7 一方その頃、陰陽師と猟師は・・・
「正直、この歳になって雑用の小間使いをするとは思わんかった。洗濯の手伝いや買い物の付き添い、ボケてる婆さんの話し相手と探る暇がない」
「あ~大変そうですね」
「仮にあったとしてもいつも教会の中には誰かがいて部屋に入るのも難しい。こっちの線からは思ったより期待できないかもしれん」
宿屋の食堂でジロウが朝飯を摘みながら前の席に座る景保に愚痴っていた。その横でタマも小さな口をモゴモゴと動かし食事をしている。
肉体的な疲れはなくても目的をなかなか達成できない焦りから精神的な疲れはあるようで、それをこうして解消している最中だった。
ちなみに三人共、衣装は目立たないよう町民と同じような格好をしている。
もうバレている可能性もあるが、可能な限り彼方の元へ帝国への侵入を知らせないためだ。
唯一、タマだけが髪に
それは大和伝産のもので防御力アップ効果があり、服を町人風にした代わりに一応念のためにと景保が付けさせていた。
『ジロウ、いいこいいこするなの?』
「む、やめてくれ。さすがにそれは恥ずかしい」
不満ばかり口にするジロウを見かね、景保が椅子の上に出したクッションに座ってサンドイッチをパクついていたタマが立ち上がって手を伸ばそうとする。
それを察知してジロウが軽く頬が熱を帯びるのを感じながら拒否した。
クッションは座高が足りないので景保が出したものだ。ファミリーレストランとかで見かける子供用の補助椅子みたいなイメージだろうか。
おかげでジロウの愚痴る勢いが緩まり、景保は相槌を打つことから開放された。
ただ景保もジロウがこうして不満たらたらながらなぜ葵たちと別れこっちの班にいるのか、その意味は感じ取っている。
きっと葵や美歌を敵地に近い場所に送り込みたくなかったのだと。みんなで相談した場ではそれらしい理屈をジロウは付けたが、おそらくはそういう意図があったと景保は思っている。
まだ付き合いが浅いながらも、彼はジロウがそういう静かな気遣いをする人物だとある程度読み取っていた。
「僕の方も昨日一日歩き回ってみてなんとか方策を考えつきました。今日あたってみるつもりです」
「頼む。こっちは思った以上に失敗だ。一応まだ頑張ってはみるが空振りに終わりそうな予感しかしない。嬢ちゃんたちには偉そうに言った手前、何かしら成果が無いと格好が付かんが」
「分かってます。まぁそんなに焦らないでいきましょう」
『ワーズワース』という王国との国境沿いにほど近い帝国領の町に訪れて三日目。
景保とジロウは大した情報も得られずに足踏みをしていた。
頭で考えていたことは実際にやるとなかなか上手くいかないもので、そもそも教会の暗部の話を誰に訊けばいいのか、どうやって訊けばいいのかまずそこからが難問だったのだ。
仮にその辺にいる人に尋ねたとしても頭がおかしいと思われるのがオチだろう。
そこでジロウは自分の容姿を活かし教会に出向いて、そこで零れ話を拾ったり子供の他愛もない妄想として怪しまれずに直接聞き取りしようとしていた。
もしくは神父の部屋などに潜入して書類などを調べることができたらとも思ったのだが、少し前にこの町では町を揺るがす大騒動があって大勢の教会関係者が出入りするようになっておりそれも難しい。妙にガードが固くここまでほとんど何も得られずにいた。
「皆さん、この町はどうですか? 特に観光してもらうようなところはないんですけど」
そこへ空いた飲み物のカップに水を注いでやってきたのは『ノーラ』だった。
奇しくも景保たちは彼女の宿に泊っている。
「えぇっと、まぁでも帝国領に来たのは初めてなんで色々と珍しいですよ」
さすがに町の人間に「本当に見るところないですよね」と肯定するわけにもいかず愛想笑いをしながら景保がはぐらかした。
色々と言ってもそこを突っ込まれたら何も出てこない。心の中では話を広げないで! と願っていた。
