10 悪だくみ

「それで? まだサミュ王子を捕まえられないのか?」


「はい。どうやら凄腕の冒険者の護衛を付けたようで。しかしすでに国境は越えてこちらに近づいてきているのでやりやすくはなってきました。必ず捕らえてみせます」



 帝都の豪勢な部屋の一室で、中年の男たちが密談を交わしていた。

 全部で三人。しかし一人だけ立場はハッキリと下に別れている。

 サミュたちは遠大に思えるほどまだこの帝都とは距離が遠いが、遠距離通信用の魔道具を幾つか中継して使えばタイムラグはあっても連絡ぐらいは可能である。


 その報告を聞いて苛立ちを見せた五十台半ばほどの偉そうな男――三大大公家の一角『グラミス・オウンドゥール』は、ふぅ、息を吐いて気を鎮めた。


 

「まぁ良かろう。しかし帝都に着く前には必ず拿捕しろママドーレ。それが無理なら殺せ。生きて戻られると厄介だ」


「承知しております。手飼いの暗殺ギルドの者たちにもこれが失敗したら組織ごと次は無いと言い含めておりますので」


 

 ママドーレと呼ばれた男は緊張していた。

 なにせこの場にいて膝を突き合わせている人物たちは皇帝と肩を並べる三大大公の二人で、しかもその皇帝を裏切り毒牙に掛けた非情な者たちであることを知っていたからだ。実質、帝国を動かすトップと言っても差し支えなかった。


 ママドーレとて帝国内ではそれなりに有数の豪商だ。

 力は各地に及び、たいていの人は彼の名とその商会を知っている。

 それでも立場が違う人間との会話や交渉は一つ発言を間違えただけで足を踏み外す結果となるのを骨身にしみていた。

 だから細心の注意を払ってここにいる。

 

 ママドーレの仕事は有名だ。

 ――悪い意味でだが。


、彼は奴隷商人として裏の世界では名を馳せている。

 ノーリンガム帝国の歴史はいくさと奴隷の歴史と言われるほどに戦いを繰り返していた。

 寒冷地のせいで作物が育ちにくく、他の土地から奪うという方に特化してしまったからだ。

 滅ぼした土地の民を奴隷にして兵士として従え搾取するのが当たり前の文化だった。


 幾つもの国を滅し統合し、南のディス王国へと侵食。さらに領地を拡大したところでエル・ファティマ部族連合ともぶつかる。

 そこでようやく大国三国の膠着状態に陥り、教会の仲立ちもあって侵攻が止まった。

 こうなると軍部拡充に際立っていた帝国は、その広がりすぎた版図を維持できるほどの余力が無いことを自覚せざるを得なかった。

 そこで奴隷を兵士から開放し、農奴として落とし込み始める。


 しかしこれは思ったほど上手くいかなかった。

 結局、どれだけ働いても自分の稼ぎにもならない農奴のモチベーションは低く、また畑を広げるノウハウも蓄積されていない。

 遅々として思った以上の収穫高は上がらなかった。

 

