈はそうなんだろうが、普段食べてない人間からすると自国の文化だろうが誇りも興味も欠片も持てんぞ」


「でも美味しかったデショウ?」


「まぁ確かに意外と悪くなかったが……」



 最も年長のジロウもステファニーのテンションの前では圧倒され気味だ。


 ちゃんと味見は試食も兼ねて全員で終えている。

 調理している時までは不評だったが、食べてからはジロウもちょっとだけ拒否感は薄らいでいた。

 それでも食に飢えていないのであえてまた食べたいと思うほどではない。だが、村人たちはみんな感謝して口に運び美味いと感想をくれる。

 よっぽど嬉しかったのか泣き出す者も出た。そこまで感動されれば多少の軽口は言い合いつつもやり切るしかないと全員の腹は決まって炊き出しの役目を全うしていく。



「お姉ちゃん、本当にありがとう!」



 助けた少女は家族と連れだって来ていた。

 母親はショルダータイプの抱っこ紐を巻いていてそこには赤ん坊が抱かれている。


 彼女もそうだが、村人たちは空腹のせいか元気が無くやつれているのが一目で分かるほどだった。

 それが今はみんな幸せそうに陽気に笑っている。この光景を見れただけでもやって良かったとステファニーは感じていた。

 


「ぁ…ぁぅ……」


「オー、お礼ですか? どう致しましてデス!」


「きゃは! きゃは!」



 赤ん坊は何に興味を持ったのかステファニーへ小さな手を伸ばし、それを彼女がぎゅっと指で摘まむと握手のつもりだったのか笑いながら手を揺らし始める。



「超~プリティデース! 頑張り屋のお姉ちゃんがいるんだからあなたも頑張って下サイネ!」



 涙ぐんだ母親はそこからお礼を言って他にも並んでいる者がいるため離れていった。




『さぁ、今日ここにいる人たちはめちゃくちゃ幸運だよ! 今夜限りの炎のアイドル朱雀ちゃんの奇跡のライブが始まるよ~! 一生語り継げる私たちの魅力的な可愛さに酔いしれてね~!』


「お代は拍手と歓声でオッケーデース! いきマスヨー!』



 ほどなく全員に配り終えた後はステファニーと朱雀の奇跡のユニットが生まれゲリラライブが始まることとなった。

 調理では不満そうだった朱雀も人前で歌って踊ることは嬉しいようで、火を使った演出を自ら作り上げて村人たちが今まで見たことがない神秘的なパフォーマンスを見せてくれる。

 演目はほとんどがアニメソングだったがそんなのは関係なく、夜だというのに朱雀の灯した火のおかげで広場は明るくて異世界の音楽に観客は大いに盛り上がったし、即興で飛んだり跳ねたり夜空に火線が爆発したりと景保たちも二人の芸に見入った。

 おおよそ一時間半ほど動きっぱなし、歌いっぱなしで時間を忘れるほどのひと時を提供した二人には大盛況の拍手と喝采で締めくくられた。

 

 珍しく大いにはめをはずして楽しんだ夜は更けて解散。

 村からはせめてものお礼にと宿代だけはタダになった。


 その宿をそっと抜けていく影がある。

 景保だ。彼は建物の傍で夜風に当たり小さく虫の囀る音ぐらいしか聞こえない暗い夜空の月を眺めた。



「オー、景保さん。こんなところでどうしマシタ?」



 ふいに気配がして近寄ってきたのはステファニー。

 彼女は景保たちと同じように大和伝の寝巻用の浴衣に着替えていた。



「いやなんかライブがすごかったんで興奮して眠れないというか。ちょっと外に出てみたくなっちゃって。ステファニーさんは?」


「ミーもあれだけやったらなかなかすぐには寝られないので散歩していマシタ。楽しんでもらえたのなら嬉しいデス。朱雀ちゃんも超ーイケてマシタ。また機会があったらセッションしてみたいデスネ」


「朱雀は全国ツアーまでしたいって計画を考えてましたからね。あぁしてアイドルっぽいことがやれたのが相当に嬉しかったんでしょう」


「全国ツアーデスカ。それも面白そうデスネ」



 景保は続きの言葉が出て来なかった。

 別に女の子と一緒にいるから緊張しているとかではなく、考え事のせいだ。



「何を考えてイマス?」


「いや……その……」


「当ててあげマス。こんなことをして一日限りの単なる自己満足だと悩んでいるんじゃないデスカ?」


「!? そうです。すみません、性格悪いですよね」



 景保はズバリ言い当てられたことにぎょっとする。 

 やったことは間違いなく良いことだ。しかしこれは結局一日だけのもの。彼らを救うという行為にはほど遠い。

 だから景保は答えの出ないもどかしさに頭を悩ませていた。



「そんなことありマセン。景保さんはきっと真面目で優し過ぎるんデス。だって彼らの人生全て背負うつもりで考えているデショウ?」


「やるからには一時しのぎで終わらせたくないから」


「あなたはとても良い人デース。だけどその優しさに潰されるのは良くありマセン。今日一日救エタ。なら明日も救わないといけナイ。そんな理屈はどこにもありマセンヨ。一日だけでも十分」


