8 久しぶりの考察
情報屋で訊いた酒場に夜になってから景保は向かった。
店内は騒がしく、思い思いに客が酒を飲んではくだを巻いている。
お酒に弱く大学でも飲み会とかカラオケとか派手な場が好きではない景保はあまりこういう場には縁が無く、少し肩を小さくしておっかなびっくりといった感じだった。
「で、それはいいんだが儂まで来る必要あったのか?」
「だって一人で酒場なんて怖いじゃないですか。きっと『ミルクでも飲んでな』って追い返されますよ!」
「そんなテンプレあるものかよ。というかそれなら子供の姿の儂がいる方が余計に絡まれそうじゃないか? それに見たところ結構健全そうだぞ」
『景保は弱気なの!』
景保が辺りを見回すと赤ら顔の人は多い。しかし別に荒くれ者とかそういうのではなく普通のどこにでもいそうなおじさんもいたし、なんならご婦人ですらお酒を嗜んでいる姿がある。
キレたら葵以上に無茶をして仲間たちからの株も上がっている景保だが、そうそうヘタレなところが変わるものではない。
一人で夜の酒場なんて怖いのでジロウを誘う。そこは外せなかった。
ちなみに蛇五郎は町中では連れて回っていない。白い大蛇がいればさすがに騒ぎになるからだ。
「まぁ最近は教会の味気ない飯ばっかりだったから構わないんだがよ」
ここ数日、ジロウは教会でお手伝いをした代わりに食事をもらうという生活を繰り返していた。
そこで出されるのはたいていごった煮のスープで大味。
まずくはないが美味くもない。
それでもありがたいと言う人は大勢いて文句を言うわけにもいかず食への不満が溜まっていた。
「ただこっちはこっちで酒がなぁ……」
食事以外にもジロウが眉を潜めるのは酒だ。冷蔵庫なんていうものが無いのでたいてい生ぬるい。
さらに日本酒好きのジロウにとってワインとかエールというのはそこまで口に合うものではないらしい。
一応、『神酒』という状態異常である呪い耐性アップの日本酒の味がするアイテムがあるのでどうしても口恋しくなった夜はそれで我慢してるが、それもいつまでももつのかというのが彼の悩みの一つでもある。
「部屋に帰ったら青龍に頼んでみましょうか? せめてお酒を適度に凍らせて……じゃなかった。冷やしてくれると思います。ただあいつかなり飲兵衛なので駄賃としてだいぶ飲まれますけど」
「あぁそのぐらい構わん。樽で買ったのがいくつかある。実は儂も氷の弓術で冷やせないかと試したことがあったんだがな。まぁ加減が難しくて、結局氷の塊を作っただけに終わった。それでも氷は珍しくて好評で獣人の子供らにせがまれてこしらえてやったものだったが」
酒で喉を潤しながらジロウが皿に乗ったつまみの蒸かし芋を頬張る。
他には干した小魚や塩で炒った豆などを注文しており、完全に飲みに来ているおじさんだった。
ちなみに子供がお酒を飲んでいても誰も注意しない。そんな法律も無いし、もし飲みすぎて倒れるならそれは自己責任。
一人でいるならまだしも、景保という保護者もいるので珍しいながらも特に気にはされていない。
話していると酒場の端っこで音楽演奏が始まり、喧騒が止んだ。
吟遊詩人風の男がリュートを奏でドレスの女性が歌い出す。
どうやらここはそういう演奏やパフォーマンスが見られる酒場らしかった。
「てっきり客で出入りしていると思っていたのに、ひょっとして演者? だとしたら珍しい衣装ってのは当たり前か。これは外れかな」
ここには情報屋から言われて大和伝プレイヤーを探しに訪れていたが、パフォーマーなら奇抜な衣装を着ていてもおかしくない。
金貨五枚は痛いが景保も正確に情報屋のお婆さんに伝えていたわけではないので、納得しつつも期待が外れたことに消沈する。
「どうせそんなに期待してなかっただろ?」
「まぁそうですね。本当にいればラッキーぐらいでした。って、こらタマ!」
ひょいひょいと景保が自分の目の前の皿からソーセージが消えるのを見咎めた。
タマの仕業だ。彼女はフォークを片手にどうだ、偉いでしょ。褒めて。
と言わんばかりの満面の笑顔をした。
『景保が全然食べないから食べてあげるの!』
「人のものを勝手に取っちゃだめだよ。お行儀が悪い」
『むー、はーいなの!』
「あぁもうそれはタマが食べちゃっていいよ」
『やったー! 景保太っ腹なのー!』
叱られてしょんぼりしながらソーセージを皿に戻そうとするタマがもらっていいと言われ一秒で復活する。