 そこでサミュ王子たちの父王――『ヴィルマン』が世代交代で玉座に着くと、その農奴たちを開放したのだ。

 しかも土地まで与えた。いや、土地など腐るほど余ってたいというのが正鵠せいこくだろうか。

 滅びて放棄された村や野は幾らでもあった。

 多少の利子としての税は乗っかかってくるが、それでも人に飼われていた人間が人として認められ土地まで確約されることとなったのだ。

 こうなるともはや革命だ。

 我先にと安寧たる暮らしを求めて彼らは開墾に熱心に従事していく。

 国もそれをサポートし、他国から学者を招聘しょうへいして農業生産率を高めていきようやくラインに乗り始めてきたところだ。


 また畑仕事が性に合わないという者は鉱夫として雇った。

 今までは他国に鉄など武器となる材料を輸出することは禁じられていたが、それも少しずつ解禁され、さらに金や宝石の類を国単位で扱うようになる。

 国家事業として奴隷たちは帝国に浸透し根付いていった。


 けれどまだ解放から百年も経っていない。

 力と金を持つ者の間では、逆に奴隷を持っているというのはステータスのようなものになりつつあり、そこに目を付けたのがママドーレだ。

 基本的には借金奴隷を扱うが、村の子供や旅人を攫ってくることもある。それを内緒で売りつけるのが彼の商売だ。

 国もその活動を全く知らないわけではない。

 しかし皇帝にすら意見できる三大大公家とすら繋がりがあり、簡単に手が出せないでいた。それに危険の多い鉱山夫としても売られており持ちつ持たれつなところもあった。

 暗黙の了解のようなものだろうか。奴隷事業に関しては見て見ぬ振りをするのが慣例となっているのが現状である。



「サミュ王子か。砂漠でじっとしていたら安全だったものを。子供の分際でそんなに玉座が欲しいのかねぇ?」



 二人目の大公は女性だった。

 真っ赤なドレスを着て頬杖を突いている。四十代だが、ハツラツとした大きな目は人を射すくめるほどの眼力があり年齢を感じさせない魅力があった。

 名を『パラミア・ミュズール』。

 欲しいものは力ずくで手に入れる性格で、裏では女傑とまで言われている。

 


「どうかな。俺は周りの騎士たちに乗せられたと思っているが」


「もう四、五年か。故郷が恋しくなる頃だね。もしそうなら哀れな王子様だ」



 故郷に帰りたい護衛の騎士たちがこれを期に王子を唆したというのは考えられなくもない話だった。

 


「……話は変わるが、ママドーレ。『リグレット』王子のご機嫌取り用に幾つか玩具を用立ててくれ」 


「また、ですか? まぁ当商会としては問題ありませんが」



 一瞬だけ眉を潜めたものの、ママドーレはすぐに商売用のスマイルを取り戻す。

 その言葉に肯首し、グラミスは続いて口を開く。



「珍しい玩具を与えておべっかを使うだけで御せるのだからこんなに簡単なことはない。それにあれの母親も金をチラつかせれば言いなりになる。他の元王妃連中はまだ喪に服しているのもいるというのに、とんだ売女だ」



 おおよそ目論見通りに事が進んでいることにグラミスは嘲笑う。

 

 リグレット王子は第四王子であった。

 つまりサミュ王子の弟にあたる。当年まだ九歳。

 物事の善し悪しをも分からないまま担ぎ出されていた。

 この男――三大大公家の一角『グラミス・オウンドゥール』に。


 大公家というのは古くから帝国の歴史を基盤を築いた大家だ。

 王族の血も取り入れており、ある程度政治にも口を出せる領分にある。それを矜持としている部分も少なからずあった。

 しかしヴィルマン王は彼らに従わなかった。さらに教会すらも嫌った。

 歴代の王で大公家に反発的なものはいても、教会に逆らったものはいない。それが悲劇を生んだ。


 しばらくは荒れた国を立て直すために黙っていた彼らだが、しかしそれは面従腹背していただけに過ぎなかった。

 復興が進み、ある程度の起動に乗ったと判断した彼らは教会と結託して非道にもヴィルマンを暗殺したのだ。

 教会と大公たちの利害はすべて一致していた。そして操れない傀儡など要らないとばかりに奸計は成功する。

 だというのに計算違いが起こった。第一王子であったアーティーもまた彼らに従わなかったのだ。


 上手くいって増長していた彼らは再び卑劣な手段を取った。

 そして彼らが次に選んだのが第四王子だ。子供ならば今から馴らして仕込めば良い。そういう判断だ。

 本当は気弱な第二王子カミールを推し立てるのでも良かったが、彼はあっけなく死んでしまったし、第三王子は遠い国にいて体の良い人質になっているので使い物にならなかった。