『涼しいの! ちょっと前まで暑いところにいたからこっちの方が好きなの!』
「そう? それは良かった。この季節は確かに過ごしやすいですから、そこは自慢かもですね」
上手いことタマが話をもっていってくれたことに景保はほっとする。
「そういえば何ヶ月か前に大騒動があったって話だけど、倉庫が焼かれたんでしたっけ?」
景保が質問をし、それを訊かれてノーラが俯き表情に影が差す。
それを二人は見逃さなかったが、あえて追求はせず彼女の返答を待った。
「え、えぇ……。大火事がありました。帰って来なくなった人もいます」
――よほどショックなことがあったんだろうか。
取り繕う様から景保はそう思った。
「ふぅん、それで教会に人が集まっているんですね?」
「そうみたいですね。ご支援して頂いていて、おかげでこの町は冬に飢えなくて済むと思います」
どこか他人事というか上の空というか、そんな印象を景保は受けそこを追求するべきか迷う。
今は少しでも何らかの情報が欲しい。宿の店員からならそうした話も訊きやすい反面、幼い少女を傷つけるような気もしたからだ。
この数日の間に、ノーラには手が空いた時にタマと遊んでもらったこともあったので借りもあった。
ちょっと気になったからと言って困らせるのはどうかと考えていると、
「あ、すみません。まだ仕事があるので。ごゆっくり」
そそくさとノーラの方からテーブルを離れていってしまう。
「あ……」
「振られたな。お前さんは賢いが女との駆け引きはまだまだのようだ」
「そう思うならフォローして下さいよ」
中身はすでに初老で結婚して孫もいるらしいジロウだが、小学生の姿の人物に軽口でもからかわれると景保も少しムっとした。
当然、ジロウもからかっているだけで言葉そのままの意味ではない。
「そう言われても儂は今、十歳だからなぁ」
「都合の良い時だけ子供にならないでくださいよ」
『ジロウは子供おじいちゃんなの!』
朝の食事はそんな感じのやや陰鬱なまま締め括った。
食べ終わるとジロウは教会へと向かい、景保はタマと二人きりだ。
一緒にいることも多いが放っておくと探検とか言って宿やその周りをウロチョロするので景保もすぐにタマを連れて出掛けた。
「こっちの方かなぁ」
目的地の場所は聞いていたが、初めて行くところで足取りは
ウィンドウにあるマップには通った個所が記録されていくので迷子にはならないが、やはり初めての町は不安なものはある。
「大体、日本と違って住所がちゃんとしてないから難しいんだよね」
日本というか現代社会ではきちんと何番地まで住所が分けられているのが当たり前だ。
けれど中世っぽいこの世界ではそこまで細かくは区画整理されていない。
たいていは目印となるお店とか方角で説明されるのでこれで初見の人間が迷わない方が本来はおかしく、景保を悩ませる問題の一つだった。
だから道行く人に尋ねたり、旅に慣れている人物なら子供を小遣いほどの金でガイド代わりに雇ったりする者もいる。
景保はマップもあるし、あまり人に積極的に話し掛ける性格でもなかったので文句を言いながらも自力で到達しようと頑張っていた。
『ふんふふーふんふふ♪』
タマは景保と手を繋いで尻尾と耳を揺らして上機嫌で歩いている。
散歩しているだけで楽しいらしい。
だいぶ時間を掛けて進むと、少しずつ人気が少なくなっていき地面の整備もろくにされていない区画へと入り込んだ。
『景保ぅー。道で人が寝ているの!』
「あんまりジロジロ見ちゃいけないよ。急に立ち上がってきて『お前を食ってやるー!』って襲ってくるかもよ?」
『やー! 怖いの!』
タマがいつもの景保のからかいに本気で怖がって手を掴む。
景保はたいていの人物にはそういう意地悪はしない性格だったが、タマが必要以上にリアクションが大きいせいもあって彼女だけにはよく困らせる冗談を投げかけていた。