もぐもぐと戦利品を勝ち誇るように食べ、景保も食事の手を動かし出した。
そのやり取りを眺めてジロウが笑う。
「くっくっく。そうしていると年の離れた兄妹か、もしくは親子だな」
「ジロウさんまで止めて下さいよ。その設定を押し付けてくる人がいて困ってるんですよ」
「なんだそれ」
「世話好きが行き過ぎた人の話です。――それより久し振りにゆっくりできているこのタイミングで話しておきたいことがあったんです」
「なんだ?」
景保の顔つきと雰囲気が少し変わったことにジロウは敏感に反応した。
「ジロウさん、女神っていると思いますか?」
「なんだやぶからぼうに。難しい質問だな……。この世界の成り立ちを聞く限りじゃあ『いた』のは間違いない。今もいるかは分からんが、それでもメールを寄越したやつがいる。女神とは名乗ってはいなかったがおそらくはそいつが女神なんじゃないのか?」
「だったとしたら、なぜ八大災厄のような世界が滅ぶかもしれない災いに手出ししないのでしょうか? メールのこともそうですが、魔石によって新しいスキルなど新しい力が僕らには与えられて運良くその場に居合わせて退治することができました。でもそんなすごい力があるのであれば僕らに頼らず自分で干渉して追い出せばいい。そうは思いませんか?」
「そりゃあれだろ。よくあるお約束で直接下界に手出ししたらいけないルールがあるとかそういうのじゃないのか? その代わり魔石を使って儂らに力を与えて支援していると考えれば筋は通るだろう。無制限に力を与える訳にはいかず、代償行為として魔石を奉納させているとな」
「それってつまり――
ジロウの眉がピクリと動き、唇が小さく弧を描く。
それから一気に木製のカップに注がれている酒を呷った。
全て飲み干すと、ダン、とテーブルにカップを乱暴に置かれる。
「それは……面白い意見だ。確かにそうなる。なるほどな。女神が八大災厄と戦わせるために儂らを呼び寄せたと。つまり儂らがここにいるのはこの世界の平和を守るためか? まるで漫画の勇者召喚のようじゃないか」
「まず異世界召喚される例って二つに大別されると思うんです。一つは例えば魔法の実験とか時空の裂け目ができたとかで偶然起こったもの。でもこれは八大災厄や魔石奉納の点から薄いと思っています」
単に突発的に異世界に転移しただけなら女神にこうして贔屓されるというのは不思議なことだ。
それにもしそうならメールの文面に事情を書けばいい。あまりにも整い過ぎていてこの線は無いかなと景保は考えている。
「もう一つは目的や意図があって呼び出すもの。魔王がいるから王様が呼び出したとかですね。ただまぁその場合は僕ら以外の前例がいることになるし、王様とかからのアプローチはないのであり得ないでしょう。ちょっと強引ですが、八大災厄が現れることが予見していたので女神が呼び出したというのが筋が通るかと。そしてそれは逆のパターンもあります。邪教徒が魔王を呼び出すみたいなのですね」
「確かにおおよそその二つだろうな。女神か分からんが儂らに力を与えているやつがいる。で、そう仮定するのであれば女神とは別に八大災厄を呼び出しているやつがいる可能性も十分ありえるか。まさかあんなやつらが偶然異世界転移するはずがないだろうし。つまり勢力的には女神と儂ら、八大災厄とそれを呼び出しているやつという構図か」
景保はその言葉に首肯した。
何にも分からない状態より、こうして過程でも整理すると考えやすい。
「まぁなんで僕らがゲームの力を使えてそのボスが異世界に現れてるの? っていうところは今も疑問が残りますがそこは置いておきます。ただ僕はどうにもそれらは
「っ!? なぜだ?」
ジロウはいきなりの論理の飛躍に大きく目を開けた。
ここでまさか教会の名前が出てくるとは思わなかったからだ。
現状、消極的な敵対関係にあると認識している。しかしそれが災厄を呼び出す存在となれば放っておける存在ではなくなってくる。
「まだ確証があるわけじゃなく勘の段階を出ませんが、一連の騒動で教会勢力にほとんど被害が出てないことが一つ。そして彼方さんを要していることですね。もし教会が何も知らないのであれば彼を仲間にする必要はないはずです。もちろん成り行きでなった可能性もありますが、八大災厄が出てくることを知っているから彼を起用したのではないかと僕は思っています。本来なら彼方さんもこっちの味方なはず。騙されているんだと思います」