「グラミス様の差配で各地に役人も滞りなく置かれました。私も商売がしやすくなって嬉しい限りです」



 ママドーレは手を合わせてゴマを擦り出し、指にはめている宝石類がキラめく。

 大公相手ではさすがに腰が低いが、この男もまた商人の中ではトップに立つ男でもあるのだ。


 グラミスの指示の元、リグレット王子の命令として各地に新しい官吏が配置され、新しい徴税も発布された。

 その徴税官の多くはご多分に漏れず、彼らの息が掛かっている。

 税の取り立ては厳しく行えと言ってあるし、表には出ない取り立て賄賂も集めるようさせてあった。

 貧しい村ではそれこそ借金奴隷として子供を売る親が出るかもしれないが、それならそれで経済が回り、鉱夫も人員が補充されるというのがグラミスの思惑だ。

 鉱山は危険も多く慢性的に人手不足だった。帝国を支える基盤の一つだというのに高い給金をチラつかせないと今や成り手も少ない。

 だからこそ犯罪者奴隷が必要で、改革者であるグラミスやアーティーの施政でも奴隷という制度が未だ無くなっていない要因でもある。

 鉱山従事者のほとんどが食い詰め物か犯罪者奴隷で構成されているのだ。

 つまり、グラミスにとっては民衆から搾り取ることについて何ら問題はなかった。 

 


「問題はヘクトール爺さんがしゃしゃり出て来るかだが、あそこも不幸続きで口出ししてくる余力はあんまり無さそうだねぇ」



 『ヘクトール・チャード』。残る大公の一つだ。

 御年六十を超える。この中では最も年老いているが、若い頃はグラミスらを震え上がらせたこともあった。

 しかしながらヘクトールの息子――チャード家の現当主は病弱であまり政務が捗っていない。加えて彼らの治める領地はしばらく凶作が続き私財を投げ売って民に施しを与えており、かつての権勢など見る影もなくやせ細っていた。

 もちろんそれでも通常の貴族よりは財産などもあるが、他二家に比べるとその差は明らかに優劣が着いている。


 それでも彼らが警戒するのはやはりヘクトールという影だ。

 息子と当主の座を交代してからはめっきり表舞台から消えていたが、要所要所で彼が支えているからこそまだチャード家は隆盛を誇っているのをグラミスたちは弁えている。

 このまま自分たちだけが美味しいところを掻っ攫うのを良しとする人物ではないはずだと油断はしていない。

 だというのにその当の本人はほとんど動きがないと監視からの報告を受けている。

 これには彼らも首を傾げるばかりであった。


 グラミスが話題を変える。



「そういえば王妃の腹が膨らんでいるそうだ。どうやら懐妊していたらしい」


「へぇ。また厄介なものを残してくれたねぇ。となると、あの王妃のことだからどうにかその子を次期王にって主張してくるんじゃないの?」


「だろうが、教会の方で弱みを握ったようで今は静かなものだ。まぁその方があれらにとっても良いことだろうよ。息を潜めて生きていくのであれば不自由のない生活ぐらいはさせてやってもいいが、もし声高に介入してくるつもりなら消さなければならんのだからな」