ずっと一人っ子だった景保がまるで年の離れた妹を得たような気安さを感じているせいだろうか。
「はは。まぁ気を付けて進もうね」
『分かったの!』
景保らがいる場所はお世辞にもまともな場所ではなかった。
ゴミが散乱し、深呼吸でもすればむせてしまうような腐臭が微かに漂う。
意識して口呼吸をするようにしているが、それでも鼻が良い彼らにとってはなかなかに堪える場所だ。
所謂、スラム街や貧民街と言われるような区画である。
荒廃から立ち直っている帝国でもその利益を甘受出来るのは上の者たちから。さながらジョウロで水を掛けられた植物のごとく、最も地に根ざした最底辺の部分にいる人々にまで回り切るまではまだ達していない。
『景保ぅー。いっぱい見られているの。この町あんまり好きじゃないの!』
「うん、それは僕も感じているよ。もう少しだけ辛抱してね」
『むー! 景保が言うなら仕方ないの!』
少し前から粘っこい視線を景保も感じている。おそらくはここの住人から見られているのだということには気付いていた。
――タマが反応しないなら殺意があるわけじゃなさそうだし、泳がせておくか。
タマなどお供は索敵能力に優れ、完璧ではないが殺意を持って襲って来る相手を敏感に察知できる。
ゲームではそれで何度もアクティブモンスターからの先制攻撃を警告してもらい助けられたことがあったし、その能力はこの世界でも有効である。
こうした気配はここだけじゃなく、町中でもあった。
だからどうにも景保もこの町があまり好きになれていない。
ぷくっと頬を膨らませたタマが繋いでいる手をぶんぶんと大きく振ると、次第にまた笑顔に戻っていく。
怖がったり笑ったりと表情がコロコロ変わるお供のことを景保は好ましくも感じていた。
そのまま進んで角を曲がると、道端で少年が苦しそうにお腹を抱えて倒れているところに遭遇した。
着ているものはボロで何か病気にでもなっているのかもしれない。
「うううう……」
『大丈夫なの!』
景保と繋いでいた手を離してタマが駆け出した。
心配になったのだろう。何も考えることなくすぐに飛び出したので景保も反応できなかった。
タマがその少年に近寄ると、
「もーらい!」
少年がむっくりと起き上がりタマが髪に付けていたかんざしを盗られた。
少年はそのまま即座に逃げの一手に出る。
『あー! タマのー!!』
お気に入りのかんざしを盗られてタマが大きな声を上げた。
手慣れたものなのか、少年の足は意外と速い。ボヤボヤしていると普通の人間なら追いつけないかもしれなかった。
――だが彼らは普通の人間ではない。
「―【太陰符】鈍重失速― よっと!」
景保が術を使うと、少年はガクっと失速する。そこに瞬発すると一瞬で距離は詰められた。
後衛職である【陰陽師】でも身体能力はこの世界で言えば最高水準を超えている。
そこに術も合わされば重り付きの小学生とオリンピック選手が追いかけっこするようなものだ。あまりにも大人げないとすら言える。
サクっとかんざしを取り返された少年はあまりの景保の速さと原因不明の体の不調に呆然とした。
しかし立ち直りは早い。
「か、返せよ! それは俺んのだ!」
「何を言っているんだ。盗んだやつが盗まれた人に言うべき言葉じゃないね」
「うるせぇよ! それがないと! もう時間が!」
普通はこの時点で尻尾を巻いて逃げていくはずだ。
なのに少年は景保のズボンを掴んで濃い紺色の髪を揺らしながらぴょんぴょんと飛び跳ね、それでも諦めようとしなかった。
「無茶苦茶なことを言うんじゃないよ。あまり聞き分けがないと怒るよ?」
景保はこういう子供のあしらい方が分からなかった。
怪我をさせるわけにもいかず、さりとてなかなかに強情だ。彼の要望通り無償で提供するという選択肢も無い。
困っているとそこに男が現れる。
「おーいキーラ君、こんなところにいたのかー? おじさん探しちゃったよぉ」