「それが本当なら真っ黒じゃないか。あんなものを呼び出すなぞ世界ごと自分たちをも滅ぼしかねん自殺行為だぞ。目的は?」
霙太夫との死闘からまだ十日も経っておらず、あの自分たちの知っているゲーム時代とは一線を画した悪魔のような存在は記憶に新しい。
何か間違えただけで今頃は永久に氷の彫像として飾られていた未来があっただけにジロウは身震いをした。
「それはまだ分かりません。自滅でなければ思いつくのは操る術があるとかでしょうか?」
「あれを支配下に置けるだと!? ……全くありえん話ではないか……」
この世界には自分たちの世界とは違った魔術法則や未知の道具がまだあることはジロウも聞いて知っている。
故に完全否定することはできなかった。
だがふと思いつく。
「あ、いや待て。それならそれで女神とやらがメールに書けばいいだろう。八大災厄からこの世界を救って下さいとな。そうすれば五人と言わず集合してもっと戦いが楽になったはずだ」
この世界にプレイヤーが何人いるのかは把握はできていない。
しかしながら女神が遠回りな支援をしてくるぐらいなら、メールにそうやって書けばプレイヤーたちが全員集まってもっと討伐は余裕を持てるものになっただろうとジロウは考える。
「そこはそうなんですよね。メールの文面は八大災厄の脅威とは全く関係の無いものでした。うーん、逃げ出すと思ったとか?」
「分からん。実際に戦えばパワーアップしていて尻込みするやつは出て来るだろうが、前情報だけならただのボスキャラだ。最低でも四、五人揃えば勝てるはずと誰でも思うぞ」
「となると……うーん、分からなくなってきましたね。僕の予想は外れかな」
「いやそうとも限らん。儂には今の話がかなり核心を突いているように思えた。あながち的外れではないだろうよ。あまり深く考えていなかったが考察のしようはあるもんだな」
「そうだといいんですが。ほらタマまた汚れてるよ」
『んー! おいしかったの!』
タマが出された食事を全て平らげ景保に口元の汚れを拭いてもらう。
「お前さん、本当に所帯持ちじゃないんだろうな?」
「勘弁して下さいよ。まだ一応、大学生ですよ」
ジロウの目には子煩悩な父親にしか見えなかった。
自分がこのぐらいの歳だった時はどうだったかなと過去を想起しかけたところで、景保が思い出したかのようにそのまま続ける。
「あ、そうだ。今の話はオフレコでお願いします。他の人には内緒で」
「なぜだ? いい線いってたと思うし、共有するべきではないか?」
「どの道、教会が悪いこと企んでいそうっていう内容ですから。まだ推測の域を出ない話で元シスターのオリビアさんと仲の良い葵さんたちがギクシャクしても困ります」
「そこまで気を遣う必要はないと思うが……。まぁそうだな。もう少し探ってからにしようか」
頷き返し、一応の会話が終わりかけた時だった。
彼らの周りに複数の人の気配が寄ってくる。
「おい兄ちゃんたち。さっきから聞こえたんだがよ。教会の悪口言ってなかったか?」
それは酒場で飲んでいた酔っぱらいだ。
芸人たちが音楽を鳴らしたりしてそこそこ騒々しいので特に気にしていなかったが、近くのテーブル席には今の会話が漏れて聞こえてしまったらしい。
「そんなこと言ってるはずないですよ。やだなぁ格好いいお兄さん。もう酔ってるんじゃないですか?」
ジロウお得意(?)のぶりっ子スキルが発動した。
「いーや聞こえたね。いいか? この町は今、しばらく前に起きた家事で穀倉が燃えちまってその穴埋めに教会に援助してもらってんだ。教会の悪口言うやつは許さねぇぞ!」
「だからそんなこと言ってないですからぁ」
しょせんは酔っ払いの言い分なぞ誰も信じないし、子供に絡んでいる以上、見た目は向こうの方が悪くなる。
そういう打算がジロウには働いていたのであくまで否定し続ける。
「おいみんな聞いてくれ! こいつら教会の悪口言ってたんだよ!」
男が大声で叫び、店中の視線が一気に集まってきた。
顔色を窺うとどうも教会というワードはかなり彼らの琴線に引っかかっているようで、頭ごなしにそれを信じているらしく旗色が悪い。
「いっちょ前に酒なんて飲みやがってよ! ん? お前、見たことある顔だな? 最近、教会の手伝いしている小僧じゃねぇのか? ふてぇやつだ!」