「ご寛容なことだね」


「なにしろヴィルマン、アーティー共に教会と袂を分かったおかげで、こうして俺たちの入る隙が生まれたのだから感謝ぐらいはしているさ」



 グラミスの言う通り、王たちが安々と暗殺されたのはやはり教会との確執が大きい。

 もしそれまでの王たちと同じく蜜月にあったのならば未だヴィルマン、アーティー共に健在であったことだろう。



「そうやって足元掬われなけりゃあいいんだけどね」



 パラミアは肩を竦めて不満をもらした。

 事は国と自分たちに関わる重要案件だ。失敗するわけにはいかない。



「分かっている。そうだママドーレ、力押しが難しいのであれば内部から崩す手もあるぞ」



 妙案を思いついたとばかりにグラミスの目が細くなる。



「なんでございましょうか?」


「――だ。いいな?」


「畏まりました。手配してみます」



 グラミスの奸智を耳に入れたママドーレは恭しく頷き返した。

 ここに葵でもいれば、時代劇にいそうな悪代官と悪商人だと言ったかもしれない。



「リグレットを操り、この国を足元にひれ伏させてやる。なればこそ失敗は許されんぞ。分かっているだろうな?」


「はっ! 必ず……」



 帝都の夜はまだ明けない。



□ ■ □



「ちぇぇぇぇい!!」



 スパッ! という擬音が聞こえそうな刀の会心の抜き胴が入り、おおよそ一メートルはある巨大蜂ジャイアント・ビーが真っ二つに割れる。

 地面に転がってもまだピクピクと動いているのはさすがの生命力か。

 足元にはそういう死体がヘタをすると躓いて倒れそうになるほど幾つもゴロゴロとすでに転がっていた。

 それでもまだブーンと耳障りの悪い羽音を鳴らし私たちを執拗に付け狙う。

 虫ゆえに表情が読めないのがもどかしい。一体どれだけ倒せば終わりになるのだろうか。



「もう! 何匹おんねん!」


『一匹見たら三十匹いると思えって、ゴキブリやったかネズミやったか忘れたけどハチのことやったかもしれん――な!』



 美歌ちゃんとテンも休むことなく飛んでくるる巨大蜂ジャイアント・ビーを迎撃してその死体を積み上げている。

 そこに悲鳴が轟いた。



「ぐああっ! やめろ! くるなぁぁぁ!」



 見ると私たちの隙を突いて突入してきた巨大蜂ジャイアント・ビーに騎士の一人が倒されていた。

 乗り掛かられ体の上から口吻こうふんと呼ばれるストロー状の口で頬を舐められて慄いて悲壮な顔をしている。

 手や足をバタつかせてはいるが、それだけは振りほどけないらしい。

 