体格の良い中年男だ。ただし顔はにこやかだが感情は笑っておらず、暴力の匂いがする。
無頼漢とでも言うべきか明らかに腹に据えかねていて普通ではないのが分かる男だった。
そして少年――キーラの顔が彼の出現と共にさっと青ざめる。
「い、今から行こうとしてたんですよ!」
「へぇ。じゃあもらおうか。金か、金目の物かどっちでもいいよ。最近、欲の皮の張った新しい役人が来てから賄賂も大変でねぇ」
「あ、いやその。その。その装飾品で考えていたんスけど……」
「はぁ?」
キーラが視線を飛ばすのは景保が持っているかんざし。
男は景保を睨めつけてきて、あまりの眼光に気後れする。
「なになに? それキーラ君から盗ったの?」
「ち、違いますよ。これは僕の連れのタマのものです。その少年が盗ったのを取り返したところです」
「あぁそう。それはごめんねぇ」
意外にも男は表情を変えて素直に謝ってきた。てっきり無理やりにでも奪おうと主張してくるのだと構えていた景保は拍子を外された。
そして男は蛇のように少年の顔に近づいて絡みつく。
キーラは怯えてまるで蛇に睨まれた蛙状態だ。
「って言ってるけどキーラ君? 他に無いの?」
「な、無いです。すみません! せめて昼まで待ってもらえたら何とかしますから!」
キーラは懇願した。
けれど――
「そんなに待てない――よ!」
やってきたのは鉄拳だった。
キーラの顔面と同じ大きさほどもある拳骨が彼の腹部へと突き刺さる。
「がっ……! がはっ!」
膝から崩れ落ち、四つん這いの状態でお腹を庇うような仕草をするキーラを乱暴に手で押さえつけた。
鳩尾に上手く入ったらしくむせて呼吸すら危うい。
「ちょっと、なにしているんです!?」
「あぁお兄さんには関係ないことだよ。悪かったねぇ。そのまま何も見なかったことにして回れ右して帰んな」
景保が声を出せばまったく動じずいなされるだけ。
子供に有無を言わさず暴力を使う冷徹さと凄まず景保を追っ払おうとしているあたり、こうしたことの場数は景保の比にもならないほど慣れているようだった。
「も、もう少しだけ……待って下さ……い!」
「だーめ。約束は守らないとね。もし見逃したら例外ってのが際限なく出来てしまう。そんなのは許されないんだ――よ!」
「がふっ!」
キーラは殴られても懸命に嘆願を続ける。
だがその思いは通じない。
今度は顔面を蹴られた。キックというのは殴るよりも遥かに力が伝わりやすい。しかもちょうど蹴りやすい位置にあったものだからキーラは横回転しながら地面の上を転がった。
三回転ほどしてようやく止まると、鼻は曲がってそこからは赤黒い血が破裂したみたいに付いている。転がった跡にもは点々と血痕が残されていた。
状況は一瞬で見て取れた。しかし景保の足は動かない。
可哀想だとは思っても、目立ちたくないという打算とあえて助ける理由が見つからない葛藤があって行動するキッカケが見つからなかったのだ。
――葵さんなら考えずにもう飛び出しているだろうか。
脳裏に描かれるのはここにはいない
あの無鉄砲な女の子ならすでにもう動いているだろうと思うが、自分はそれほど善人ではないと言い訳をした。
『景保ぅ……』
タマが何か言いたげな表情で景保のズボンの裾を引っ張って見上げる。
言葉は続かず名前だけで切れていたがその続く意味は簡単に分かった。「あの子を助けてあげて!」だ。
さっき自分の大切な物を盗られたばかりの少年にタマは同情しているらしい。
お供というキャラは多少の個体差があれど、どれも純粋で情深く優しい。
このような陰惨な仕打ちを目の前で見せられれば、自分のされたことなど吹っ飛んでしまっているのだろう。
その純真な目は景保の背をしゃっきりとさせる。
タマは事なかれ主義で合理的な考えを好むよう育ってきた景保が迷った時の指針だ。彼女の心は常に善性へと傾いている。