「そうでしょうか? 中途半端な希望を与えただけに終わってそれはもっと辛くなることに繋がるかもしれま――うわっ!?」



 言い終える前にステファニーがぐいっと景保の顔に自分を近付けた。

 鼻息が掛かるような距離だ。端正な美人。おそらくモデリングで修正しているから本当の彼女ではないだろうが、その分、幻想的と言っても良い完璧さがある。フォトショップ加工したような美しさと言っていいだろう。

 ついでに言うなら豊満な胸は当たるか当たらないかギリギリのところにあって、なんなら嗅いだことのないような良い匂いまでしてきて頭の芯が蕩けてぼーっとしてきた。

 そんな女性が数十センチの距離にいる奇跡に、景保の心臓は急速に運動して体が熱くなりプチパニックになりかける。


 だがそれとは別にステファニーはムスっとして真顔になった。



「景保さん、舐めてはいけませんよ!」


「え?」


「あなたは彼らを軽んじ過ぎている。長年、冬の厳しい北の大地でずっと逞しく暮らしてきている人たちです。もっとひもじい時も苦しい時もあったはずです。それでも彼らはしっかりと根を張った麦のように生きている。なのにあなたは庇護の手が無ければ生きていけない弱者だと侮るのですか?」



 急に雰囲気が変わったステファニーに景保は毒気を抜かれたように放心して言葉が出ず、紡がれる言葉は続く。



「イレギュラーなことは多々ありますが、人も動物もそんなに弱いものじゃありませんよ。今日のことはきっと糧になる。頑張ろう、生きようっていうバネになる。私たちがやることはお手伝いでいいんです。決して介護することではありません」



 ハッキリと心の中を見透かされるような物言いで言われ景保の瞳と心は衝撃に揺れる。

 少しだけ答えの出ない問題に答えを教えてもらったみたいな気分になった。



「そうかな……いやそうかも、確かに僕は傲慢なのかもしれない。ありがとう……。少し胸のつかえが取れた気分です」


「なら良かったデース!」



 再びニコっといつもの様子に戻ったステファニーは一歩距離を取って綻ぶ。

 一発で心を奪われそうな無邪気な笑みだと景保は思った。おかげでまだ痺れるような体の火照りは治らない。


 

「敵わないなぁ。僕より一つ年下なのに僕なんかとは全然違う。大人ですね」


「大差ないデスヨ。ミーはちょっとだけみんなよりも人と接する機会が多くて頭よりも先に体が動いてしまっているだけデス。正義のヒーローに憧れているだけデスヨ」


「あなたに似た子がいますよ。その子も考えるよりも先に行動しちゃうタイプです」


「オー、JK忍者デスネ? 早く会ってみたいデス」



 一応、これまでの間に葵と美歌の説明はしてある。

 二人ともかなり近い位置にいるから顔を合わさせることはそんなに難しいことではないだろうと景保は思う。

 そしてステファニーは葵には足りない理想を現実にする経験と知恵を持っていた。二人を合わせたらどんな化学反応を起こすのだろうとワクワクする気持ちも湧いてくる。



「きっとその子もあなたに憧れますよ」


「……ミーはそんなに大層な人間じゃないデスヨ。憧れるということは足りないから求めてなろうとしている証拠デス。だからミーはまだまだデス」



 謙遜するステファニーに景保はますます感心した。



「僕も何かできることがあるなら考えていかなければと思いました。あなたと出会えて良かった」


「言いマシタネ?」


「え?」



 普通のことを言っただけなのに急に言質を取られるように凄まれて景保の挙動が止まる。

  


「何かできることがあるならしたいんデスヨネ?」


「え、えぇまぁそういう気にはなりましたね……」


「本当は着いてから説明しようと思っていたのデスガ、ここで言っちゃいマス」



 ステファニーの念を押すような言い方。

 一体、彼女が何を言おうとしているのか分からず景保は不安を感じながら彼女の言葉を待つしかなかった。

 


「景保さん、この国を変えるためミーと一緒に! シマセンカ?」


「――は?」



 予想外の言葉に景保は「あー、五分前に戻りたい」と思い、恋心が急速に萎んでいくのを痛切に感じとった。 


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