「どけぇぇぇ!」



 クレアさんが自身の太い剣で一気呵成に蜂を横薙ぎにする。

 上手く関節の継ぎ目に入ったらしく、半ばまで断ち切り血を吹き出して吹き飛ばされた。



「た、助かりました……」


「呆けている暇はないぞ。魔物は次々と湧いてくる! 早く立て!」


「は、はいっ!」



 命からがら助かった騎士はクレアさんの叱咤に再び剣を握り締め戦線に戻る。

 辺りを見回すと、私たちの活躍のおかげでなんとか保ってはいるが、騎士たちは一対一では分が悪くフォローしてやらないといけないレベル。

 そしてこの蜂たちの数はすでに数十は倒しているのにまだまだ途切れない。


 こいつらはさっき突然現れた。

 昼食を摂って休憩している時にいきなり襲撃を受けた形だ。

 うかつにも縄張りに入ってしまったのだろうか? それにしても怒り具合が尋常ではない。



「馬を守れ! 馬がやられると動けなくなる! それに驚いて駆け出すやもしれん! 迎撃は二人に任せて馬車を囲んで密集しろ!」



 サミュ王子の護衛は当然として、クレアさんが指示するのは的確だった。

 軍馬用に訓練されている上等な馬なのかこれしきでパニックになったりはしないけど、攻撃を受けたりしたらさすがに暴走してしまうかもしれない。

 自分たちの身が安全であればいいというわけではなかった。



「面倒やな。大規模な術を使ったら他の人も巻き込むし、かと言って肉弾戦だけやと守ってばっかりになる。そもそもなんでこんなに襲われとるんやろう?」


『なんぞ、誰かが怒らせることでもしたんちゃうか! とりゃっ! 言うてもワイらはこいつらの知識が無いからなぁ』



 なおも蹴散らす二人は出過ぎたので一旦戻って来る。

 大きく薙刀を振って血糊を落とす美歌ちゃんは怪訝な顔をしていた。


 確かにそうだ。いきなりこんな大群に襲われる謂れがない。

 かと言って私たちにそれを考え判断する知識がなかった。

 となれば――



「ごめん、ちょっとここは任せた! 豆太郎も来て!」


『はーい!』


「え? え?」


『手が足らんいうのにいきなり何言い出すねん!』



 片方側を守るだけなら二人だけで大丈夫だ。

 踵を返し、反対側で奮闘しているアレンたちに近付く。



「アレン! 訊きたいことがあるの!」


「あんっ? なんだこの忙しい時に!」



 飛剣をグルグルと回して蜂たちを牽制しているアレンが怒鳴り返してきた。

 こっちも私たちほどじゃないけど、剣による傷や矢が刺さって死んでる魔物で埋め尽くされている。

 オリビアさんについては回復やバフが残念ながら美歌ちゃんが上位互換なので、杖で牽制するのみに留まっていた。



「こいつらの情報が欲しいの。教えて!」


「今かよ! 普通はそういうの覚えてからランク4になるん「いいから早く!」」



 どうでもいい愚痴が始まりそうだったので途中でぶった切ってやった。

 そういうのは後でいくらでも聞いてあげるから早くしてよね。



「ちっ。巨大蜂ジャイアント・ビーの習性は基本的には普通の蜂と変わらねぇ。女王がいて働き蜂がいて、卵の子供たちを孵化させるために生活しているんだ。縄張り意識は高いがなんでもかんでも襲うわけじゃねぇ。中には蜂蜜を与えることで他の魔物と共生関係になることもある」


「それで?」


「仮にだ、誰かが昼飯の間の巡回で巣を突いた報復だとしてもこれじゃあ損得が合わねぇ。下手すりゃ働き蜂が全滅だ。そうしてまでやる何か理由があるはずなんだ。誰かが女王蜂でも傷付けたなら話は分かるがよ! おっと!」



 接近する蜂をアレンが剣で撃ち落とし、そこで会話が途切れる。

 よほどの理由か。なんだろう。


  

「豆太郎。匂いでなにか分からない? 蜂蜜とか蜂が好きそうな花粉の匂いがするとか」


『うーん、やってみるー!』



 くんくんと鼻を鳴らしてあたりを探っていく豆太郎。

 周りはもう蜂の血まみれなので内側を重点的に嗅いでいく。

 地面スレスレを鼻で擦り右へ左へと頭を振り、馬車の車輪からその内部まで入念に。

 やきもきとする時間が流れ少しして反応があった。それは二台目の馬車の中だった。



『あーちゃん! へんなのがいるよー!』



 言われてすぐ向かう。

 馬車の後部の幕をぺらりと捲ってみると、中からむわっと独特の男の匂いみたいなのがした。

 まぁ荷物が押し込められているしここで寝泊まりする人間もいる。換気が十分じゃないからそこは我慢だ。

 豆太郎は暗がりの荷物の中にラグビーボールより一回り大きいぐらいの白い何かを見つけていた。


 筋が幾重にもあってグニグニと蠢いている。生き物?

 ってこれまさか――



「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 思わず絶叫してしまった。

 気持ち悪いぞっとする吐き気がする。ムニュムニュしてるブヨブヨしてるあぁもう嫌ぁぁぁぁ!!!

 ちょちょちょっと!! なんてもんを馬車に乗せてんのよ!!