「それとこれとは関係ないでしょお兄さん! ってもう繕うのが面倒くせぇな。おい景保、タマ。逃げるぞ」
まさか自分の顔を知っている人間がいるとは思わず、「ちっ!」と舌打ちしてからのジロウの撤退宣言。
なのに景保とタマは椅子に座ったままきょとんとしていた。
「あれ? てっきり乱闘が始まるものだとばかり」
『タマもそう思ったの!』
すれ違い過ぎてジロウがずっこけそうになる。
「なんでだよ! お前ら葵に毒され過ぎだ! 悪党ならまだしも、酒癖悪いだけの一般人をいちいち殴り倒していられるかよ!」
「あー、そりゃそうですね。もっともな意見に感心してしまう自分が怖くなってきました」
『大乱闘が見たかったの!』
深くため息を吐いたジロウだったが、男たちは無視されたことにヒートアップしていく。
「てめぇらぁ、無視しやがって! 生かして帰すな!」
酒を飲んでいるせいもあるだろうが、額に血管が浮き上がりもう顔は真っ赤だ。
一触触発のタイミング。
そこにジロウが術を発動させる。
「景保、タマ、目を瞑れ! ―【猟術】目潰し光り玉―」
ジロウの手に出来たのは小さな光る玉。
それを自分の頭上に軽く放り投げると、ぱっと店内全てが溺れるほどの大量の光に覆われ眩む。
「うあっ! なんだこれ!? 目が!」
ジロウたち以外はまともにそれを見てしまい目の前全てが真っ白になって視力が無くなる。
「よし逃げるぞ!」
「あぁ、まだ全部食べてなかったのに……」
『景保はお話ばっかりで食べるの遅いからなの!』
さっきのお返しとばかりに小さなお供の説教を受け、なんだかんだ騒動を起こしつつ三人はすたこらさっさと逃亡に成功した。
□ ■ □
翌日、もう宿を引き払い昨日と同じ時間に情報屋の元へ訪れることにした三人は宿で最後の食事を取り終わったところだった。
教会で働いていることがバレてしまったのでジロウがもう潜り込むことは難しくなり、ここで話を聞いたらすぐにでも別の町へと旅立つつもりだ。
『んー、美味しかったの!』
酒場と同じように口元を拭われたタマが感想を言うとノーラが近づいてきた。
「ありがとう。タマちゃんはいつも元気いっぱいね」
『毎日楽しいからなの!』
客商売をしているからだろうか、ノーラも昨日、気まずいことがあったことはもう感じさせない笑顔だった。
「ノーラさん、僕らは今日で違う町に旅立ちます」
「え、そうなんですか?」
「えぇ、ある程度の目的は果たせましたから」
実際のところほとんどそれらしいものは手に入れていない。
情報屋のお婆さん次第でしかないのだが、もしそこで何にも得られなかったとしても次の町へ行くつもりだった。
「そう……ですか。分かりました。またのご宿泊をお待ちしております」
一瞬だけ動揺を見せた彼女はニッコリと笑う。
「えぇ、また来た時はここに泊まらせてもらいますよ」
『なのー!』
ノーラは頷くともう料理の乗っていない皿を持ってバックヤードへと消えていく。
だが一瞬だけ、そこに暗い光が宿っていたことは誰も気付かなかった。
その後すぐに宿をチェックアウトした三人は昨日の情報屋の元へと歩を進める。
「何気にこれが空振りだったら目ぼしいものは何にもなかったことになるな」
横を歩く冗談交じりのジロウ。
彼らは外套で姿を隠しているが、その下はすでにいつもの大和伝装備に戻っている。
もはやこの地に留まる理由はないので仮に見られたところで構わないという意志の現れだ。
「まぁ昨日の今日ですからね。手がかりの一つでも入ったら儲けものって感じで考えましょう。空振りだったらとりあえず神都リィムってところに近付く感じで。おそらく人も情報もここよりもっと集まるでしょうから」
「敵のアジトの総本山みたいなところへ行くのは大胆過ぎやしないか?」
「あくまで近付くだけですって。まぁ状況に応じて動きましょう」
昨晩襲われそうになったばかりだというのに、特に気負いもせず気楽そうにしゃべっているのは荒事に慣れてしまったせいだろうか。
そうして話していると情報屋のボロ屋の前に辿り着いた。
「昨日、依頼をした者ですがおられますか?」
しかし返事が無かった。
「あのー?」
もう一度声を掛けるがそれでも反応がない。
首を捻っていると入り口の暗闇から猿ぐつわをされたキーラが飛び出してきた。
ぎょっとして景保は固まる。
――すかさず闇の中から銀閃が突き出される。
それは一直線に景保の額を狙う。