――タマの前で格好悪い自分ではいられない。
その期待を一身に受けて景保は一度だけ強く上唇を噛み、そして叫んだ。
「待って下さい!」
「あ?」
くるりと顔だけこちらに振り向いてくる男の様相は恐ろしいものだった。
おそらく、
しかしながら今の彼は単騎でドラゴンや一軍にすら匹敵する力がある。町のチンピラごとき小うるさく飛ぶ蝿を追い払うのとさほど変わらない。
それでも小市民感覚が抜けきれず気後れするものを感じながら考えを巡らす。
――手を出して暴力に訴えるのは簡単だけど、それでは意味がないんだよね。
ここで一時、力ずくで解決したところでその恨みが再びこの少年に襲いかかることは想像に難くなかった。
もしそのやり方をするなら責任持ってその後までフォローしなくてはただの自己満足になる。
しかし旅人であり、初対面の――しかもタマに危害を加えられそうになった相手に冷たくしてもそこまでする義理も湧いて来なかった。
――僕と
そのため、全員が納得するやり方を模索するしかなかった。
冷や汗が出ているのを感じながら景保は口を開く。
「そ、その子は僕が雇うところだったんです」
「は? 雇うだって? ふーん? お兄さん本気で言ってる?」
「そうです。道を案内してもらうために雇おうとしていたんです」
男は予想外のことを言われ面食らいながらも鼻で笑った。
さっき物を盗られたと言ったばかりなので、すぐに嘘だと看過されているのだ。
けれど、これが最も穏便に済ますことだと景保は思った。
そしてドキドキと心臓が鼓動する音を聞きながら男の返答を待つ。
「ほぉ。面白い。とすればその報酬がキーラの元へ入るんだな?」
「そうなりますね。望むなら前払いでもいいです」
「金貨一枚相当の約束だったが、気が変わった。金貨五枚だ。それでもそいつを雇うつもりがあるかい?」
値踏みをするように男は景保の目を覗き込む。
彼からすれば景保が金を払おうが払うまいがどちらに転んでもいい話だった。
ならばと相手の弱みに付けこんで値を釣り上げるぐらいは当然のようにやってくる。
「構いません」
言って景保は懐から巾着袋を出して金貨を渡す。
景保と少年の関係は行きずりなのは男も察していて、まさか本当に出すとは思っていなかったようで瞳孔が開かれた。
「こっちは金さえもらえればそれでいいが……。気前の良い兄ちゃんに会えて運が良かったなキーラ君」
さらにゴネたりいたずらに欲を張り過ぎたりもしない。
引き際を弁えていてただのチンピラよりは格上な雰囲気を景保は感じ取り、男は多少含みを持たせた言葉をキーラに掛けつつ去って行った。
『景保、治してあげてほしいの!』
「分かってる。―【
符術を使うと、たちまち転がった時に擦りむいたキーラの傷が消えていく。
「え? 痛くない? に、兄ちゃんが魔術を使ったのか?」
「まぁそんなところ。――それよりも君に用があるんだ」
「な、なんだよ」
少々仏頂面で迫る景保に、キーラは地面に座ったまま不安で腰を浮かせる。
何の気まぐれか分からないが、それでもついさっき物を盗み盗まれした加害者と被害者の間柄。
去った男のように殴ってきてもおかしくはないと彼は考えたからだ。
「まずはタマに謝ること。そしてさっき言った通り、僕らに道案内すること。これは譲れないよ。金貨五枚と考えるなら安いものだと思うけど。どうだい?」
キーラは目の前の若い男が底抜けのお人好しなことに肩の力を抜いて脱力した。
「あ、あぁ、そうだな。悪かったおチビちゃん」
『タマはチビじゃないの! でも許すの!』
タマの感情は忙しない。
怒って一秒後には朗らかに笑った。
「さてじゃあ道を急ごうか。変に時間を食ってしまった」
「俺も仕事ならきっちりとやる。恩も返したいからな。どこに行きたいんだ?」
「――情報屋のところさ」
□ ■ □
ほどなくキーラに案内されて目的地に着いた。
そこは廃材と布や葉っぱなどで無理やりテント風に作られた穴蔵だった。
広さは三畳ほど。人が寝られるスペースがあるかどうかという程度で高さも中腰が限界の粗末な家だ。ダンボールハウスがイメージに近いだろうか。
入り口には
周りにはネズミもいてお世辞にも快適な場所とは思えなかった。
「ここが?」
「そうさ。兄ちゃんの探しているやつならここで間違いないよ。こんなところに住んでいるやつが大したやつじゃないって誰だって思うだろうけどさ、それが知る人ぞ知るってやつなのさ。まぁ金にがめついやつだけどね」
キーラは胸を反って自信満々に答え、景保は意外な巡り合わせだと思った。
おそらく自分一人ならこんなところは素通りしている。
ある程度の場所を聞いた程度に過ぎないので、一日掛かったところで探せなかったに違いない。
善行をしたおかげで時間を大幅に短縮できていた。
「あー、えーと、すみません。中におられますか?」
「…………合言葉は?」
「『朝日は昇る』です」
景保が中に声を出して尋ねると、しばし沈黙があってから反応があったので予め用意していた符丁を発した。
「いいだろう。何が訊きたい?」
穴蔵からしわがれた女性の声だけが景保を出迎える。
姿を晒す気はないようだ。
彼女は情報屋だった。
一般人に教会のことを尋ねて回るというのは不可能だと判断した景保は情報屋というものをあたることにしたのだ。
彼がお世話になっていた町のギルド長曰く、そういう者はどんな町にもいるらしい。
蛇の道は蛇とばかりに、裏のことは裏の事情に精通している人間を頼るべきだと考え、聞き込みや少なくない金を支払って情報屋にいる場所を調べていたのだった。
景保はキョロキョロと辺りに他に人がいないのを確認してから穴の主に質問をする。
「教会の闇にいる『
短く言葉を切る景保の耳には暗闇の中から息を呑む音が聞こえてきた。
明らかに空気が変わったことを敏感に感じ取る。
「その情報はかなり危険だ。高いよ?」
「いくらでしょうか?」
「まずは金貨四十枚」
ざっくり日本円で四十万円。高い、と思ったがぐっと堪えた。
そんな値段設定をしている以上、情報屋として自信があるのだろうと思ったからだ。
御簾の下から縁の欠けたお碗が出される。
垣間見えた手は細く深い皺があって老婆のものだと連想させられた。
そこに金貨を乗せる。するとかなり山盛りに積まれた重そうなお碗は金貨を零すことなくするっと闇の中へ消えた。
「さてどこから話したもんかね。表向きは万民を救い、騎士団を擁立して無料で魔物退治や盗賊退治などの奉仕活動をしている教会だが、その実、昔から自分たちに不都合な要人、民間人構わず暗殺しどの国でも暗躍している。それが女神の使徒と呼ばれる連中だよ。存在を知っていると知られただけで命が危ない」
「その規模と戦闘能力が知りたいです」
「数は正確には分かっちゃいない。そもそもこれという人数を決めていないようだからね。ただその全員が『天恵持ち』で権限は表の
「それだけですか? それで金貨四十枚は暴利では?」
顔が見えていない分、いつもより強気な景保の押しに情報屋は鼻を鳴らした。
「ふんっ! 生意気な坊やだね。そうさね、そのうちの二人が少し前に亡くなったらしい。原因はハッキリしないが魔物にやられたという話もある」
「モンスターに?」
「あぁ。それでなくてもこのところ教会騎士団が慌ただしい。どうも各国に散っていたやつらがほとんどこっちに戻ってきているみたいだよ。今までこんなことは無かったはずだ。一体何を企んでいるんだろうね」
各地の村や町でモンスター退治や盗賊退治の奉仕活動をしている騎士たちが集まり、戦力を整えている。
その情報に景保や嫌なものを感じ取った。
当然、兵を集めるということは何か強大な敵と戦うことを想定しているからだ。
――まさか僕たちに対して?
最初にそう思ったが、即座に頭の中で否定した。
現状、教会側はまだ彼方一人で戦力は事足りる。ブリッツもいなくなった自分たち四人ではあの時以上に勝ち目は薄い。
だからそれは考えにくいという結論に達した。
隠しきれない疲労があり、覚悟が決まらないままの戦闘で一方的に相手の強みだけを見せられ思惑に乗せられてしまったが、実は五人揃っていたあの時が最も勝率があったのだ。
おそらく防御重視で持久戦に持ち込めば勝てただろうと景保は計算していた。
しかしそのことを景保は後悔していない。
もしあそこで撃退に成功していたとしても、それ以上の反撃を食らうことになるからだ。
最も厄介なのが各個撃破。あの強さで深夜の襲撃や一人になったところを襲われるなど寝首を掻かれればひとたまりもない。
なので本来はこうして別行動を取ることは愚策ではあったものの、景保は相手の油断している間に動けるだけ動き、こちらもレベルアップするのが最善だと結論に至った。
と、考えてはいるが腑に落ちてはいない部分もある。
自分たちの行動を許しているのは本当に油断だけなのか? どうにも手の平の上で転がされている感じが拭えないでいる。
――おそらく、まだ僕たちが知らない何か重要な情報をあっちが握っているはずだ。
それを導き出すのが遅れると手遅れになるような気がしていた。
だからさらに踏み込む。
「その教会騎士団が集まっている理由と場所って分かりませんか? それと女神の使徒についてももう少し突っ込んだ話が知りたいです」
大規模な軍事行動であればさすがに人目に付かないというのは無理がある。
探ってその理由が分かれば相手の内情も透けてくるのではないかと考えた。
そうすれば待ち伏せや先手を打つことも容易い。
「なかなか難しい注文だねぇ。本来、
ピシャリと拒否された。
そこにずっと横にいたキーラが前に出る。
「やいババァ! 教えてやってもいいじゃんかよ!」
「あん? その声はキーラか」
ぬっと暗闇から顔が出てきた。
深い皺とボロ着を何枚もかけ合わせた格好の老婆だ。
「そうだよ、ごうつくばりババァ! この兄ちゃんはママドーレのやつらの集金で捕まってるところを助けてくれたんだ! 俺の顔も立ててくれよ!」
「お前、マッチェはどうしたんだい?」
「……兄ちゃんは俺の薬を買うために借金して返せずに連れて行かれちまったよ!」
俯き、キーラは泣きそうな表情に一変した。
「馬鹿だねぇ。勇んでここから出て行ったのに、それがその結果かい」
「うるせぇ! 兄ちゃんの悪口は言うな!」
何かしらの縁がこの二人から感じ取れて景保は黙ってそのやり取りを聞く。
しかしそれはやはり他人の問題だ。気分的には白けていた。
それに老婆が気付いて申し訳無さそうな顔をする。
「あぁ悪いね。身内の恥を晒しちまった。キーラはあたしの孫でね、娘夫婦が事故で亡くなって引き取ってたんだが、元いたところに帰りたいってちょっと前に兄と一緒に出て行っちまってね。まぁ結局が今ここに至るって訳さ」
重い話だと景保は思った。
けれどそういうのにも関わって助けていたらキリが無くなる。
無言で応えるしかなかった。
「本当はまだ利子も含めて払えてたんだ。でも中央から新しい役人が来てその賄賂にあいつら返済日を早めやがった。そのせいで兄ちゃんが連れて行かれた……」
「はぁ……。たぶん奴隷落ちだね。もうとっくにでどこかに売られてるだろうさ。行き先を調べて買い戻せればいいが、あくどいやつなら吹っ掛けて来るだろうし困ったもんだよ」
情報屋のお婆さんまでため息を吐いて暗い雰囲気になってくる。
景保は今の会話で気になったことを訊いてみた。
「あの、ママドーレっていうのは?」
「あぁ、帝国を代表する大商人の一人だよ。ただ裏では禁止されている奴隷売買に手を出しているけれどね。顧客に貴族が多いから咎められないっていう悪党さ。こんな町にまで商会があってせっせと商売の傍らに奴隷を見繕ってやがる」
吐き捨てるように説明され、なるほど、と納得する。
そこにキーラが口を挟んできた。
「さっきのやつがママドーレ商会のこの町の責任者の一人さ。金貸しもしていて、まだ払い終わってない借金のせいで弱みを握られてる。中央から来た新しい役人は自分から賄賂を要求する屑でそいつのせいで……」
「先王や先々代は民のためを考える真面目な方だったのにねぇ。今の空位の状況を利用して第四王子派閥がどこでも好き勝手にやり始めているらしい」
「第四王子?」
これも景保の知らない話だ。
そもそも他国の、しかも政治だとかの話は生活する上で全く必要でなく、今まで耳に入って来なかった。
葵が今一緒にいるのが第三王子だと話は聞いているので重要なことだとしっかりと耳を立てる。
「先王が第一王子にあたるんだがね、それも亡くなり、お子はまだ生まれていない。残る第二王子は雲隠れしちまって、第三王子は南の部族連合に送られちまってる。だから第四王子だけが国にいる実質唯一の男子の皇族だ。そいつがもう自分が次の王のように振る舞い台頭し始めてるって話さ。この町だって勝手に臨時で税を取られた。収める領主によって多少は変わるがたいてい税は三割から四割だよ。そこにいっきに二割分も乗せられた。稼いだ金や収穫物の半分以上が没収だよ。貧しい村はさぞ困窮に喘いでいるだろうさ。もしこれが続くなら身売りする者も増えるだろうし赤ん坊や老人は栄養が行き届かなくて死ぬだろう」
彼女は不満も露わに吐き捨て怒りを隠そうともせず、丁寧に教えてくれる。
「王様がいないのにそんなことしていいんですか?」
「普通は駄目だろうさ。でも長い歴史の中、どうしたってそういう不在の時期はなくはない。継承権争いとかもあるしね。だからって次の王が決まるまで
「外れっていうのは?」
「第四王子は親教会派でもあるのさ。まぁこれまでの王はずっとそうだったけどね、ただし第一王子や父王は反教会派で改革者たちだった。その恩恵で昔よりずっと暮らしは豊かになってきている。けれど良くも悪くも教会は民を助けてはくれるが改革や発展を望まない。今までずっとそうして口を出してきたらしい。もちろん批判まではしないが、父王たちは意見を汲まないスタンスだった。そのせいで暗殺されちまったなんていう噂話まであるぐらいだ。このままじゃあ貧しい国に戻ってしまうかもしれない。相応しくない馬鹿な王子が本当に正当な王になってしまったら、何十年も次の王に替わるまで長く辛い冬の時代の到来さ」
立場関係が少し明らかになってきて、なるほど、と納得する。
「それにしたって馬鹿やっちまったね。ママドーレなんかに金を借りたらそうなるのは目に見えてたってのに」
「親がいない俺らに金貸してくれたのはあいつらだけだったんだよ」
「薬代ぐらい工面してやったってのに……」
「何も言わずに出たのに戻れるかよ!」
「そういうところが子供なんだよ。変なプライド持っちまったせいで余計悪い方向へ下ってしまう。優先度を間違え、きっとなんとかなると自分を誤魔化し冷静に物事を見なかったツケが今さ」
「うぅ……」
身内からのズバズバとした言葉はかなりキーラの心を抉り、何も言い返せなくなっていた。
それから、ゴホン、と咳払いを一つしてお婆さんは景保に顔を向ける。
「だいぶ話が逸れちまったね。さっきは断ったが、孫を助けてくれた礼だ。何かしらの追加情報は仕入れてやるよ。明日またここへ来な」
一日で進展する自信があるようで思った以上にやり手の情報屋らしい。
どうやら当たりが引けたようだと景保は安心した。
「あ、そうだ。あとこの町か周辺の町でもいいんですけど、おかしな格好した目立つ人物の情報ってありませんか?」
「なんだいそれは?」
「人探しをしているんですが、変わった民族衣装を着ている可能性が高いんですよねぇ」
「ふーむ。名前とか容姿は?」
「そういうのは分からないんですよ。変な話ですが、そこは突っ込まないでくれると助かります」
こう言えば何かしらの事情があって、話せないんじゃなくて話さないんだと勝手に察してくれるだろうと景保は考えた。
ただそれだけで探し当てられるとも思っていない。
「心当たりが無いこともないねぇ」
すっとまたお碗が出される。
「金貨五枚。ただその人物があんたの探しているやつと同じかどうかまでの保証は持てないよ?」
「構いません」
ダメ元でも訊いてみる価値はあると判断し景保が金貨をお碗に乗せると、またすぐに闇の中に消える。
「中央市場から西に外れた酒場で、最近、夜に変な衣装の人間が出入りしているらしいよ」
「そうですか。分かりました」
訊きたいことは聞けた。あとはそれを確かめるのみ。
情報屋のお婆さんはキーラとまだ話があるようなのでそこで別れ、景保はその酒場へ行ってみることにした。
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