「葵姉ちゃんなんかあったん!? 大丈夫か!?」


「葵ちゃん、どうしたの!?」



 外から私の悲鳴を聞きつけたらしい美歌ちゃんとオリビアさんの声がした。



「ひゃ、ひゃいじょうぶ大丈夫でしゅー!!」



 震える声で返したけど、これはきつい体に力が入らない。

 生理的に無理だ。



『あーちゃん?』



 豆太郎は何を怖がっているのか分かってないようできょとんとこちらを見返している。

 グロいモンスターとかその死体でもここまで心を揺さぶられることはなかったんだけどなぁ。

 少なくても大和伝のモンスターであればもうちょっとデフォルトされたやつを見慣れているからなんとか平静を保てたろうけど、リアルな幼虫はえぐいよ。たぶん蜂の子だ。

 


「ま、豆ひゃろう太郎、ひょれがきっと原因じゃわ」


『どうするのー?』


「ちゃぶん、しょれを取り返しに来ひぇるんだろうから、連れ戻してあげまひょ」


『あいさー! じゃあまーはこのこのいたところをさがすよー!』



 豆太郎は翻って馬車の外に出て行く。

 やる気満々なのはありがたい。でもそれって私があれを持たないといけないのよね‥‥。

 グニグニと動くそれに一歩一歩近寄って行く。

 ほぼ白い芋虫だ。違う言い方をするなら生のクロワッサン。いやパン屋さんに怒られそうだなこの表現。


 意を決して掴むとブニっとした弾力があった。

 そして触られたのが分かったのか余計に激しく蠕動運動の収縮をし始める。



「うわああぁぁぁぁキモいいいいぃぃぃ。なんで私がこんなことぉぉぉ‥‥」



 もうこれ馬車ごと忍術で焼き払ったら駄目だろうか?

 責任持って襲い掛かってくる蜂も退治するからさ。


 邪なことを考えていると先っぽの黒い部分――顔? がこちらを向いてピタリと止まった。

 目なのか熱なのか匂いなのか全く分からないが、とにかくこちらを感知したようだ。

 


「う、動かないでよ‥‥」



 おっかなびっくりと両手で左右から挟み込む。

 意外と幼虫は暴れなかった。



『あーちゃーん! わかったよー、はやくきてー!』


「い、今行くよー!」



 外から豆太郎の声が掛かり返事をする。

 自分でも分かるぐらいたどたどしい足取りで馬車を出るとみんながこっちに注目していた。

 まぁそりゃあんな情けない声出したら気にもなるか。



「あ、葵殿!? それは!?」


「この蜂たちの子供です! これを親元へ返してきます! 蜂たちが移動したらすぐに逃げて下さい! 後から追いつきますから!」



 巨大蜂ジャイアント・ビーたちも我が子を見つけたのか動きが止まった。

 ここで渡して終わりならいいんだけど、それでも報復を止めなかったら意味がない。

 だからちゃんと引き寄せないと。

 


「さぁあんたたちの探しものはここよ! 付いてきなさい! 豆太郎、先導はお願い!」


『あいさー! あっちだよー!』



 駆け出す豆太郎に後ろから付いていく。

 私を追うように蜂も一斉にやってきた。

 ブーンと羽音が数十も聞こえるんだからマジでうるさいし怖い。でもやっぱりこれが目当てだったか。間違ってはいなかったみたいだ。


 木と木の間を軽やかに抜け茂みを飛び越しひた走る。

 向こうも森の中じゃ最高速度を出すのは難しいらしく追いつかれることはなかった。



『こっちー!』


「道順は全部任せた! わ、ちょっと暴れないで!?」


 

 蜂の子がムニムニと手の中で暴れる。

 この子からしたらこんなに速く運搬されることがなかったろうし、驚いているんだろう。

 もうこうなったらキモいとか言ってらんない。

 

 ぎゅっとお腹と手で抑えて、蜂の子がウネウネと揺れ動き出しすのをがっしりとホールドする。

 そうするとなんとか大人しくなってきた。



『あーちゃんつくよー!』



 豆太郎の声と森を抜けるのとは同時だった。

 一際大きな巨木があって、その幹の上にこれまた大きな蜂の巣が鎮座している。

 普通の蜂の巣の大きさは手で抱えられるほどだけど、それはログハウスほどもあった。

 まるで秘密基地みたいだ。


 この大きさならそりゃそれぐらいでかくなるか。

 と、納得する暇もなく後ろから追っ手の気配がしてきた。

 早くしないとまずいな。



『あーちゃん大きいのがきたよ!』



 豆太郎の呼び掛けで前に意識を戻すと、巨大な蜂のツリーハウスからさらに大きな巨大蜂ジャイアント・ビーが現れた。

 たぶん巨大ジャイアント女王蜂クイーンビーだ。

 しかも巣を守っていた働き蜂たちも引き連れている。

 

 そいつは一目散に私を狙ってきた。

 私の身長に匹敵しそうな巨体にも関わらず俊敏だ。右へ左へと一瞬で動き消えるかのようなスピード。

 普通の冒険者たちにはかなり厳しい相手じゃないかな。もちろん私なら目で追うのは容易い。


 自慢の尾っぽの針をこちらに向けて掛かって来るのを難なく避けた。

 勢い余って女王蜂は後ろの木にその針を縫い付けると、その針からじゅわーと蒸気が吹き出して木が腐っていく。

 さらに刺して使った針が尾っぽから再生されて元通りになった。



「うげぇ、強力な毒持ちな上に一発で終わらないんだね。何が基本は蜂と変わらないよ、全然違うっての!」



 ここにいないアレンにとりあえず毒づいておく。

 


『たおすー?』


「いやー、一応和解しに来てるのにここで全滅させるってのも鬼畜よね。何とかあの巣にこの子を戻してあげよう。それでも襲ってくるならもう知らないけど」



 そもそもなんで蜂の子が馬車にあったんだって話だよね。

 考えられるとすれば昼食中に何人かの騎士が交代で周りを巡回してたからその時に持ち帰ったとかなんだろうけど、何してくれてんのよまったく!


 逆上しているのか大事な子供を持っている私に蜂たちはしつこく攻撃をしかけて来る。

 避けられるものではあるんだけど、あまり速く動き過ぎると蜂の子が苦しそうにバタつくもんだし、私からの不殺指示で豆太郎もいなすだけになっちゃって強引に巣への包囲も突破できないでした。

 ついには私たちを追いかけてきた蜂たちも合流し、さらに壁は厚くなる。


 ええい、人が大人しくしてたら付け上がってくれちゃって! こうなったら――



「出て! ―【水遁】鉄砲蛙てっぽうがえる―」


『ゲロォ!』



 久し振りの登場のちょんまげがトレードマークの蛙君。

 足を上げてポーズまで決めてくる。



「倒さないように水で濡らせて動きを止めて!」


『ゲロロォ!!』



 一瞬で私のやりたいことを見抜いて鉄砲蛙が水を吹いた。

 手で輪っかを作ってそこから射出される水鉄砲は的確に蜂たちの全身や羽を濡らしていく。

 たいてい飛行するやつって雨が降ったりしてこうして水浸しにされると飛べなくなっちゃうんだよね。

 瞬きするごとに気持ちが良いぐらいどんどんと数が減っていった。

 地面にべちゃりと不時着落下した蜂たちは復帰しようともがくも、上手く羽が羽ばたかない。



『あーちゃん!』



 残り少なくなった彼らは女王場に従い変態を組み直し最後の決戦に望むらしい。

 一度上空に飛び直して突撃を敢行してくる。



『ゲコォ!?』



 さらに驚いたのは周りの働き蜂たちが尾っぽの針を飛ばしてきたのだ。

 無数の針が降り注ぎ、鉄砲蛙は攻撃を中断せざるを得なくなってしまった。

 ぐんと女王蜂がスピードを上げてめがけてやって来る。

 乾坤一擲の最終攻撃ラストアタックだ。だけどこっちは受けて立つ義理はない。



「―【土遁】土畳返つちだたみがえし―」



 手を地面に突き術を行使する。

 瞬時に厚い土壁が突き出し私の前方を守護した。

 直後、どん、とぶつかる音が裏側にまで響いてくる。

 


「鉄砲蛙、やっちゃって!」


『ゲロォ!』



 さっきと同じように針を自ら脱いて離脱しようとするがそんなの遅い。

 鉄砲蛙が女王蜂に水鉄砲を直撃させた。

 体が他よりも大きかろうが結局は掛かる水の比重は同じ。

 そいつもあえなく地面に落下した。



「まだちょっといるけど、そろそろいきますか」



 だいぶ手薄になった蜂の巣へと走った。

 木は【壁走り】で垂直に登り、あっという間だ。

 ハニカム構造の巣は豆太郎ぐらいなら余裕で入れるカプセルホテルで、けっこう空き室も多い。

 その中に持ってきた蜂の子を押し込んだ。

 


「なんか色々ごめんね。でも悪気はないの。もう近づかないから許してね」


『‥‥』



 まだ幼虫で赤ちゃんだし、人間の言葉なんて分かるはずもないんだけど、なんとなくその子は一度だけ頭を縦に振って『了解』と言ったような気がした。

 無我夢中だとあんなに嫌だったブヨブヨちゃんも持ててしまった。人間ってすごいね。


 振り返ると大量の蜂たちが頑張って起き上がろうとしているのは自分がやったのしても悲惨な光景だった。

 彼らも無闇矢鱈に襲ってきたわけじゃないのに、ひどい殺生をしてしまった気分だわ。

 まぁでも冒険者って被害が出てなくてもモンスターを一方的に狩る仕事なんだよね。そう考えるとなかなかに因果な仕事ってやつだわ。



「さぁ帰ろうっか。鉄砲蛙ありがとうね」


『ゲロォ!』



 自分の胸をポンと叩いて消えていった。

 なかなか頼りになるやつだね。


 さて、こんなことをしでかしたやつをとっちめないと気が済まない。どうせ騎士のうちの誰かだろう。

 超特急で帰って文句の一つでも言ってやる。


□ ■ □


 その様子を茂みから観察するシルエットがあった。

 葵が事を収めたのを苦虫を噛む顔をしながらじっとその一部始終を凝視している。

 


「裏切り者を作ったまでは良かったが失敗か。せっかく命がけで奪った争いの種をこうも簡単に修復させるとは何者だあの女? たった一人であの蜂の群れを相手して腕が立ちすぎる上に見たこともない魔術を使う……」



 男の暗殺屋家業の中でもあれほどの戦闘能力を有している人間はお目にかかったことがないほどだった。

 もしあったならすでに廃業している。それほどのレベルで組織の人間が束になって掛かっても勝てる未来が見えず瞠目していた。



かしら!」



 連れてきた部下も同じ感想のようで、依頼を成功するビジョンが浮かばないらしい。

 頭と呼んだ男を縋るように見つめる。



「分かってる。みなまで言うな。だが任務はあいつを殺すことではない。王子の拿捕か殺害。であればまだ芽はあるはずだ」



 それは半分自分に言い聞かせるかのようだった。

 幸い、内通者はまだ使える。そして目的はあの護衛を殺すことではない。それが救いだった。



「そ、そうですが……」


「なんだ文句でもあるのか? 怖気付きやがって! それなら今ここで始末してやろうか?」



 もはや尻に火が付いている。この仕事の失敗や逃亡はこの業界から足を洗うだけではなく、粛清される可能性だってあった。

 なぜならママレードを通じで誰が大本の依頼者なのかを知ってしまっている。あれほどの立場ならば臭いものには蓋をするべく口封じなど容易く行ってくるだろう。

 そう考えれば今更やめるわけにはいかなかった。

 

 男は苛立ちのまま部下の首をしなる鞭のごとく掴んで締める。

 握力は大したもので指だけで万力のように首にめり込んでいく。 



「が……しら……ゆ……ゆるじ……で……」


「ふん!」



 男は部下を放り投げる。



「次こそは双頭の蛇と言われている実力を見せてやるよ」

 


 そして次の手を考えるべく姿を消した。


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