『景保ぅ!』
咄嗟にタマが足に飛びついて体が倒れ、そのおかげで難を逃れることに成功した。
そして老婆のあばら家は半壊する。そこから鎧兜を装備したフルアーマーの騎士が屋根を突き破ったからだ。
いきなりの展開にまだ動けない景保に向かって、そいつはなおも執拗に剣を振り下ろそうとする。
「ちぃっ! 儂を忘れるなよ!」
すぐ傍にいたジロウが軽く飛び上がって厚い鉄胸に蹴りを入れた。
子供の貧弱そうなキックに見えても、その威力は鉄板ぐらい簡単に貫く。
騎士はそのまま後ろの壁に叩きつけられ動かなくなった。
多少は加減しているので死んではいないだろう。
「な、なんなんだ一体!?」
「とりあえず解いてやる」
いきなり凶刃に晒された景保は心臓をドギマギさせてまだ動けずにいる。
その間にジロウがキーラのされていた拘束を外してやった。
「に、兄ちゃん……! 兄ちゃん!」
「ど、どうしたんだ?」
キーラの唇は震え血の気を失った顔色をしている。今にも恐怖で泣きそうな表情をしていた。
まるで惨殺死体でも目の当たりにしたかのようだ。
「バ、ババァが! 連れて行かれちゃったよ!」
「連れて行かれた? 誰に?」
「
「は!?」
なぜそこで
もちろん目の前で倒れている騎士風の男を見ればそれは間違いないのだというのは分かる。しかし接点が……と考えたところで思い当たることがあった。
「まさか、僕の依頼のせい……?」
探りを入れていた彼女がバレて捕まるという流れはそうおかしいことではないだろう。
もちろんミスをした情報屋側に責任があり、景保に落ち度はない。
けれど自分のせいに思うのもまた彼の優しさだった。
「たぶん、ババァ一人なら逃げられたんだ。でも俺がいたせいで捕まっちまった……。その後で俺も捕まった。兄ちゃん、何でもする! もう身内がいなくなるところなんて見たくない! 助けてくれよ!」
キーラの言い分は勝手なものだ。
昨日今日会ったばかりの人間に
おそらく誰であってもそんな願いは聞き届けない。景保だって今、目立つわけにはいかないのだから。
見捨てるべきだという理屈と、助けてあげたいという感情がせめぎ合う。
目を瞑り拳を握って逡巡した後、景保はタマの目を見た。
小さくてもクリクリした瞳は真っすぐに彼を射抜く。
何も言わないが伝えたいことは訊かなくても分かる。だから意志を述べる。
「――ジロウさん。ここからは僕の独りよがりなワガママになります。ブリッツさん救出に支障が出かねないので今のうちに別れて行動した方がいいかもしれません」
「ふはは。もっと分かりやすく言ったらいい。助けに行くんだろ?」
景保のやりたいことなぞ簡単に汲み取れると言わんばかりにジロウが歯を見せ笑った。
自分よりも遥かに年下でまだ未熟な青年が、理屈ではなく信念によって動こうとしていることに彼は少し面白くなってきたらしい。
本当ならたしなめないといけないのかもしれないが、彼もまた感情寄りの人間だ。男が決意したことを咎めるなんてしようはずもなかった。
景保は自分の我を通した行動に頭を下げて詫びを入れるが、ジロウの反応は屈託がないものだった。
「……すみません」
「構わん。お前もたまには嬢ちゃんみたいに感情の赴くままに行動したらいい。無茶をやる若者を見守ってやるのも大人の役目だ。多少の尻は拭ってやる。きっとブリッツだってここにいたらそう言うだろうさ」
まだ精神面では成熟しきっていない景保にとってその肯定の台詞は、さながらバフを掛けられたかのような暖かい温もりの信頼感が与えられ胸に灯るかのようだった。
――この人たちに出会えて良かった。
もしたった一人でこの世界に来ていたら、いくら万能の力があろうとも縮こまって弱い人を助けようと決断できなかったかもしれない。
自分でもこの数か月で少しだけ成長したと自覚もしている。だから景保はこの出会いに感謝した。
『タマもいるのー!』
「うん、そうだね。それとさっきはありがとう。タマのおかげで助かったよ」
『どういたしましてなの! 景保にはタマが付いているから大丈夫なの!』
自分をアピールしてくるタマの頭を撫でると、くすぐったそうに狐耳がピョコピョコと動く。
そして景保は見回す。
「では行きましょう」
全員が首肯し、走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます